BE HAPPY!

大山加奈選手、岩隈久志選手、ライコネン選手、浅田真央選手、阪神タイガース他好きなものがいっぱい。幸せ気分を発信したいな

Chain(6)

2007-11-22 20:15:02 | Angel ☆ knight
   

 「レックスなのか? 今どこにいる?」
 レイオットは思わず身を乗り出した。
―シティ警察本部だよ。スターリングさんて人に、全部話した。レイが誰も殺さないようにしてたことを、ちゃんとわかって貰ったから」
「何だ、もうとっ捕まったのか? 近くに警察署のないところへ降ろしてやったのに」
―てか、地面に降りてすぐエディさんが具合悪くなっちゃって、どうしようかと思ってたら、警察が来たんだ。服についたトレーサーを追跡して…」
「服についたトレーサーだって?」
―あのさ。シルフィードの内装がやけにキラキラしてただろ? そういう布地なのかと思ってたけど、あのキラキラがトレーサーの粒子だったんだ。機体の外部に吹きつけられてたのは、レイの言う通り、水で流れちゃったんだけど」
 レイオットはコックピットを見回した。シートを指でこすってみる。そう思って見るとごく微細な粒子が指先についているようだが、知らなければ肌の脂分にしか見えないだろう。
「つまり、こっちの位置はまるわかりだったわけか。だが、それじゃ、何でおれは邪魔されずにここまで来れたんだ?」
―邪魔しようとはしたんですけどね。あんな細かいセンサー網の間をあのスピードで突っ切っていかれたんじゃ、追いかけようがなかったんですよ、編隊長」
 今度はかつての部下の声だ。自分を取り巻く空軍機の中にいるらしい。
―相変わらず、いい腕していらっしゃいますね。あなたとはやりあいたくありません。お願いですから、着陸して下さい」
「やりあうもなにも、こいつには武器なんかついちゃいないぜ。撃ちたきゃ、いつでも撃ちゃあいい」
―レイの馬鹿! その人がレイのこと心配してんのがわかんないの?」
―オハラさん、聞いて下さい。わたしはシティ警察本部長のスターリングです」
 スターリングの声が割って入った。
―われわれはロンとダニイを追跡して、『フリーダム』のアジトを押さえました。アレックスさんのお話は、他の証拠からも裏付けられるものがあり、わたしは信頼しています。あなたの自宅の爆破事件と、オリガ・オークレーの死亡事件も、必ず責任持って再捜査します。だから、ここは着陸して下さい」
―きみ、何を言っとるんだ」
 スタンレー大統領が叫んだ。驚きのあまり、声がひび割れている。
―テロリストのご機嫌を取るのもたいがいにしろ。大体、きみが要求をのんでシルフィードを渡したりするから、こんなことになったんじゃないか。事態が収拾したら、きみの責任も追及するからな」
 なるほど、長官に要求をのませたのはスターリングだったのか。セス。長官が心を入れ替えたわけじゃないようだが、世の中にはこういう人間もいるみたいだぜ。
―大統領。『フリーダム』には、オリガ・オークレーの妹のアリサ・オークレーも参加していました。アジトの彼女の居室から、オリガから彼女に宛てられた文書やCD、DVDが発見されています。その内容について、アリサの供述を聴くと共に、鑑識課でも確認作業を行っています」
 スタンレーが息を呑む気配がした。レイオットも思わず耳をそばだてた。
―ス、スターリングくん。きみは騙されている。そんなことがあるわけがない」
 精一杯平静を装った声で、スタンレーが言った。
―オリガ・オークレーが妹にそんなものを送れたはずがない。あれは全部処分されたんだ」
―大統領がおっしゃっているのは、オリガ・オークレーが入手した爆破事件の証拠物ということですか?」
―そうだ。ヴァージョン情報も確かめたから、コピーがなかったこともわかっている。テロリストの言うことを鵜呑みにするんじゃない」
―わかりました。うちの人間がそちらに行っておりますので、彼らと署までご同行下さい。そして、あなたがいつ、誰に証拠を処分させたのか、いかなる理由と権限でそのような処分をされたのか、ご説明をお願いします」

「きみに、あんな真似ができるとは思わなかったよ。まさか、大統領を引っかけるとはな」
 エドゥアールは愉快そうにスターリングに言った。
「わたしは、事実をそのまま口にしただけです。『フリーダム』のアジトから、オリガがアリサに宛てた手紙や、ミュージックCD、二人が好きだった映画のDVDが見つかった。押収報告書を書くために、アリサに内容を確認し、中身がその通りのものかどうかを鑑識で調べました。それらを爆破事件の証拠だと思ったのは、大統領の勝手な勘違いです」
「しかしまあ、とんでもない結果がついてきたもんだ。『フリーダム』を一網打尽にしただけじゃなく、大統領の陰謀まで暴いたんだからな」
「人質の生命を尊重してもテロを阻止できることが、おわかり頂けましたか」
「きみはやると言ったら必ずやる人間だということだけは認めよう」
 エドゥアールは言った。

 検事局は、レイオットを不起訴処分にすることを決定した。
 釈放された彼は、スターリングに呼ばれて本部長室に行った。
「また、家に帰ったらドカン、なんてことはないんだろうな?」
「もちろんです」
 スターリングは微笑んだ。
「今朝、議会が大統領の罷免を決定しました。検事局は、二件の殺人及び未遂の共謀共同正犯でスタンレーを起訴する方針です。マグダードの医療施設爆撃を指示した疑いについては、国際司法委員会が調査を開始しました」
「思えば、あいつも、セスも、似たような思考回路だよな」
 レイオットは苦笑した。
「彼女をテロリストにしてしまったのは、われわれです。テロを根絶すると言いながら、自分達で憎しみの連鎖を作り出してしまった」
「一つ訊きたいんだが、レックスは―」
「アレクシスさんですね。彼女も不起訴になっていますよ。身寄りをなくしてセスのもとにいただけのようですし、今回も実行行為はほとんど行ってはいませんでした。パラシュート降下地点に警察が到着するまでの間、エディさんを一生懸命介抱してくれてもいましたし」
「あいつ、やっぱり女だったのか」
 少女ではないかと疑ったことは何度もあった。組織の中には荒くれもいるので、セスは彼女に少年のふりをさせたのだろう。
「彼女はあなたにとってのハートのジャックだと、『ムーンライト』で人質になった占い師のおばあさんが言っておられました」
「あの、ユージェニー・ビクトリアとかいうばあさんか?」
「ええ。あなたの傍らにあった死神のカードは消えた、かわって、今は釣り針のカードがあなたを囲んでいるそうです」
「釣り針のカード? 何だよ、それ」
「あなたを必要とする者、だそうです。あなたは紳士だったので、一度だけタダで占いをしてやった、結果を伝えてほしいと言われたので、お伝えしました」
「それで、わざわざおれを呼んだのか?」
「いいえ。用件はこれからです。実は、うちの救助セクションから、あなたをぜひスカウトしてくれと言われまして」
「何だって?」
 レイオットは眉を上げた。
「あなたは今回、777に乗られたわけですが、あの機体をどう感じられましたか?」
「どうって…いい飛行機だったよ。公表されてる諸元より、実際の性能の方がかなりいいみたいだな」
「諸元が控えめなわけじゃないんです。ウルフのような優れたパイロットが乗っていたために、性能が突き抜けてしまったようで、他のパイロットは誰もあの機体を乗りこなせないんですよ」
 レイオットは驚いた。自分の操作に、打てば響くように反応した777。あんなにレスポンスのいい飛行機に乗ったのは初めてだった。軍の迎撃システムを高速で突破できたのも、あの機体だったからこそだ。
「あなたが救助セクションに入ってあれに乗って下さったら、777の維持費が税金の無駄遣いにならずにすみます。今すぐ返事をしろとは言いませんが、ぜひご一考をお願いします」

 アレックスは、シティ警察本部前の喫茶店でレイオットを待っていた。
 スターリングとの会見を終えて、彼が店に行くと、彼女の隣に見知らぬ男性が一人座っていた。
「レイ、この人、航空宇宙開発局の人事部の人らしいんだけど…」
 アレックスは戸惑い顔で紹介した。
「あんたとあたしをナッツにスカウトしたいって言うんだよ」
「は?」
 レイオットも思わず聞きかえした。
「そうなんです。あ、ナッツというのは、航空宇宙開発局スペシャル・タスク・フォースのことです。ご存じかも知れませんが。詳しい職務内容は、こちらにパンフレットをお持ちしましたので…」
と、男はカバンに手を入れた。アレックスは既に一部貰って眺めている。
「おいおい。何の間違いか知らないが、おれは飛行機を飛ばすしか能のない人間だぜ。航空宇宙開発局なんて…」
 レイオットが言うのを、男は片手を上げて制した。
「ナッツには様々な分野のスペシャリストが集まっています。法律や経済など、一見畑違いに見える人材もいます。空や宇宙では何が起きるかわからないので、どんな知識や経験も役に立つんですよ。あなたが先の事件で見せた機転と判断力には、素晴らしいものがありました。ぜひ、ナッツでその力を発揮して頂きたいと思い、お話しに参りました…」

