世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

日韓併合100年(112)

2011-07-19 00:09:01 | Weblog

記念写真も、期せずして、大統領の両横に両国の全権団が並ぶ形となった。そして日本全権団は日章旗の降下と礼砲に送られて汽艇に移乗し、ポーツマスへの乗艦である巡洋艦「ドルフィン」向かった。しかしながらロシア全権団は、そのまま「メイフラワー」号でポーツマスへ向かうこととなる。
船酔いに気分を悪くし、更には米国側の処遇を心配していたウィッテは、上座を得られなかったが上客の待遇を受けたことに面目を保ったのであった。

同日17時、両全権団を乗せた2隻と護衛の巡洋艦はポーツマスへと出港していった。

8/6、前日と打って変わって霧が濃く立ち込め、船はのろのろと進んでは停止した。そのためウィッテはすっかり不機嫌となっていた。船に弱いウィッテはニューポートで上陸し陸路でポーツマスに行く手筈になっていたが、そのためニューポート入港が半日遅れて16時となってしまったことも不機嫌の理由であった。オイスターベイからポーツマスに航行するには、ロングアイランド海峡を抜け、更にナンタケット海峡を抜けて大西洋に出てから、直角に北上してポーツマスに向かう(ことになろう)。ニューポートは、両海峡の途切れたところ、中間地点にあるナラガンセット湾に浮かぶロード・アイランドの先端にある。

8/7、3艦は早朝出港するが、陸上ではT.ルーズベルト大統領と金子堅太郎元法相がロシアの強攻策に対して話し合っていたが、なんら良策は見出しえなかった。
ウィッテの一行は、同日午後11:15に、汽車でニューキャッスル駅に到着した。

ニューキャッスルは、ボストンから70~80kmほど北のポーツマスの北側を流れるビスカタカ川の河口、丁度大西洋に面しているニューキャッスル島(New Castle Island)の最北端にある都市である。
このニューキャッスル島のすぐ西北にあるジャマイカ島(Jamaica Island)の西端に日露交渉が行われた海軍工廠や海軍造船所がある。いわゆるポーツマス市はジャマイカ島の南西の対岸に当る。両国全権団はこのポーツマス市のホテルに宿泊したのではなく、ニューキャッスル島と大陸と結ぶウェントワースロード(Wentworth Road)の付け根のある現在はマリオットホテルとなっている当時は、ホテル「ウェントワース」の本館に日本全権団が、別館にロシア全権団が宿泊した。

相変わらずウィッテの外面だけは愛想を良くしていた。

8/8、全権団を乗せた3艦はポーツマス沖に到着し午前10時にポーツマス港に錨を下ろす。そしてその一時間後に海軍工廠に向かった。海軍工廠第86号棟の3階に会議室はあった。両国とも米国側の配慮に満足していた。そして昼食の後ニューキャッスル市の州裁判所で歓迎式に臨み、ウェントワースのホテルに着いたのは4時を回っていた。ロビーでは、百人の女性コーラスが歌声で日本全権団を迎えてくれた。

日本人よ 日本人よ
ロシアとウィッテをやっつけろ
旅順を捨てたら あんたはバカよ

ロシア人よ ロシア人よ
日本人をいびるのは もうこれっきり


と言った当時の流行歌のメロディに載せた替え歌であったが、明らかに親日の歌であった。

(続く)
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