世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

尖閣諸島問題その3(50)

2013-08-12 00:00:00 | Weblog

しかし、わずかな可能性として、

尖閣諸島は地理的に台湾の附属島嶼であり、台湾が清代に中国領土となったときに、いわば自動的に尖閣諸島も中国領土となった」と言うことも、確認する必要がある、と言ってそれを検証して「そんな事実はない」と結論づけている。

「台湾の付属島嶼であった事実はない」として、この論も成り立たない、と次のように論破している。

先ずその前に台湾の帰属がどうなったか、を調べたい。


皆さんは、宮古島島民遭難事件はご存知のことと思う。台湾出兵とも牡丹社事件とも言われている事件である。

先ずは次の2008.11.20の小生のブロク「ヨーロッパと日本(29)」の次の一文を参照願う。



1874年5月6日(明治7年台湾へ軍事出兵する。さて3年前の1871年(明治4年)10月琉球の御用船が台風で難破し、台湾南部に漂着した。乗員69名(内3名溺死)は台湾先住民に囚われの身となり、内54名が殺されてしまう。明治政府は清国へ賠償を要求するが拒否され、外交経験もなく国際慣習も知らない明治政府はどうしようもなく、その後3年間も放置される。しかし清国駐在のアメリカ合衆国総領事より「懲らしむるべし」との忠告を受けた明治政府は、征韓論の対立や、廃藩置県による士族の失業などの不満などで世の中がざわめいている中、大久保は台湾出兵を計画する。陸軍中将西郷従道は政府の明確な指示がないうちに3,000名を率いて出兵させる。5月6日に台湾南部に上陸、5月22日本格的な制圧を開始、6月には事件発生地域を占領してしまう。この台湾出兵については、何事も無知だった明治政府は、清国や清国に権益を持つ列強に対して通達・根回しなどは行っていなかったため、国際問題になりかけたがイギリスの駐清公使トーマス・ウェードの斡旋で清国が賠償金50万両(テール)を日本に支払うことで、日本の征伐軍は撤退することになる。又この結果帰属がはっきりしなかった琉球は、日本に帰属することが国際的に認知された。又この台湾出兵をめぐる意見対立から長州の木戸孝允までもが職を辞している。



この事件を、もう少し時系列的に整理してみよう。この件のテーマは、琉球の帰属台湾の帰属が国際的に認知された、と言うことであるので、この作業は有意義なことになるであろう。


1871年(M4)   廃藩置県の実施

1871年(M4)10月 年貢を納めた宮古島の御用船が、帰路、台風の強風で遭難し台湾に漂着。

1871年(M4)12月 宮古島島民69名中3名溺死。66名の内54名が台湾先住民パイワン族に殺害・斬首されてしまう。その後生存者12名は琉球に帰される。

1872年(M5) 明治政府は、琉球王国を廃止して、琉球藩とする。

1873年(M6) 備中の国(倉敷市)の船が台湾に漂着して略奪を受ける。これを受けて明治政府は、副島種臣外務卿を清国に派遣し、宮古島島民遭難事件などの件を問いただす。しかし清朝は、「台湾は化外の地」であり、清朝の統治の及ばぬ地域であるとして、受け付けなかった。これに対して日本は軍を派遣してこれを懲らしめるが文句を言うなと言明している。

1874年(M7)5月 台湾藩地事務都督に任命された陸軍中将西郷従道は、独断で征伐軍約3,000名を出港させる。5月22日に台湾西南部に全軍集結、制圧開始する。

1874年(M7)6月 6月3日には事件発生地の牡丹社などを制圧し、占領を続ける。戦死者は12名だったが、風土病のマラリアで561名も死亡する事態となる。

1874年(M7)10月 駐清英国大使ウェードの斡旋を受け、全権弁理大使として大久保利通は清国と北京で交渉し、難航の末10月31日日清両国互換条款」が調印される。当初日本は台湾は清国の領土ではないとの立場に立って交渉したが、清国は台湾は清国の属地であると主張した。しかしこのままでは賠償金を取れないので、大久保は台湾は中国の属地である事を認め賠償金を引き出すことに成功する。

・日本軍の出兵は義挙であり、構築した道路、宿舎は有料で清国に譲る。
清国は50万両の賠償金などを支払う。日本が台湾を清国領と認めた。
・清国は台湾生藩(清朝に服さない部族の意)の取締りを保証する。
・日本軍は1874年12月20日までに撤退する。
琉球人は日本人であることが、国際的に承認される。琉球の日本帰属

1874年(M7)12月 54名の日本人の遺体は現地の善意の人達により埋葬されていたが、西郷従道らは中国大陸から墓石を取り寄せて、「大日本琉球藩民五十四名墓」と刻み、新たな墓を作り日本将兵、軍属一同で慰霊の祭祀(さいし)を行う。 

「大日本」の文字の色が変わっているのは、一時塗り潰されていたため。

ちなみに、台湾は日清戦争で日本に割譲され、その後台湾人は日本人として処遇され、大いに発展しました。大東亜戦争で負けた日本はその台湾の処分を放棄しましたが、その主権はまだ放棄していません、といった主張もあります。従って「台湾は中国固有の領土ではない」と、中国に言ってやりましょう。

「台湾と主権のお話」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1674.html

を参照願います。

尖閣諸島は一度も中国の領土になってはいない。ずっと日本の領土であるのだが、馬賊・匪賊の国・中国は「日本が盗んだ」などと捏造話を吹聴している。ならば日本は「台湾は中国固有の領土ではない」と、世界に言ってやりましょう。

(続く)
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1 コメント

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TPPと道州制の危険性 (WJFプロジェクトの支持者)
2013-08-24 06:39:58
従軍慰安婦問題、竹島・尖閣などの領土問題、日本海呼称問題、日本文化起源捏造問題などを英語や仏蘭西語などの多言語の動画という形で日本の主張を世界に発信し日本の名誉回復を目指すWJFプロジェクトをご支援ください。

日本国民の生活と日本国の伝統文化を破壊するTPPの危険性を解説する動画もございます。沖縄の分離独立を促進し、中国併合への道筋を整え、日本の国家解体につながる道州制に反対します。

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