BE HAPPY!

大山加奈選手、岩隈久志選手、ライコネン選手、浅田真央選手、阪神タイガース他好きなものがいっぱい。幸せ気分を発信したいな

一星へようこそ ~年賀状~

2013-01-03 20:14:19 | 一星


 コーヒー喫茶『一星』の一人掛けの席に座って、わたしは年賀状を書いている。思いがけない人から届いた二通に出すものだ。
『一星』が再開したことは、娘から聞いた。もっとも、娘は、わたしが買い物帰りに必ず以前の『一星』に立ち寄っていたことは知らない。友達と商店街を歩いていて、「こんなお店をみつけたよ」という感じで話してくれたのだ。
それによると、以前店主だった女性は体を壊して入退院を繰り返しており、今の『一星』は、息子のイッセイくんがやっているらしい。
しょっちゅう代金の合計や、使うべき器を間違えて叱られていたイッセイくんが、今は店長さんなのかと思うと感慨深い。
店の場所も変わっていたが、星のモチーフですぐにそれとわかった。わたしは大好きだったシナモントーストを注文し、返事を出さねばならない年賀状を取り出した。
わたしは一応イラストを描く仕事をしているので、年賀状のデザインも頼まれる。今回はリテイクの嵐で ヘビは難しいと身にしみた。どんなに可愛くデザイン化したつもりでも、どこかいやらしさが出てしまうのだ。わたしがヘビを見ただけで、ゾッとする人間だからかもしれない。最終的には、リボンのようなヘビにして、ようやくが出た

出窓の前の一人掛けの席で二通の年賀状を眺める。
一通は高校の時の同級生からで、二十代の前半で音信が途切れていた。家族の写真がプリントされたハガキに、わたしのイラストの載った雑誌を偶然見て懐かしくなったと、書き添えられていた。
わたしは若い頃、家族や子供の写真入り年賀状が嫌いだった。あなたにとっては目に入れても痛くないほど可愛い子供、かけがえのない家族かもしれないけど、第三者にはどうでもいいんだよ。それなのに、親戚ばかりか赤の他人にまで「見て、見て」とばかりに送りつけてくるなんて、受け取った方が恥ずかしくなる。
何より苛立たしかったのは、そういうことを言うと、「自分が結婚して家庭を持てないからひがんでるんでしょう」と決めつけられることだ。そうではなくて、わたしは「ひとりよがりなセンスのなさ」がイヤだったのに。自分は結婚して子供ができても、絶対こんな年賀状は出さないと、わたしは固く心に決めた。
娘ができたときは、そのことで夫と言い合いになった。
夫の実家は辺鄙な田舎で、昔ながらの共同体意識が根強く残っている。普段なかなか会えないのに、年賀状に家族や孫の写真を載せないなんて薄情だと思われるような土地柄なのだ。
「そんなものを見せびらかしあう集まりで、なかなか子供ができないお嫁さんなんかがどんな思いをしてるか、考えないの?」
わたしが断固として主張すると、夫の方が折れてくれた。クリスマスカードに娘の写真を同封し、年賀状はわたしがデザインしたものを使うことにして、決着がついた。
それから何年もの月日が流れ、わたしの気持ちも変わってきた。
おそらく、大多数の人にとって、家族写真入り年賀状は一番あたりさわりのないものなのだろう。
特に、世相が暗くなってくると、新年早々、リストラされたの、家のローンが払えなくなりそうだの書きたくない。年齢を重ねるにつれて体の具合が悪くなる人もいるだろうが、そんな愚痴を年賀状でこぼしたくない。
それなら、とりあえず家族が笑顔で写っている写真を載せ、自分は仕事をなくしそうでも、病院通いをしていても、子供の部活の話なんか書いておくのが、その人なりの大人のマナーだったのかもしれない。
友人知人の、色々な「近況」を知るにつけ、わたしはそんな風に思うようになった (*'-')
今でも、自分から家族の写真入り年賀状を出す気にはなれないが、少なくとも受け取っていちいち不愉快になるほど青くはなくなったわけだ
わたしはリボンヘビのハガキに、やはり数々の風雪を乗り越えてきた彼女とその家族へのメッセージを書いた

もう一通は、以前仕事でお世話になった、とても尊敬する大先輩からだった。
知り合った後、何年かは向こうからも年賀状が来たが、数年前からぱたりと途絶えた。わたしも、こちらが出しても返ってこないのは迷惑だからかもしれないと思い、二、三年前から出すのをやめてしまった。
久しぶりに届いたその人からの年賀状は、見事な毛筆の文字が並んだ、年賀状の王道ともいえるものだった。新年の挨拶と、難病と闘っていて年賀状もかけなかったというお詫びがしたためられていた(あまりに達筆すぎて読みづらいところもあるが、どうもそういうことらしい)。
わたしは自分の未熟さと浅はかさを悔いた。もういい年の大人なのに、相手がくれないからわたしも出さないなんて、何て幼稚だったんだろう。自分がその人を尊敬する気持ちに変わりがなければ、年賀状ぐらいいくらでも出せばよかったではないか。
「やっとまた筆が持てるようになりました」というその人の文字は、真っ白なハガキに、一本筋が通っているように真っ直ぐに、列なっていた。何度見てもほれぼれする墨痕だ
毛筆の美しい文字ほど絵になる年賀状はない。
どんな写真もイラストもかなわない。パソコンでは絶対に作れない。
子供の頃、「習字がもっと上手かったら、絵を描いたり、ハンコを押したりしなくても、字だけ書いておけばすむのに」とぼやいたことを思い出す。
そういえば、その人にもそんな話をして、「でも、そうやって一生懸命素敵な年賀状にしようとしたことが、今のあなたにつながっているんじゃない?」と言って貰ったのだ。
リボンヘビのハガキを見れば、その人には、「今のわたし」がどの程度の人間なのか、すぐにわかってしまうだろう。
少しは成長したと思って貰えるのか、「相変わらずねえ」と笑われるのか。
でも、素直に、ありのままのわたしを届けるしかない。
わたしはハガキにまっすぐ字を書くことができない。それこそヘビにように、行がくねくね曲がってしまう。だから、わたしのデザインするハガキはたいてい背景に罫線代わりのストライプが入っている。
なのに、もうそれをはみ出して曲がっていく自分の文字に、わたしは思わず苦笑いした

一星へようこそ~再開~

2012-12-06 20:38:39 | 一星
   

 駅前の商店街の中にその店はあった。『一星』という名のコーヒー喫茶だ。
星のモチーフに惹かれて、ミユとわたしは思い切ってドアを開けた。ファーストフードの店にしか入りつけていないので、ちょっとドキドキした。
カウンターには、わたしたちよりちょっと上ぐらいの男の子がいた。男の子の前には、いかにも商店街の裏方さんといういでたちのギョロ目のおばちゃんが座っていて、大声であれこれ話しかけていた。わたしたちは少し離れたテーブル席に座った。自家製チーズケーキセットというのがおいしそうだったので、二人ともそれを頼んだ。
男の子がコーヒーを入れ、ケーキをお皿に載せている間も、おばちゃんはのべつまくなくしゃべりかけていた。
「で、お母さん、どうなん? もう退院したん?」
「いや、出たり入ったりで」
「ほんまあ。心配やなあ」
おばちゃんが、「イッセイくん、イッセイくん」と連呼するので、男の子の名前はイッセイというのだとわかった。店の名前と同じだ。おばちゃんの声が大きいので、聞き耳をたてなくても、この店の事情が何となくわかってしまった。
『一星』を開いたのは、もともとはイッセイくんのお母さんだったようだ。しかし、体を悪くして店を続けられなくなり、いったんは閉店した。イッセイくんは当時高校生だったが、何の目的もなく大学へ行くよりは、お母さんのお店を再開しようと決めたらしい。もとの店舗はもう他の店が借りていたので、新しい『一星』は、同じ商店街でも別の場所になった。おばちゃんはスーパーで働いているらしく、「距離が遠くなった」とぼやいていた。



レアチーズケーキセットは大ヒットだった。
ケーキは口の中で雪のようにしゅっと溶け、後味が口に残っている間にコーヒーをブラックで飲むと最高だった
わたしはどちらかというと紅茶派なのだが、コーヒー喫茶で紅茶を頼むのも失礼な気がしてコーヒーにしたのだ。ミユはいつもブラックで、ちょっとクールなイメージによく似合っていた。コロンをつけているのか、いつもほのかにいい香りがする。
今日の英語の時間、アメリカでは9・11テロ以来、会社などで行われるクリスマスパーティーから宗教色をなくす傾向があるという話を聞いた。名前も「オフィス・ホリデー・パーティー」などと変わっているらしい。ツリーは飾っても、キリスト教的なオーナメントはぶら下げず、ニュートラルな飾り付けにするのだそうだ。
「そのうち、日本のクリスマスの方がキリスト教色が濃くなっちゃったりして」
ミユは、店内に飾られたクリスマスモチーフを見遣りながら言った
「日本のクリスマスなんか、最初から宗教色ないやん」
「そやねー。でも、日本の場合は、『カップルですごさなければならない』っていう妙な強迫観念があると思わへん?」
「いえてるー。クリスマスに一人やと、周りの雰囲気が華やかな分、さびしさが際立つ、みたいな?」
わたしとミユは、クリスマスには一緒にイルミを観に行く約束をしている。そういう意味では一人ではないのだが、イルミの前で寄り添う恋人達を見たら、ため息がでるであろうこともたしかだ。
そんなわたしたちの話に合わせるかのように、店内には二つのクリスマスソングが交互に流れていた。ユーミンの「恋人がサンタクロース」と、山下達郎の「クリスマス・イブ」だ。内容は正反対なのに、この二曲はクリスマスシーズンの二大人気ソングらしい。おそらく、日本にはおおまかにいって、二つのグループが存在するのだろう。
 恋人がサンタクロース と口ずさみながら、るんるん気分でイブを楽しみにしている人。
 きっときみは来ない~ ひとりきりのクリスマスイブ という歌詞が心にしみてしかたない人
「でもさあ、恋人がおれへんからクリスマスをさびしく過ごさなあかんなんて、つまんないし、何か悔しくない? だから、あたし、カップルで過ごすことに負けない自分なりのクリスマスの意義を考えてるねん」
ミユのこういう発想が、わたしは好きだ。なるほど、自分なりの意義か。



