孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

インドネシア  真相解明への動きがみられる “埋もれた虐殺”“暗い歴史”「9月30日事件」

2015-06-25 22:49:12 | 東南アジア

(若かりし頃のデヴィ夫人とスカルノ大統領 さすが・・・というべき美貌です 才覚と野心はそれ以上なのでしょう 【https://www.pinterest.com/pin/84583299221737127/】)

ごく普通のことだった権力による“むきだしの暴力”】
時の権力が、体制維持のために国民に対して熾烈な武力を行使するというのは、少なからぬ国々で見られることです。
中国の天安門事件(1989年)、韓国の5.18光州民主化運動(1980年)、台湾の二・二八事件(1947年)等々

戦争や紛争・動乱にあっても民間人の生命・人権に配慮しなければならない、国家権力といえども国民に銃を向けることは厳につつましまなければならず、その責任を問われる・・・・といった考えは、人類の歴史のうえでごく最近見られるようなったことであり、数十年前までは、敵対する勢力へのむきだしの暴力はごく普通のことでもありました。(未だに、ごく普通にむきだしの暴力を行使する勢力が存在するのは残念なことですが)

ピンポイント攻撃で民間人犠牲を最小限に抑えているとする、また、抑圧される人権の守護者を任じるアメリカにしても、つい数十年前まではベトナムのジャングルをナパーム弾で焼き払い、枯葉剤を散布し、その下で暮らす人々の生命・生活など一顧だにしなかったのが現実です。
(そのことを考えれば、近年の人権重視の風潮は、不十分ながらも人類の歴史において画期的な進歩かもしれません。)

むきだしの暴力を行使した権力は、その後もそうした事件に触れることを避け、その責任をうやむやにしてしまうのもごく普通に見れられることです。

1965年に起きた“闇のクーデター”とされる「9・30事件」】
インドネシアにおいては、1965年に起きたクーデター「9・30事件」により、共産主義者とみされた50万人とも100万人とも言われる人々が虐殺されました。

この事件によってスカルノ大統領は失脚し、インドネシア共産党は壊滅、権力はスハルト氏に移行することになりました。

「9・30事件」に関しては、インドネシア政府は治安を維持するためだったとして謝罪や補償は行っていません。
(ユドヨノ前大統領時代の2012年、国家人権委員会が大虐殺は「深刻な人権侵害であり人道に対する罪」だと非難し、政府に対して公式謝罪と被害者への補償、被害者と加害者の和解措置を勧告していますが、その後どうなったのか・・・?)

****9月30日事件****
インドネシア現代史の一大転機を成したクーデター事件。これを機にスカルノからスハルトへと最高権力者が交代、国政の基本方針も新旧植民地・帝国主義打倒から、経済開発政策へと大転換される。

1965年9月30日の深夜、ジャカルタで陸軍左派が陸軍首脳7人を拉致、うち6人を殺害して革命評議会を結成した。陸軍戦略予備軍司令官だったスハルトは直ちにクーデター派を鎮圧。

その後、スカルノ大統領を支えていたインドネシア共産党がクーデターの陰の主役とされて大弾圧を受け、スカルノも容共派として権力をはく奪され、68年3月にはスハルトが正式に第2代大統領に就任した。

党員や同調者とされた中国系住民を中心に約50万人が虐殺された。共産党は非合法化された。これで、アジアで最も早く1920年に創立され、64年頃には党員300万人、傘下組織2000万人を誇った前衛政党は消滅。

スハルトは国民の事件への記憶を意図的に操作し、30年余に及ぶ独裁体制構築に利用した。98年のスハルト失脚後に出回った、事件の首謀者の1人だったラティフ元中佐の軍法会議での上申書によれば、スハルトはクーデター計画に初めから関与しており、事件の本質はスハルトによる「闇のクーデター」だったという。【知恵蔵2015】
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“インドネシア共産党(PKI)のバックにいた北京政府への反発とインドネシア人の生理ともいえる反華僑感情が混然となり、都市部ではPKIの疑いという口実で中国系住民は殺害された”(http://www.jttk.zaq.ne.jp/bachw308/page039.html)という側面もあったようです。

ドキュメンタリー映画を機に、真相解明を求める動きも
事件の中心に位置していたともされるスハルト元大統領が死亡し、事件後の「共産主義者狩り」に動員された人々の多くや、被害者の遺族たちも加害者側からの報復を恐れて口を閉ざしていることで、事件の全貌については不透明なままになっています。

近年になってようやく事件を扱ったドキュメンタリー映画が製作され、事件で何が行われたのか、光が当てられつつあります。

****インドネシア “埋もれた虐殺”語り始める****
50年前にインドネシアで起きた虐殺をテーマにしたドキュメンタリー映画が世界で注目を集めるなか、インドネシア国内では、映画をきっかけに、被害者の遺族たちによる真相の解明を求める動きが広がり始めています。

