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孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

イエメン  14日から和平協議 その直前にミサイル攻防も 深みにはまりつつあるサウジアラビア

2015-06-07 22:23:58 | 中東情勢

(「フーシ」のスカッドミサイルを迎撃したサウジアラビアのパトリオットミサイル 「フーシ」のミサイル攻撃はサウジアラビアの頭痛の種になりそうです。【6月6日 Online Coverage News】)

【「決意の嵐作戦」】
アラビア半島先端に位置する中東イエメンでは、シーア派イランが支援しているとされる反政府武装勢力「フーシ」(シーア派の一派であるザイド派)に対し、「スンニ派の盟主」サウジアラビアがスンニ派湾岸諸国とともにハディ大統領を支援する形で空爆を継続し、内戦状態が続いています。

混乱・内戦に至る簡単な経緯は以下のとおりです。

****一夜で入れ替わる味方と敵*****
・・・・人口2400万人のイエメンは、2011年にアラブの春でサレハ前大統領が退陣に追い込まれてから、混乱へと向かっていった。

社会主義国だった旧南イエメンで要職にあったアブドラボ・マンスール・ハディ氏が暫定大統領の座に就いたが、フーシ派やAQAPが台頭し、時にスンニ派の部族たちと連携して暫定政権を脅かすようになった上、影響力を拡大し、互いに争うようになった。

フーシ派は今年1月、大統領府を制圧し、イエメン北部から中部にかけての広大な領域を掌握した。

ハディ暫定大統領は南部のアデンに逃れたが、3月25日にサウジアラビアへ国外脱出。

その翌日、サウジアラビアを中心に同盟する9か国が、フーシ派の掃討とその背後にいるイランの影響力排除を目的に、フーシ派の進撃を阻止する空爆、「決意の嵐作戦(Operation Decisive Storm)」を開始した。【5月26日 AFP】
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なお、反政府武装勢力「フーシ」には、サレハ前大統領支持勢力も加担しています。

危機に瀕した市民生活
世界保健機関(WHO)によると、3月以降に約2000人が死亡、約8000人が負傷したとされていますが、死亡者の半数は一般の市民だとみられています。

直接的な死亡・負傷だけでなく、戦乱による混乱で市民生活は危機的状態にもなっています。
もともとイエメンは深刻な水不足地域でしたが、戦乱で更に厳しい状態となっているのに加え、サウジアラビアなど連合国側の港湾封鎖で食糧・燃料も入って来ません。

****内戦イエメンに水不足が追い打ち****
内戦が続くイエメンが深刻な水不足で人道危機に瀕している。
救援活動団体オックスファムによれば、国民の3分の2近くがされいな飲料水を確保できず、不衛生な井戸水を飲んだりしているために、コレラなどの流行につながりかねない。

3月下旬にイエメン政権を支援するサウジアラビアなど連合軍が反体制派への空爆を開始して以来、1500人以上が死亡・予定されていた和平協議も先週延期が発表され、国民の生命の危機はさらに続くだろう。

水不足は内戦勃発前から問題だった。首都サヌアでさえ上水道が整備されている世帯は約40%。人口の約半分の1300万人ほどが衛生的な水を飲めない状態だったが、内戦が始まってからは1600万人に増えた。 

食料も不足している。イエメンは食料の90%を輸入に頼っているが、サウジ軍が反体制派の武器調達を防ぐために港湾を封鎖したため、食料や燃料まで入ってこなくなった。

そして燃料の不足は、食料や水、その他の支援物資を国内の隅々にまで届けられないことを意味する。【6月9日 Newsweek日本版】
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和平協議直前にスカッドミサイル
こうした危機的状況を打開するため、国連主導の和平協議がようやく開かれることになっています。

****イエメン和平協議、ジュネーブで14日開催 国連が仲介****
ハディ暫定大統領派とイスラム教シーア派の反政府組織「フーシ」の交戦が続くイエメン情勢に関連し国連事務総長室は6日、和平協議が今月14日、スイスのジュネーブで開かれると発表した。

国連の声明によると、同暫定大統領は代表団を派遣すると述べた。一方、フーシ革命評議会責任者もCNNの取材に協議に参加する考えを明らかにした。

国連仲介の和平協議は当初、5月28日に開催予定だったが、延期されていた。(後略)【6月7日 CNN】
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ただ、戦闘の方は、「フーシ」側がスイス・ジュネーブで開かれる会議に出席すると表明した直後に、ミサイルをサウジアラビアに打ち込む・・・という新たな展開を見せています。

反政府武装勢力と言うと、自動小銃やロケット砲などのレベルをイメージしますが、反政府武装勢力「フーシ」はイエメン政府軍が保有していたソ連製スカッドミサイルも奪取しており、そのミサイルをサウジアラビアに発射、サウジアラビア側がパトリオットミサイルで迎撃するという攻防となっています。

****<イエメン紛争>サウジへミサイル攻撃か 連合軍が非難****
サウジアラビア主導の連合軍は6日、イエメンからサウジ南部ハミースムシャイトに向けて短距離弾道ミサイル「スカッド」1発が発射され、サウジ軍が撃墜したと発表した。

連合軍は「イスラム教シーア派武装組織フーシとサレハ前大統領派(の軍部隊)による攻撃だ」と非難した。連合軍が今年3月からフーシ側への空爆を続け、フーシ側もサウジ領への砲撃で反撃しているが、サウジへの攻撃にスカッドミサイルが使用されたのは初めてとみられる。