家に帰ると、野菜の煮えるいい匂いに迎えられた。今日はポトフにしてってお母さんにお願いしておいたのだ。
お母さんにただいまをいいながら、ふと『一星』で小耳にはさんだ話を思い出した。イッセイくんのお母さんは病気で入退院を繰り返しているという。そういえば、わたしは、お母さんは元気でいてくれてあたりまえ、何をして貰ってもあたりまえみたいな気持ちでいた。でも、そうではないのだ。
多少こじつけっぽいが、わたしなりのクリスマスの意義は、お母さんに感謝する日にしようかと思いついた。いつもありがとうって、ちょっとしたプレゼントを渡して言うのだ。普段の日なら恥ずかしくてとても言えないが、クリスマスの魔力を借りれば伝えられそうな気がする。
早速、何をプレゼントしようかと考えたが、これが難題だった。服もアクセサリーも、わたしたちのような安物ではすまされないし、花というのも、母の日はいつもカーネーションでお茶を濁しているのの焼き直しのようだ。
お母さんにさりげなく(?)、「もしサンタさんがお母さんのところにも来てくれるとしたら、何をお願いする?」と訊いてみると、「そうねえ。家族がみんな元気で、安心して暮らしていけるようにってお願いするかしら」という返事だった。そんな、政党の公約のようなことを言われても困る
とにかく、百貨店に行ってみることにした。目指すは「婦人小物コーナー」だ。ハンカチよりはいい物をあげたいが、お母さんはスカーフはしないし、財布は高すぎる。手袋も、いいなあと思うものは決まって予算オーバーだ。
そのうち、赤い靴下がわたしの目を惹いた。百貨店だけあって、靴下もブランド物揃いだ。それはバーバーリーのアンゴラモヘアの靴下だった。
まるで見事に紅葉したもみじのような真紅は、鮮やかなのに上品だ。足首の折り返しの部分に、ブランドロゴが小さいワンポイントになっているのもいい。こんなのを履いたら、足下から贅沢な暖かさが立ち上って、とても豊かな気分になれそうだ
靴下一足に1280円なんて、いつものわたしなら「ふざけるな」と呟いているところだが、今日は特別。プレゼント包装にはしないで、自分でラッピングすることにした。文具売場でクリスマスカードも買った。それからもう一つ買い物をして、わたしは百貨店を後にした。



お母さんはとっても驚いて とっても喜んでくれた
わたしはごきげんな気分でイルミを見に行った。カップルになんか負けないぞ!
ミユも身近な人に感謝する日にしたのだという。
「人間て、一番身近で一番支えてくれる人を一番粗末にしてまうとこあるやん。そやから、そういう人達に感謝する日にしてん」
と、ミユのものいいは、やっぱり大人っぽい。
「だから、清葉にも。ほんの気持ちだけど、いつも仲良くしてくれてありがとう」
ミユは小さな包みを差し出した。開けてみると、前からほしかった若者向けブランドのキーホルダーだった。値段は手頃だが、とってもお洒落なのだ。
「エヘヘ、実はあたしも」
ほんの気持ちだけどね。ミユの言い方を真似て、ポケットからリボンのかかった小箱を出した
百貨店で最後に買ったもの。クリスマス期間中だけ特別に小さな可愛い瓶に詰められたオーデコロンだ。30mlという小さなボトルなので、わたしのお小遣いでも買えたのだ。柑橘系の爽やかな香りは、きっとミユに似合うと思った。
「いつも色々教えてくれてありがとう。これからもいい友達でいてね」
うわあ、お互い、照れくさくてとても言えないような台詞。わたしたちはにっこり笑い合った。
恋人がいなくったって、クリスマスのマジックはみんなを幸せにしてくれる



一星へようこそ ―夜―

2011-04-23 19:32:16 | 一星


 おばあちゃんが入院して、そろそろ1週間になる。週末に一度皆で見舞いに行こうということになった。
金曜の夜の特急で出かければ、午後10時頃におばあちゃんの家に着く。晩ご飯は、特急の中で駅弁を食べた。おばあちゃんちに行く時は、いつも、少しデラックスなものを選んでもいいことになっている。今回は、「幕の内風釜飯弁当」にした。お弁当箱の中央にお釜を模した容器を据え、中に釜飯が入っている。その周囲をおかずが囲んでいるというものだ。
特急から各駅停車に乗り換え、さらに支線の終点近くまで行くと、おばあちゃんちの最寄り駅に着く。最寄り駅といっても、徒歩ではとても行けない。この時間だとタクシーに乗るしかなかった。「○○町の柴原」と言えばタクシーの運転手さんもわかってくれるド田舎だ。子供の頃、タクシーはこんな風に相手の家の名前を言って乗るものだと思っていて、友達に笑われたことがある。
タクシーを降りると、段々畑の横の石段と坂道を上って、ようやくおばあちゃんちの垣根にたどり着く。道路から離れると照明もなくなるので、足下が危うい。都会とは明らかに違う夜の暗さが、わたしはいつも恐かった。目を上げると、木や山が黒々としたシルエットになって、どんなに星がたくさん出ていても不気味だった。

久しぶりに田舎の夜の中に立って、わたしはこのあいだ図書室で読んだ絵本を思い出した。お母さんがイラストを描く仕事をしているからか、絵本を見るとつい手にとってしまう。それは、『原始の夜』という絵本だった。
原始時代の人間にとって、夜は大変恐ろしいものだった。暗闇の中で周囲のものが見えなくなるし、夜行性の獣も徘徊する。人間が何とかやっていけたのは、火があったからだ。火を焚いていれば、恐い獣も近づいてこない。人間は、火の周りに寄り添って、早く暗く恐ろしい夜が明けて朝がきてほしいと待ちわびた。
やがて、人間は電気を発明した。電気は煌々と闇を払い、もはや人間は夜を恐れなくなった。その頁には、とてもきれいな夜景の絵が描いてあった。宝石をぶちまけたようなイルミネーション
最後の頁は、真っ黒に塗りつぶされていた。そこには白抜きで、こんな文章が書いてあった。

『でも 夜は何も変わってはいません。/夜は 原始のころと同じ姿でそこにあるのです。/変わらぬ暗さと深さでもって 日が沈むたびにやってくるのです。』

おばあちゃんとこの夜は、原始の夜のままに見える。わたしはたき火を囲んで朝を待っていた原始時代の人間になったような心細さを感じた。
電気のある時代に生まれてよかった。都会の子でよかった。そう思いながら、玄関をくぐった。あの真っ黒い頁が背後の闇に重なった。

おばあちゃんの家に着くと、いつもおばさんがハーブティーを出してくれる。特別な甘味料が入っているのかと思うほど、甘くまろやかだ
カップは、お母さんがデザインしたものだ。お母さんは以前、雑誌の連載エッセイの挿絵を描いていたことがある。お母さんは、文章の内容とは関係ないカップやお皿の絵ばかり描いていた。でも、読者には好評だったらしく、イラストの食器を実際に製作・販売する企画が持ち上がった。最初のシリーズができあがった時、お母さんは、おばあちゃんちにカップとソーサーの5客セットをプレゼントしたのだ。このあたりの人は、「清明の嫁がつくった茶碗らしい」と端折って理解しているようだけど。
「お風呂は沸いてるから、よかったら入ってね」
と言って、おばさんはさっさと寝てしまった。おばさんのこういうマイペースなところが、わたしは好きだ。
おばあちゃんちのお風呂に入る時、わたしは服を脱ぐ前に 必ず中を一通り見回す。時々、壁にゴキブリ大の胴体を持つクモが張りついていたりするからだ
子供の頃は、お風呂もトイレも母屋とは別の場所にあった。暗い庭をつっきり、牛小屋(おじいちゃんが元気な頃は牛を飼っていたのだ)の前を通ってトイレに行くのが、わたしはたまらなく憂鬱だった。足下もさだかではない暗闇の中に、牛小屋の匂いが漂ってくる。トイレに入ると、都会よりワンサイズ大きなハエや蚊が飛んでいて、すぐにでも家に帰りたくなった
映画やドラマでは、よく、都会の生活に疲れた人が田舎に住み着くという話があるが、あんなのはまやかしではないかと思う。都会の生活に慣れた人間に、田舎の自然は猛々しすぎる。どんなにゴミゴミしていても、人がぎすぎすセカセカしていても、わたしは都会でしか暮らせないと思う。
そういえば、おばさんは東京からお嫁に来たと聞いた。おばさんは、わたしみたいなことを感じなかったんだろうか。

「思ったわよ」
おばさんは言う。明日は家に帰るという夜、わたしはおばさんと二人でハーブティーを飲んでいた。おばあちゃんは思ったより元気そうで、わたしたちの顔を見て、とても喜んでくれた。
「もう絶対、東京に帰ろうと思った。毎日逃げ出す機会をうかがってたわ」
なかなかきっかけをつかめず数ヶ月が過ぎた頃、東京に住むいとこが結婚するという知らせが届いた。おばさんも招待されていたので、「チャンス」と思ったそうだ。二度と帰ってこないつもりで、お気に入りの服は全部ボストンに詰めた。わくわくしながら東京行きの新幹線に乗った
東京駅に降りて、おばさんはびっくりした。空気の汚れが気になる。空中に漂う黒い粒子が見えるようだった。どんなに新しいビルも、この粒子にすすけて見えた。実家のお母さんの手料理は懐かしい味だったが、素材がよろしくない。田舎の野菜を使ったら何倍もおいしくなるのにと、悔しくなったそうだ。
「何より、お水がおいしくないの。このハーブティーが苦く感じるのよ」
結局、おばさんは田舎に戻ってしまった。ばかみたいに重いボストンを持って
最寄り駅に着くと、おじさんが改札のところに立っていた。おばさんが出かける時の挨拶が今生の別れみたいだったので、事故に遭う予兆ではないかと心配になり、迎えに来たのだそうだ。おじさんもなかなかいいところがある。
「何で帰ってきちゃったんだろうって思うこともあるど、わたしはいつのまにか、こっちの水になじんじゃってたのね」
おばさんの話は多分、ハッピーエンドなのだろう。でも、わたしなら、やはり逃げ出すと思う。
「どんなにお水がおいしくても、わたしはここの夜が恐い」
夜だけじゃない。大きな虫が恐い。舗装していない道が恐い。文明にくるまれて、わたしはものすごくひ弱な生き物になってしまったのかもしれない。
「でも、自然は本来恐いものなんじゃないかしら。長年、ここで暮らしているうちに、そう思うようになったわ。おばあちゃんも、昔の人はもっと自然を恐れていたって言ってたわ」
おばあちゃんちの裏手の山には、小さな祠がある。昔は、皆、ひっきりなしにおまいりしていたそうだ。そういえば、わたしも小さい頃、おばあちゃんに連れられておまいりしたことがある。苦労して山道を登ったのに、何もお願いごとはできず、「いつもお守り下さってありがとうございます」とお礼を言うだけだった。つまらない神様だと思った
―「何事もない」っていうのは、「いいことが起きない」んじゃなくて、「悪いことから守られている」んだよ。
おばあちゃんは言った。言葉の意味はわかったが、いまひとつぴんとこなかった。
「清葉ちゃんの年じゃ、わからなくて当然ね」
と、おばさんは笑った。
「何でもない日常が愛おしいなんて思うようになったのは、わたしも…そうね、四十を過ぎてからかしら」
翌朝、もう一度おばあちゃんの病院へ行き、その近くのお店でおばさん達とお昼を食べた。わたしたちはその足で帰途についた。