インドネシアでは50年前の1965年、クーデターを企てたとして共産主義者への弾圧が行われ、その犠牲者は50万人以上に上ると言われています。

この虐殺について、インドネシア政府は治安を維持するためだったとして謝罪や補償は行っておらず、被害者の遺族たちも加害者からの報復を恐れ、沈黙を続けてきました。

アメリカ人のジョシュア・オッペンハイマー監督がこの虐殺をテーマにして制作したドキュメンタリー映画が3年前に公開されると、世界中で大きな反響を呼んで、アメリカのアカデミー賞にもノミネートされるなどし、来月にはその続編が日本でも公開されます。

続編の映画は、兄を殺された弟が加害者を訪ね歩き、直接、責任を問いただす内容で、インドネシアでは去年11月に上映されたのをきっかけに、遺族たちの間で真相の解明を求める動きが広がり始めています。

中部ジャワ州に住むニャミニさん(65)は夫と父親を虐殺されましたが、迫害を恐れて、これまで自分の子どもにさえ話してきませんでした。

しかし、ことしに入って被害者団体の支援を受け、ほかの遺族と共に、ようやく虐殺について語ることができるようになりました。

ニャミニさんは「これまでは怖くて自分だけの秘密にしてきましたが、ほかの遺族と会って、ようやく声を上げられるようになりました。自分たちの家族に一体何が起きたのか知りたいです」と話しています。

インドネシア国内では、被害者団体が各地で遺族らへの聞き取り調査を始めるなど、さらに広がりを見せていて、虐殺の全容が今後どこまで明らかになるか注目されます。【6月10日 NHK】
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3年前に公開されたドキュメンタリー映画『アクト・オブ・キリング』は、報復を恐れ沈黙する被害者に代えて、加害者にもう一度“演じさせる”という手法で世界に衝撃を与えました。

その続編『ルック・オブ・サイレンス』が、日本でも7月4日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開されるとのことです。

僻地鹿児島に住んでいると、こうした映画に触れる機会がなかなかないのが悩ましいところです。

****犠牲者の名誉回復を=虐殺事件解明、大統領に期待―インドネシア****
インドネシアで1960年代に起きた虐殺をテーマにしたドキュメンタリー映画「ルック・オブ・サイレンス」が7月4日から日本で公開されるのを前に、虐殺で兄を失い、加害者らに直接会って責任を問いただした主人公のインドネシア人男性アディ・ルクンさん(47)が東京都内でインタビューに応じ、「(インドネシアの)ジョコ・ウィドド大統領は犠牲者の名誉回復と、被害者と加害者の和解を進めてほしい」と訴えた。

インドネシアでは、スカルノ初代大統領の失脚を招いた65年9月のクーデター未遂「9・30事件」以降に行われた共産主義者とその家族に対する虐殺で数十万人が殺害されたとされる。

その後反共のスハルト独裁政権が30年以上続いたことから、加害者は罪に問われず、虐殺の実態は現在も解明されていない。

「殺された兄や今もおびえながら暮らす母のため、加害者に罪を認めさせたい」。映画はこうした思いを抱いたアディさんが加害者たちに対峙(たいじ)する姿を描く。

加害者らは「殺したことは認めたが、誰も悪かったとは認めなかった」とアディさん。加害者の中には地元で権力を握り続ける政治家もおり、アディさんの身を守るために撮影時は25人から成るチームがつくられた。撮影後、アディさんは故郷を離れ、別の場所に住むことを余儀なくされた。

アディさんは「(犠牲者は)収容所などから集団で移動させられ処刑された。組織的な力が働いていたとしか考えられない」と国家主導で行われた虐殺だったとの見方を強調。

「(昨年就任し、政治家一家や軍人出身ではない)ジョコ大統領は国による人権侵害に関わっていない初めての大統領だ」と期待を示し、実態解明に向け「この映画が良い方向に刺激を与えることを望んでいる」と語った。【6月25日 時事】
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事件の生き証人
これまで「9・30事件」が政治的に黙殺されてきたことについては、事件で失脚したスカルノ初代大統領の長女で、事件後は苦しい生活を余儀なくされたとされるメガワティ元大統領がどういうスタンスだったのか・・・よく知りません。

前出のユドヨノ前大統領時代の国家人権委員会による勧告を受けて、野党・闘争民主党党首でもあったメガワティ元大統領は、ユドヨノ大統領が政府を代表して謝罪するよう要求。「和解の場をつくり、古い世代の対立が新しい世代に引き継がれないようにして、暗い歴史の幕を閉じるべきだ」との談話を発表しています。【2012年7月29日 赤旗】

