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大山加奈選手、岩隈久志選手、ライコネン選手、浅田真央選手、阪神タイガース他好きなものがいっぱい。幸せ気分を発信したいな

チキンのトマト煮込み&ブロッコリーとハムのマヨウエイパー炒め

2015-01-31 20:53:09 | クマでもできるシリーズ


 今日は大阪でも夕方に雪がちらつきました。
だんだん雪の粒が大きくなってきたので、積もったらどうしようかしらと焦りましたが すぐにやんでお日様が出ました。
この程度ですんで、ありがたいです。

寒い日は、トマトソースの煮込み料理も案外あったまるので、クックパッドにのっていたチキンのトマト煮込みを作りました。
ブログ友達のみちこさんのメニューも、見よう見まねで真似っこさせて頂きました。
手順や分量はわたしの推量です


 チキンのトマト煮込み(2~3人分)

1・鶏もも肉(270g)を食べやすく切り、しおこしょうをふっておく
 ・ニンジン(1/3本)をいちょう切りにする
 ・タマネギ(1/2個)をくし切りにする
 ・しめじ(小1パック)の石突きをとり、長さ半分に切る
 ・にんにく(1片)をスライスする
2 フライパンに油を弱火で熱し、にんにくを入れる
  香りが立ってきたら、こげないように、にんにくを取り出す
3 2のフライパンに鶏肉を皮目を下にして並べ、中火にする
  両面をこんがり焼いたら、ニンジン、タマネギを入れて炒める
  タマネギが透き通ってきたらしめじを加える
4 しめじがしんなりしたら、白ワイン(酒でもOK)50㏄を入れ、火を強めてアルコール分を飛ばす
  トマト缶(1缶)、にんにく、コンソメ顆粒小さじ2、ひよこ豆の水煮(1袋)を入れる
  弱火で煮詰め、塩で味を調える
  ブーケガルニ、オレガノなどがあればふりかける    


 見よう見まねブロッコリーとハムのマヨウエイパー炒め(2~3人分)

1・ブロッコリー(1株)を食べやすく分ける
 ・ロースハム(1パック)を食べやすく切る
2 ウェイパー(小さじ1)、マヨネーズ(小さじ2)をまぜておく
3 フライパンにハムを並べ、弱火で熱する
  ハムの油が出てきたらブロッコリーを入れて炒める
4 全体に火が通って、ブロッコリーがお好みの柔らかさになったら、2を加えてまぜる  


トマトは加熱すると甘味が出ます。
よ~く煮込んだトマトソースも甘味があって、あったまりますよ^^
具はお好みで。
コンソメは固形でもいいと思います。顆粒小さじ1=固形1個の割合でお使い下さい。
豆の水煮は、大豆でもOK。数種類の豆がまざっているのもあるので、お好みで使って下さい。

メインが具だくさん汁気ものの場合、合わせるものにちょっと悩みます。
前はよくコロッケを添えていたんですが、今回はみちこさんの炒め物を真似させて頂きました。
マヨネーズとウェイパーの組み合わせなんて、自分では考えつかないです
ウェイパーを使うと、ちょっと塩辛い感じの味になるので、最初は控えめに入れて、味見をしながら調整した方がいいと思います。
炒めている時のアッチッチの状態では実際より味が薄めに感じるので、ちょっと薄いかなという程度の方がいいかもしれません。
みちこさん、とってもおいしかったです。ありがとうございますm(__)m

キャベツと卵のコンソメスープ

2015-01-28 21:11:18 | クマでもできるシリーズ


 大寒らしいお天気が続いていますね(((゜д゜;)))
あったかい汁物がおいしい季節、簡単に作れるコンソメスープです。


 キャベツと卵のコンソメスープ(2~3人分)

1・キャベツ(小1/4)をざく切りにする
 ・卵(1個)を溶いておく
2 鍋に水600㏄、キャベツ、コンソメスープの素2個を入れて、中火にかける
  煮立ったら弱火にし、キャベツが柔らかくなるまで煮込む
3 火を強め、溶き卵を入れてかきまぜる
4 しおこしょうで味を調え、ひと煮立ちさせる  