 人事部の男と別れると、レイオットはアレックスを連れて数ヶ月ぶりの自宅に戻った。ハウザー・シティでは、市長のリコール運動が始まったというが、まだ帰らない方がいいだろう。列車の中で読んだ新聞記事によると、市長はいずれ、隔離対象者の枠を、年収100万スター未満の市民にも広げるつもりだったそうだ。その事実をすっぱ抜かれたので、市民全体に非難の声が広がったのである。
 彼が町に足を踏み入れた途端、ブッシュ・パイロット達がわらわら群がってきた。
「戻ってきてくれて良かったよ。あんたのおかげで、組合の電話は鳴りっぱなしだ。何しろ、大統領の陰謀を暴いた男だからな。仕事の話もいっぱい来てるぜ」
「仕事ったって…」
 セスからは、人目を引かないよう家も飛行機もそのままにして出てこいと言われていた。飛行機だけは錆び付かせるのがしのびなかったので、
―組合に寄付するから、好きに使ってくれ。
と、格納庫の鍵を郵送しておいた。
「事情がわからなかったので、機はそのままにしてあるよ。わたしが定期的に整備だけはしておいた」
 顔に傷跡のある組合長が言った。彼は最も優秀なメカニックでもあった。機体は格納庫の中で、新品同様の光を放っていた。
「これなら、明日からでも飛べるな…ありがとう」
「なに、わたしの機が故障して海に不時着した時、あんたは悪天候をついて捜しに来てくれた。これぐらいじゃ、まだまだ借りを返したことにはならんよ」
 別の、やや小太りのパイロットが言った。
「レイ、実はちょうど、おいしい仕事が一件来てるんだ。あんたと組んでやれたらいいなと思ってたところさ。これから、リーの店に行って話さないか? もちろん、今日はおれのおごりだ。こないだ、高価な部品を譲って貰った礼をまだしてなかったからな」

 リーの店でも、レイオットはひっきりなしに声をかけられた。この町ではずっと無気力に暮らしていた。他人のことにも無関心で、友人もつくらなかった。彼らも新しくやって来たよそ者を警戒していたはずなのにと、不思議な思いがした。
「きっと、職人的な仕事をしてるから、腕のいい奴は受け入れるんだよ」
と、アレックスがさかしげに分析した。
 家に戻ると、ビデオフォンがかかってきた。これは、受信者の側で画像入りか音声のみかを選択できる。ビデオボタンを押すと、スクリーンにハサウエィ空軍大佐が大映しになった。
「どうしたんです、大佐。ひょっとして、軍法会議ですか?」
―ハハハ、わが軍の迎撃システムをことごとくスルーして、精鋭部隊をぶっちぎったからか? おかげで、システム・エンジニア達は弱点の修正に大わらわだ。パイロットもしごかれとるぞ。何しろ、一機たりとも、きみをまともに追撃できなかったんだからな」
「そいつは、気の毒に」
―他人事みたいな言い方をするな。どうだ。あいつらをきみが鍛え直してやる気はないか?」
「どういうことですか?」
―きみを教官として迎えたいという話が出ているんだ。来月から、ウィングバッジをつけたてのヒヨコ共も上がってくるから、そいつらの教育もやって貰えるとありがたい」
 レイオットは目眩を覚えた。今日何件目のリクルートだろう。「釣り針のカード」とはこのことか。
ユージェニーの占いは、やはり当たるようだ。

(終わり)




Chain(5)

2007-11-21 21:54:39 | Angel ☆ knight
  

  「レイオット・オハラ、元UF空軍の戦闘機パイロットで、『無血の撃墜王』の異名がありました。これが、レイと呼ばれている人物だと思われます」
 オペレーション・センターのチーフ、ミリアムは、空軍から送られてきた情報をスターリングに伝えた。シルフィード777の追跡画像は、軍も共有回線でモニターしていた。それを見た空軍士官達は、
―あんな飛び方ができるのは、レイオットしかいない。
と、口を揃えて言ったという。
「レイオット・オハラ…あの、マグダード爆撃事件の?」
「ご存じなんですか? 本部長」
 スターリングは頷いた。UFが「テロの王国を叩く」と称して、マグダードに仕掛けた戦争に、レイオットも空軍パイロットとして参加していた。彼は、敵の機体を一発で操縦不能に陥らせ、なおかつパイロットには脱出のチャンスを与えるという神業的な技量を持っていた。
「それで、『無血の撃墜王』なんですか」
「そうです。国際社会は『人道的な戦い方』と評価しましたが、大統領はそうは考えなかった。養成に時間のかかるパイロットを殺さなければ、敵の兵力を損なったことにはならないと、何度も軍に叱責のメッセージを送りました」
 大統領は、SI(シークレット・インテリジェンス、機密情報部)の得た情報を元に、ピンポイント空爆の指示を出した。目標は軍事施設のはずだったが、実際には、指示された場所は医療施設が集中している地域だった。
 レイオットがこれに気づいて、僚機に爆撃中止を呼びかけた。基地からは、予定通り爆撃せよという指示が届いた。
「どうしてですか? 完全な誤爆じゃないですか」
 ミリアムは目を見開いた。
「これは…当時取り沙汰された憶測でしかありませんが、大統領は、最初から医療施設を破壊するつもりだったふしがあるんです。あの地域には設備の整った病院が集中していた。あそこを爆撃すれば、負傷したマグダード人は満足な治療を受けられなくなり、したがって、落命する確率も高くなります」
「…ひいては、兵力が減殺される。そういうことですか?」
「大統領がそう考えていたという証拠はありません。ただ、日頃からそういうことを口にしてはいたようです」
 レイオットは、ついには、「行くなら、おれを撃墜して行け」とまで言った。そうこうするうちに、マグダード空軍がスクランブル発進してきたので、撤退せざるをえなくなった。レイオットは殿をつとめて、皆を基地に帰投させた。
「彼は、帰還するなり捕らえられて軍法会議にかけられました。判決は銃殺刑でした」
「そんな…」
 ミリアムは口元に手を当てた。
「軍の人間も、納得がいかなかったようです。助命嘆願が行われ、ストライキにまで発展した。彼は随分人望があったようですね」
 大統領もこれには手を焼いたようだ。娘の大学卒業を理由にレイオットを「恩赦」にした。
 だが、彼が釈放されたその夜、自宅がテロリストに爆破された。マグダードの過激派集団『イズマール』が、即座に犯行声明を出した。レイオットはちょうど近所のコンビニに買い物に出かけていて助かったが、彼のパートナーは爆死した。大統領は、「テロの王国にヒューマニズムは通用しない。我々が正義の鉄槌を下す」と演説した。
「その事件のことは知ってます。おかしな点がいくつもあったんじゃないですか?」
「ええ。目撃証言などから、実行犯のマグダード人が数人逮捕されましたが、彼らを指揮していたのはUF人だった。マグダード戦争に反対する、良心的兵役拒否者だと言っていたそうです。だが、『イズマール』は民族主義者の集まりでもあります。UF人を信用して重要な役割を任せたとは考えにくい」
 さらに、その後、『イズマール』の幹部の一人が、オリガ・オークレーというジャーナリストに、「あれは、われわれのしたことではない」と語った。『イズマール』は当時、資金難にあえいでおり、テロ行為をしたくともなかなか身動きがとれない状態だった。
―そんな時に、どこかの誰かが『イズマール』を名乗って行動してくれた。他の幹部連は、誇りをかなぐりすてて、これを追認したんだ。
「数ヶ月後、このインタビューを行ったオリガ・オークレーは変死しました。最終的には事故死とされましたが、他殺の疑いも濃厚でした」
「それって…」
 ミリアムが言いかけた時、オペセンの若い職員がプリントアウトを手に現れた。
「レイオットは、爆破事件後、ブッシュ・パイロットのような仕事をしていたようです。運輸・交通省に不定期航空事業者の登録がされています」
 ミリアムは、レイオット・オハラという名前が判明すると同時に照会をかけさせたようだ。相変わらず手際がいい、とスターリングはプリントアウトに目を落とした。
「現地のパイロット組合に電話で問い合わせたところ、レイオットは数ヶ月前から姿を消しているそうです」
「どうやら、レイという男は、レイオット・オハラに間違いなさそうですね」
 スターリングが呟いた時、デスクの電話が鳴った。対テロセクションのラファエルからだった。
―本部長、シルフィード777が大統領官邸前に出現。大統領と補佐官のいる執務室に突っ込むと言っているそうです」

 UF大統領、スタンレーは自分の見ているものが信じられなかった。
 シルフィード777の白い機体が執務室の窓の先、わずか数メートルの空中に浮かんでいる。シルフィードはヘリコプターのように垂直離着陸やホバーリングが可能だった。
「空軍は何をやっているんだ。なぜ、ここまで来る前に撃墜しなかった」
―おれは軍にいたんだぜ。警戒システムを知ってりゃ、裏をかくことだってできるさ」
 無線を通じて、レイオットの声が言った。
 空軍機がようやく777を取り囲んだが、あまりにも777と執務室の距離が近いため、手を出せずにいた。
―この通信にはオーバーライドをかけた。あんたとおれのやりとりは、軍や警察にも流れてる。おれと一緒に地獄へ行くか、自分のやったことを全て白状するか、好きな方を選びな。おっと、動くなよ。逃げようとしたら突っ込むぜ」