スカルノ元大統領関係者という点では、もうひとり、事件の生き証人が日本の身近なところにいます。
バラエティ番組で引っ張りだこの、スカルノ元大統領の第三夫人であったデヴィ夫人です。
事件当時は生命の危険を感じながらの生活だったようです。

****デヴィ夫人、インドネシア大虐殺の真実を暴いた米監督に感謝「真実は必ず勝つ****
1960年代のインドネシアで行われた大量虐殺を加害者側の視点から描いたドキュメンタリー映画「アクト・オブ・キリング」の試写会が3月25日、都内で行われ、インドネシア元大統領夫人のデヴィ・スカルノと来日中のジョシュア・オッペンハイマー監督が対談した。

1965年に起きた軍事クーデター「9・30事件」により、“赤狩り”と称した100万人規模の大量虐殺がインドネシアの全土で行われた。

当局から被害者への接触を禁止されたオッペンハイマー監督は、取材対象を加害者側に切り替え、映画製作という名目で過去の虐殺行為を本人たちに再現させるという前代未聞のアプローチで、人類に潜む闇に迫った。

夫スカルノ氏を失脚させ、自身も亡命するきっかけとなった9・30事件を振り返ったデヴィ夫人。
当時は宮殿に潜んでいたといい、「川の中に何分隠れていられるか、走ってどれくらいで庭を突っ切れるかなどを考えながら、毎晩ズボンをはいて寝ていた。護衛官もいつ裏切るか分からないし、味方なのかスパイなのかも分からない。人間って何も食べないで眠らなくてもこれだけ生きられるんだと知った」と壮絶な体験を明かした。

オッペンハイマー監督は、デヴィ夫人との対話は「言葉で表せないくらい感動してる。この場に駆けつけてくれたことを光栄に思う。デヴィ夫人は大虐殺を経験した生存者でもある」と最敬礼。

デヴィ夫人も、「虐殺が事実だと証明されてうれしく思う。監督の偉業には心から感謝。(故スカルノ元大統領には)やっと真実が明かされ、あなたの汚名をそそぐひとつのきっかけになったと報告したい。真実は必ず勝つと信じていた」と語った。

娘に勧められて本作を鑑賞したというデヴィ夫人は、「虐殺をした人間がそれを自慢するという神経は、非常に異常なこと。恐ろしさに身震いした」と衝撃を受けていた。

そして、「スカルノは共産主義だったわけではなく、当時のアメリカとロシアの勢力に対抗するべく、アメリカの基地を拒否し、アジア・アフリカなどの中立国家たちと第3の勢力を作ろうとしていただけ。そのためホワイトハウスやペンタゴンから憎まれ、5回ほど暗殺を仕掛けられたけれど神のご加護か助かった。大虐殺に国連が全く動かなかったのは、国連がアメリカの影響下にあったことを裏付ける証拠」と訴えた。

オッペンハイマー監督は、「『映画を楽しんで』とは言えないけど、大いに笑ってくれていい。映画を見たインドネシアの人たちも、感動しながら笑っていた。作品に込めたユーモアは意図的なもの。笑いは人が生き延びるためのもの、人をいやすためのものだから。魔法のような時間を過ごしてほしい」と客席に語りかけた。【2014年3月25日 映画.com ニュース】
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美貌と才覚、そして溢れる野心を武器に権力の階段を駆け上がる女性・・・というのは小説・映画の世界で多々描かれますが、赤坂の有名高級クラブのホステスからインドネシア大統領の愛人として送り込まれ、やがて第3夫人となり、デヴィ夫人の人生はそうした小説・映画の上をいくものでしょう。

“日本政府や利権事業商社や大手企業とインドネシア政府の連絡担当のような役割を果たし、デヴィ夫人がその時に築いた資産は、数十億を下らないとも言われています。
スカルノ政権末期には、デヴィ夫人を通さずには、日本企業は何のビジネスも進まないという状況だったようです。”【http://susumu2009.xsrv.jp/?p=2387

なお、「9・30事件」後、“スカルノは軟禁状態におかれ、デヴィ夫人はインドネシアの日本大使館に亡命を希望したが、国際的立場上の理由で断念”【ウィキペディア】とのことです。

ジョコ大統領の対応は?】
話をもとに戻すと、インドネシアの「暗い歴史」の幕を閉じるうえでは、政治家一家や軍人出身ではないジョコ大統領は動きやすい立場にあると言えます。

メガワティ元大統領の傀儡との評もありますが、この問題に関してはメガワティ元大統領も踏み込むことに依存はないでしょう。

ただ、現在の政治バランスに波風を立てない・・・という点が重視されれば、どうでしょうか・・・・?
コメント (1)
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