私が子供の頃と違い、今の漫画やアニメは本当に凄いですよね。
漫画やアニメとして子供と見ても凄かったのが、鬼滅の刃、ブルーロック、推しの子、あと、Dr.STONEとかも無茶苦茶面白く、外れが無い。いい年の大人が見ても面白いですし、昔みたいに作画が荒れたりしない高レベルで、本当に凄いですよね。
そんな中で、たぶん、子供が見てもそんなに面白くないだろうけど、大人がみたら面白い、というのも結構ありますよね。
ヴィンランド・サガ、進撃の巨人、葬送のフリーレンなんかは、大きな流れの中で物語の面白さが深まっていく感じです。最近、手塚治虫の「火の鳥」もやっているけど、良いですよね~
で、今その中でも凄い1つが「チ。-地球の運動について」ですよね。
何かのテレビで「今すごい漫画」みたいので紹介されていて、それがNHKのアニメになっているのを知って見始めたのですが、面白い。
漫画の世界は、まだ教会が国の最たる権威の時代。
その中で「天動説…人間は生まれもって罪を背負っているからこそ、宇宙の真ん中、最底辺にいて上の世界である宇宙を仰ぐ存在であり、宇宙の最底辺で生きる人間にとって、唯一の救いは神の教えを守って死んだ時に天国へ行く事」という思想に対し、異教徒と判断されてしまう「地動説」に魅せられた主人公がどんどん死んでいく、というか、思いを伝達し託すことで、どんどん時代が進んでいく物語。
こんな構造の物語を組み立てた作者は凄いと思うのですが、それが面白く、またテーマに合致して深みを増していくストーリー展開や作画力はたまげたものです。
で、最近の数回は、大人の女性と今回のタームの主人公の女の子の2人の会話が、すんごく哲学的だけどすんごくしびれるものでした
大人の女性というのは、以前のタームではまだ少女で、幾何学の天才であるが女性という低い地位であるためになかなか論文発表の機会などを与えられず、そんな中で地動説に関わった天才少女。親は異端審問官といって、地動説を唱える人を捕まえ、拷問し、時には殺す存在でしたが、自分の娘が地動説に関わった疑いが浮上し、すったもんだがあって、その少女は「火あぶりの刑で死んだこと」になっていました。
ただ、実際は生きていて、今は大人になって「地動説を活版印刷という最新技術を使って大量印刷し広める事」を生きる意味とし、異端解放戦線というグループの組織長になっています。
対して、今回の主人公の女の子は、貧乏な移動民族だったからこそお金が無く、お金がらみで死んだ父の事を思い、「お金を稼ぐことが信念」という子。頭が良く、例えば強奪などをして稼ぎをしていた村の仕組みに異論を唱え、命をかけた強奪などをせずとも布を集めて衣類を作り売って稼ぐ、というシステムを作ったり、ぱっと見た本の内容を覚えてしまうなど天才肌。考えて知性を使ってお金を稼いで今の現状を改革していこう、という思いが強い子です。
その2人が交差し、色々やりとりするわけですが、その内容がしびれるのです。
それは今までのストーリーが前提となっているので、しびれるんですね~。ここまで来るのに何人もの人生の出会いと死と正義と葛藤と感動と、などなどが積もって、今回のやりとり、つまり「地動説に対する思いと人生のバトンタッチ」の場面になるのです。
例えば組織長の女性の方は、地動説のために色々人殺しもしてきたわけです。主人公は色々突っ込むわけですが、それに対して「確かに真理を盾に暴力は加速しうる」とか、「何かを前提にしないと論理が出来ない人間の限界」とか「(時を超えて思いを伝えられる)文字は奇跡ですね」とか、哲学的だけど今までの過去がわかる視聴者から見れば「しびれる言葉」を語るわけです。
そして、組織長が女の子の「お金が信念」という事に突っ込みを入れると、主人公の女の子は「それが私の信念だから」と答えるのです。
そこで、さらに「信念はすぐ呪いに化ける」と言う組織長。それに対し「でも信念を忘れたら人は迷う」という女の子。
・・・というやりとりがあって、組織長から出て来た言葉がこれ。
「迷って。きっと迷いの中に倫理がある」
・・・しびれました。って、漫画やアニメを見ていない人からすれば、「なんじゃそりゃ?」と訳が分からないでしょうが。
でも、普通の世界でもそうですよね。
「人にはそれぞれ正義があって、その正義がぶつかってケンカや争い、戦争が起きる」というのは、誰もが納得する話だと思うのですが、その時って、どうしても「相手が悪い」とか「自分の正当性はこうだ」という論理を働かすじゃないですか。
私も人間なので、どうしても相手の非が我慢ならない時は、理屈で相手が間違っているところや自分の正当性を頭で反芻してしまう、悪い癖があります。
また、直情的で過激な人は、相手の事を考えずにすぐに攻撃的な言葉を吐き出します。
すると、我慢できる人、良く考える人、人を批判する事が苦手な人は、大体が受け手になって心に傷を負いますし、あるいはモヤモヤがず~っと続くわけです。
そこで「いや、自分が正しくて相手が間違っているのでは?いや、自分が間違っているのか?でも。。。」という思いをもって、もんもんとする、というタイプの人は、良い人には多いと思うのです。
そこに
「迷いの中できっと倫理は生まれる」
という言葉は、突き刺さると思うのです。
正義とか何が正しいか、ではなくて、「倫理が生まれる」という話です。
迷うからこそ、道徳的な価値観、何が人間として守るべきことなのか、とかが倫理だと思うのですが、論理ではなく倫理は、「迷うからこそきっと生まれる」、という事ですよね。
常に自分が正しい、と思っている人、つまり迷わない人には倫理観は生まれないかもしれない、という解釈もできます。
また「きっと」という言葉には、願いもこもっている感じで、それもまたしびれました。
ということで、「チ」面白いです。
以上、長々とすみませんでした