 777のコックピットで、レイオットも、
(まさか、こんなことになるとはな)
と思っていた。同乗者を全て射出した後、燃料計を見ると意外に燃料が残っていた。
(何とまあ、燃費のいい機体だ。これなら、DCまで飛べるな)
と思った瞬間、あの男と対決しようと決めた。最愛のパートナーを失って以来、抜け殻のようになっていた心に火がついた。
―きみが何を言っているのか、さっぱりわからない。何かデマを吹き込まれて、それを真に受けているようだが―」
「ごたくはいい。おれの質問に答えろ。1つ。マグダードで軍事施設とされていた場所が病院だとわかったのに、爆撃続行の指示を出したのはなぜだ。2つ。おれの家を爆破させ、オリガ・オークレーを殺したのはあんたか? 30分以内に答えろ。燃料が切れたら突っ込ませて貰う」
―答えるのは簡単だ。1つ目は、わたしの得ていた情報はあくまで、あそこが軍事施設だというものだったからだ。夜間の爆撃だった。きみが見間違えた可能性もある。SIが何ヶ月もかけてつきとめた情報を信じて当然だろう。2つ目はどちらもノーだ。これでいいか?」
 よく言うぜ。レイオットはため息をついた。いくら夜間だからって、あれを軍事施設と間違えるほど目の悪いパイロットがいるものか。暗視スコープでも確かめたし、第一、軍事施設があれほど無警戒であるはずがない。
 爆破事件が『イズマール』の仕業ではないことなど、爆弾の飛来する音と閃光でわかった。あれはUF製の爆弾だ。実戦を経験した軍人をなめて貰っては困る。
 彼の疑いは、アリサ・オークレーの話によって裏付けられた。最初に会った時、彼女は姉の死の真相を調べたいので協力してくれと言ってきたのだ。
―大統領にとって、あなたは危険人物だった。あなたが英雄視されたら、マグダード戦争が正義の戦争に見えなくなってしまう。だから、マグダード人が、いわば、恩を仇で返すようなテロ行為をしたことにして、こんな国は武力制圧するしかないという方向に持って行こうとしたのよ。姉はその事実に迫った。だから、殺されたんだわ。
―ひどい話だな。
 怒りは覚えたが、彼の心は奮い立たなかった。
―悪いが、おれはもう何をする気力もないんだ。ただ、死ぬ時がくるまで生きてるだけさ。
 その後、彼女は『フリーダム』に身を投じ、再び彼に接触してきた。
―あなたに死に場所を提供してあげる。この腐った世界を変えるための起爆剤になってちょうだい。
 それも面白いかと思い、計画に加わった。だが、実際にやってみると、長官に16区の住民を犠牲にさせて決起のきっかけにするという作戦はどうにも性に合わなかった。セスには悪かったが、契約違反をした。100万スターをロン達に持ち帰らせたのは、違約金のつもりだった。
「あんたがしらを切るのはわかってたよ、スタンレー。だが、そんなことはもうどうでもいい。おれと一緒に死んで貰う」
―レイ、やめて」
 思いがけない声が耳朶を打った。
「レックス…?」

(続く)


Chain(4)

2007-11-20 19:53:10 | Angel ☆ knight
    

 「レイ。何で、水に入るの?」
 シルフィードは水中航行も可能だ。水害や海難事故の救助を行うこともあるからだ。
「細かいトレーサー粒子をスプレーで吹き付けて、対象物の移動を追跡できると聞いたことがある。主に、学術研究用に使われてるようだが」
「それが、この機体にも吹き付けられてるっての?」
 アレックスは思わず周囲を見回した。
「わからん。そうだとして、水溶性かどうかもわからんが、やれることはやっといた方がいいだろう」
 水中航行は燃料を消費する。レイオットは、三分経つと、水中でUターンして元来た方向に戻り、進路を直角に取って浮上した。
 キャビンでロンががなり立てる声が聞こえる。
「今の、説明してくるよ」
 アレックスはシートベルトを外して立ち上がった。
「ああ。それから、そろそろ着陸準備にかかってくれ。全員ライフジャケットをつけて、ロンとダニイは進行方向に向かって左後部座席に、おまえと人質は右側前部非常口の隣に座ってくれ」
「何で、そんな座り方をするの?」
「おいおい、普通に飛行場に降りると思ってるのか? そんなことしたら、すぐに通報されちまう。微妙な場所に降りるから、そうやってバランスを取ってほしいんだ」
「わかった」
 アレックスがコックピットを出ようとした時、またレイオットが声をかけてきた。
「人質のケアは頼むぞ」
「OK。任せて」
 アレックスは、キャビンで怒り狂うロンをどうにかなだめると、レイオットが指示した位置に全員を座らせた。コックピットもそうだったが、シートの布地や床のカーペットが、メタリックな光を帯びている。
(シティ警察って、わりとおしゃれじゃん)
と、アレックスは思った。

 非常口の扉が突然開き、アレックスとエディは座席と共に空中に放り出された。
 シルフィードのシートは皆、戦闘機と同じ射出シートになっている。機外に放出されると、自動的にパラシュートが開く。
「レイ!」
 叫んだが、もうレイオットには聞こえない。柔らかな草地に着地すると、アレックスはエディに駆け寄った。
―人質のケアは頼むぞ。
 その言葉の本当の意味が、ようやく理解できた。

「てめえ! 何しやがる」
 ロンはわめきながらシートベルトを引きむしろうとした。絶妙のタイミングで機首が上がり、シートの背もたれに体を押しつけられた。
―金の包みをしっかり持て。安全な場所に落としてやる」
 レイオットがコックピットのマイクで話しかけてきた。
「てめえ、やっぱりおれ達の任務を妨害するつもりだったんだな」
―勘違いするなよ。最大の計算違いは、警察が人質の命を優先したことだ。計画は失敗だが、100万スターありゃあ、今後の活動資金になるだろう。そいつを持って帰って、セスに伝えな。世界は、あんたが思っているほど腐ってるわけじゃないかもしれないとな」

 レイオットは、計器板のレーダーマップに目を遣った。アレックス達を落とした地点からは十分離れたことを確認して、彼は後部シートの射出スイッチを押した。

「レイオットから連絡がありました。ロンとダニイを、警察からせしめた100万スターと共に投下したので、迎えに来るようにと。これが降下地点の座標です」
 アリサの差し出したメモを、セスは怪訝な表情で眺めた。
「ロンとダニイだけ? レックスは?」
「それが…」
 アリサは口ごもった。
「飛行中に手違いで非常口のドアが開いてしまい、レックスと人質は機外に放出されたそうです。パラシュートが開いたのは視認したし、下は広々とした草地のようだったので、無事だろうということですが」
「そんな…! 場所はどこなの?」
「わかりません。そこで通信が途切れて、以後は何度呼び出しても応答しないんです」
「何て無責任なの」
 セスは額に手を当てた。
「アリサ。あなたが推薦するからあのパイロットを使ったけど、わたしの正直な感想をいえば、とんだ期待外れだったわ」
「申し訳ありません」
 アリサは唇を噛んだ。
「エルロイとリダに、ロン達を迎えにやらせて。罠かもしれないから、武器も携行してね」
「罠…?」
 アリサは顔を上げた。
「レイが警察と通じてると思ってらっしゃるんですか?」
「その可能性は十分あるでしょう? 長官襲撃のニュースを見た? いくら未遂に終わらせるつもりだったとはいえ、あまりにもお粗末すぎるわ。あれじゃ、こっちが本気で長官の命を狙ったわけじゃないことを見透かされてしまう」
 セスは声を尖らせた。
「長官が16区の人質を見捨てたら、各地で一斉に決起する予定だったのに、あっさり逃げ出してきて。ハウザー・シティのデモ隊も、今度こそ一緒に武装蜂起するはずだったのよ」
「お言葉ですが、人質が死ななかったのは、レイのせいではありません。シティ警察が要求をのんだのは、完全に想定外でした」
「なら、上手く彼らを挑発して人質を犠牲にさせるように持って行くべきでしょう。人命尊重なんて、あの長官の本意であるはずがない。交渉人を射殺しただけでも、仮面は剥がれたはずよ」
「セス…」
 この人は、いつからこんなことを言うようになってしまったのだろう、とアリサは考えた。権力に非情に切り捨てられた痛みを知っているから、そのために戦うと決めたのではなかったのか。それなのに、「今回の計画には、ロンとダニイとGを使うわ。お荷物を始末できて一石二鳥よ」とうそぶいたり、無理にでも人質が犠牲になる方向へ事態を進ませるべきだったなどと言う。これでは、ハウザー市長や、シティ警察長官と同じではないか。
 警察がロン達の要求を呑んだというニュースにも、セスは地団駄を踏んだ。
―ふざけないで。父のことは見殺しにしたくせに、今度は人命優先ですって? 何を今さらきれいごとを言ってるの!
 あまりにも長い間抱いていた憎しみが、酸のようにセスの心を腐食させたのだ、とアリサは思った。
 デル・ハーミッツの時と同じように人質を見捨てるという行為を長官に繰り返させ、それをきっかけと大義名分にして各地で一斉に武装蜂起する。それがセス達の計画だった。決起の引き金となった長官は破滅するだろうが、それは付随的な結果にすぎない。だが、セスの中では、いつのまにか、長官に対する復讐こそが最終目標になってしまっていた。
(わたしもいずれ、そうなってしまうのだろうか。いえ、もしかしたら、わたしももう既に憎しみに蝕まれているのかもしれない)
 この計画が成功すれば、あの男もまた安泰ではいられないはずだ。だからこそ、アリサはセスの組織に身を投じた。姉を殺した、あの憎むべき権力者、UF(ユナイテッド・フェデレーション)大統領に報いを受けさせるために。

(続く)


Chain(3)