キャベツは火が通った後、5~10分余分に煮込むと甘味が出ておいしくなるように思います。
ハンバーグに添えてあるアスパラガスは、穂先と根元で火の通り具合が違います。
ゆでる時は、根元のかたい部分を切り、下の方のかたい皮を剥いたり、縦割りにしたりして、茎から鍋に入れて下さいね。

アウェイの中心で愛を叫ぶ

2015-01-26 22:01:23 | おはなし


 (このおはなしはフィクションです。実在の個人や団体には一切関係ありません)

わたしがダンサーになりたいと思ったのは16歳の時だった。
ダンサー志望の友人に誘われて公演を見に行き、ミイラ取りがミイラになってしまったのだ。
ダンススクールに通いたいと言うと、両親は猛反対した。「ばかばかしい」「才能もないくせに」「くだらないことを考えている暇があったら勉強しなさい」
そんな声すら、二階で勉強しているであろうお兄ちゃんの邪魔にならないよう、ひそめがちになるのがわが家だった。

お兄ちゃんはわが家の王様だった。長男でできがいいと、日本の家庭では往々にしてそうなる。全ての優先順位はお兄ちゃんが一番で、妹のわたしはほとんど顧みられなかった。
わたしが38℃の熱を出して寝ていた時も、かけられた言葉は、「お兄ちゃんにうつさないようにね」だった。
それなら、やりたいことぐらい好きにやらせてくれればいいのに。
わたしは件の友人と一緒にアルバイトをしてレッスン代をつくり、スクールに通った。
ある日、ロッカールームで着替えようとして、わたしは呆然とした。レオタードがめちゃめちゃに切り裂かれている。やったのはお兄ちゃんだとすぐわかった。お兄ちゃんは時々わたしの部屋へ物を借りに来るが、一度レオタードを干してあるのを見られたことがあったのだ。
両親に内緒でスクールに通っているので、わたしは誰にも訴えられなかった。本人に直接抗議すると、空とぼけられた上に、「おまえ、親に隠れてそんなことやってたの。黙っててやるから、金貸してよ」と、口止め料までまきあげられた。お兄ちゃんには、こういう陰湿なところがある。学校でも、弱みを握った級友を何人か便利屋にしているらしかった。
お兄ちゃんが神戸の大学に合格して、学校の近くで一人暮らしをすることになった時は、本当に嬉しかった。これでもう、陰でいじめられなくなる。
だが、お兄ちゃんは置き土産のように、両親にわたしがダンスを習っていることを告げ口していった。おかげで、わたしは両親と大喧嘩するハメになった。
両親は、ダンスなんて不良かはみだし者がやることだと思っているようだった。大事な夢をそんな風に言われて悲しかったが、何より我慢できなかったのは、「お兄ちゃんはあんなに賢いのに、どうしておまえはそんなに愚かなんだ」と比べられたことだ。わたしはカッとなって、お兄ちゃんは大人の前ではいい子ぶっているけれど、実は底意地が悪くてずるい人間であることをぶちまけた。両親はわたしの言うことなど、てんで信じてくれなかった。それどころか、「あんないいお兄ちゃんを中傷するなんて、おまえは何て情けない人間なんだ」と嘆かれた。
この家は、わたしにとって完全アウェイだと思い知った瞬間だった。
わたしは高校を卒業すると同時に家を飛び出した。

