世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

日韓併合100年(122)

2011-08-02 17:56:22 | Weblog

そして次の5項目をまとめた。

(1)サガレン(樺太)を分割して処分する。
(2)ロシアは、同島北部の還付について日本に報酬を支払う。
(3)間宮、宗谷海峡の自由航行を相互に保障する。
(4)右の三ヵ条が妥結すれば、日本は軍費の払い戻し要求を撤回する。
(5)報酬金額と支払い方法については、別に協議する。

ニコライ2世は、「一寸の土地」も譲渡するな、「一カペイクの賠償金」も支払うな、と厳命している。しかし、樺太北部を確保すれば同島を日本に与えたことにはならず、「賠償金」でなく「報酬」ならば、ロシアにとって「面目が立つ(支払い)名分」が成り立つ。ウィッテはこれなら皇帝も納得するはずだと推理した。そして小村委員は、更に踏み込んだ。

(注)カペイクとはロシア通貨の補助通貨で、100カペイク=1ルーブル=2.78円(2011/8/2現在)
単数の場合は1カペイカ、2~4カペイカ=カペイキ、5カペイク以上=カペイク(カペーク)と発音すると言う。1ルーブル=ルーブリ、2~4ルーブル=ルブリャー、5ルーブル以上=ルブレイと発音すると言う。(Wikipediaより)

樺太分割の境界を北緯50度とし、報酬金額を「少なくとも12億円」とした。日本は戦費16億5千万円に見合う15億円を獲得するよう訓令していた。そのため12億円は、小村委員の独断での減額であった。ロシア側がこの議論を乱さないための2割減額であったが、ウィッテは渋った。樺太分割は説得できるが、12億円は大金過ぎて説得できない。しかし、日本も粘った。とにかく12億円なら日本も折り合うとして、あらためて次の秘密合意がまとまった。

しかしここで緊張をほぐしてもう一度広い視野で、この提案を検討してみる必要があった。報奨金とはいえ12億円と言う大金が動く。果たしてニコライ2世がこれを承認するだろうか。もし承認しなかった場合に対応はどうなるのか。日本はそのまま引き下がるのか。談判を破裂させるのか。いわゆるリスク管理を行う必要があった。

こう言うものが許されるものかは判らないが、二者択一的な提案を設定しておく必要があった。

もし、この樺太北部の還付に対する報奨金12億円案が駄目ならば、還付は出来ない。と言った条件を追加しておくべきだったのではないか。

報奨金の減額は不可だとしていたのであれば、樺太北部の還付はない。樺太全島が日本領となる。…といった条件を付けておくべきだったのであろう。A案か、B案か、どちらかをとれ、と言ったものと同じ事になる。日本としては、戦費の補填金が欲しかったのである。だから樺太の北部を還付する報奨金としたのであるが、もしニコライ2世がこれを許可しなかった場合はB案となる、などの条件をつけておくべきであった。

しかし更に深読みをすれば、結果として「大東亜戦争」のドサクサに紛れてロ助に満州や樺太、千島を蹂躙されてしまい樺太も取られてしまったため、余分な事(開発投資など)をしなくて済んだと思ったほうが好いかも知れない。

ウィッテは12億円についてはロシア政府を承知させることはすこぶる困難だと表明するものの、次のように「秘密合意」をまとめた。

(続く)
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日韓併合100年(121)

2011-08-01 10:34:04 | Weblog

まずウィッテは、賠償金支払いサガレンの割譲は「絶対に不可」との訓令を受けている。従って自分の権限ではどうしようもない。だからあくまでも日本がこの件を主張するなら、講和談判の破裂も止むを得ない。」と脅かしてから、「しかしこれに代わるよい案が考え出せれば本国へ進言できる」と思わせぶりの発言をした。そしてウィッテが出した代案は「樺太2分割」論であった。

賠償金については、全く同意できない。ただしロシア兵捕虜に関する費用は支払う。

樺太割譲については、妥協の余地がある。ロシアは対岸のアムール川河口流域や沿海州の安全保障の確保が必要であり、日本は樺太の資源が必要であろう。だから樺太の北部はロシアが、南部は日本が保有する。そして宗谷海峡の航行自由は保障して欲しい。

と言うものであったが、ウィッテは樺太全島を譲渡する決意を固めていたが、日本側が(10)ロシア艦の引渡し、(11)海軍力の制限の2項の譲歩を言い出したために、更に譲歩の用意が有るかもしれないと思いつき、樺太2分割案を思いついたと言う。ウィッテの強者ぶりを発揮したものであった。

小村は、このウィッテの譲歩案に対して内心ホッとしたことであろう。「日露戦争7」(児島襄)ではそのようなことは述べていない。何と言っても日本側が最初に(10)ロシア艦の引渡し、(11)海軍力の制限、の撤回を提案している。これにより何らかのロシア側の譲歩を導き出して、何とかしてこの講和談判をまとめたかったに違いない。講和談判も終盤に近づいている。小村寿太郎の内心には、それと気付かないにしても焦りがあったことであろう。そこをウィッテに目ざとく見透かされて、攻め込まれてしまったものであろう。それがウィッテの咄嗟の判断であった。日本側が勝者の立場に立って居たのであれば、否、勝者の立場に立って居たのであるから、まずはロシア側の譲歩案を聞こう、と泰然自若と構えていればよかったのである。しかしこのようなことは後になって言える事である。

ウィッテのこの樺太2分割案に対して、小村は「ロシアに譲歩の意向があるならこちらも一歩譲って樺太2分割案に賛成しよう。ただし、樺太は現在日本軍の手中にあり、半分たりとは言え相当な報酬が無ければ還付は出来ない」と回答する。

ウィッテの報酬とは何かの問いに対して、小村が代わりの土地をもらうことだがそれは不可能であろう、従って金銭の報酬となろうと答えると、ウィッテははっとする。ロシアは賠償金の支払いは絶対に拒否する決意であったので、この報酬名目に対してウィッテは愕然としたはずである。ロシア側はロシア兵の捕虜に関する費用については支払うと言明している。樺太北部のロシアへの還付に対しては当然対価を支払わねばならないことになる。この小村の作戦は、巧妙ではあった。樺太はもともとロシアにとっては、それほど重要なものではない。なんと言ってもロシア本国の地ではない。賠償金は絶対に拒否すると言っているので、報酬とはいえこの対価の支払いをニコライ2世が許可するものであろうか、疑問の残るところである。

ウィッテもそのこと(報酬と賠償)に反問しながらも、日本側の提案を受け入れざるを得なかった。

そして次の5項目をまとめた。

(続く)
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