2007-11-19 20:24:38 | Angel ☆ knight
    

  パーンという乾いた音が弾けて、目の前を歩いていた人間が血を噴き出して倒れた。
 警官隊がデモ行進に向かって発砲したのだとわかるまでに、なお数回、パンパンという音を聞いた。
 ハウザー・シティ・ゲットー事件。
 ハウザー市の市長は、低所得者層、ホームレス、失業者、心身に障害を持つ者などを一箇所に隔離する政策を発表した。彼らを市の片隅に押し込め、「勤勉で、有能で、健康な者がその働きに見合った生活を享受できる、美しく整った街を作る」というのだ。
 市長は就任当初、まず市の職員に徹底的な実力主義を敷いた。無能な役員は容赦なく首を切り、優秀な職員を次々要職に抜擢した。市民は喝采したが、市長の振るう大鉈は、間もなく一般市民にも及んだ。「税金の無駄遣い」とみなされた社会福祉が次々に切り捨てられ、「働かざる者食うべからず」を合い言葉に、ついにはハウザー・シティ・ゲットー政策が打ち出された。
 それに反対する大規模なデモ行進に、アレックスも参加していた。彼女の家も隔離の対象に含まれていた。
 市長は警官隊に発砲を命じ、多数の死傷者が出た。アレックスも危うく射殺されるところだったが、セスに助け出されて現場から脱出した。彼女はこのデモを裏から支援していたのだ。
―権力を相手に素手で戦ってはいけない。あんな風に殺されるだけ。
 セスはデモのリーダーにも武装蜂起を呼びかけていたが、リーダーは一蹴した。「われわれは、テロリストではない」
―その結果がこれよ。わかったでしょう?
 アレックスは、頭が麻痺したようで何も考えられなかった。わかっているのは、目の前で家族を皆殺しにされたことだけだ。どこにも行くあてはなく、そのままセスのもとに身を寄せた。セスはアレックスにテロの実行行為を担当させようとはしなかった。言いつけられるのはもっぱらセスの身の回りの世話と、組織内の雑事だけだった。
 数ヶ月前、
―新しく契約した人を迎えに行ってちょうだい。
と言われて、レイオットを迎えに行った。彼を見た瞬間、アレックスは何とも言えない違和感を覚えた。テロに加担するという行為がそぐわない人間に見えた。
―レイは、セスが何をしようとしてるか知ってるの?
 作戦の準備を進める彼に、そう確かめもした。
―おれが断っても、あいつらは別のパイロットを探すだけだろう。
と、レイオットは答えた。
 決行の当日、なぜか彼を一人で行かせたくなくて、アレックスは「のろまのG」と呼ばれているメンバーと入れ替わった。Gの帽子に髪をたくしこみ、ひさしを深く降ろすと、誰も二人が入れ替わっていることに気づかなかった。正体がばれると、あとは堂々と副操縦士席に座って、レイオットを手伝った。案の定、レイオットは次々と指示を出してきた。やっぱり、手が必要だったんじゃないか。自分がいなかったらどうなっていたやら。
(ま、レイのことだから、その時は一人で何とかするだろうけどね)

「このパイロット、いい腕してますね。海面すれすれをこんなスピードで飛べるなんて。画面の切り替えが追いつかないぐらいですよ」
 メカニカル・セクションの主任技術者、アレフはモニターを操作しながら言った。画面には、地図とシルフィードの移動を示す黄色い光点が映し出されている。777の機体に散布されたトレーサーが人工衛星の電波に反応しているのだ。
「彼らも発信器の有無は調べたでしょうけど、機体そのものが発信器になっているとは思わないでしょうね」
 ラファエルはアレフに言った。
「これって、成分は何なの? 放射性物質てことはないわよね」
「まさか。ぼくは長官と違って、犯罪者に使うことが前提になっているんだから有害物質でもかまわないなんて考えは持っていませんよ」
「あきれた。あの長官、そんなことを言ったの?」
「基本的には、ハウザー市長と同じ考え方ですね。『税金を費消するに値しない輩にコストをかけるな』」
 アレフは車椅子の手すりを撫でた。自分も、ハウザー・シティに住んでいれば隔離の対象だっただろう。
「でも、どんな事情で一般市民に使うことになるかわからないじゃない。今回だって、あの機には人質が乗ってるのよ」
「16区の住民なんて、長官にとっては人間のうちに入らないんでしょう」
 一味に提供するシルフィードは777にしろと指示したのは長官だ。777は、救助セクションの元エースパイロット、ウルフの愛機だった。彼が負傷してバックアップセクションに移った後、他のパイロットは誰もこの機体を乗りこなせなかった。
―税金もろくに払えない人質と犯罪者には、格納庫(ハンガー)で遊んでいる機体で十分だ。
と、長官は吐き捨てた。
「そういう考え方って、一見正論めいて聞こえるけど、好きになれないわ」
 ラファエルが言った。
「誰が『税金を費消するに値する人間』かって基準は、為政者の都合でいくらでも変わるわけよね? ハウザー市長なんか、そのうち、年収1000万スター以下の市民は、皆、無能扱いして隔離しちゃうかもよ」
「そんなこと言ってたら、出世できませんよ」
と、アレフは笑った。

「どうも、おかしいな。全く追跡してこないなんて」
 シルフィードはレーダーに探知されないよう、海面をなめるように飛んでいる。既に日は落ちて、窓外では海と空が暗く溶け合っていた。
「追いかけてきたら人質を殺すって言ってあるんでしょ? だからじゃない?」
「そこまで、こっちの言う通りにはしないだろう」
 波飛沫が飛ぶたびに、ワイパーを動かす。
「それ、やるよ」
と声をかけて、アレックスはワイパーのスイッチに手をかけた。
「おれ達の要求を呑んで逃走手段を提供したのは、アジトをつきとめたいからだろう。必ず何か仕掛けているはずだ」
「でも、コックピットにもキャビンにも発信器の類はなかったよ。もちろん、100万スターの中にも」
 金は紙袋に入れさせたから、容器に何かを仕込むことも不可能だ。レーダーにも不審な影はない。
「気色悪いな。ちょっと、機体を水洗いしてみるか」

 モニター画面上の、シルフィードの現在位置を示す黄色い輝点が、風に吹き消される炎のように揺らいだ。
「信号が消える…

(続く)


Chain(2)

2007-11-18 17:14:19 | Angel ☆ knight
     
「ここの制服、見るたびに微妙にデザイン違ってるような気するねんけど」
「そういうことは、黙っててあげようヨ

 「おい、警察がおれたちの要求をのむと言ってきたぞ。シルフィードと100万スターを用意するから、引き渡し方法を指示しろって」
「何だって?」
 ダニイの言葉に、ロンはぎょっとしたように言った。
「ど、どうすればいいんだよ」
 ダニイは受話器を握って、おろおろと言った。要求に対する回答は、店の電話にしろと言ってあったのだ。
「10分後、いや、20分後に連絡すると言え」
 ダニイがそう言って電話を切ると、ロンはこういう時の癖で、爪を噛みながら呟いた。
「どういうことだ。警察は拒否するはずじゃなかったのか」
「セスはそう言ってた。あの長官が、こんな貧民街の人間のためにおれ達の要求をのむはずがないって―」
「だが、現に向こうはのむって言ってるんだろう? だったら、こっちも引き渡し方法を考えようぜ」
 レイオットが言うと、ロンがぎろりと目を剥いた。
「てめえ、命が惜しくなったのか?」
「じゃあ、どうするんだ? やっぱりいいですって言うのか?」
 エリオットはクックッと笑った。ロンは唇を噛んだ。
「逃走用の機体はシルフィードを要求したんだよな? なら、第16スポークを通行止めにして、滑走路にすりゃあいい」
 シティの道路網は、市内を循環する往復16車線の環状道路と、その中心から放射状に伸びる幹線道路(スポーク)からなっている。環状道路とスポークに区切られた扇形の地区が、海側北から時計回りに1区、2区…16区である。
「離陸したら、低空でシティの上空をパスして海上へ出る」
「海へ出た途端に、空軍に撃墜されるぞ」
 ロンが言った。
「命が惜しくないんじゃなかったのかい?」
 ユージェニーがからかうように口をはさんだ。ロンがそちらを睨みつける。彼がのみこんだ言葉を、レイオットは容易に想像できた。
―この作戦は、人質が犠牲にならなきゃ意味がないんだ。
「シルフィードなら、何とか逃げ切れるかもしれん。どうせここで死ぬつもりだったんだ。その可能性に賭けてみてもいいじゃねえか。セスも、警察が要求をのんだと知りゃあ、考えが変わるかもしれないぜ」
「てめえ、まさか警察の手先なんじゃねえだろうな」
 ロンが言った。
「長官を襲撃した時もそうだった。あんなにさっさと上昇しやがって、ほとんど撃つ暇がありゃしねえ」
「あれは最初から未遂に終わらせる予定だっただろう」
「それは長官だけだ。側近は血祭りにあげてもよかったんだ」
「あのなあ。あんな低高度を低速でいつまでも飛んでたら墜落しちまうんだよ。発砲できるのはほんの数秒間だって、最初に言ってあっただろう」
「クソ、どうもてめえは信用できねえ」
 ロンは歯ぎしりするように言って、店内を見渡した。
「よし。人質を一人同乗させよう。そうすりゃ、撃墜されても最初の予定通りだ」

 救助隊機シルフィード777(トリプルセブン)の白い機体が、第16スポークで夕陽を浴びている。
「ヒュー、ウルフが乗ってた伝説の機体じゃねえか。こいつを操縦できるとは、思いがけない役得だな」
「無駄口叩いてねえで、さっさと離陸の準備をしろ」
 ロンに小突かれて、レイオットはコックピットに座った。計器類を手早くチェックしてゆく。
 続いて、アレックスがラダーを上がってきた。操縦はできないが、手が忙しい時には、「ちょっとそのスイッチをオンにしてくれ」などと頼むことができる。機転が利くので、レイオットは重宝していた。
「レックス、発信器が仕掛けられてないか調べてくれ」
「オーケー、レイ」
 ロンとダニイは、エディを連れて後部キャビンに乗り込んだ。シルフィードのキャビンは最大6人を収容することができる。救出した被災者をここに乗せて搬送するのだ。
「あの人、体が悪いみたいだけど、大丈夫かな」
 アレックスが言った。
「人質か?」
「うん」
「あのダニイってのが頼りなさそうだからな。抵抗された時のことを考えて、頑健な奴は避けたんだろう」
―あなた達は、世界が変わるための礎になる。
と、セスは言っていたが、死ぬのが目的の任務に有用な人材は使わないだろう。ロンもダニイも、失っても惜しくない人間ということだ。レイオットはもともと外部の人間だ。アレックスがついてきたことだけが計算外だった。
 アレックスは、出発直前にいま一人のメンバーと入れ替わって機に乗り込んだ。体重がそのメンバーとほぼ同じだったので、離陸重量にも影響がなく、そのため、レイオットも気づかなかったのだ。上空でアレックスが顔を出した時には仰天した。
―何で、こんなことをしたんだ。
―だって、レイ、ちょっと手伝ってくれる人がいるとありがたいって言ってたじゃない。
 アレックスは、セスに拾われて身の回りの世話をしているようだった。レイオットを車で迎えに来て、アジトへ連れて行ったのはアレックスだった。道中、妙に波長が合って、話がはずんだ。
(こいつを一緒に死なせるわけにはいかない)
 エディという人質も殺すつもりはなかった。二人をどうやって逃がそうか、彼は秘かに思案した。