特急を降りると、もう夜になっていた。都会の夜は明るく電気に照らされ、通りの向こうまできれいに見渡せた。
この電気が全て消えてしまったら、そこには原始の夜が残るのだろうか。わたしはふと思ったが、その先は想像できなかった。
うちに着くと、大急ぎでお風呂をわかして、順番に入った。いつものうちのお風呂。わたしのタオル。使い慣れたシャンプーや石けん。やっぱり、ほっとする
おばさんが言っていた、「何でもない日常が愛おしい」というのはこういうことかもしれない。
おばあちゃんが早く元気になってうちへ帰れますように。早くいつも通りの生活に戻れますように。湯船の中で、わたしは祈った

一星へようこそ ―ordinary―

2011-03-22 21:04:12 | 一星


  商店街を歩いていると、前方の景色に違和感を感じた。
違和感の正体はすぐにわかった。『一星』が休業しているのだ。クリーム色のシャッターが降りて、「勝手ながら、都合により当分臨時休業させて頂きます」という貼り紙が出ている。
『一星』は商店街の中のコーヒー店だ。わたしは毎日の買い物帰りに、ここでシナモントーストセットを食べるのを楽しみにしていた。口の中にじゅわっとしみ出すバターとシナモンシュガー、それをコーヒーで洗い流しながら文庫本を読むのは、わたしの至福の時だ。その『一星』の突然の休業に、わたしは呆然とした。

あまりにいつまでもクリーム色のシャッターの前で突っ立っていたのでは変な人なので、気を取り直してスーパーに入った。
頭の中では休業の理由を考え続けている。店長さんは、毎日カウンターでおしゃべりしているギョロ目のおばちゃんと、検査がどうとかと話していたことがあった。何か病気が見つかったのだろうか。
「当分」とは、どのくらいの期間だろう。もしかしたら、もう再開されないかもしれない。ここ数年、個人店がぱたぱた店じまいしているので、そういう想像が出てくるのは容易だった。
その日は、商店街にある別の喫茶店に入った。出てきたトーストを見るなり、がっかりした。表面だけがきれいに焼かれて、中にまるで火が通っていない。こういうのが好きな人もいるだろうが、わたしは中まで火が通ったサクッとしたトーストが好きだ。わたしはだだっ子のように小さく首を振った。
明日にでも『一星』に再開してほしい。いつも通りそこで営業してくれていることは、それだけでありがたいことなのだと思った。

『一星』の異変に呼応するように、夫の実家から、姑が倒れて病院に運ばれたという電話があった。
「すぐ、そちらに行った方がいいでしょうか」
と訊くと、兄嫁は、
「まだ大丈夫よ。主人はみんなを呼べって騒いでるけど、わたしは親を見送ってるからわかるの。あれくらいなら、今回はすぐ退院できるかも」
 義兄は悪い人ではないのだが、あまりにも言動が紋切り型すぎる。「こういう場合はこうすべき」というマニュアルで生きている感がある。今回も、親が倒れたのだから兄弟全員が集まるべきだと主張しているようだ。
「今日も病院に泊まり込むっていきまいてたけど、そんなことしてたら身が持たないわよって、さっさと帰って来ちゃった」
兄嫁の落ち着いた声に、わたしも胸をなで下ろした。
それでも、夫の会社にはすぐ電話した。仕事の段取りなど、それなりに考えておいて貰った方がいいと思ったからだ。夫も不安そうだったが、
「義姉さんがそう言ってるんなら、大丈夫だろう」
と笑った。わたしたちは、皆、本家をしっかり取り仕切っているのが兄嫁だと知っている。「一明は淑子さんの言う通りにしてたらええんよ」と、皆が言っていた。
学校から帰ってきた娘にも、おばあちゃんが倒れたと伝えた。
「何、それ、困る~
「困るも何もないでしょ。あんたの都合なんか、関係ないの」
こういうことは、いやも応もなく、ただ降りかかってくるのだ。文句を言ったって、どうなるものでもない。

その晩、夫はいつもより早く帰宅した。行きつけの店がサービスデイだとかで、気の合う先輩と飲みに行く日なのに。
「何だか気になっちゃって、誘われたけどことわって帰ってきたんだ」
「じゃあ、梅酒で晩酌する?」
夫は、家で飲むのは梅酒と決まっている。こういう微笑ましいところが好きだ。もやしとひき肉が中途半端に残っていたので、唐辛子でいためてつまみをつくった。
晩酌用のグラスは、その先輩のヨーロッパ土産だった。ベネチアンだかボヘミアンだか、面取りをしたグラスにプラチナの縁がついている。
夫は梅酒を飲みながら、
「おれ、何慌ててたんだろう。やっぱり、飲んでくりゃよかったよ」
と呟いている。

よく、「いざとなったら、女の方が強い」といわれるのは、多分、家事をしているからだ。
どんなことが起きても、時間が来ればお腹が空く。汚れ物も出るし、ほこりもたまる。誰かが動かなければ、生活がたちゆかなくなってしまう。
もちろん、不安で胸が潰れそうな時や、悲しみに打ちのめされている時に、ご飯のしたくなんかしたくない。だが、そうやって無理矢理動くことで、気が紛れたり落ち着きを取り戻せるのも事実だ。
「とんでもないことが起きた時ほど、ふだんどおりにするのよ」と言っていたのは、兄嫁だ。
たしか、お義父さんが危篤状態になった時だ。ぎゃあぎゃあ騒ぎ回っている義兄を尻目に、丁寧に材料を刻み、おだしをとっていた。
実を言うと、それまでのわたしは、ショッキングな出来事が起きると、「こんな時に家のことなんかやる気分じゃない」と、日常を放棄してしまうところがあった。それは逆なのだ、とその時気づいた。
不幸というのは、日常が吹っ飛んでしまった状態だ。だから、不幸から脱却するためには、日常を取り戻さなければならないのだ。
夫が夕刊を読みながら梅酒をちびちびやっている間に、わたしは居間の洗濯物をそれぞれの場所に戻し、テーブルの上のリモコンを100円ショップで買ったケースにまとめた。台ふきんで、テーブルの上を水拭きする。
夫の食器とグラスを洗い、シンクにつきはじめた茶色っぽい汚れをクレンザーで磨き、汁のふきこぼれたガス台もレンジ周り洗剤で拭いた。
シンクがぴかっと輝き、ガス台のガラストップに周囲のタイル壁が反映するのを見ると、お義母さんも『一星』も大丈夫だという気持ちになれた

居間に戻ると、ちょうど風呂から上がった娘が、テレビを見ながらボディクリームを塗り込んでいるところだった。
リモコンはテーブルの上に散らばり、拭いたばかりの天板にボディクリームの白い滴が落ちている。
何で、テレビのリモコンだけじゃなく、エアコンや照明のも出てるの? 何で、クリームが落ちないように気をつけられないの お母さんが、今きれいにしたところだってわからないの
「だから、今、ふこうと思ってたの。リモコンだってすぐ片付けるつもりなのに。やろうと思ってたら言うんだから」
娘はぶつぶつ言いながら、テーブルの汚れをティッシュで拭き取り、リモコンをケースに戻した。
「で、おばあちゃん、どうなのよ」
「まだわかんないよ。何かあったらおばさんから連絡がくるから、そうなったら腹をくくる。それまではいつも通りにしてるしかないでしょ」
「そんな上手く割り切れない」
「割り切れないわよ。だから、もやもやしてきたら家の中をきれいにするの」
「何で、そうなるの? 関係ないし」
「ものがごちゃごちゃしてたり、汚れてると、悪い気がよどんだりたまったりするのよ。あんたの部屋なんか、『場』ができてるんじゃない?」
娘は唇を尖らせた。無理もない。わたしだって、娘の年頃には、こんな話、わけがわからなかった。
娘が聴いている音楽には、よく「昨日と同じ今日なんかいらない」という歌詞が出てくる。わたしも、若い頃はそういうのがカッコイイと思っていた。
でも、生きていると、昨日と同じ今日がこないことが何度もある。そうして、わかるのだ。昨日と同じ今日がくることは、実はありがたいことなのだと。
お義母さんがすぐに元気になりますように。『一星』が営業を再開してくれますように。
そう願いながら、わたしは、娘のバスタオルから落ちたらしい糸くずと髪の毛をひろった。   (終) 

一星へようこそ ―ダイヤモンド(後編)―

2010-04-01 21:30:58 | 一星


 娘が補導されたのは、新しいプロジェクトが始動して一月ほどした頃だった。
驚いて警察署にとんで行くと、娘は見たこともないラメ入りの、露出度の高いワンピースを着て座っていた いつの間にか染めた髪が、蛍光灯の光にやけに赤茶けて見えた。
娘は遅い時間に繁華街をうろついていただけで、犯罪行為をしたわけではなかった。が、娘の持ち物の中にタバコを見つけて、わたしは愕然とした
一体、いつからこんな物を。そもそも、どうやって入手したのだ。
「そんなん、自動販売機置いてる店で、18歳ですけどタスポ忘れました言うたら、すぐ貸してくれるわ」
わたしは耳を疑った。それが本当なら、あきれた店だ。怒鳴り込んでやる。
「どこの店だ。角の酒屋か?」
「どこの店でもやってるやろ。大人なんか、みんなそうやん。自分とこさえ儲かったら、人のことなんかどうでもええねん。お父さんの会社かて、そうなんちゃうん? 儲かる思たら、人体に有害なもんでも平気で売ってるんちゃうん?」
わたしは娘の頬を張った。娘は頬を押さえて立ち上がると、棚の中から妻が買い揃えたカップを取り出して、床にたたきつけた。
「こないだ、お父さんがTVに出てるの見たわ。何が、プライベートを犠牲にせんでも働けるや。聞いてて、片腹痛かったわ!」
娘は読書家なので語彙が豊富だ。だから、こういう時は本当に憎たらしいことを言う。片腹痛いとはよく言ってくれる。だが、痛い所をつかれたのも事実だった。

