「レックスなのか? 今どこにいる?」
レイオットは思わず身を乗り出した。
―シティ警察本部だよ。スターリングさんて人に、全部話した。レイが誰も殺さないようにしてたことを、ちゃんとわかって貰ったから」
「何だ、もうとっ捕まったのか? 近くに警察署のないところへ降ろしてやったのに」
―てか、地面に降りてすぐエディさんが具合悪くなっちゃって、どうしようかと思ってたら、警察が来たんだ。服についたトレーサーを追跡して…」
「服についたトレーサーだって?」
―あのさ。シルフィードの内装がやけにキラキラしてただろ? そういう布地なのかと思ってたけど、あのキラキラがトレーサーの粒子だったんだ。機体の外部に吹きつけられてたのは、レイの言う通り、水で流れちゃったんだけど」
レイオットはコックピットを見回した。シートを指でこすってみる。そう思って見るとごく微細な粒子が指先についているようだが、知らなければ肌の脂分にしか見えないだろう。
「つまり、こっちの位置はまるわかりだったわけか。だが、それじゃ、何でおれは邪魔されずにここまで来れたんだ?」
―邪魔しようとはしたんですけどね。あんな細かいセンサー網の間をあのスピードで突っ切っていかれたんじゃ、追いかけようがなかったんですよ、編隊長」
今度はかつての部下の声だ。自分を取り巻く空軍機の中にいるらしい。
―相変わらず、いい腕していらっしゃいますね。あなたとはやりあいたくありません。お願いですから、着陸して下さい」
「やりあうもなにも、こいつには武器なんかついちゃいないぜ。撃ちたきゃ、いつでも撃ちゃあいい」
―レイの馬鹿! その人がレイのこと心配してんのがわかんないの?」
―オハラさん、聞いて下さい。わたしはシティ警察本部長のスターリングです」
スターリングの声が割って入った。
―われわれはロンとダニイを追跡して、『フリーダム』のアジトを押さえました。アレックスさんのお話は、他の証拠からも裏付けられるものがあり、わたしは信頼しています。あなたの自宅の爆破事件と、オリガ・オークレーの死亡事件も、必ず責任持って再捜査します。だから、ここは着陸して下さい」
―きみ、何を言っとるんだ」
スタンレー大統領が叫んだ。驚きのあまり、声がひび割れている。
―テロリストのご機嫌を取るのもたいがいにしろ。大体、きみが要求をのんでシルフィードを渡したりするから、こんなことになったんじゃないか。事態が収拾したら、きみの責任も追及するからな」
なるほど、長官に要求をのませたのはスターリングだったのか。セス。長官が心を入れ替えたわけじゃないようだが、世の中にはこういう人間もいるみたいだぜ。
―大統領。『フリーダム』には、オリガ・オークレーの妹のアリサ・オークレーも参加していました。アジトの彼女の居室から、オリガから彼女に宛てられた文書やCD、DVDが発見されています。その内容について、アリサの供述を聴くと共に、鑑識課でも確認作業を行っています」
スタンレーが息を呑む気配がした。レイオットも思わず耳をそばだてた。
―ス、スターリングくん。きみは騙されている。そんなことがあるわけがない」
精一杯平静を装った声で、スタンレーが言った。
―オリガ・オークレーが妹にそんなものを送れたはずがない。あれは全部処分されたんだ」
―大統領がおっしゃっているのは、オリガ・オークレーが入手した爆破事件の証拠物ということですか?」
―そうだ。ヴァージョン情報も確かめたから、コピーがなかったこともわかっている。テロリストの言うことを鵜呑みにするんじゃない」
―わかりました。うちの人間がそちらに行っておりますので、彼らと署までご同行下さい。そして、あなたがいつ、誰に証拠を処分させたのか、いかなる理由と権限でそのような処分をされたのか、ご説明をお願いします」
「きみに、あんな真似ができるとは思わなかったよ。まさか、大統領を引っかけるとはな」
エドゥアールは愉快そうにスターリングに言った。
「わたしは、事実をそのまま口にしただけです。『フリーダム』のアジトから、オリガがアリサに宛てた手紙や、ミュージックCD、二人が好きだった映画のDVDが見つかった。押収報告書を書くために、アリサに内容を確認し、中身がその通りのものかどうかを鑑識で調べました。それらを爆破事件の証拠だと思ったのは、大統領の勝手な勘違いです」