「燃料を散布した跡がある?」
 対テロセクションのコマンダー代行、ラファエルは、現場検証から戻った隊員の報告を聴いていた。コマンダー・ユージィンの療養が長引いているので、現在は彼女が正式にコマンダー代行に任命されていた。
「はい。彼らが長官襲撃に使用した機体を乗り捨てた付近に、燃料を噴出したと見られる痕跡が発見されました」
「それは、燃料洩れとは違うの?」
「燃料洩れなら、もっとまとまって落ちてます。あれは、最大着陸重量を上回った時に、翼端から燃料を放出したのと同様の痕跡でした。着陸に使用した旧道はせいぜい1000mほどしかないので、オーバーランしないように燃料を捨てたのかもしれませんが、それなら、あんなにすっからかんになるまで放出しないと思います」
「つまり、それは…どういうこと?」
「燃料切れは偽装だったってことかな」
 ノックもせずにドアを開けた隊員のダリウスが言った。彼は解放された人質の事情聴取を担当していたので、
「人質から何か情報を得られたの?」
と、ラファエルは訊いた。
「ああ。おれが担当したばあさんは、取調室でわけのわからん占いを始めちまって話にならねえんだが、他は面白いことを聴いてるぜ。奴らは長官襲撃は最初から未遂に終えるつもりだったと言ってやがったそうだ」
 既に上がっている報告によると、一味は四人組で、互いに、ロン、ダニイ、レックス、レイと呼び合っていたそうだ。リーダー格はロンで、レイという男は雇われパイロットのようだという。
「長官襲撃は狂言だったってわけ?」
 長官車を護衛していたシークレットサービスからも、襲撃はお粗末なものだったと聞いていた。航空機から車で移動中のターゲットを正確に狙うのは、非常に難しいことだ。
―映画なんかを見て、簡単に考えてたんでしょうかね。犯罪者というのは、案外いきあたりばったりなところがありますから。
と、護衛長は言っていた。
「それだけじゃねえ。どうも、奴らはこっちが要求をのむとは考えていなかったようなんだ」
 ダリウスは、聴取の結果を集約したメモに目を遣って、続けた。
「引き渡しの方法なんざ、あらかじめ考え抜いていそうなもんなのに、こっちの電話の後で慌てて考えていたそうだ。あの長官が要求をのむわけがないとか、どうせここで死ぬつもりだったとか、そんなことも言ってたらしい」
「よくわからないわね。それじゃ、彼らの行為には何の意味があるの? 本気で長官の命を狙ったわけでも、逃走するつもりもなかったっていうなら」
 ダリウスも訝しげに首を振った。
「あと、病院からも報告が来てる。撃たれた交渉人は命に別状無し。弾丸は、骨も太い血管も傷めずに、きれいに貫通してたそうだ。人質の話によると、交渉人を撃ったのはレイって奴らしい」
「レイは組織の人間じゃないのよね? その彼が撃ったの?」
「ああ。ロンて奴は、『何で心臓を撃ち抜かねえんだ、下手くそ』なんて怒ってたらしいがな。ロンはレイをあまり信用していないようだ」
「もしかしたら、心臓を狙って外したんじゃなくて、致命傷にならない場所を狙ったのかもしれないわね」
 ラファエルは呟いた。
「ダリウス。手の空いている人員を全て市内の警戒にあたらせて。彼らの行動は、もしかしたら陽動かもしれない。だとしたら、その隙に別の場所が狙われる可能性があるわ」

「鎖のカードとスペードの2。悲しいねえ。憎しみの連鎖だ」
 取調室の机に並べたカードをめくりながら、ユージェニーはひとりごちた。
「ま、テロってのは、そういうものだけどね。わからないのは、これだよ。天使のカードの左右に、ハートのジャックとジョーカー。ハートのジャックは、天使をアシストする者。でも、このジョーカーは…切り札というよりは、死神を意味しているように見えるけど…」

(続く)


Chain(1)

2007-11-17 16:33:35 | Angel ☆ knight
     
「久々の『Angel☆Knight』です」
「どんな話か忘れてもうたわ」
「舞台は近未来、『世界の首都』と呼ばれるエスペラント・シティで日夜犯罪と戦うエスペラント・シティ警察のお話しだヨ」
「あー、そういえば、そんなんやったなあ」

  死に場所を探していた。全てを終わりにしたかった。
―腕のいい、命知らずのパイロットが必要なの。いえ、命知らずじゃ足りない。命なんかいらないっていう人間が欲しいのよ。
 彼こそがそういうパイロットだと、奴らも下調べをしてきたのだろう。こんな話がやばい仕事でないわけがない。が、レイオットは引き受けた。
「おや、天使のカードが出たね」
レイオットの隣でカードをめくっていた老婆が呟いた。トランプともタロットとも違う、珍しいカードだった。
「それも、敵陣の中に」
「ほう」
 エディという名の男も、カードを覗き込んだ。一緒に人質になったパブの客の中に、このあたりでは有名な占い師のユージェニー・ビクトリアがいたので、
―今生の思い出に、あなたにしかできないというカード占いをして頂けませんか。
と、言い出したのだ。
―じゃあ、お代は、生きて帰れたらということで。
と、ユージェニーも受けて、占いが始まった。
「敵陣の中に天使のカード。それは、どういう意味なんですか?」
「敵の中に、あんたの味方になってくれる人がいるってことさ」
 ユージェニーは言った。
「今の状況なら、あたしらを人質に取ったテロリストの中にってことかね」
「おい、ババァ、聞き捨てならねえことを言うな」
 銃を手に歩き回っていたロンが、ユージェニーの前に立った。
「てめえ、おれ達の中に裏切り者がいるって言うのか?」
「あたしは、ババァなんて名前じゃないよ。ユージェニーさんか、ビクトリアさんと呼んどくれ」
 ユージェニーは次のカードをめくりながら言った。
「ふうん。ダブル・ダブルか。あんたの今置かれている状況には、二重の意味があるね」
「ババァ、おれの質問を無視する気か」
 ロンが銃口でユージェニーを小突いた。後ろへ倒れそうになった彼女を、レイオットが支えた。
「こんな婆さん相手にムキになるなよ、ロン」
 ロンはきっとレイオットをにらみ据えた。
「そうか、天使のカードってのはてめえのことだな。他はみんな、何年も一緒に活動してきた仲間だ。てめえは最初からうさんくさかった」
「おいおい。パイロットが要るって声をかけてきたのは、そっちだぜ」
 レイオットは苦笑した。
「やれやれ。もう仲間割れかい。あたしは何も裏切り者がいるなんて言っちゃいないよ。カードにはそれぞれ、深い意味があるんだ。それを読み解くのが難しいのさ」
 よっこらしょ、と体を起こして、ユージェニーはまたカードに屈み込んだ。
 銃をかいこんで壁にもたれたまま、レイオットも占いの続きを眺めた。二重の意味か。案外、当たってるじゃないか。

 「人質は、16区3-A23所在のパブ『ムーンライト』の客及び従業員、約10名。いずれも16区の住人です」
 エスペラント・シティ警察長官エドゥアールは、窓の方を向いたままだ。スターリングは、高い背もたれに向かって報告を続けた。
「要求は、燃料を満タンにした救助セクション機シルフィード。そして、逃走資金100万スターです」
「とことんふざけた奴らだな」
 椅子がくるりと回転し、ようやくエドゥアールがこちらに顔を向けた。
「わたしを殺し損なっただけではあきたらず、シルフィードと100万スターを寄こせだと?」
「長官襲撃については、『フリーダム』という組織から犯行声明が出ています。『弱者を踏みつけにする権力者に死を与えるべく、われらは特攻要員を送った』」
「無能な特攻要員をな」
 エドゥアールは悪意のこもった笑みを浮かべた。
 先刻、彼を襲ったのは、小型機に乗った四人組だった。空から長官車を急襲し、銃撃したのだが、弾丸はいたずらに道路に穴を開けただけだった。燃料切れで不時着した彼らは、16区に逃げ込み、『ムーンライト』に集っていた人間を人質にしてたてこもった。
「何をぐずぐずしている。さっさと、対テロセクションをその店に突っ込ませてテロリストを逮捕しろ」
「それでは、人質の生命が危険にさらされます。彼らを説得しようと店に近づいた交渉人が、いきなり発砲されて負傷しました」
「そんな生ぬるいことをしているからだ。有無をいわさず突入させろ」
「お言葉ですが、長官が今回襲撃を受けたのは、そういうご方針だからだと考えます」
 スターリングの言葉に、エドゥアールの瞳が険を帯びた。
「何だと?」
「『フリーダム』のリーダーは、セス・ハーミッツ。この名前にご記憶がありませんか?」
「デル・ハーミッツの娘か?」
 スターリングは頷いた。デル・ハーミッツは、スターリングがシティ警察本部長に就任する前年、テロの犠牲になったジャーナリストだ。テロリストの主張には、社会の矛盾を衝いているものもある。力で制圧しようとするばかりでなく、テロの背景となる社会問題を解消してゆくことが、結局はテロの根絶につながる、という考えの持ち主だった。大胆にテロリストの活動領域に足を踏み入れて取材する彼を、『L』という組織が拉致した。『L』は、彼の身柄と引き換えに、エスペラント・シティ警察が逮捕した仲間の釈放を要求した。エドゥアールは応じなかった。
―拉致されたのは、ハーミッツの自業自得だ。われわれはテロには屈しない。
 要求期限が過ぎ、ハーミッツの遺体がシティ警察本部前に投げ出された。
「それが間違っていたと言いたいのか?」
「セス・ハーミッツが『フリーダム』を組織したのは、父親の死がきっかけです。あの時、デル・ハーミッツの生命を尊重した対処がなされていれば、少なくとも彼女はわれわれの敵にはまわらなかったはずです」
「テロリストのいいなりになればよかったというのか?」
「では、お聞きしますが、そういう場合に人質の命を最優先に考えた所が、その後ことさらにテロの標的になっているでしょうか? 逆に、強硬路線を取ったからといって、以後、テロリストがそこを標的にしなくなったということがありましたか? わたしの知る限りでは、むしろ、結果は逆になっているように見えますが」
 エドゥアールは目を閉じて首を振った。
「いつまでたっても甘ちゃんなのがきみの欠点だと思っていたが、これほどとはな」
「長官。重要なのは、テロリストの要求に対し強硬な姿勢を取るかどうかということではないはずです。人命を優先していったんは要求をのんだとしても、人質が解放された後に一網打尽にすればいいのではないでしょうか」
「セス・ハーミッツを含む組織の全員を捕まえてみせるというのか?」
 テロの捜査に関しては、事件地の捜査機関が管轄を超えて活動できるという条約が批准されている。
「はい。必ず」
「慎重なきみにしては、大きく出たな。いいだろう。そこまで言うなら、やってみろ」
 エドゥアールは言った。
(続く)