連合軍の声明によると、スカッドミサイルは6日午前2時45分(日本時間6日午前8時45分)ごろ、ハミースムシャイトへ向けて発射され、サウジ防空軍のパトリオットミサイルが捕捉、撃墜した。ハミースムシャイトにはサウジの空軍基地がある。

連合軍の調査で、スカッドミサイルはフーシの本拠地があるイエメン北部サーダ付近から発射されたことが確認されたという。【6月6日 毎日】
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サウジアラビアなど連合軍は「フーシ」のミサイル施設をこれまでも空爆して「ミサイルの大半を破壊した」と主張していましたが、“紛争勃発前に入手していたとみられるミサイル約300発を複数の洞窟に隠している”(連合軍の報道官)とも言われています。少なくとも残っていることは間違いないようです。

こうした戦闘が和平協議にどのように影響するのかはよくわかりません。

潘基文事務総長は、双方に対して市民への人道支援を行うために新たな停戦に応じるよう呼びかけると思われますが、“これまで政権側は反体制派が占領地域から撤退することを強く求めてきたのに対し、反体制派はサウジアラビアなどによる空爆の即時停止を求めていて、双方が協議を通じて歩み寄ることができるのか楽観できない情勢です。”【6月7日 NHK】

“楽観できない情勢”・・・・随分と穏便な表現ですが、“とにかく会議を行うことが目的で、それ以上のことは誰も期待していない”というのが実態に近いようです。

ただ、“断食月のラマダンが17日前後に始まる(最終的には月の満ち欠けを見て決まる)ところ、ラマダン期間中は停戦の可能性が強いと見て、総ての関係者は、その前に軍事的に大きな成果を上げることと目指している。”との現地メディア報道もあるようです。【6月7日 野口雅昭氏 「中東の窓」より】

今回のスカッドミサイルも、ラマダン停戦前の打ち上げ花火でしょうか。

協議や停戦に前向きなのは反政府武装勢力「フーシ」の側のようです。
しかし、それは永続的な停戦ということではなく、停戦の間に態勢を立て直し、その後の対決に備える準備をしたいのが本心とも指摘されています。

一方、サウジアラビア側は及びハディ大統領側は消極的です。
“サウディはこの種会議は、政治的駆け引きの場所となることを知っているからであるが、国際的な圧力が彼らを会議を受け入れさせたものである。”【6月7日 野口雅昭氏 「中東の窓」】

サウジアラビアは空爆の効果があがらず苛立っており、なんとか力でフーシをねじ伏せたいところですが、前述のような市民生活が危機的状況に陥っていることで、アメリカなどからも停戦協議を促されているようです。

【「ヘビの頭上で踊るような」イエメン統治
サウジアラビアでは、局面打開のため地上軍の派遣も検討はされていますが、そこまでイエメンの深みにはまるのは・・・という懸念も強くあります。

かつてイエメンに介入したエジプトの例などみると、イエメンはソ連やアメリカを苦しめたアフガニスタンに似たような感もあります。

****王室の継承問題」とイエメン介入****
サウジが今回軍事介入したイエメンは、一筋縄ではいかぬ国である。

1962年から69年にかけて、北イエメンは内戦に陥った。きっかけはアルサラル大佐(当時)が最後の国王を追放するクーデタを起こしたところから始まった。

エジプトのナセル大統領がアラブの民衆解放という大義を掲げ、クーデタ支援に入ったことから単なる内戦ではなくなった。追放された王イマム・アルバドルはのちに「フーシ」と呼ばれる部族につながる有力部族のザイディを頼った。北方山岳地帯はゲリラ戦を行う側に好都合だった。

エジプトからの部隊は当初数百人の支援規模だったが1965年には7万人規模にも膨れた。当時米国はベトナムへの本格介入に入っていたが、ナセルはイエメンを「エジプトにとってのベトナム」と認識せざるを得なくなる。山岳の岩場を空爆しても効果はあがらず、最後にはガス兵器を使ったともいわれる。ナセルにとっての歴史上の汚点となった。

1967年にイスラエルがエジプトに対して電撃攻撃をかけた。ナセルはイエメンどころではなくなり、内戦は終結に向かった。内戦の両当事者とは別のところから中立の指導者が登場し、北イエメンはやっと一体化したが、この時のザイディ部族が今日の「フーシ」運動の主体に繋がっている。

そもそもをたどれば、ナセルのイエメンでの失敗が、エジプトの軍事体制の弱体化に直結し、イスラエルがこれを見逃すことはなかった。そして第3次中東戦争大敗退は「アラブの大義」を虚妄とした。

ナセルは心臓発作で1970年に死亡するが、そのストレスの因って来たるところはイエメンだったといってよい。

サウジにとってみれば2009年に、サウジ兵130名が「フーシ」の攻撃で死亡したところから無視できない隣国問題が発生したことになる。

ここから「フーシ」はシーア派であるからイランの支援を受け、スンニー派に武力対抗姿勢をとる、という単純な図式がそのままサウジ王室の認識となったということなのか。

だが、フーシがイランの文字通りの傀儡なのかどうかの判断には、十分な吟味が必要だったはずだ。(後略)【6月5日 田中直毅氏 フォーサイト】
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サレハ前大統領はかつて、部族や民族、宗派が入り交じり、味方と敵が一夜で入れ替わるようなイエメンを統治することを「ヘビの頭上で踊るようなことだ」とたとえたそうです。

サウジアラビアも次第に“ヘビの頭上の踊り”にはまりつつあるようです。
14日からのジュネーブでの会議は、そうした状況から抜け出るチャンスでもあるのですが、その決断ができるかどうか・・・・。
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