ETV特集の「人新世 ある村にて」という番組を観ました。いつものごとく録画したのを時間が空いた日に観るパターンです。昨年に放映されたようですが、その再放送でした。
『人新世(じんしんせい)』という言葉は、「人新世の資本論」という本を書いた斎藤さんという人によって有名になった言葉だと思うのですが、私もそれで知った一人です。
ざっくり言うと、隕石が落ちて来たとか、大火山の噴火があったとか、大きく時代を区切る地球規模の出来事があると地質が変わります。地層にその痕跡が残るので、地質調査をすると「この時代には火山の噴火があって、それで大型恐竜の化石が沢山出来て、その後の地層には大型恐竜がほぼいなくなった」といった事がわかるわけです。
例えば、恐竜がいた時代は「中生代・白亜紀」という事になりますが、その「代」の下に「紀」があって、さらに下に「世」があるそうです。そういった「地質学的な時代の区切り」として近代を「人新世と呼ぼう」という学説が広がっているのです。
これは2000年代に入ってから使われ始めた言葉で、色々な時代区分の説がありますが、多くは1950年代以降に、世界中の地質調査をすると、明らかに地球規模で地質が変わった、という証拠が出てきたわけです。石油・石炭を燃やしたカス、重工業から排出された重金属、そしてマイクロプラスティックなどです。
未来の人達が現在の地質を調べたら、「人類が地球規模で大きな変化をもたらした時代として区切られるだろう」という事で「人新世」という言葉が盛んに議論されているわけです。地球規模の大きな変化を表す地質的な時代の区切りの1つを「人」が起こしている新時代、という事ですね。
最近広がった興味深いコンセプトなので、「人新世」という番組名を見て「おっ」と思うのですが、そこに「ある村にて」というローカルな小さな単語がついていたので録画してみたのです。
番組の内容は、「欧米諸国から輸入した廃棄プラスティックで生きているインドネシアのある村」のお話でした。
日本もそうですが、いわゆる先進国はプラスティックなど廃プラごみを「リサイクル原料」として「輸出」します。ちょっと前は発展途上国だった中国などが「輸入」していましたが、多くが農村に捨てられ、河川が汚れ環境問題にもなっていました。
私の昔の同僚がマックのマネージャーをしていた時(30年前ぐらい)の話としては、「ゴミの分別なんて実際はしていなかったよ。ゴミ箱は分けていたけど、全部あとで1つにまとめて業者に渡してたよ。たぶん、中国とかそっちに流していたと思うよ」と言っていました。
私が20年ほど前に乗ったピースボートという世界一周の船で、フィリピンに立ち寄った際に、「スモーキーマウンテン」といって、ゴミの山で暮らす人々を見ましたが、そういった人たちが世界に沢山いるのです。
そういった彼らは「ゴミを売って暮らす」という生計の立て方をしています。
当然、ゴミには有害物質も有り、また自然発火などで大気汚染もあります。
それで中国は「輸入」を禁止したので、今はインドネシアなどに欧米のゴミが流れ込んでいます。日本では輸出先が無くなってしまったので、数年前に急にゴミ処理費が高くなりました。特に農業用のプラゴミの規制が厳しくなったけど、実際は外食や中食などのプラゴミは国内で処理しきれているとは思えないので、どうしているんでしょうね?
まあ、それはさておき、今回の番組のインドネシアの村もそういった、先進国から出たごみの最終到着駅となっていました。
この村は、昔は低くて沼がある地域で、何も仕事がなかったそうですが、違法プラゴミが持ち込まれるようになって、「ゴミを売る」という生活が始まりました。これを「プラスティック農家」と呼ぶそうです。
「農家」という言葉を使う事に違和感を覚えましたが、彼らからみれば「農家」なのでしょう。しかし、国としては「違法」という扱いになっており、彼らも「違法だけどこれしか食う手段が無い」と頑張っています。
番組では「リサイクル古紙」として輸入されたものの内、実質4割はプラゴミが混ぜられていて、古紙リサイクル会社はおそらく安いから違法で仕入れ、余ったプラゴミを村に運び入れる映像を出していました。違法なのですが、村人達から見れば「仕事の種」なので、毎日、村の人々はゴミのトラックが来るのを待ち構えているのです。
それをみなで分け、分別して大きめのプラスティックや鉄線などは売ります。しかし、そういったものはごくわずかなので、残ったほとんどのクズプラスティックの山はまとめて、トラック1杯いくらで、さらに売るのです。その売る先は「豆腐工場」です。豆腐工場は「燃料」として使うのです。
なので、プラスティック農家の仕事は、クズプラスティックを薄く広げて天日に当て、燃えやすいように乾かすのが主な仕事です。
