世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

日韓併合100年(133)

2011-08-17 10:37:33 | Weblog

それに仮に日本が勝ったとしても「ロマノフ王朝」が崩壊してしまえば、償金も権益も入手できなくなる可能性もある。また日本が必ずしも勝つとは限らない。負けるかもしれない。

そのため、「たとえ多少の譲歩を為すも、今回講和会議を機とし平和の局を結ぶこと得策なり」との結論となった。日本は万策尽きたのである。そして「償金要求撤回による講和妥結の方針」が決定された。

明治天皇は、「日露戦争が”亡国”につながるのではないか、と深憂し、開戦決定の際は落涙して優意を表示した」と「日露戦争8」(児島襄)には記述されている。それだけに天皇陛下は、政府の決定に「満足」された。

そして、満韓の関係の要求が達成された点も考慮して「・・・たとえ償金割地の2問題を放棄するの已むを得ざるに至るも、この際講和を成立せしむ。」ただし、樺太の割譲は主張すべきであり、順を追って談判せよ、と言った内容の電文が発信された。8/28,午後8時35分であった。ポーツマスでは8/28,午前6時35分

8/28、正午過ぎ小村は、金子からAPのストーン社長の件の督促電を受ける。小村は既に談判決裂を覚悟しているので、すぐにその旨打電する。

当然だ。こんな斡旋内容は先にも述べたが、日本を馬鹿にしている。と言うことはルーズベルトも打つ手が無くなっていると言うこと、ではなぜニコライ2世の「相殺論」を日本側に伝えなかったのか、甚だ疑問の残るところである。ルーズベルトの本音は、継戦では無かったのかとも思われても仕方がない、と小生は思えるのである。それが米国の国益にかなうものであるから。

8/28、午後5時過ぎ小村は、先の(償金割地要求を放棄する)最終訓令を受け取った。当然日本全権団は悲憤慷慨した。小村だけは「多分そんなことであろうと思うていた」と冷静であった。彼には首席全権としての仕事があった。金子元法相にルーズベルト大統領への伝言を依頼した。金子は早速「特使」を派遣して、大統領に小村電のコピーを届けさせた。午後7時30分過ぎであった。

AP通信東京支局も、日本の償金要求撤回を急報してきた。そして日本側随員たちの顔色の冴えないことから、記者たちも、この新事態の発生を感知していた。午後11時過ぎ退屈な観劇からウィッテ達は帰ってきた。記者団から事情を聞いたウィッテは、それでも「償金の要求撤回が絶対条件だ」と強調し、本国へは「日本側の新提案があれば、検討すべきだ」と打電した。

ウィッテは「日本側が樺太全島を還付し、それに対して減額した代償を求めるのではないか」と推測していた。日本は「無一文の平和」を求める筈はない、無償で戦争を終結するとは思えなかった。それでもその提案は拒否せずに、交渉すべきだとの意を含ませたかった。

8/29、この日の早朝日露代表団はそれぞれ本国から訓令電を受領した、と「日露戦争8」(児島襄)は述べ次のように続けている。

小村委員は、前日の割地要求放棄を訂正して「北緯50度以南」の樺太を要求せよ、との訓令を受けた。委員ウィッテ宛訓令は、・・・・・「日本全権委員の金銭要求の声言を俟(ま)つべし」それだけであり、日本側が新提案をした場合ついてはの委員ウィッテの進言については、何もふれていない。「無償、樺太南半部譲渡」という皇帝命令に変更はない、ということである。

(続く)
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