翡翠の空(4)

2007-07-21 14:57:48 | Angel ☆ knight
    
   「初めて、お絵かきソフトを使って描いてみました」
   「何、これ。ロールシャッハテスト?」
   「 何に見えますか~?」

 スークでは食べ終わったらすぐに狭い屋台の席を開け、そこここに設けられたベンチや休憩所に移るのがマナーである。
美影は789便のクルーだったらしい二人と同じ頃合いに食べ終わるよう調節し、彼らに続いて屋台から離れた。
二人がチャイのカップを手に噴水を囲むベンチに座ると、美影もそれに倣って彼らに近づいた。
「あの」
何を話せばいいのかわからなかったが、美影は思いきって声をかけた。789便の乗客だったというと、二人の怪訝そうな表情が少し緩んだ。
はたして、彼らはあの便のコックピットクルーで、男性の方が機長の雪尾飛鳥、女性は副操縦士の速水聖佳といった。
「わたしたち、てっきりオーロラの名所か何かだと思ってたんです。電気が消えたのもオーロラを楽しむためのサービスかと…でも、違ってたんですね」
「そうなんです。遭難です」
「え…?」
二人がこの日、それぞれ機長デビュー、コパイデビューだったと聞いて、美影は驚いた。
「そんな風には見えませんでした。とても見事に対処されていましたから」
「まあ、想定しうる全てのトラブルは予め訓練でシミュレーションしてますから、全くどうしていいかわからないということはないんですよ」
聖佳が答える。
「でも、今は黒点が増える時期じゃないのに、あんな大きなフレアに遭うなんていうのは、想定外だったんじゃないですか?」
わたしはまるでインタビュアーみたいな口のきき方をしている、と美影は思った。今度は飛鳥が答えた。
「フレア自体は想定外でしたが、成層圏でトラブった時はどうするかっていう手順は決まってるんで、それに従って」
答えながら、彼が思わずあくびをもらしたので、美影は慌てて詫びた。
「すみません。お疲れのところを、長々と」
そして、弁解するように、話すつもりのなかったことを口に出した。
「わたし、パイロットになりたいと思ってたんです。でも、自分の気持ちが本物かどうかわからなくなって…それで、今日、飛行機に乗ってみたんです」
航空関係者の中には、こういう話をされると、
―なんだよ、結局、就職相談か。
という顔をする者もいるが、飛鳥はそれまでと同じ淡々とした声と表情で言った。
「そういうことは、何遍お客さんで乗ってもわからないと思いますよ。本気でプロになるつもりで操縦桿を握ってみないと」
「そうですね」
と、美影も頷いた。

 非番の日、イファンは空港に足を運んで到着ロビーで美影を待った。
彼女からは旅行の日程も行き先も聞いていない。会える確率は低かったが、そうせずにはいられなかった。
3機が到着したが、美影は現れなかった。
そのかわり、思いがけない顔に出くわし、互いに驚き合った。
学生時代の友人、静姫(ジョンヒ)。
「せっかくだから、お茶でも飲まない?」
と誘われて、イファンがすぐに従ったのは、静姫が「ポーラー・エア」という会社を経営しているからだ。一度は民間航空の自社養成課程に入ったが、チェックオフの日に機長とケンカをして辞めてしまい、自ら会社を起こした。いわゆるブッシュパイロットとして、観光客を小型機に乗せて北極圏を飛び回っているという。
仕事の話を聞きたいと、真剣な面持ちで訊ねると、勘のいい静姫はすぐに何事かを察したらしく、
「どうしたの? 警察が嫌になったの?」
と聞き返してきた。
「そういうわけじゃないが…転職について考えていることはたしかだ」
彼が美影の保護司に自分の住所を告げたことは既に上司の知るところとなっており、やんわりと別れるよう言い渡された。あくまでも美影をパートナーにと考えるなら、辞職を考えざるを得ない。
静姫は豪快にビールをあおっている。まるで、この世にビール以外の飲み物があることを知らないかのようだ、とイファンは思った。
「民間に移るって、簡単に言うけど、シルフィードのパイロットなんか採りたがるところはないわよ」
イファンは、最初、彼女が意地悪な冗談を言っているのかと思った。が、その目は真面目だった。
「どうしてだ? シルフィードのライセンスは、固定翼双発の事業用操縦士免許も兼ねてるんだぞ」
「シルフィードは特殊すぎるのよ。垂直離着陸ができて、水中も進める。そんな機体に慣れっこになったパイロットは、普通の飛行機をすぐには飛ばせない。大手のエアラインなら、シミュレーターで徹底した移行訓練を施せるけど、小さなゼネ・アビの会社にそんな余裕はないからね。今日からでも飛べますっていう人じゃないと困るのよ」
静姫はモバイルを取り出して、求人サイトをイファンに示した。どれも「○○機の最近飛行時間○○以上」という条件がつけられている。イファンは息を呑んだ。
「やれやれ。シルフィードのパイロットでしたって言えば、どこでも引く手数多だと思ってたの? 公務員て、どうしてこう世間知らずなのかしらね」
そう言って、またぐいとビールをあおり、
「そういう、変にプライドが高いところも、シルフィードパイロットが嫌がられる理由の一つなのよ。今でも覚えてるけど、警察に入ったばかりの頃のあなたは、本当に鼻持ちならなかったわ。自分の仕事に誇りを持つのはいいけど、他はみんなカスみたいな目で見るのは幼稚な感覚よ」
こういう物の言い方をするから組織にいられなくなるのだと、イファンは憮然として静姫を見返した。静姫はまた笑い声を立てた。
「そんな顔しなさんな。もちろん、シルフィードのパイロットは絶対雇わないと言ってるわけじゃないのよ。飛行適性はあるんだから、即戦力になってくれさえすればいいの。ちょっとフライトスクールに行って、うちで使ってる機種を100飛行時間ほど練習してきてくれれば、その場で採用するわ」
静姫と別れて、イファンは重い気持ちで帰途についた。自分は色々なことを簡単に考えすぎていたようだ。警察にいた時よりも待遇が落ちることは覚悟していたが、移行訓練も自腹で受けなければならないとは。おまけに、転職後のストレスも大きそうだ。
(シルフィードのパイロットがそんな風に思われてたとはな)
静姫の言ったことは、まんざら当たっていないわけでもなかった。美影が置き手紙に書いていたように、彼は民間航空の仕事にさほど魅力を感じられなかった。救助隊のような使命感は到底得られないという意味では、たしかに、一段低く見ていたかもしれない。
自分は美影を愛している。イファンは思った。しかし、救助隊の仕事を離れても、自分は人生に満足を感じられるだろうか。
アパートメントの前の通りに出た瞬間、イファンは敏感に異変を感じて顔を上げた。
自分の部屋の窓に明かりがついている。
(美影
イファンはそう直感して部屋に走った。ドアを開けて飛び込むと、はたして、そこには美影がいた。