娘が割ったカップの破片を片付け、流しの食器を洗っているうちに、頭が冷えてきた。
マスコミに「新しいワーキングスタイルの提唱者」と呼ばれたわたしだが、肝心の自分の家庭には目を向けなかった。居間の空気が妙にヤニくさかったり、ガラス戸が茶色っぽく汚れていることに不審を感じても、原因を突き止めようとはしなかった。本当に親に知られたくないなら、居間でなど吸わないだろう。娘は気づいてほしかったのだ。タバコの匂いにも、染めた髪にも。
娘がもっと手のかかる子供だったら、わたしももう少し気をつけたかもしれない。だが、娘は小さな頃からききわけがよかった。学校の成績も良かったので、わたしは安心しきっていた。信頼していたといえば聞こえはいいが、要は、甘えていたのだ。娘のものわかりのよさに。
酒屋の店主にも、娘は止めてほしかったに違いない。
―あんた、18歳未満なんちゃうん? タバコは売られへんよ
と言ってほしかったのだ。それなのに、ほいほいとタスポを差し出されて、娘は大人というものに絶望したのだろう。
わたしは、いわゆる「グレた」経験がないので、そういう少年少女の心理はよくわからない。娘の行動から推測するなら、自分をわざと粗末にして引き止めて貰おうとしているのかもしれない。もし、誰かがあなたのダイヤの指輪を地面に投げ捨てたら、あなたは急いで拾うだろう。その指輪が大切なものであるなら―
娘は自分を地面に叩き付けて、「わたしが大切なら早く拾って!」と訴えていたのかもしれない。「コーヒーカップなんかより、わたしを大切に思って!」
なのに、わたしは黙殺した。
わたしは、仏壇に線香をあげて、自分の気持ちが十分落ち着いているのを確かめ、娘の部屋へ行った。ノックをしても返事はなかったが、「入るぞ」と声をかけてドアを開けた。娘は振り向いてくれなかった。その背中に、わたしは話しかけた。
「志織がいつもいい子だったから、お父さんは甘えていた。志織はSOSを出していたのに、気づこうとしなかった 本当に悪かったと思う。だが、『どうでもいい』なんてことは断じてない。それだけは信じてほしい」
わたしは間に合うだろうか。娘が粉々に砕けてしまう前に、あるいはどこか見えないところに転がっていってしまう前に、拾い上げることができるだろうか。

翌朝一番でわたしはマネージャーのところに行き、娘が今危うい状態なのでちゃんと見ていたいと説明し、プロジェクトリーダーを別の人間に替えてくれるよう頼んだ。
マネージャーは、「みんなの意見を聴いてみましょう」と言った。
メンバーは揃って異議を唱えた。
「そんなの、おかしいですよ。プライベートが大変な時は助け合おうって言ったのチーフですよ。それなのに、そんな理由で降りられたら、おれたちのやってきたこと全部否定されちゃうじゃないですか」
と言ったのは、緒方くんだ。
手塚くんは、「わたし、子供に話します。去年はお母さんが色々助けて貰ったから、今年は助ける側にまわりたいって。うちの子、バカじゃないから、ちゃんと説明すればわかってくれると思います」
沖田くんは、こう提案した。
「サブリーダーみたいなのつくって、マネージャーへの報告とか、チーフじゃなくてもできることはどんどん代行すればいいじゃないですか。そうすればチーフの負担も減るし、何なら、おれがやってもいいですよ。いいヘルパーさんにあたったおかげで、父も最近落ち着いてますから」
わたしは皆の厚意に甘えることにした。
5時になると、わたしは娘に電話をかけた。
「今から帰るが、何か食べるものを買って帰ろうか? それとも、どこかに食べに行くか?」
娘は戸惑っている様子だった。しばらく間があって、
―うちの近所にインド料理屋ができてんけど」
という声が返ってきた。うちの町内は小さな民家が建ち並ぶ住宅街だ。そんなところにインド料理店が開業したというのか。だが、娘がそう言うなら、あるのだろう。
「そこに食べに行くか?」
―…うん」

インド料理屋は本当に存在した。普通の民家を改造したらしく、瓦屋根に引き戸というつくりだ。店に入ると、インド人らしい店主がかたことの日本語で迎えてくれた。何を頼んでいいのかわからないので、Cセットというのを注文した。
大きなプレートに、ナン、カレーソース、タンドリーチキン、サラダが載っている。娘はマンゴージュースも頼んだ方がいいと言った。インド料理のピリピリは、マンゴージュースじゃないとおさえられないからと。わたしは娘の言う通りにした。
カレーソースは甘みもあっておいしかったが、食べているうちに口の中が火照ってきた。冷たく甘ったるいマンゴージュースが、その火照りを鎮めてくれた
それから毎日、わたしは定時で帰宅した。会社の近くの商店街で食材を買い込んだり、弁当を下げて帰ることもあった。
酒屋の店主にも話をしに行った。タバコを買いに行ったのは娘が悪いが、本人の自己申告だけで簡単にタスポを貸すのはいかがなものだろうか。
店主は、わたしがごく短時間だがTVに映ったのを見ていたようだ。
「あんな大きい会社のエライさんやったら、そら、きれいごとも言うてられるでしょうけど、わたしらは小さい店ですさかい、300円の売上でも大きいんですわ」
うちの会社だって楽して儲けているわけではない。取引先に出向く時は、路線図を広げて、10円でも安い経路を選ぶ。たかが300円などと思ってはいない。だが、300円の売上と引き替えに、かけがえのないものを傷つけてしまうなら、それはやはり、はかりしれない損失ではないだろうか。
その日は、ちょうど切れていた料理酒用の鬼ころしを買って帰った。
その後、わたしはちょくちょくそこで買い物をした。わたしは晩酌はしないが、店には酒以外の物も置いてある。娘が好みそうな菓子や、眠気覚ましのガム、雑誌などを買った。金額は、できるだけ毎回300円以上になるようにした。

一週間ほどして、娘が訊いた。
「お父さん、あたしが補導されたから早よ帰ってくるのん?」
「まあ、そういうことになるのかな」
「いつまで、こんな早よ帰ってくるのん?」
「お父さんが志織を大切に思っていることをわかって貰えるまでだ」
「そんなん、一年たっても二年たってもわかれへんかもしれへんやん。その間、ずっと早よ帰ってくんのん?」
「そうだ」
わたしは本気だった。自分が大切に思うことを貫くためには、開き直りも必要だ。
娘は学校にはちゃんと行っているようなので、わたしは出社を一時間早くした。さすがにそうしなければ、仕事が回りきらないところがあった。
数日後、娘が新しいカップを買ってきた。娘がカップを割ってから、わたしたちは引き出物のペアのマグカップを使っていた。娘が選んだのは、白地にストライプが入った色違いのカップだった。娘のはピンク、わたしのはネイビーのストライプだ。娘は翌朝、早起きしてそのカップにコーヒーをいれてくれた
「お父さん、今日から残業してもええから」
カップをわたしの前に置いて、娘は言った。
「お父さんがこんなんでリストラされたら、あたし、高校行かれへんようなるやん。その方が困るねん」
「お父さんが遅なっても、夜遊びもせえへんし、タバコも吸えへん。そやから、今日から普通に働いて」
わたしはどう反応していいかわからなかった。抱きしめてやればよかったのかもしれないが、いくら何でも照れ臭かった。「ありがとう」と言うのが精一杯だった。
出社すると、はかったようにイレギュラーが起きた。対応するのに時間がかかりそうだ。わたしは5時になると娘に電話した。
「帰りが九時過ぎになりそうなんだが、かまわないか?」
―そやから、ええ言うてるやん。いちいち電話もしてこんでええから」
翌日からは、帰宅予定時刻をメールすることにした。面倒なら返信しなくていいと言ったが、娘は、最低限「了解」とだけは返してきた。ある日、こんな返信がきた
―お父さんが『関西ウォーカー』は角の酒屋で買えいうから、買いに行ってん。そしたら、タバコ買いに来た思いはったらしくて、18歳未満には売られへんて言われた」
親父のへんくつ顔が浮かんできて、わたしは少し笑った。
娘の生活はそのまま落ち着いてくれたが、中三の大事な時期にそんなことがあったので、娘は本来の学力に見合う高校へは進めなかった。娘が入学したのは、N高という、学区内では中の上くらいの学校だ。
それでも、娘がもう一度自分を大切にしようと思ってくれただけで、わたしには十分だった。

コーヒーを飲み終わって店を出ると、胸ポケットの携帯が震動した 沖田くんからだ。
―チーフ、今日は戻ってこられるんですよね?」
「30分くらいで帰るよ。どうした?」
わたしは取引先との交渉をすませた帰りだった。しかし、また何か問題が起こったようだ。別の取引先へ説明に行かねばならないようだ。
「わかった。説明に必要な資料を机の上に出しておいてくれ」
今度は沖田くんも連れて行こう。彼は皆をまとめる力のある人間だ。取引先にも、今から顔を知って貰っておいた方がいい。
わたしは「一星」のある商店街を抜けて、駅へ急いだ。