それからの道のりは、もちろん平坦なものではなかった。
両親とはまるきり縁が切れてしまったわけではなかったが、経済的にも精神的にもサポートを受けることはなかった。「親戚には派遣で働いてるって言ってあるから、間違ってもダンスをやってるなんて言わないでちょうだいね」と口止めされた時は、それほど世間に顔向けできないようなことをしているのだろうかと不思議になった。
一方、お兄ちゃんは、親の金でぬくぬくと大学生活を謳歌していた。就職は、誰もが知っているような大手企業に内定を貰った。なんのかんの言っても、日本の会社は高学歴男子に弱いようだ。
その会社を一年でやめて、母校の大学院に進みたいと言い出した時は、さすがに両親も戸惑ったようだった。博士号をとりたいといえば聞こえはいいが、要は仕事が続かなかったのだ。
会社を辞めたのは本人にしかわからない事情もあるだろうからどうこう言うつもりはなかったが、一年でも社会人として働いたのなら院に行くお金ぐらい自分で何とかすればいいのに、お兄ちゃんは相変わらず親がかりだった。学費も、神戸のマンションの賃料も生活費も、全て父に出して貰っていた。
阪神淡路大震災が起きたのはその冬だった。
お兄ちゃんは倒壊したマンションの下敷きになって亡くなった。遺体に取りすがって号泣する両親のかたわらで、わたしは途方に暮れていた。
悲しみたくても悲しめない。といって、ざまあみろとか、天罰だとも思えなかった。
わたしはお兄ちゃんにいなくなってほしかったわけではない。わたしと関係ないところで生きてくれるなら、お兄ちゃんなんか、はっきり言ってどうでもよかったのだ。
わたしにはもう、わたしの世界がある。家族よりわかりあえる仲間もできた。こんな世界だからライバル心剥き出しの人もいるし、理不尽なこともしょっちゅうだ。でも、少なくとも今いる場所は完全アウェイではなかった。
両親はどうせ、わたしの方が死ねばよかったのにと思っているだろう。わたしは葬儀が終わるとすぐみすぼらしいアパートに戻った。

わたしが震災で兄をなくしたからか、神戸を拠点に活動するダンスチームの振り付けを頼まれた。
震災後20年のイベントで踊るので、わたしにも出演してほしいという。
わたしは、「最愛の家族を失った悲しみとか、絆とか、癒やしと再生とかいうきれいなテーマではやれませんがいいですか?」と訊ねた。ひねくれた言いぐさに聞こえるかもしれないが、わたしにはそういうものが本当にぴんとこないのだ。自分が理解できないものをテーマに据えることはできない。
それでも構わないというので、わたしは心の底の本当の叫びをダンスで表現した。

本当は愛し合いたかったんだよー。お父さんともお母さんともお兄ちゃんとも。家族なんだから、あたりまえじゃないか。
わたしのことも認めてほしかった。わたしの夢も理解してほしかった。応援してほしかった。
だけど、ないがしろにされて、全否定されて、悲しかった、辛かった、情けなかった、思い切り傷ついた。
お兄ちゃんが死んだとき、わたしも「最愛の家族を失った悲しみ」を味わいたかった。でも、お兄ちゃんはそんな家族じゃなかった。
そんな家族がほしかった。そんな家族でありたかった。アウェイじゃなくて、ホームで生まれ育ちたかった。

ふと見ると、食い入るようにステージを見つめながら、涙を流している女の人がいた。
わたしが表現しているものに、魂の底から感応してくれていることがわかった。
あの人も、何らかの意味でアウェイにいるのだろうか。わたしのように、ホームを探しているのだろうか。いつか、わたしたちはホームにたどり着けるのだろうか。
そんなことはわからない。わたしにできるのは、今現在を精一杯生きることだけだ。
だから、ステージの上で、自分自身の肉体で、わたしは叫び続けた。

菜の花の酢味噌和え

2015-01-24 21:25:00 | クマでもできるシリーズ


 母の老眼鏡のレンズがぽろっと取れちゃったので、今日は母を連れて眼鏡屋さんへ。
視力検査とかもしたので、またご飯を作る時間が少なくなっちゃったー。
というわけで、こんなメニューになりました。

親子丼はレトルト、「金の丼」シリーズ。
     


レトルトではとろっと半熟卵の食感を出すのが難しいようですが、この会社はその技術に自信を持っているようです。
実際、おいしいですよ。
三つ葉は入っていないので、自力で入れて下さい。
ちょっと入れると、いい香りがしておいしさUPです。


 今さら誰にもきけない(でも簡単)菜の花の酢味噌あえ

1 菜の花(1束)の目立つ葉をとり、根元のかたい部分を1㎝ほど切る
2 小鍋に水を沸騰させ、菜の花を入れてゆでる
3 冷水にとり、水気を切る
4 最後に軽く絞って、市販の酢味噌とあえる  


この間まで一束298円だった菜の花が、今日は188円。
買いよ、買い!(←スーパーの相場師アンジーです
初物を食べると寿命が延びると言うし、菜の花の苦味にはデトックス効果があるそうです。
この二品に、大根の味噌汁と子持ちししゃもを添えました