美影は自分の小旅行の一部始終をイファンに話した。
「やっぱりあの飛行機に乗ってたのか。きみが出かけたのと同じ日だったから、心配してたんだ」
「イファン。わたし、フライトスクールに入って、もう一度パイロットを目指してみる。雪尾さんが言ったように、本気でプロになるつもりでやってみないと、何も見えてこないから」
美影は言った。
「もし、また厳しい結果をつきつけられることになっても…わたし、今回の旅行で色々な仕事を見たの。これまでは、救助セクションに入って、人の役に立ちたい、世の中から必要とされる仕事をしたいって思ってたけど、別に、仕事の中にそういうカテゴリーがあるわけじゃないのよね。全ての仕事が、世の中との関わり方が違うだけで、『人の役に立つ仕事』であり『必要とされる仕事』なんだっていう、あたりまえのことに気がついたの。だから、パイロットになれなかったとしても、その時はちゃんと別の道を探せると思うわ」
美影の話を聞いているうちに、先刻の静姫との会話が全く別の意味を持って見えてきた。イファンは急き込むように静姫の話をした。
「もし、きみの過去が妨げになってどこにも就職できなかったら、その時は自分で会社を作ってしまうという方法もある。それなら、ぼくも一緒にやれる」
「ありがとう、イファン」
美影は微笑んだ。
「でも、あなたは今の仕事を続けることを考えてちょうだい。わたしは、いったんここを出るわ」
「美影」
「別に、依怙地になっているわけじゃないのよ」 美影は言った。
「どうしても困った時は、真っ先にあなたに相談する。でも、自分の力でやれるところまでやってみたいの。それで、もし結果を出すことができたら、警察もわたしたちのことを認めてくれるかもしれないわ」
「美影。ぼくは、静姫にこう言われた。自分の仕事に誇りを持つあまり、他の仕事を馬鹿にしているんじゃないかと。そういう意識があるから、シルフィードパイロットは敬遠されてしまうんだと。さっききみが言ったように、ぼくは自分が特別なカテゴリーの仕事をしていると思っていたのかもしれない。でも、きみの話を聞いていたら…」
「だからって、無理をして好きな仕事を捨てるっていうの? それはおかしいわ」
美影はイファンを遮った。
「イファン。あなたが救助隊の仕事に喜びを感じているなら、それがあなたの道なのよ。人はそれぞれ自分に合った道を歩いていけばいいんだわ。わたしが言ったのは、どの道も同じように尊くて大切なものだっていうだけよ」
あなたの道と、わたしの道、両方全うできるように頑張ってみましょうよと、いう美影は、彼の目に突然大人びて見えた。これまでは、どこか少女じみた、守ってやらなければならない娘だと思っていたのに。
イファンがそう言うと、美影はまた微笑った。
「もしかしたら、あの緑のオーロラを浴びた時に、わたしの中の何かが化学変化したのかもしれないわ」
イファンはその光景が映っているとでもいうように、美影の目を覗き込んだ。彼女が見た翡翠の空を自分も見てみたいと思った。


(オシマイ)

翡翠の空(3)

2007-07-20 16:55:23 | Angel ☆ knight


 機は明暗境界線を越えて、地球の夜の側に飛び込んだ。
前方には軍の偵察機が信号灯を煌めかせながら飛んでいる。無線の応答がないので様子を見に上がってきたようだ。
聖佳がマグライトで光信号を送り、機の状態と無線が通じないことを伝えた。
ツーパッパ、スリーパー、パッパッ…」
聖佳は間違いがないように、これも信号を織り込んだ歌を口ずさんだ。
偵察機はコントロールに連絡を取って指示を中継し、飛鳥達の機は、偵察機の誘導でクリムゾンスター・シティ空港に向かった。
そろそろアウターマーカーを通過する頃合いだ。
いつもならアウターマーカーの手前でローカライザーという、機を滑走路の中心線に誘導する電波に乗り、マーカーを通過したあたりでグライドパスという、3度の侵入角を保つ電波に乗る。
しかし、今夜はそのどちらも機は捉えていない。
「夜間だってのに、グライドパスも何もなしで降りなきゃなんないのか。おっかねえな。お金もねえなあ」
聖佳はもういちいち耳をそばだてなかった。飛鳥はウケを狙っているのではなく、語呂の合う言葉を半ば無意識に口走っているだけのようだ。
滑走路の両脇と中心線に並んだ白色灯に機はゆっくり近づいていく。
「おっかねえなあ」と言いながら、飛鳥はぴたりと一定の降下率を保っていた。
パイロットはいやというほど離着陸の練習をしているので、滑走路との位置関係は体が覚えているが、ILSが使えない状態でこれだけ機を安定させられるとは、この人の感覚はどうなっているのだろうと聖佳は思う。できれば、高度のコールなど放り出して、じっとこの人の一挙手一投足を見つめていたい。そして、操縦の秘訣を盗みたい。
やがて、車輪が軽やかに接地する感覚があり、機はクリムゾンスター・シティ空港の滑走路に降り立った。聖佳は今度は速度のコールだ。機は順調に減速してゆく。
誘導路に控えていたマーシャラーが、こちらだというように、青いライトを振った。機はその後について、ゆっくりと誘導路を進んでいった。

 美影達乗客は飛行機を降りると一室に集められて、被爆チェックを受けた。
航空会社の説明によると、太陽の表面で大規模なフレアが起き、太陽風が成層圏飛行中の機を直撃したということだった。フレアは黒点付近で急激に起こる爆発で、フレアが発生すると、高速度・高密度の太陽風が放出される。
幸い、問題となるような数値は出ず、急ぎの客は航空券を裏書きして貰って他の便に乗り継いだ。残った者は航空会社が用意したバスやタクシーに分乗して、最寄りの系列ホテルに送られた。翌朝、サザンポインター行きの臨時便が出るという。
自然現象とはいえ事故は事故なので、航空会社もイメージダウンにならないよう必死なのだろう。しかし、その手配りの良さに美影は感心した。機がクリムゾンスター・シティ空港に降り立つまでの間に、グラウンド・スタッフが懸命に段取りをつけたに違いない。
一途に救助セクションのパイロットを目指していた頃、他の職業は一切美影の目に入らなかった。しかし今日は、非常事態に遭遇したせいか、自分達に提供されるサービスの一つ一つが心に沁みた。
夕食は食べないつもりだったが、ホテルの部屋で1時間ほど眠ると、空腹を覚えた。クリムゾンスター・シティには、有名なオリエンタル・スークがある。
ふと、出所の日にイファンが作ってくれた料理が思い出され、美影はスークに行ってみようと決めた。

スークに着くと、やはりこってりしたものは食べる気がしなかった。
美影はうどん屋の屋台できつねうどんと握り飯のセットを注文した。
美影と同じイースト・エイジアンの男女が隣に並んでうどんをすすっている。
「あんなことがあった後はやっぱりうどんだな」
「報告やら何やらしてるうちにホテルのレストランしまっちゃいましたけど、かえって良かったですね」
「きみ、歌うたってノリノリだったのに、胃にきてんの?」
「あれは、単に間違えないように…キャプテンこそ、親父ギャグかまして余裕だったじゃないですか」
この人達、あの便のクルーだ。二人の会話を聞くともなく聞いているうちに、美影は直感した。それも、客室乗務員ではなく、パイロットだ。
どうしよう。話をしてみたい。
自分の胸が早鐘のように打ち始めているのを、美影は感じた。

(続く)

翡翠の空(2)

2007-07-19 17:06:11 | Angel ☆ knight
        本日のコックピットクルー


 太陽は正面にあるのに、窓の外が暗くなった。機体がふわりと向きを変える。
ベルト着用のサインが消え、客室乗務員が高度2万7000メートルに達したことを乗客達に告げた。
客室の全員が窓の外に首を向ける。眼下に広がるパノラマは、地表というより、まさに「地球」だ。どよめきが起こった。
だが、乗り物酔いになる客が出るのもこの時だ。無重力空間にいるかのような感覚に、気分が悪くなるのだ。
―ご気分が悪くなったお客様は窓の外をご覧にならないで下さい。お薬がお入り用の方は、乗務員にお申し付け下さい」
成層圏は高度1万5000m~5万mの間に位置し、雲がないので常に晴天だ。
成層圏の上にはさらに、中間圏、熱圏という大気の層があるが、まるで宇宙空間に飛び出したかのような眺めに、美影は瞠目した。
オゾン層を破壊しないよう、ソーラードライブに切り替えた機は、高速で進んでいるにもかかわらず、静止しているように感じられた。
窓外の空が突然緑色に輝いたのはその時だった。
客室の照明が消え、エメラルド・グリーンのカーテンが機内を乱舞した。
「オーロラ?」という声が上がる。
手のひらをかざすと、光の帯が通り過ぎる度にぽうっと緑色に浮かびあがる。
窓ガラスも緑色の輝きに覆われていた。
(何という光景)
美影は思った。地上では決して見ることができない。やっぱり、いい。パイロットになりたい。

 もともと暗いコックピットは、計器の照明が全て落ちて完全な闇になった。
黒いガラスの鏡と化した計器板を、緑の光が撫でてゆく。
飛鳥は反射的に操縦をマニュアルに切り替え、機の姿勢と針路を保持した。
「メーデー、メーデー」
副操縦士席の聖佳が懸命に呼びかけるが、無線も死んでしまったようだ。
「ひょっとして遭難したのか? そうなんです」
飛鳥が呟くと、聖佳がちらりとこちらを見た。
間もなく、予備電源が働いて、計器板にも光が戻ってきた。
ヘッドアップディスプレイ(HUD)に表示された高度と速度は、システムダウン直前とほぼ同様の数値だ。飛鳥の感覚ではどちらもそのまま保持しているはずだから、高度計と速度計は働いているようだ。
「オートパイロットはワープしちゃったみたいだな。とりあえず、高度を下げよう」
成層圏でトラブルに見舞われたら、気流が特に安定している2万メートルまで降りてコントロールの指示を待つのが、緊急時のマニュアルだ。
高度計が正しく作動しているとは限らないので、聖佳は目印となる星の見える角度で高度を確認している。
高度2万メートルで水平飛行に移る。無線は相変わらず通じないが、この高度で飛んでいれば何かあったと思って貰えるだろう。
眼下の雲は夕焼けで赤く染まっている。
視線を上げると、薄青い大気の層を透かして星が幾つも瞬いていた。
この高度からだと、ランドマークを確認するよりスター・ナビゲーションの方がやりやすい。聖佳は星図と計算尺を使って、現在位置を割り出しにかかった。テクノロジーの粋を集めた最新型機に乗っているのに、いざとなると遠い祖先とおなじことをしていると、飛鳥はおかしくなった。
 カシオペア・ペア…ポーラースター…」
「な、何歌ってんの?」
「え? スター・ナビゲーションの歌ですけど」
聖佳が口にしたのは、目印となる星や星座の見つけ方を語呂合わせのような歌にしたもので、飛鳥も訓練生時代に教わった。北半球では、まず北極星を見つけることが肝要なので、聖佳はカシオペア座から北極星を見つけようとしたのだ。
…は東に…は西に」
聖佳はなおも小声で歌いながら、チャートに印をつけ、
「今、このあたりです」
と、飛鳥に示した。チャートに描かれた地図は、レーダー画面のそれとほぼ一致している。レーダーも機能しているようだ。
「一番近い空港はクリムゾンスター・シティ空港になります。約50分で行けます」
「OK。一応、オートパイロットに入力してみようか」
電源が落ちた状態で移動したので、座標は完全に狂っている。普段は出発空港と到着空港の座標が入ったカードをスロットに通すだけだが、今のような場合は緯度と経度を手入力しなければならない。全部で11桁の数字になるので、交代で復唱して間違いがないことを確認した。
オートパイロットに切り替えると、途端に機首が上がり始めた。
「こらこら、上へ行ってどうする」
と、飛鳥はすぐさまマニュアルモードに戻した。マニュアル操縦でクリムゾンスター・シティ空港へ行くしかないようだ。
「てことは、着陸もオートでできないのか。オーットぉ」
またこちらに目を向けた聖佳に、
「お客さんにアナウンスするから、マイク取って」
と、飛鳥は言った。