一星へようこそ ―ダイヤモンド(前編)―

2010-03-25 22:37:17 | 一星


 休憩できる場所を探して商店街の中を歩いていると、その店が目に留まった。
「cofee shop 一星」という木製の看板が、営業中の札のように店の扉にかかっている。
ドアを開けると、三人の客がいっせいにこちらをにらみつけた。別に、にらんだわけではないのだろうが、あまりに視線が強いのでそう感じた。
どうやら、この店は商店街で働く人達のたまり場になっているようだ。まずい店に入ってしまったと思ったが、今さら踵を返すわけにもいかず、空いているテーブルについてホットを頼んだ。
店に漂う香りから、美味いコーヒーが出てきそうだった。本格的なコーヒー店にありがちな、店内が薄暗くて、いかにもという風情でジャズが流れたりしていないところも好もしい。だが、ファーストフードを思わせるような金縁に星のマークのカップは、少々いただけない。わたしが自宅で使っていたカップは、白地に小枝のような絵が描かれたものだ。亡くなった妻が選んだ物なので、壊さないよう大切に使っていた。娘にも、丁寧に扱うように言ってあった。
妻は本当にあっけなく亡くなってしまった。入院してから亡くなるまで一月もかからなかった。
わたしは当時、会社のプロジェクトチームのメンバーだった。医者に、妻の命がそう長くないと宣告され、チームを離脱して少しでも妻の側にいることにした。プロジェクトチームに加わっていることはわが社では一番のステイタスなのだが、深夜に及ぶ残業や休日出勤続きの過酷なスケジュールも強いられる。自らチームを退くことで、それ以上の出世も断念しなければならなかった。わたしの会社はこの不況でも業績を上げ続けているが、その分社内の競争は激烈だった。
わたしは、「島流し」と呼ばれている部署に配転された。「島」の人間達は、わたしと同じように、プライベートに何らかの事情を抱えていて、1日24時間、週7日といった働き方のできない者達だった。
だが、一緒に仕事をしてみると、彼らは非常に有能だった。常に限られた時間内で仕事を仕上げようとしているため、段取りがよくテキパキしていた。長時間労働を売り物にしているプロジェクトチームのメンバー達より、時間あたりの仕事単価は大きいように見えた。

春の人事異動で、外資系企業からヘッドハンティングされてきた女性マネージャーがわたし達の上司になった。前の上司は、プロジェクトの成功を評価されて栄転した。
この部では、毎年4月はプロジェクトチームのメンバー選考期間になっている。他の島の連中は、開幕スタメンを狙うプロ野球選手のように懸命にアピールした。
わたしは、さしずめ、一時は先発ローテーションを張ったこともあるが、今はバッティングピッチャーになった投手とでもいうところだろうか。
そんな風に考えていたので、ある日マネージャーに呼び出され、今年度のプロジェクトリーダーになってほしいと言われた時は驚いた。
「荻野さんは、部下の適性を見抜く目があるし、短時間で効率よく結果を出す力があります。この会社は能力主義だといわれているけど、まだまだ労働時間の長さで熱心さをはかっているところがあるわ。大事なのは何時間働いたかではなく、どれだけ仕事をこなしたかだと思うの」
プロジェクトチームの編成は、リーダーが自由に決めることができる。わたしは丸ごと「島」のメンバーを選任し、尾島という新入社員をそこに加えた。
発表するや否や、彼らはこぞって辞退を申し出た。
手塚くんはシングルマザーで小学生の子供と二人暮らし、吉野くんは妻が難病をかかえて入退院を繰り返している。緒方くんは、自分のライフスタイルを大切にしたいタイプで、学生の頃からつきあっている彼女とようやく結婚が決まったので、今年はその準備で忙しいそうだ。職人気質の沖田くんは、人を蹴落としてでも出世しようとする同僚や、上司も人の子で、個人的な好き嫌いを仕事の評価に連動させたり、おべっかをつかってすり寄ってくる者をつい引き立てたりするのにうんざりして、自分から競争を降りてしまった。今は地域のボランティア活動に参加して、それなりに充実した人生を送っており、今さらプロジェクトチームに入りたくはないという。定年間近の大島さんも、この年であんなスケジュールはこなせないと言った。新入社員の尾島くんまでが、「わたしより尾崎先輩の方が適任です」と言い出す始末だった。
わたしは、プライベートを全て犠牲にして会社に滅私奉公しなければ評価されないというのが、そもそもおかしいと考えていた。仕事さえきちんと捗っていれば、定時で帰ろうが有休をとろうがかまわないはずである。
それに、生きていれば色んなことが起きる。その度に迷惑だと切り捨てていては、せっかくの人材を失ってしまう。
「自分が頑張れる時は人の分まで頑張る。苦しい時は素直に助けを求める。それでいいじゃないか。大勢で一緒に仕事をしているのは、そのためじゃないのか」
尾島くんを選んだのは、大きな経験をさせれば必ず大化けすると見込んだからだ。尾崎くんの方が成果は計算できるが、彼女が成長してくれれば戦力が倍加する。
わたしは何とか彼らを説き伏せて、プロジェクトに参加することを承諾させた。

プロジェクトの始動にあたって、まず、チーム全員が情報を共有できるシステムをつくった。コンピューターに強い緒方くんに、フォルダをつくって貰い、そこに必要な情報やノウハウ、時には失敗体験をどんどんアップする。それによって二度手間や、別の人間が同じ箇所でつまずくことを防ぎ、ロスを最小限に防ぐ。誰かが急に休んでも、情報が共有されていれば、別の人間がカバーすることができる。サーバーに情報がアップされると、お知らせメールが送られるようにもして貰った。
緒方くんはタイムシートもつくってくれた。各自がその日の進捗を簡単に入力するだけで、一覧性のある工程管理表ができ上がるプログラムだ。薄緑で予定期日が表示され、実際の進捗は黒で示される。遅れが生じたらその範囲が赤い帯で表示されるので、一目でわかるという仕組みだ。
他にも、連絡はメールを活用するなど、徹底的に効率化をはかった。
プロジェクトが始まったのに早い時間に退社するわたし達を、周囲は危ぶんであれこれ陰口を叩いた。前例のないことだけに、わたしは何が何でも成功させたかったが、正直、最初は手を焼いた。
一緒に一つのことに取り組んでみると、彼らは想像以上に個人主義だった。自分の仕事は必ず期限までに仕上げるが、それ以上のことを求めると不満顔をする。「プライベートを優先してもいいって言ったのは、チーフじゃないですか」「そんなこと言われるなら、わたしはもう脱けさせて貰います」
わたしは、仕方なく、自分が早朝出勤したり、遅くまで居残ってカバーした。自分が率先してやれば、そのうち皆もついてきてくれるだろう。
さすがに、これでは身が持たないと感じ始めた頃、大島さんが皆を集めて話し合ってくれた。
「きみら、荻野くんがいつも影で肩代わりしてくれてることを知ってんのか。プライベートを大事にすることと、わがまま勝手を通すことはちゃうねんで」
わたしも大島さんに説教された。
「一人で背負い込まんと、もっと腹を割って皆と話せ。コミュニケーションは、ここまでいちいち言わなあかんのかゆうぐらいでちょうどええねん。わかってくれてるはず、伝わってるはずでは、絶対相手には通じてへん」
大島さんはカミソリのように切れるタイプではないが、苦労人で人生経験が豊富なので、チーム内の調整役として力を発揮してくれた。わたしに言いにくいことは皆大島さんに相談しているようだし、同じことを話しても大島さんはもっていき方が上手いので、誰もが素直に聴いた。わたしは時々、大島さんを飲みに誘って、労をねぎらった。大島さんは古いタイプの会社員なので、本当はもっと皆と飲みたいようだが、チームの連中は、時間外の「くだらないつきあい」を嫌った。

ある日、吉野くんが思い詰めた顔で相談に来た。「妻が再入院したんです」
今回は手術することになるかもしれない、迷惑をかけたくないので、プロジェクトから外してくれという。自己主張の強いメンバーの中で、彼は常に穏和で周りに気を遣うタイプだった。
わたしはミーティングを開いて、彼の負担を軽くするよう、仕事の体制を組み直せないかを話し合った。
「冷たいって言われるかもしれませんけど」 緒方くんが口を切った。
「それでまた、ぼくら独身組にしわよせがくるんやったら、ぼくはやってられません。家庭を持ってる人って、自分が優遇されて当然みたいに思てはりませんか? ぼくは既に1回、彼女のご両親が田舎から出てきて一緒に食事したい言いはるのん、キャンセルしてるんです。こういうことがきっかけで、この先ずっとぎくしゃくしてもうたら、どないしてくれるんですか。尾島さんかって、デートのドタキャンばっかりしてるから、彼氏に別れ話持ち出されてるんですよ。独身やから気楽やとか、独身者の予定なんかたいしたことないって、決めつけんといて下さいよ。子供の参観日とかも大事かもしれませんけど、何でぼくらばっかり割食わなあきませんのん?」
たしかに、手塚くんの子供が熱を出したり、吉野くんの妻の具合が悪くなった時、わたしは無意識のうちに緒方くんと尾島くんに仕事を割り振っていた。特に、尾島くんはいやな顔をせずに黙々とこなしてくれるので、つい頼むことが多かったかもしれない。
「それは、悪かった。そういうことも含めて、もう一度体制を考え直そう」
できるなら、わたしはこのメンバーで最後までやり遂げたかった。結果的に交替があるとしても、これ以上は無理というぎりぎりのところまで努力したかった。
ここでも大島さんが人間力を発揮して、何とか皆が納得できる役割分担が決まった。
大島さんは終業後、尾島くんと小会議室で話し込んでいた。おそらく、自己犠牲に徹するだけでは良好な人間関係は築けないことや、本当に大切な人なら、あきらめずにコミュニケーションをとることが必要だなどと話してくれたのだろう。大島さんがいてくれて本当に良かった。わたしは自分の未熟を痛感した。

その後も様々なイレギュラーやすったもんだがあった。が、わたしも含めて皆が次第に連携のコツをつかんでいった。もともと能力のある人間ばかりなので、しっくりとかみ合えばぐんと成果が上がった。
プロジェクトは予定通り完成し、後は集大成のプレゼンを行うだけである。
我が社のプロジェクトは内外から注目されているので、プレゼンも大きな会場で大々的に行う。
間の悪いことに、吉野くんの妻の手術日と、手塚くんの子供の学芸会がプレゼン当日に重なってしまった。緒方くんも、婚約者の両親から、この日に会食できないかと打診されたという。沖田くんは、一人暮らしをしていた父親が認知症ぎみなので、少し前から同居するようになっていた。
「吉野さんはともかく、ぼくらはプレゼンに出ないわけいかないですよね」
さしもの緒方くんもそう言ったが、わたしは全員が雁首を揃える必要はないと思っていた。手塚くんには事前の準備を中心になってやって貰い、緒方くんには、できるだけ会場に近い店を予約して、前半部分のスライド係を担当して貰うことにした。沖田くんは、プレゼンの最中に家から助けを求める電話がかかってきてもいいように、遊軍的なサポートを頼んだ。後は残りのメンバーだけでも手は足りる。
課長からは、「プロジェクトのメンバーがプレゼンに出席しないなんて前代未聞だ」と文句を言われたが、「用もないのに頭数だけいてもしょうがない」と言い返した。マネージャーは承認してくれた。