そして、プラゴミが捨てられた最終到着駅の村で分部され、最終的にはどうにもならないクズプラスティックの山は、「昔から続く豆腐工場が集まる村」にたどり着きます。
番組では「揚げ豆腐」を1日12時間勤務で作る村人の姿が映っていました。
プラスティックを燃やしたことがある人はわかるでしょうが、独特の煙と臭いが出るわけです。明らかに体に悪いやつです。ダイオキシンが実際に大量出ています。それでも経営者は「燃料に木材を使って赤字でやっていけない。実際、国は木材を使えというが、それでつぶれた豆腐工場もある。どうしようもない」と言い、従業員も「他に仕事が無いから仕方がない。これで食っていくしかない」というのです。
「人新世」という言葉をタイトルに使った番組ですが、そのほとんどが「プラスティックで生きる村人たち」の生活をずっと流しているのです。
凄い構成ですよね。というか、さすがETV、こういった番組を作れるのはNHKだけでしょう。
こういった作りは観ている人に考えさせるという番組で、短くわかりやすく伝える、という最近の番組とは違うわけです。かつ、大きな論調ではなく、超ローカルなある村の事だけ、そこの数家族の生活を切り取って映像にしているだけなので、どういった感想を持つかは人それぞれでしょう。
下手すれば「垂れ流しの番組」と言われかねないわけですが、こういった番組を流せるのはETVだけでしょうから、私はNHKは凄いと思うのです。
話しがまた横にそれましたが、私の感想は「あ~、昔の日本と同じだな。いや、昔の日本はこうだったんだな」という事に興味がそそられました。
まず、村の人達は「この村を離れたくない」という思いがあります。
次に、「仕事が無かったが、この仕事でお金を稼げるようになった。低賃金で違法だけど、有難い。無くなったら困る」という思いを持っています。
一方で、「体に悪い事はわかっているし子供たちが心配。でも今はこれしかない。だから頑張るしかない。ただ、子供には学校に行って自分たちのような仕事はして欲しくない」と言うのです。
その上で、一人一人が優しく、劣悪な環境でも我慢して笑顔で楽しそうに働いている。でも家に帰り、ふと「今の現状」について聞かれてしまうと、涙を流し、「涙を流してごめんね」と言うのです。
あ~、こういった考え、感情、社会の枠組みで生きてきたのは、日本人も同じだよな~、と。
日本で言えば東北の方なら冬は仕事が無く出稼ぎにお父ちゃんは出かけ、港町なら遠洋漁業で半年家を空けるというのはざらだったわけです。
農家の方々も戦後、「俺らみたいな仕事を子供達にはさせたくない」と言って、「学をつけて都会で会社員になれ」と山を売って子供の学費を出したわけです。
みんな我慢をし、しかし子供達には同じような生活をさせたくないので学校に行かせようと頑張ってきていたのです。
そして、それは社会の仕組みを作る中央の人達とは違った世界であり、取り残された世界であり、しかし、村という一つの共同体の内にこもりながら皆で協力しながら必死で生きて来た人達の生きざまでした。
番組の最後で学者さんが「今の社会の仕組みは、問題があったら先進国や富裕者層ではなく、貧困国や低所得者層など社会の仕組みの低い方へ低い方へ、しわ寄せが行き、最後の低下層の人達がそれを全部かぶるような仕組みになっているんです」と言っていました。
今回はプラゴミという環境問題の話を軸にしていましたが、その通りだよな~、と思いました。
何なんでしょうね?この仕組みって。
モヤモヤが残りますが、今は大人より子供たちの方が環境問題や貧困問題に真正面から取り組む時代なので、1つ思ったのが、小中学校で環境問題やゴミの分別の授業をする時間がとられていると思いますが、この番組をみんなで見てもらって、そして、実際にゴミの分別上でゴミの分別を体験してみる、というのをやったら良いんじゃないかな、と思います。
私もゴミをクリーンセンターという所に持ち込むことが年に数回あるのですが、ほんと、毎日、汗だくになってごみを分別している方たちを見ると「あ~、分別しなきゃダメだな」と思うのです。
昔、クリーンセンターに行ってあの現場を見てから意識が変わり、傘なら金属部分とプラ部分を分けるし、服なら金属ボタン部分と布部分は切り分けて布部分は床拭きに使ってます。
一番面倒なのが広告冊子などのホッチキス。あれが一番分別が面倒。世の中のホッチキスを全て芯無しホッチキスに変えて欲しいと昔から思っています。
でも、プラ無し生活は無理ですね。。。
また、話が細かいところにそれましたが、「プラスティック農家」を生み出す世界の仕組み、なんなんだろうな~と、モヤモヤが残ります。
そういえば、番組の最後の方に色々な世界の学者のメッセージが流れていましたが、その中の1つに「人新世ではなく資本新世と呼ぶべきだ」というのがありました。
「資本新世」、確かにそうだな~。むむむ~。