豚ニラスタミナ鍋

2015-01-23 21:47:40 | クマでもできるシリーズ


 もう、これ覚えちゃったよ~という方もいらっしゃるかもしれませんが
覚えておいて損はない(笑)、簡単な栄養たっぷり鍋です。


 豚ニラスタミナ鍋(2~3人分)

1・豚薄切り肉(200g)を食べやすく切り、しょうゆ小さじ2をからめる
 ・ニラ(1束)を3~4㎝長に切る
 ・もやし(2袋、400g)を食べやすく切る
2 鍋にニラ、もやし、酒50㏄ しょうが(チューブ1~2㎝)、昆布茶(小さじ1/4)、鶏ガラスープの素小さじ1を入れてまぜる
3 豚肉を、できるだけバラバラに鍋に入れ、蓋をして弱めの中火にかける
  野菜の水分が出てきたら、豚肉をできるだけ底の方に入れる(火が通りやすくするため)
4 全体に火が通ったら、七味や、ぽん酢醤油で召し上がれ  


実は、今日は別の献立にする予定だったのですが、思いがけなく時間がなくなってしまったので、急遽これに変更になりました。
そういえば、最近もやし食べてなかったしねっ(←こじつけ
もやしは案外栄養が豊富なんですよ。
豚肉も疲労回復効果のあるビタミンBを含んでいるし、ニラもスタミナつきますしね。
調理時間が短いのも魅力な、冬のラスボス湯豆腐に並ぶ切り札です。
あ、でも、豚肉にはしっかり火を通して下さいね

透明な悲しみ 

2015-01-22 21:10:53 | おはなし


 (このおはなしはフィクションです。実在の個人・団体とは一切関係がありません)

東遊園地には竹灯籠の炎が揺れていた。
大きく、1995 1.17。向かい合うように小さく3.11。
蒼白く明けてゆく空気には透明な悲しみが満ちている。
それは心底大切に思う人を悼むまっすぐな悲しみだ。
わたしは3.11の文字の方へゆっくりと歩いて行った。
夫が亡くなったのは阪神淡路大震災ではなく、東日本大震災だったからだ。

その日、わたしは東京にいた。突然の激しい揺れにテーブルの下にもぐりこみ、おさまってからTVをつけた。
東北地方で地震が起き、津波がくるという速報に血の気が引いた。夫がちょうど東北に出張に行っているからだ。
金縛りにあったように津波の映像を眺めてから、ようやく夫の携帯に電話した。予想通り、「電源が切れているか、電波の届かないところにいます」という応答があった。
次いで会社に電話すると、応対した女性が妙なことを言った。
「秋山さんの奥さまですか。お二人ともご無事ですか? 秋山さんもご一緒にいらっしゃるんですか?」
怪訝に思いながら、
「わたしは自宅におります。夫の携帯がつながらないので、会社に連絡がなかったかと思いまして。あの、出張の日程はどうなっているんでしょうか。夫は今、どこにいる予定なんですか?」
受話器の向こうで相手が絶句し、電話は唐突に保留になった。
何度目かの保留音の後、仲人をしてくれた田村部長が電話口に出た。
―由海(ゆみ)さん。こんな重大事になった以上は率直に話そう。秋山くんは出張に行ったんじゃなくて、有給休暇を取っているんだ。われわれは、夫婦で旅行に行くと聞いていた」
今度はわたしが凍りつく番だった。

しばらくして、また田村部長から電話が入った。仲人をした義理でも感じたのか、色々調べてくれたようだ。
社内に夫と同じ日に有休を取った女性が一人いて、一番仲のいい同僚にだけ、釜石においしい牡蠣を食べに行くと洩らしていたそうだ。
―由海さん。まだ何もはっきりしていないんだから、決めつけてはいけないよ」
状況証拠、という言葉が頭に浮かんだ。そう、全ては状況証拠でしかない。だが、わたしの心は真相を察知していた。