 ―機長の雪尾です。当機は成層圏飛行中磁気嵐と思われるものに遭遇し、機体に若干の不具合を生じました。そのため、ただいまより直近空港であるクリムゾンスター・シティ空港に向かいます。クリムゾンスター・シティ空港には約50分後に到着の予定です。お急ぎのところ、ご迷惑をおかけしますが、ご了承下さい。
なお、緊急航行中のため、急な進路変更等を行うことがありますので、シートベルトを着用し、お席を立たないようお願い致します。お手洗いに行かれる方は、お席を立たれる前に、乗務員に安全をご確認下さい。お手洗いは着陸の30分前までにおすませ下さい」

飛鳥のアナウンスに、乗客は一斉にざわめきたった。
皆、先刻の緑の光はオーロラで、照明が消えたのはオーロラがよく見えるためのサービスだと思っていたからだ。
美影も愕然とした。
遭難したことにではなく、地上からは見ることのできない絶景だとばかり思っていた自分の浅はかさに打ちのめされた。
窓の外には再び青い大気が広がっている。その青がどんどん濃くなって夜が近いことが感じ取れた。
機体の不具合って何だろうと美影は思った。
機はぴたりと安定している。
美影はシミュレーターしか操縦したことがないが、飛行機は船が波に揺れるように気流に上げ下げされるものだ。偏流にも簡単に流されてしまう。成層圏は、対流圏に比べ気流が安定しているが、上下の対流が全くないわけではなく、水平方向にはかなり強い風が吹いている。
それを全く感じないのは、パイロットの腕がいいのだろうか。
美影は客室を見回してみた。どの乗客も落ち着いた様子なのは、機がほとんど揺れないからだろう。
美影は固唾を呑む思いで、水中にいるかのように色濃くなった空を眺めた。

(続く) 

翡翠の空(1)

2007-07-18 20:43:31 | Angel ☆ knight

「これも番外編になります。航空テロに巻き込まれた美影(ミヨン)のその後です」

 昨日まであんなにも厳然と、自分と「外」を隔てていた境界線を、美影(ミヨン)はあっけなく踏み越えた。
その瞬間、もっと解放感を感じるかと思っていたのに、不思議と感慨はなかった。
受刑者達が「自由へのグリーンロード」と呼んでいる刑務所前の並木道で、イファンは彼女を待っていた。
「おかえり」と、まるで旅行にでも行っていたように抱きしめられて、美影はドラマのワンシーンのようだと思った。
イファンの車で保護司のもとへ行くと、決まり文句のような訓辞の後に、
「住む所がないなら、半年間、更正援助施設で暮らせるよ」
と告げられた。
「いえ。住所はあります」
イファンは自分の住所を申告した。
「あなたは、ご兄弟?」
「パートナーです」
その言葉に保護司は目を細めた。
「そういう人がいてくれると、立ち直りやすい。しっかり彼女を支えてあげて下さい」
イファンの職業が警察官だと知ったら、この人はどんな顔をするだろう。美影はまたも傍観者のような目線を向けている自分を感じた。
イファンのアパートメントは、一人暮らしにはやや広い部屋だった。警察の官舎は息苦しいと彼は常々言っていたが、部屋を借りるにあたり、明らかに美影を迎え入れることを意識した様子だ。
台所には夕飯の下ごしらえが整っている。先祖代々伝わる民族料理。イファンらしい心遣いだ。
「さっき、あなたは自分のことをパートナーだと言ったよね」
ニンニクと唐辛子の匂いがつんと立ちのぼる夕餉の卓で、美影はこの日初めて自分から口を開いた。
「ああ、言ったよ」
当然だろう、という顔をイファンはした。
「あなたは警察官なのに、テロに関わった前科者をパートナーにするつもりなの?」
「何を言ってるんだ」 イファンは言った。
「きみはもう、ちゃんと罪を償ったんだ。そりゃあ、上はいい顔をしないだろうが、別にクビになるわけじゃない」
「でも、幹部に昇進できなくなるわ」
「構わないさ。もともと、管理職になりたいなんて思っていないからね」
イファンは言った。
「それに、いざとなったらぼくは警察を辞めてもいいと考えてる。シルフィードのパイロットだったといえば、どこか民間航空に就職できるだろう。空を飛べさえすれば、ぼくはどこでもやっていけるから」
パイロット。それは美影の夢でもあった。イファンと同じエスペラント・シティ警察の救助セクションに入り、救助隊機シルフィードで彼と一緒に飛ぶのが夢だった。
でも、わたしは自分でその道を閉ざしてしまった。たとえパイロット免許を取ったとしても、航空テロに関わった自分を採用するところはないだろう。
「美影。きみは少し休まなくちゃいけない」
ぼんやりと黙り込んでしまった彼女に、イファンは言った。
「ゆっくり休んで、少しずつ新しい生活になじんでいくんだ。先のことはそれから考えればいい。急ぐ必要はないよ」
「そうね、イファン」
美影は頷いた。

 数日後、美影は置き手紙を残してイファンの部屋から消えた。

『イファン。こんな私を暖かく迎えてくれてありがとう。
あなたが私のことをまだ「パートナー」だと思ってくれていたこと、私のために警察をやめることまで考えてくれたことは、私にとってとても嬉しく有り難いことでした。
それなのに、こんなことを言うのは心苦しいのですが、このままズルズルとあなたの側にいるのはお互いのためによくない気がするのです。
あなたが私のために今の職を辞しても、という気持ちは、私に対する愛情というより、負い目と憐憫ではないでしょうか。本当に私とのパートナーシップを欲しているのかどうか、一度よく考えてみて下さい。
あなたはよく言っていましたよね。ただ飛ぶだけではなく、使命を持って飛びたいのだと。そんなあなたが同じパイロットでも、民間航空の仕事に満足できるでしょうか。
やめることはいつでもできますが、一度辞めてしまったら取り返しがつきません。
大事なことなので、結論を急がないで下さい。
私もまた、見極めたいことがあります。パイロットになりたいという夢が、本当に私自身のものだったのかどうか。大好きなあなたが見ていた夢だから、いつのまにか引きずられていただけだったのではないか。だから、一度の失敗で簡単に道を踏み外してしまったのかもしれません。
どのみち、私はもうプロパイロットにはなれないのだから、こんなことを考えても仕方がないとは思います。でも、私はどうしても自分の気持ちを確かめたい。塀の中でもずっと考え続けていましたが、答えは出ませんでした。
だから、一度、飛行機に乗ってみようと思います』

 薄綿をちぎったような雲がところどころに浮いているだけで、空は晴れていた。風は微風だが滑走路に沿って吹いている。ついてる方だな、と雪尾飛鳥(ユキオ・アスカ)は思った。
機長が行う機外点検は、パイロットの目で機体を点検するという意外にもう一つ重要な意味がある。その日の気温、湿度、風向、風力などを、操縦に全責任を持つ者が肌で感じることだ。
コックピットでは副操縦士の速水聖佳(ハヤミ・セイカ)が、計器をチェックしている。ディスパッチルームで見た彼女のスケジュールには、トレーニングと査察(チェック)の文字しかなかった。
―きみ、今日がチェックオフ?
と訊くと、聖佳は新人らしい緊張した面持ちで頷いた。チェックオフとは、初めて副操縦士として乗務することで、晴れてエアラインパイロットとしてデビューする日である。
飛鳥が、思わず、
(何考えてんの?)
という顔でディスパッチャーの顔を見たのは、彼も今日が機長昇格後初フライトだったからだ。
(これで何かあったら、経験の乏しい者同士組み合わせたって、マスコミに叩かれるんだろうなあ)
車輪の状態を屈み込んでチェックしながら飛鳥はすぐ、「つるかめ、つるかめ」と呟いて、縁起の悪い考えを打ち消した。

レインボー航空789便は、定刻通りエスペラント・シティ空港の滑走路19Rから飛び立った。目的空港であるサザンポインター空港まで、3時間20分のフライトである。
美影はキャビンの小さな窓に顔を貼り付けるようにして、眼下に広がるエスペラント・シティを眺めた。機体がゆったりと旋回する。
機はあっという間に巡航高度に達し、窓の下には雲海が広がった。
真っ白な雲のじゅうたんに、自分の乗った機の影が小さく落ちている。
―皆様、当機はあと10分で成層圏飛行に入ります。お手洗いなどにお立ちのお客様はお席に戻ってベルトをおつけ下さい。成層圏飛行中は窓から地球をご覧になれます。成層圏ならではの眺めをお楽しみ下さい」
客室乗務員の声に注意を引き戻されるまで、美影は一時間近く窓外の眺めを飽きもせずに見つめ続けていた。

(続く)