当日、わたしは吉野くんの妻の入院する病院に立ち寄った。手術は午前10時からと聞いていたが、何やら慌ただしい。容体が急変したので、すぐに手術を開始するという。輸血用の血液がまだ届いていないというので、血液型が同じわたしは輸血を申し出た。
「少したくさんとりましたから、しばらく休んでいて下さいね」
看護師にそう言われたが、そんな時間はなかった。わたしはタクシーで会場に向かった。あの程度の量なら、若い頃しょっちゅう献血したのに、今日は妙に頭がふらふらした。疲れもたまっていたのだろうが、やはり年を取ったのだろう。気休めにトマトジュースを飲んで、前半部分を乗り切ったが、30分の休憩の間にとうとう動けなくなってしまった。後半の発表者は大島さん、スライド係は尾島くん、わたしは進行係を務めねばならなかった。
わたしは、他の部署に応援を要請しなかったことを悔やんだ。課長と言い合いになったので、意地になってしまったのだ。沖田くんは予想通り、「お義父さんが暴れて大変なの」という電話を受けて帰宅していた。
「チーフ!」と呼ばれて懸命に顔を上げた。手塚くんの姿が見える。おいおい、この程度の貧血で幻覚が見えるか?
それは本物の手塚くんだった。学芸会が終わった後、どうしてもプレゼンが気になってかけつけてくれたのだ。彼女が女神に見えた。手塚くんには、常に冷静に全体を俯瞰できる目がある。わたしは自分の役目を彼女に託した。

プレゼンは無事終了した。
われわれは、プロジェクトの内容だけでなく、新しいワーキングスタイルを提示したとして、マスコミにも取り上げられた。
わたしは次のプロジェクトでもリーダーに指名された。かつてない大規模なもので、これを成功させたら役員に推薦すると、マネージャーは言った。
一度は出世街道から外れたものと思っていたわたしには、信じられない成り行きだった。
この時、自分の足元に口を開けつつある落とし穴に、わたしは気づいてもいなかった。

(つづく)

一星へようこそ ―イグナチウス・ロヨラ―

2010-03-22 21:24:55 | 一星


 おとんとおかんが離婚したのは、中2と中3の間の春休みだった。
「一誠が高校に入るまでは一緒にいようと思てたけど、もう限界や」
おかんに泣きながら告げられて おれは「マジ」と目を剥いた
二人はしょっちゅうすさまじい喧嘩をしていたが、はたから見ていると夫婦漫才のような雰囲気もあったので、本当は仲が良いと思い込んでいたのだ。
今時、離婚なんて珍しくも何ともないが、自分のうちがそうなるのはちょっとショックだった。まあ、そこまで嫌いになったんなら仕方ないけど、どっちと暮らすか選べと言われた時は、かんべんしてくれよ~と思った。そんなこと子供に選ばせるなよ
おれはどちらかというと父親っ子だった。おとんの方が経済力もあるから、私立高校も受けさせてくれるだろう。別に私立へ行きたいわけではなかったが、公立一発勝負というのはしんどい気がした。
でも、おとんと一緒に暮らしたら、おれが家のことをしなきゃいけないだろう。おとんは男にしては家事をやる方だが、おかんの方があたりまえみたいにやってくれるからな。
おれがおかんと一緒に暮らそうと決めたのは、
「一誠がお父さんとこに行ったら、そのうちお父さんを殺してまいそうで心配やねん
と、大真面目に言われた時だった。
おかんが言うには、おとんの最大の難点は、欠点がわかりにくいことなのだそうだ。非の打ち所のないほどいい人に見えるのに、段々イライラしてくる。
「お母さんは大人やから、何がそんなにイラつくんか言葉で表現できたけど、あんたの年齢ではまだ無理や。自分が感じてるストレスを言葉で言い表されへんかったら、わけのわからんモヤモヤがどんどんたまっていく。昔はそういう時はグレて不良になったけど、今の子はすぐキレるやろ。ある日突然、新聞に『中三男子、父親を刺殺』なんて載ったら いややわ」
おれは、「何サイコホラーみたいなこと言うてんねん。ありえへんやろ~」と叫んだ。おかんは離婚のストレスが相当きてるんやろう。おれがついていてやらなければ、壊れてしまいそうに見えた。だから、おかんと暮らす方を選んだ。

幸い、おかんの仕事はすぐに見つかった。知り合いがやっていたコーヒー店を引き継いだのだ 
その人は水にこだわりを持っていて、普通の水でいれたコーヒーを320円、特別に注文した水でいれたのを370円で出していた。
「そんなややこしいことするから、お客さんに敬遠されんねん」
おかんは、使うのはミネラルウォーターだけにして、コーヒーも紅茶も一律350円にした。店の名も「一星」に変えた。おかんはおれの名前をこの字にしたかったらしいが、おとんが「ホストの源氏名みたいだ」と反対したので、「一誠」になったそうだ。
コーヒーカップも店の名に合わせたのか、金縁に金色の星が入ったやつになった
おとんが見たら、アメリカっぽいといやな顔をするかもしれない。おとんの上司はアメリカ人で、おとんとはそりが合わないのだ。おかんが夫婦喧嘩の度に、そのアメリカ人上司みたいなことを言うので、おとんはよく、「おまえはアメリカ人か」と言っていた。何度もそう言われているうちに、おかんは喧嘩の時に英語が飛び出してびっくりしたという
その話を学校ですると、「アメリカ人かて言われてるだけで英語しゃべれるようになるんやったら、おいしいなあ」と言い出す奴がいて、仲間内でしばらく、「おまえはアインシュタインか」「野口英世か」と言い合うのが流行った。受験の年だったので、少しでも頭が良くなるかと思ったのだ。中に一人、ウケ狙いに走る奴がいて、「おれはイグナチウス・ロヨラと呼んでくれ」と言った。
「それ、誰やねん? 何やった奴?」
「しらんけど、何か、社会でやったで」
おれは全然記憶がなかった 思い出そうとしても、イグアナが浮かんでくるだけだった。

高校はやっぱり、公立しか受けさせて貰えなかった。
「おまえの成績ならN高あたりかな。もうちょっと頑張ればS高も行けないことはないが」
担任に言われて、おれはN高を受けることにした。学校なんてどこでもよかったし、危ない勝負はしたくなかった。N高なら家から歩きで通学できるので、交通費もかからない。おかんも大賛成だった。
すべりどめを受けられないので、プレッシャーがかかったが、無事合格できた。
春休みに店を手伝っていると、常連のギョロ目のおばちゃんに、「一誠くん、N高受かったんか?」と訊かれて、びっくりした
「おかん、おれがN高受けるて、あのおばちゃんに言うたん?」
と訊くと、おかんは心底申し訳なさそうな顔をした
「いや、別に怒ってるわけちゃうねん。ちょお、びっくりしただけ」
おかんは、ちょうどいい機会だからと、高校で仲の良い子ができても家庭の事情をベラベラしゃべってはいけない、相手のプライバシーに立ち入るような質問もしてはいけない、と言い聞かせた。人と人との間には適正な距離が必要で、おとんもおかんもその距離の取り方が下手だったので別れることになったというのだ。実体験に基づいているだけに、妙に迫力のある話だった
でも、知り合ったばっかりの頃なんて、お互いの個人情報ぐらいしか話題がないのも事実だ。「どこの中学やったん?」とか、「家どのへん?」とか、「兄弟おるん?」とか。
N高で親しくなった奴らとも、やっぱりそんな話になった。それでも、おかんの顔を立てて、親が離婚したことは自分からしゃべらないようにした。後でわかって、隠してたみたいに思われたらいやだけどなあ。

新しいクラスでは、最初は何でも出席簿順だ。
おれは「大沢」というおかんの名字になっていたので、席は「荻野」という女子の隣だった。荻野はいつも文庫本を持ってきていて、授業中も教科書の内側に隠して読み耽っている それなのに、いつのまにかノートをとっているし、中間の点数もめちゃめちゃ良かった。答案を返す時に、先生が、「学年最高は荻野の97点だ」とか、「このクラスは満点が一人いる。荻野だ」とか言うのでわかるのだ。
おれが、こないだ店のお客さんに代金を間違えて請求したことなんか話したら、軽蔑されるかもしれない。お客さんが訂正してくれたので、正しい料金を貰えたが、後からおかんにすごく怒られた。
「あんたは、350円+250円なんていう計算もできへんのん。そんなん、お客さんに指摘されるなんて、めっちゃ恥ずかしいことやで
どっちも「50」がついてて、インパクトが強かったから、つい「550円です」言うてもうてん。全然言い訳になってへんけど。
おかんがあんなに怒ったのは、そのお客さんが、おかんが「ミントグリーンの人」と呼んで、ちょっとファンになっている人だったからだと思う。おかんは若い頃宝塚に夢中になっていたせいか、時々、こういうきしょいことを言う。
おかんはその人のことを「クールでカッコイイ」と言うが、おれには可愛い感じに見えた。顔立ちもちょっと子供っぽかった。
そういえば、荻野も、ちょっとタレ目で童顔だな。