数日後、わたしは釜石の遺体安置所にいた。廃校になった中学の体育館には、納体袋に包まれた遺体が並んでいた。
何でもあまりにも数が多いと感覚がおかしくなる。わたしは、まだ夫と同じ会社に勤めていた頃、上司宛に届いた箱詰めのメロンを思い出した。箱の中にずらりと並んだメロンは、リンゴか桃のように見えたが、どれも普通の大きさのマスクメロンなのだ。
受付で告げた夫の特徴に似た遺体を、市の職員が探しては見せてくれる。納体袋にも、発見場所、日時、性別などを書いたメモがつけられているのだ。わたしはジッパーの間から磯臭い遺体を覗き込んでは首を振った。こんなことを何度繰り返さねばならないのだろう。
体育館のあちこちで、家族を見つけたらしい遺族の声が上がった。「お父さんだ、お父さん!」という高校生ぐらいの少女の金切り声。妻を見つけた夫はその事実を受け入れられないようで、「何でこんなところで寝てるんだよ。早く起きて帰ろう」と話しかけている。
獣が吠えるような声に振り返ると、白髪のおばあさんが子供のちぎれた手を指さして、孫のものだと叫んでいる。手首に巻かれたおもちゃの時計は自分が買ったものだという。
「お顔やあんよはどうしたんだい? ばあちゃんが探してきてやる。全部探してきてやるよ」
そう言って駆け出そうとするおばあさんを、市の職員が引き止める。そこまでが限界だった。わたしはおばあさんの横をすりぬけて体育館を飛び出し、校庭の木の根元にうずくまって吐いた。
もし夫の遺体が見つかったら、わたしはどんな顔をすればいいのだろう。もし、さっきの子供のように、相手の女性としっかり握り合った手だけが見つかったら? 無理矢理もぎとって、夫の手だけを持ち帰れというのか。
あの人達のストレートな悲しみが羨ましい。わたしの悲しみは、あの人達の悲しみとは異質だった。なぜなら、夫を奪ったのは、地震と津波だけではなかったから―

三日間釜石にいたが、遺体はみつからなかった。葬儀は遺体がないまま内輪だけで密葬にした。双方の親族は黙りこくって、ろくに口もきかなかった。
相手の女性の遺族はどんな気持ちでいるのだろう。わたしとしては、詫びの一つくらい入れてほしい気分だが、向こうは向こうで、「お宅のダンナにたぶらかされて」と思っているかもしれない。
ただ一つ、はっきりしているのは、わたしがとんだ道化だということだ。会社ではどんな噂が駆け巡っているだろう。そう思うと、東京にもいたたまれなかった。

現在、わたしは神戸にいる。大学時代の友人が洋品店を開き、わたしをスタッフとして迎えてくれたのだ。
仕事はそれなりに性に合っていたが、神戸というのはまずかった。毎年行われるルミナリエと1月17日の追悼式典が、いやがおうにも記憶をかきたてる。どちらの会場にも、わたしは断固として足を運ばなかった。
「その日」が近づくと、マスコミは「あなたたちの悲しみを忘れてはいませんよ」とばかりに特集を組むが、わたしにはその「悲しみ」すらひとくくりにされているように思われてならない。それはわたしの悲しみが、一般の被災者遺族のものとは違うからだろうか。
あれだけ多くの人達が全て、絵に描いたように愛し合っていたということがありえるのか。中には、冷え切った夫婦や、憎み合う親子、バラバラに崩壊した家庭もあったのではないか。報じられる「悲しみ」は、人間関係の暗部のドロドロした夾雑物をとりのぞいたきれいな上澄みだけをすくいとっているように見える。こんなことを考えるわたしは、やはり異端なのか。

今年始めて会場にやってきたのは、このあと、アルバイトのアイちゃんが所属するダンスチームのパフォーマンスがあるからだ。
アイちゃんは裁縫が上手い。公演の衣装は全て手作りだし、激しい稽古でほつれたレオタードはその日のうちにつくろう。汗で濡れたものを着ていると体を冷やすので、何度も着替えられるようにしておかねばならないからだ。その腕を生かしてお針子のバイトをして貰っている。うちで買った服が破れたの、虫に食われたのというお客さんのアフターフォローをするのだ。これができるのが、うちの店の大きなウリだった。
わたしは経理担当だが、アイちゃんに教えて貰って、忙しい時はつくろいものも手伝った。
二人で針を動かしながら、今回のパフォーマンスは大島奈那子の振り付けだと聞かされた。わたしは知らなかったが、ダンサーとしても振り付け師としても名の通った人のようだ。
「その人も阪神淡路大震災でお兄さんを亡くしてるんだけど、今回の舞台を頼まれた時、最愛の家族を失った悲しみとか、絆とか、癒やしと再生とか、そういうきれいなテーマではやれませんけどいいですかって言ったんだって」
その一言が、わたしの興味を引いた。

