BE HAPPY!

大山加奈選手、岩隈久志選手、ライコネン選手、浅田真央選手、阪神タイガース他好きなものがいっぱい。幸せ気分を発信したいな

1・17

2012-01-17 23:07:33 | Weblog


  ご近所のゴクラクチョウカ。
南アフリカ原産ですが、強い花らしく、冬の日本でもけっこう咲いています。

あの1・17から17年が過ぎました。
わたしも阪神在住ですが、昨年の3・11の少し前、たまたま整体院で、「緊急避難リュック、どっか行ってもうたわ」という会話を聞いて、阪神大震災の記憶も風化しつつあるのかなと感じました(わたしも枕元に置いてはあったけど、ばらけちゃって、とてもいざという時ぱっと持ち出せる状態じゃありませんでした)。
まさに、「天災は忘れた頃にやってくる」。
これは、天災は「その教訓を」忘れた頃にやってくるとも言えるかもしれません。
阪神の時も、「福井の原発どうやってんやろ」と思ったら背筋が寒くなるものがありました。
大丈夫だったと聞いた時はほっとしました。
今、福島のニュースを見ていると、次から次から出てくる「実は…」に、もしかしたら、あの時も本当は何かあったのに隠してたんじゃないかと疑いたくなりますが、それはさておき。

あの時、神様はもしかしたら、「今回は原発は無事にしておいてあげるから、こんな大地震がくる国に原発をつくることを、あなたたち、ちゃんと考えなさいよ」というメッセージを下さっていたのかもしれません。
でも、わたしたちは、「大丈夫だったじゃん!」という方向に解釈してしまった。
それで、仕方なく、放射線被害がどんなものか、実際に起こして知らしめるしかないと思われたのかもしれません。
それでも、福島第一原発一箇所だけだったことに、神様のせめてもの手心が加えられていたようにも思えます。
もし、あっちもこっちも同時多発的に事故が起きてたらどうなっていたでしょう。
一箇所だけでも、原発の周囲のみならず、こんなに、あそこも汚染されてる、ここもホットスポットだ、と言ってるんです。
それも、かなり離れたところでも。
何カ所も事故ったら、日本のような狭い国土では逃げる場所もなくなっちゃうかもしれません。
わたしたちは、かつてのボート・ピープルのように、放射能に汚染された国土を捨ててさまよう、亡国の民になってしまう可能性もあるのかも。
神様に、「まだわからいの? それじゃあ…」と思われないようにしないと、次はえらいことになりそうです。


さて、ここからはとてもおバカな話です。
17年前の今日、わが家の人間のとった行動は、今ふりかえると実におバカ。笑われるのを通り越して「許せない話」になりそうです。もう17年たったんだから時効? 話しても怒らない?

阪神大震災は明け方だったので、わたしはまだ布団に入っていました。突然の激震に目を覚ましたものの、恐くて体が動きません。
東日本大震災の被災者もおっしゃってましたが、足下が揺れると動けないんですよ。
上からバサバサものが落ちてくるので、これじゃいけないとわかっていたけど、布団をかぶって震えていました。
幸い、揺れる方向が家具と平行だったので、ものが落ちてくるだけですみましたが、タンスでも倒れてきてたらなすすべもなく圧死だったでしょう。
それから、わざわざ二階から一階の居間に集まって(方向が逆ですよね)、テレビをつけ、ニュースで何が起こったのかを確かめました。さっき揺れたとこなのに、もうアナウンサーがちゃんとしゃべっているところがすごかったです。
今でも覚えていますが、最初は、「1人の死亡が確認されました」から始まったんです。それが、あっという間に増えていって…
その間も、何度も激しい揺れが襲います。
でも、正直、あそこまでひどいことが起きているとはわからなかったです。
国の第一声も覚えています(正確じゃないですが)。
「この地震を、兵庫県南部沖地震と命名します」
あ、そこから入る? と、妙にお役所らしさを感じました(しかし、この名称、全然使われませんでしたね)。

その後の自分の行動が…
部屋に戻ると、もう明るくなっていて、何が落ちてきたのかがわかります。母や妹の部屋は、「頭に当たってたらしゃれにならんで」というものがあったそうですが、わたしの部屋は本ばっかりです。
で、何を思ったのか、その中の一冊、「サイボーグ009」のコミックスを読み始めたんですね。
棚の上の本なんて、普段は見ないので、「あら、こんなところにこんなのが」という感じだったんでしょうが、そんなことしてる場合なのか
読んでいる間に何度も余震がくるので恐くてしょうがありませんでしたが、逃げる準備もしないで読みふけってました。
うちは小さな建て売り住宅ですが、大工さんが良心的な方だったようで、限られた予算でしっかり建ててくれてたようです。十年以上たってもたてつけが狂わないし、この時もしっかり踏ん張っていてくれました。
壁には多分、その時のものと思われるヒビが何カ所か真横にビシーッと走っていますが。
おかげで、そんな時にマンガを読んでた大馬鹿者は無事でぴんぴんしています。

母は母で、ちょうど震災の翌日くらいからバスツアーの予定だったんです
そんなもん当然中止だろうと思いましたが、母は一応荷物を持って集合場所へ出かけてゆきました。しかも、帰ってこない。
行ったの ツアー、決行 阪神高速ぶっちぎれてるのに?
その間、親戚から、「お母さんどうしていないの?」と問い詰められ続けたわたしの身になって下さい

しかし、母の友人にはもっと強者がいました。
その人は神戸の人で、かなりひどい被害があった地域にお住まいでした。
震災から半年ほどたったある日、その人が母にそっと打ち明けました。


「今まで誰にも言えなかったんだけど、わたし、全然気がつかないで寝てたの。朝起きて、窓を開けたら、近所の家が潰れてたんで、びっくりした」


それは言えなかったでしょう


17年たった今でも、言ってよかったのかどうかわからない話。
でも、こんな話ができるのは、自分だけでなく、知り合いもみんな無事でいてくれたからだと思います。
自分が無事でも、一人でも何かあったら、こんな「すべらない話」(実話だから)みたいなこと言ってられないでしょう。
阪神でも東日本でも、生き残られた方の中には、「亡くなった方に申し訳ない」と思われている方が大勢いらっしゃるようです。
でも、あなたが無事でいて下さったおかげで、喜べた人がきっといらっしゃると思います。
被災しなかった地域の人達も、誰かが救出されたというニュースが一番嬉しかったと思います。


1・17、3・11、どちらも、生き延びて下さった方すべてに「ありがとうございます」と言いたいです。


何だかわけのわからない記事になって申し訳ありませんでした m(__)m