中間の後に席替えがあって、荻野とは席が離れてしまった。
でも、日直は名簿順なのでずっと荻野とだ。
何回目かの日直の時、先生に放課後、図書室の整理を手伝わされた。
思いがけなく荻野と二人で下校することになり、何を話せばいいのか、ちょっと悩んだ。荻野は女子なので、おかんに言われたことが甦ってきて、そうすると、あれもこれも訊いてはいけないことのような気がしてきた。
おれは焦ってしまい、「イグナチウス・ロヨラって知ってる?」と口走った。
「宣教師の? イエズス会創った人?」
やっぱり、荻野は賢い。こんな質問にぱっと答えられるんだもんな。
ただ、当然の流れとして、「何で、そんなこと訊くのん?」と訊ねられた。
それに答えるためには、夫婦喧嘩の時におとんがおかんに「おまえはアメリカ人か」と言ったところから始まって、二人が離婚したこと、イグナチウス・ロヨラが出てきた過程、おかんに人間関係の適正距離を守るためにはプライバシーに立ち入る話を軽々しくしてはいけないと言われたこと、そうすると何をしゃべったらいいのかわからんようになってあんな質問が飛び出したことを、全部話さなければならなかった。一体、おれの苦労は何やってん
この話は荻野には大受けで、ケタケタと大口をあけて笑った。
「お母さん、ええこと言いはるやん」
とも言ってくれた。
「でも、そんなんいうてたら、何もきかれへんことない? 荻野やったら、どないする?」
「そやなあ。毎週見てるTVある?、とか、どんな音楽が好き?、とか、そんなこと訊くかなあ」
なるほど。そういう質問なら、家庭の事情とかに立ち入らなくても相手のことがわかる。荻野はやっぱり頭がいい。
「荻野は、いっつも何の本読んでんねん?」
「今読んでるのは、『竜馬がゆく』」
荻野は中学の時、『風と共に去りぬ』を読んで感動し、レット・バトラーが理想の男性だったが、今は坂本竜馬だという。『風と共に去りぬ』ならうちにもある。おかんは、宝塚でやったやつの原作は大抵持っているのだ。
『竜馬がゆく』は、あるとしたらおとんの本棚やな。おれは月に一度おとんに会いに行っているので、今度行った時に見てみよう。
何となく電車の駅まで一緒に歩いて、改札のところで別れた。駅から家に帰る途中、もしかしたら荻野も離婚家庭の子ではないかと思った。中間の点数が60点や70点のおれでも、がんばればS高に行けるといわれたのだ。荻野なら楽勝でもっと上の学校へ行けたはずである。それなのにN高にしたのは、おれみたいに、私立を受けられないので安全策をとったとか、少しでも家から近くて交通費がかからないところにしたからではないだろうか。
でも、こういうのは訊かない方がいいことなんだろうな。

商店街に新しく美容院ができた。
おかんが割引券を貰ったので、行ってみることにした。
N高はあまり髪型とかうるさくいわれないが、ギョロ目のおばちゃんがおれを見る度に「ホストみたいな頭やな」と言うので、おかんに切ってこいと言われたのだ。
おかんに言われた通り、「そこのコーヒー屋の子です」というと、さらにまけてくれるというので、カットは毛先を揃える程度にして、パーマをかけ直すことにした。
新しいヘアスタイルで店に出ると、早速、ギョロ目のおばちゃんがやってきた。いつものようにカウンターに座り、カフェオレを注文する。カフェオレボウルはピンクの柄のどんぶり鉢みたいなのだ。こういうのを間違えても、おかんはすごく怒る。
「髪の毛切りにいったんちゃうのん? 全然短なってへんやん」 おばちゃんが言う。
「ちょっと切りましたけど、これ、歴史上の人物の髪型なんですよ」
「へえ、誰やろう? キリスト?」
キリスト。そうくるか
でも、おれは別にガッカリしなかった。できれば、最初は荻野に当ててほしかったからだ。
「この髪型、誰の真似かわかる?」
と訊いたら、荻野は言い当ててくれるだろうか。
実は、坂本竜馬なんだけどな。
でも、「イグナチウス・ロヨラ?」とボケをかまされるのも面白いかもしれない

一星へようこそ ―車間距離―

2010-03-18 22:28:58 | 一星


  お客さんが途切れたので、ハーブティーをいれて休憩した。お客さんに出す星のマークが入ったカップではなく、自分用に置いてある青緑のカップに、ハーブティーを注いでレモンを浮かべる。
元夫と暮らしていた頃は、レモンイエローのティーカップばかり使っていた。テーブルクロスも床マットも、レモンイエローだった。元夫が好きな色だったからだ
好きになった男の好みに合わせて身につけるものをころころ変える友達に、「もっと自分を持ちなさいよ」と説教したこともあったのに、何のことはない、わたしも同じことをしている。離婚した途端、レモンイエローの物には見向きもしなくなったのも可笑しい。
次に好きになる人が青が好きだったら、わたしは青い物に囲まれて暮らすのだろうか。
今はそんな想像に現実味が感じられない。男はもうこりごりだ。というより、どんな男を好きになったら幸せになれるのか、すっかりわからなくなってしまった

父親が暴君だったので、理想の男性は「やさしい人」だった。
都合が悪くなると、すぐ怒鳴ったり、手を上げる人はいや。人の気持ちがわからない人はいや。人の話を聞けない人もいや。
学生時代のボーイフレンドも、社会人になってすぐつきあった人も、みな、どこか父に似たところがあった。強引だったり、傲慢だったり、自分の都合しか頭になかったり。
何より、わたしと本気でコミュニケーションをとろうとしてくれなかった。「そんなことどうでもいいじゃないか」―父の口癖だった言葉を、恋人の口から聞くのは辛かった。
そんな中で、元夫だけは違っていた。相手が男でも女でも、細やかに気を配り、言葉を惜しまずに話してくれる。こんな男性がいたんだ。わたしは絶対この人を手放してはならないと思った。
わたしたちは、いわゆる「恋人同士のような夫婦」だったと思う
週末にはよく二人で小旅行に出かけた。夫は雑誌やインターネットでせっせと情報を仕入れて、旅を企画してくれた。彼は職場でも飲み会などの幹事を引き受けることが多く、その下見がてら、目をつけたお店に食事に行くこともあった。
夫は、どこへ行くにも必ずデジカメを持って行き、写真をたくさん撮った。撮った写真はすべてプリントアウトするので、アルバムがすぐいっぱいになった。
「同じようなん全部とっとかんと、一番写りのいいのだけ残せばええやん」と言うと、いつも、「ぼくもそう思ったんだけど、これこれの理由で捨てがたかったんだ」という説明が長々と返ってきた。
夫の話は本当に長い。そして、それは彼のアルバムと奇妙な共通性を持っていた。
まず、前置きが長い―目的地へ到着するまでの写真が相当数ある。
どのエピソードも同じような比重でしゃべるので、メリハリがない―メインの場所も、ついでに寄った場所も、単に通り過ぎただけの場所も、同じ分量の写真がある。
時折、こちらが焦れている気配を感じるのだろう、「ごめんね、長々と。でもね…」という言い訳がまた長い―どの写真の脇にも、細かい字でびっしりとコメントが書き添えられている。
わたしは元来、「いらち」である。いらちというのは、関西弁で「せっかち」というような意味だ。信号がなかなか青にならないと、苛立って足踏みするタイプだ だから、結婚して1年もすると、すっかり夫の長広舌にうんざりしてしまった
「前置きはもうええから、早よ本題に入って」「何でもっと、ポイントを押さえて要領良く話されへんの? 一番いいたいことは何」「いいわけしてるヒマがあったら、さっさと先進んで」―口うるさい国語教師のような言葉が飛び出すまで、さほど時間はかからなかった。
夫の目には、わたしは国語教師というよりアメリカ人に見えたようだ。
夫が勤める会社は、数年前、外資に吸収合併された。夫は外語大卒で英語が堪能なので、リストラされずにすんだのだが、新しくやって来たアメリカ人の上司とは肌が合わない様子だ。その上司が夫によく言うのが、「結論から先に言え」「一番重要なポイントはどれだ?」らしい。家で似たようなことを言うわたしに、夫は「きみはアメリカ人か」と言い返すようになった。まるでお笑い芸人のツッコミみたいで、何となくオモロかった。わたしは関西人なので、「オモロい」と感じられる部分があれば、たいていのことは許せてしまう。夫には鬱陶しいところもあるが、父のような横暴な男よりずっといい。その頃はまだそう思っていた。

わたしたちの最初の危機を救ってくれたのは、一誠の誕生だった。子はかすがいとはよく言ったものである。
夫は子煩悩ないい父親だった。一誠のめんどうもよく見てくれたし、家事も分担してくれた。それまでも、家事はちょくちょくやってくれていたが、明確な分担ができたのはこの頃からだった。皮肉なことに、それまで気づかなかった夫の性癖が、それでまた炙り出されることになった。まめに動いてくれるのはいいのだが、いちいち恩に着せるのだ。
「昨日は終電まで残業だったから、今日はなかなか起きられなくて、家を出た時点でかなりぎりぎりだったんだ。しかも、今日はゴミ出しの日だろ。ゴミ置き場まで回り道してたら、とてもいつもの電車には乗れないからね。いったんは遅刻を覚悟したけど、ゴミ置き場で時計を見たら、あと3分あったんだ。微妙な時間だったけど、高校時代の恩師の口癖が甦った。ネバー・ギブアップだ。だめもとで駅まで走ったよ。もう、階段なんか、三段とばしに駆け上がってさ。ホームに着いたら、ちょうど電車のドアが閉まるところだった。それを見て、『もうダメだ』ってあきらめかけたけど、体がとっさに動いて、カバンをドアの間にはさんでた。そうすると、電車はもう一度ドアが開くだろ? それで、何と乗れちゃったんだよ。周りの人の視線がちょっと痛かったけど云々」
こんなことを言われたら、誰だって、「遅刻しそうやのに無理してゴミ出してくれんでもええで。一言ゆうてくれたら、わたしが出しといたのに」と言いたくならないだろうか。もちろん、わたしもそう言った。
「ぼくもそうしようと思ったけど、高原さんだっけ? ゴミ捨て場の主みたいなおばはん。あの人と顔を合わせたくないから、ぼくがゴミを出しに行くことになったわけだろ。ぼくの出勤時間なら、あのおばはんも亭主を送り出してるとこだからね。だから、やっぱりぼくが行った方がいいと思ったんだ。朝からそんなストレスのたまる人と会話したら、それだけで一日が台無しになる気がするからね…」
アメリカ人じゃなくたって、最後まで聞いてはいられない。わたしは夫の話をさえぎった。
「わたしのせいやて言いたいん?」
「そんなこと言ってやしないじゃないか」
既におわかりだろうが、夫は東京出身である。理不尽な言い分だとわかってはいるが、喧嘩に標準語を使われると癇に障る。何が、「言ってやしないじゃないか」だ。気取るな
「言うてるわ! あんたの話を要約するとこうや。遅刻しそうやのに、わざわざ遠回りしてゴミ捨てに行ったから、いつもの電車に乗ろう思たらめっちゃ走らなあかんかった。あたしが高原のおばはんと顔合わせんですむように、おれが大変な思いしたったんや。そんな恩着せがましいこと言われるぐらいやったら、高原のおばはんに小言いわれる方がよっぽどマシや!」
「何で、そんな風にねじまげて受け取るんだ」
「ほんまのことやんか
いらちのわたしは地団駄を踏んだ。
「こないだかって、そうやん。あたしが風呂場のタイルにカビはえてるから、カビキラーしとかな言うたら、頼みもせんのに半日かけて風呂掃除して、もちろん、それはありがたかったで。お風呂ぴかぴかになって気持ち良かったで。でも、その後で、家に持って帰ってきた仕事、今日中に仕上げなあかんのに、風呂掃除してたから予定が狂った、この分やったら徹夜せなあかん、明日はゴミの日やから早めに起きなあかんし、来週は飲み会続きできついのにとか言いだして。あんたはいっつもそうやねん。その時はほいほい引き受けといて、後になって恨みつらみを言う。あんたのはホンマの親切ちゃう。人に負い目感じさせたいだけや。気配りを売り物にしてるだけや。だから、いっつも、あてつけがましいねん! 押しつけがましいねん 恨みがましいねん You see
自分でも驚いたことに、わたしはそう言って指先を夫の顔につきつけていた アメリカ人みたいに。
夫はひきつった表情でわたしの指先を見つめていた。彼がわたしを本気で憎み始めたのは、多分、この瞬間からだったろうと思う。
わたしはというと、夫の屈折したいやらしさよりも父のわかりやすい横暴さの方がマシかもしれないと、初めて思って、泣けてきた。迷子の子供のように途方に暮れた