アイちゃん達のステージは、演劇でもミュージカルでもない、ダンスがメインの公演だ。こういう形態は日本では珍しい。
一応ストーリーはあるようだが、台詞がないので、踊りから読み取らねばならない。
「それがわかりにくいって言われちゃうんですよね」とアイちゃんは言っていたが、わたしは舞台から目が離せなかった。
大島奈那子という人は、間違いなくわたしと同じ、異端の苦しみと悲しみを知っている。そうでなければ、こんなステージをつくれるはずがない。
わたしは未だに、夫の死にどう向き合っていいかわからない。もし今突然夫の遺体が発見されたら、自分がどんな風に対面するのか想像がつかない。醒めた目で見つめるのか、恨み言をきかせるのか、あのおばあさんのように吠えるのか。
どうしても昇華されない怒りが、悔しさが、情けなさが、そのまま目の前の舞台に受け入れられていく。
いいんだよ。それでもいいんだよ。
会ったこともない大島奈那子さんの共感が伝わってくる。
そんなこともあるよ。そういう人もいるよ。無理をしなくていいよ。今すぐでなくていいよ。
救われたわけではない。吹っ切れたわけでもない。答えが出たわけでもない。
けれど、いつのまにか、わたしはあの日以来初めての透明な涙を流していた。

あっさり水炊き

2015-01-21 20:57:43 | クマでもできるシリーズ


 大寒になってから、寒さがズシッと身にしみるような感じがします。
毎日が鍋日和?
でも、鍋も重いな~と感じる時は、緑と白の具材であっさり仕上げた水炊きはどうでしょう。


 水炊き(2~3人分)

1・白菜(5枚くらい)の葉をざくぎり、芯をそぎぎりにする
 ・白ネギ(1本)を斜め切りにする
 ・豚薄切り肉(170g)を一口大に切る
 ・豆腐(350g)を一口大に切る
2 鍋に白菜の芯、豚肉、酒50㏄を入れ、蓋をして弱火にかける
  野菜の水分が出てきたら、白ネギ、豆腐を加え、蓋をして、火を少し強める
3 豚肉に火が通ってきたら白菜の葉を入れ、蓋をして煮込む
4 全体に火が通ったら、ぽん酢醤油、生姜醤油などで召し上がれ  



水炊きといいながら水は入れていませんが、野菜は結構お水が出るので、強火にしなければ焦げ付いたりしないです。
これは普通の鍋と違って、あんまり色んな具を入れない方がおいしいと思います。
緑と白の同系色でまとめて下さい(^^ゞ
あっさりしているのに、不思議とおいしい。
ご飯もけっこうすすむくんですよ

はんぺんマヨ焼き

2015-01-20 20:34:22 | クマでもできるシリーズ


 今日から大寒、寒いですね。
でも七十二候だと、20日から24日までは「蝋梅擬蜜(ろうばいみつになぞらえる)」。ちょっと暖かい感じ?

今日は、いつも牛肉並みに高かった北海道産の塩鮭が安かったので、鮭の塩焼きがメインです。
円安の影響だとしたら、始めてアベノミクス効果がわたしのところに(爆)
でも、チリ産の鮭もおいしいんですよ。


 はんぺんマヨ焼き

1 はんぺん(1枚)を食べやすく切って、アルミホイルの上に並べる
2 マヨネーズをかける
3 アルミホイルごとオーブントースターに入れ、1000Wで約4分加熱する 


大阪では、その場にいる見ず知らずの人に突然声をかけられることが珍しくありません。
たとえば、たまたま一緒に売場を見ていた人に「どれも高いねえ」と言われたり…
どうも、自分と同じ事を考えているらしい雰囲気を察知して声をかけてくるようですね。

今日は、練り物コーナーの前で、「あと一品はちくわにしようか。でも、妹は噛みにくいかも」と思っていたら、見ず知らずの親父に、「毎日食べるの考えるの、大変やなあ」と声をかけられました。
聞けば、親父は、奥さんが突然倒れてしまったので、日々の食事の仕度に難儀している様子。
うーん、それはきつい。
わたしもククパがあるからやっていられるようなものですが、どう見てもデジタル機器は使わない様子の親父です(人を見かけで判断してはいけませんが(^^;;
うちのブログを見てくれれば、簡単な料理が載っているんだけど(^^ゞ
奥さんのありがたみがようやく身にしみてわかった様子なので、早く良くなって下さいね。

うちも、よそんちの心配できるようなたいした献立じゃないですが、写真のような感じ。
鮭の塩焼き、はんぺんマヨ焼き、小松菜の煮浸し、キャベツとうすあげの白味噌汁です。

寒いですが、皆様、カゼなどひかないように気をつけて下さいネ(*^o^*)/~

温野菜サラダ

2015-01-19 21:38:23 | クマでもできるシリーズ


 妹が何かのポイントがたまったので、シリコンスチーマーを貰ってくれました。
       


シリコンスチーマーは、普通の耐熱容器に比べ、蒸気がまんべんなく回るので、野菜をゆでたりが上手くいきます。
今日のメインはハヤシライスなので、つけあわせのサラダは温野菜にしました。


 温野菜サラダ(2~3人分)

1・にんじん(1/3本)をいちょうぎりにする
 ・じゃがいも(1個)を薄めの一口大に切る
 ・ブロッコリー(1株)を小房に分ける
2 シリコンスチーマーに1を入れて蓋をし、電子レンジ500Wで5~6分加熱する
  全体に火が通って柔らかくなったら、ケチャマヨソースをつけて召し上がれ  


生野菜は体を冷やすことがあるので、寒い冬は温野菜にした方が体にやさしいようです。
シリコンスチーマーだと、材料を入れてレンチンするだけで、簡単に温野菜のサラダを作ることができます。
容器も可愛いので、そのまま食卓に出してもOK。
シリコンの調理器具は一時ブームになったんですが、ちょっとお高かったので、うちにあるのは景品で貰ったのだけ~(^^ゞ

ソースはおいしさの王道ケチャマヨソース。
ケチャップとマヨネーズを混ぜただけなのに、何でこんなにおいしいの~。
わたしは1:1の比率で混ぜてますが、お好みで調整して下さい^^

サラダ菜と卵のスープ

2015-01-18 20:13:15 | クマでもできるシリーズ


 サラダ菜が安かったので、以前ブログ友達に教えて頂いたスープを作ってみました。


 サラダ菜と卵のスープ(2~3人分)

1・ニンジン(1/3本)を薄い輪切りにした後、三等分くらいに切る
 ・ベーコン(ハーフサイズ1パック)を食べやすく切る
 ・サラダ菜(5枚くらい)をさっと洗い、食べやすい大きさにちぎる
 ・卵(1個)を溶く
2 鍋に水600㏄、コンソメスープの素(2個)、ニンジン、ベーコンを入れ、中火にかける
  沸騰したら弱火にし、ニンジンが柔らかくなるまで煮込む
3 サラダ菜を加えてさっと火を通し、火を強めて溶き卵を入れ、かきまぜる
4 しおこしょう(あれば粗挽き黒胡椒も入れる)で味を調え、ひと煮立ちさせる  


サラダ菜はスープの具に使うと、とてもやさしい味になります。
簡単な割に具が入っているので、彩りのいいスープができますよ^^
お好みで、最後にごま油を香りづけにまわしかけてもおいしいと思います。
うちは、母が汁物に油が浮くのが好きじゃないみたいなので、省略です(^^;;
奥に写ってるのは、カニ缶、きゅうり、わかめの酢の物。メインは王将の餃子です(^^ゞ

サラダにもスープにも使えるサラダ菜。
柔らかい味で食べやすいし、日持ちもするので重宝ですよ