ドアベルがカランとなって、あの人が入ってきた。
うちのお客さんは商店街で働いている人がほとんどが、その人は買い物客のようだった。トートバッグからネギとごぼうがのぞいている。
「こんにちは」と挨拶して、いつもの席に座り、ブレンドコーヒーとシナモントーストを注文する。わたしがカウンターに戻った時には、もう文庫本を広げていた。
こんな時間に買い物にくるのだから、お勤めしている人ではないだろう。でも、専業主婦にも見えない。家で仕事をしているんだろうか。
注文の品と一緒に、ネーブルを二きれ、サービスにつけた。「ありがとうございます」と、会釈する。
もう顔なじみになっているのに、この人はよけいな話を一切しない。あとはお勘定の時に「ごちそうさまでした」と言うだけだ。感じはいいのに、ベタベタと馴れ合わない、清々しいたたずまいの人である。ちょうど、今日着ているミントグリーンのニットのように
だから、わたしもこちらからあれこれ話しかけないことにしている。
実は、わたしは既にお客さんとの関係で失敗を一つしでかしていた。毎日のように来てくれるスーパーのお総菜売り場のおばちゃんに、自分の身の上をベラベラしゃべってしまったのだ。特に、一誠のことを話したのは失敗だった。おばちゃんは朗らかでいい人なのだが、詮索好きなところがあって、受験の時は大変だった。「一誠くん、どこ受けるの?」「そこって、偏差値高いん?」「○○高校よりも上? 下?」なんてことを、根掘り葉掘り訊かれて往生した。好意を感じるとすぐに自分をさらけだしてしまうのが、わたしの悪い癖だ。他人との距離の取り方が下手なのだ。元夫とはそういうところが似た者同士だった。
車と同じで、人間同士にも車間距離が必要だということを、わたしは破綻した結婚から学んだ。好きだから、家族だからといって、むやみに近づきすぎると、追突事故を起こす。やさしささえも、バックミラーいっぱいに迫る後続のトラックのような、重苦しいものに変質してしまう。
夫は、どんなに親しくても越えてはならない垣根を乗り越えて、ずかずか相手の庭に入り込むのがやさしさだと思っていた。わたしは、親しくなったらほいほい家に上げて引き止めることが愛だと思っていた。密着しすぎて衝突し、互いに痛い思いをした。
多分、どんな相手となら幸せになれるのかと問う前に、自分があのミントグリーンの人のように、けじめという名の境界線をきちんと引けるようになるのが先決なのだろう。それは、少し寂しいことかもしれないが、寂しさに耐えられる人を大人というのではないだろうか。
まずは、この先、何色の人に出会おうとも、自分はこのカップのような青緑が好きだということを忘れないでいよう。

(まだつづくかも)

一星へようこそ ―ごほうび―

2010-03-13 21:46:29 | 一星


 商店街に入る直前に雨がやみ、日が差してきた。「きつねの嫁入り」というと天気雨だが、それを思わせるような日差しだった。
アーケードに入って最初の角の八百屋でトマトを買う。1個130円と、値段もいいが、味もいい。夏場など、他の店のトマトは食べられないと思うほど甘い。
スーパーで残りの買い物をすませ、いつものようにコーヒー店に入る。「一星」という名の店は、こんな商店街には珍しいコーヒー専門店だ。照明はコーヒー店にしては明るく、BGMもかかっていない。店主は三十代後半から四十代くらいの女性だ。
ドアを押し開けると、この時間にはたいていカウンターに陣取っているギョロ目のおばちゃんがこちらを見た。商店街で働いている人らしく、割烹着姿だ。声だけ聞いていると男の人かと思うようなガラガラ声でしゃべる。
このおばちゃんをはじめ、常連客は皆商店街の人らしく、一般の買い物客はほとんど見かけない。おそらく、一度入ったらおっちゃんおばちゃん達の迫力におそれをなして、二度と訪れないのだろう。わたしだって、正直なところ、この店に入る時はちょっと緊張する。
でも、この店で、ブレンドコーヒーとシナモントーストをたのみ、文庫本を広げる時間は、わたしにとってとても貴重なものになっている。

家事は生活を支える大切な仕事だけれど、「家族の誰かがやってくれるのがあたりまえ」という認識しかされていない。
自分が家事をする立場になった時、そのことが苛立たしくてならなかった。
指一本動かさないくせに文句ばっかり言って。わたしがいなきゃ、あなたたち、ハンカチや靴下のありかもわからないくせに
ある時、娘にひどくにくたらしいことを言われて、どうにもこの子のために食事を作ってやる気になれなかった。よほどストライキを起こして、自分だけ外食してこようかと思ったが、その日は前日から酢豚にしようと決めていて、お腹はすっかり酢豚を待ちわびている。今さら他のものを食べる気にはなれないし、中華料理店に一人で入るのも気後れがした。
仕方がないので、予定通りに酢豚はつくることにして、でも、わたしだけこっそり得をさせて貰うことにした。果物屋で売っていた、1個198円もする桃を買って、一人で食べることにしたのだ。
いつもなら、こんなバカ高い桃は、どんなにおいしそうでも絶対に手を出さない。でも、その日はそれぐらいの贅沢をしなければ、どうにも気が済まなかったのだ。
値段にたがわず、桃は夢のように甘かった。口の中でとろりととろけるような食感。今まで食べた中で一番おいしい桃だった。わたしはぺろりと1個をたいらげ、すっかり満足した。
家族に家事をやっていることを感謝しろと要求しても無理な話だ。わたしだって、実家にいた頃は母に感謝なんかしなかった。無理なことを望んで苛立つより、こうしてこっそり役得を味わって楽しむことにしよう

気になってはいたけれどなかなか入れなかった店、「一星」の扉を開けたのはその翌日だった。その時もギョロ目のおばちゃんと、やはりだみ声でしゃべるおっちゃんがいたが、わたしは臆せず入っていった。
奧のテーブル席に座り、コーヒーと、この店のイチオシらしく壁にポップが貼ってあるシナモントーストを注文した。
シナモンシュガーがたっぷりかかった厚切りの食パンをかじると、じんわりとバターがにじみ出る すぐ後に何も入れないコーヒーを含むと、口に残ったシュガーと溶け合ってほどよい甘みになった
文庫本を広げ、シナモントーストとコーヒーをかわるがわる味わいながら読む。こんなに落ち着いて本を読めたのは久しぶりのような気がした
ギョロ目のおばちゃんと店長さんの会話が時折耳に届く。
「そうなのよ、イッセイも、高校行ってから…」
カップを洗いながら店長さんが言う。イッセイというのは、子供の名前だろうか。わたしはカップに描かれた金色の星に目をやった 子供の名前を店の名にしたのかしら。
その日から、毎日のように「一星」に入るようになった。
たいていいつもギョロ目のおばちゃんがいて、世間話をしている。洩れ聞こえる会話から、店長さんが離婚して、この店を始めたらしいことがわかった。「イッセイ」は息子さんの名前のようだ。
店長さんは時々、サービスでフルーツをつけてくれる 買い物客はほとんど入らないのに、変な人だと思われているかもしれない。

今日は、カウンターに店長さんではなく、若い男の子がいた。色白の肌をした、繊細な顔立ちの男の子だ。ソバージュヘアのような髪型をしているので、ミュージシャンかホストのようにも見える。「イッセイくん?」と呼びかけたい衝動にかられた。
もしかしたら、アルバイトかもしれないが、わたしは心の中で勝手にこの子がイッセイくんだと決めてしまった。
いつものように、ブレンドコーヒーとシナモントーストをたのんで、文庫本を広げる。
いつもより、くるのが少し遅いようだ。待っている間に、塩辛い声のおじさんが二人入ってきた。レモンティーとコーヒーをたのんでいる。
「大変お待たせしました」
というイッセイくんの声で、本当に待たされたことがわかった。いつもなら、シナモントーストの皿がテーブルに置かれると、すぐに続いてコーヒーも来るのに、その日はまたちょっと時間がかかった
ようやくコーヒーが来た。イッセイくんは、おじさん達のテーブルにも飲み物を運んでいる。
(三ついっぺんに作ろうとするからだよ、イッセイくん)
わたしは心の中で呼びかけた。
(先に来たお客さんのから順番にね)
食べ終わって席を立つと、イッセイくんは、「550円です」と言った。
「600円じゃないの?」
わたしは笑いを含んだ声で訊いた。イッセイくんの手際の悪さが微笑ましかった。
イッセイくんは頭の中で計算をし直し、「あ、そうです。すみません」と頭を下げた。
「ごちそうさま」
と、わたしはお金を渡した。
早く仕事を覚えなさいね、イッセイくん。
でも、シナモントーストは、お母さんのと同じくらいおいしかったよ

(つづくかも)