「しかしまあ、とんでもない結果がついてきたもんだ。『フリーダム』を一網打尽にしただけじゃなく、大統領の陰謀まで暴いたんだからな」
「人質の生命を尊重してもテロを阻止できることが、おわかり頂けましたか」
「きみはやると言ったら必ずやる人間だということだけは認めよう」
エドゥアールは言った。
検事局は、レイオットを不起訴処分にすることを決定した。
釈放された彼は、スターリングに呼ばれて本部長室に行った。
「また、家に帰ったらドカン、なんてことはないんだろうな?」
「もちろんです」
スターリングは微笑んだ。
「今朝、議会が大統領の罷免を決定しました。検事局は、二件の殺人及び未遂の共謀共同正犯でスタンレーを起訴する方針です。マグダードの医療施設爆撃を指示した疑いについては、国際司法委員会が調査を開始しました」
「思えば、あいつも、セスも、似たような思考回路だよな」
レイオットは苦笑した。
「彼女をテロリストにしてしまったのは、われわれです。テロを根絶すると言いながら、自分達で憎しみの連鎖を作り出してしまった」
「一つ訊きたいんだが、レックスは―」
「アレクシスさんですね。彼女も不起訴になっていますよ。身寄りをなくしてセスのもとにいただけのようですし、今回も実行行為はほとんど行ってはいませんでした。パラシュート降下地点に警察が到着するまでの間、エディさんを一生懸命介抱してくれてもいましたし」
「あいつ、やっぱり女だったのか」
少女ではないかと疑ったことは何度もあった。組織の中には荒くれもいるので、セスは彼女に少年のふりをさせたのだろう。
「彼女はあなたにとってのハートのジャックだと、『ムーンライト』で人質になった占い師のおばあさんが言っておられました」
「あの、ユージェニー・ビクトリアとかいうばあさんか?」
「ええ。あなたの傍らにあった死神のカードは消えた、かわって、今は釣り針のカードがあなたを囲んでいるそうです」
「釣り針のカード? 何だよ、それ」
「あなたを必要とする者、だそうです。あなたは紳士だったので、一度だけタダで占いをしてやった、結果を伝えてほしいと言われたので、お伝えしました」
「それで、わざわざおれを呼んだのか?」
「いいえ。用件はこれからです。実は、うちの救助セクションから、あなたをぜひスカウトしてくれと言われまして」
「何だって?」
レイオットは眉を上げた。
「あなたは今回、777に乗られたわけですが、あの機体をどう感じられましたか?」
「どうって…いい飛行機だったよ。公表されてる諸元より、実際の性能の方がかなりいいみたいだな」
「諸元が控えめなわけじゃないんです。ウルフのような優れたパイロットが乗っていたために、性能が突き抜けてしまったようで、他のパイロットは誰もあの機体を乗りこなせないんですよ」
レイオットは驚いた。自分の操作に、打てば響くように反応した777。あんなにレスポンスのいい飛行機に乗ったのは初めてだった。軍の迎撃システムを高速で突破できたのも、あの機体だったからこそだ。
「あなたが救助セクションに入ってあれに乗って下さったら、777の維持費が税金の無駄遣いにならずにすみます。今すぐ返事をしろとは言いませんが、ぜひご一考をお願いします」
アレックスは、シティ警察本部前の喫茶店でレイオットを待っていた。
スターリングとの会見を終えて、彼が店に行くと、彼女の隣に見知らぬ男性が一人座っていた。
「レイ、この人、航空宇宙開発局の人事部の人らしいんだけど…」
アレックスは戸惑い顔で紹介した。
「あんたとあたしをナッツにスカウトしたいって言うんだよ」
「は?」
レイオットも思わず聞きかえした。
「そうなんです。あ、ナッツというのは、航空宇宙開発局スペシャル・タスク・フォースのことです。ご存じかも知れませんが。詳しい職務内容は、こちらにパンフレットをお持ちしましたので…」
と、男はカバンに手を入れた。アレックスは既に一部貰って眺めている。
「おいおい。何の間違いか知らないが、おれは飛行機を飛ばすしか能のない人間だぜ。航空宇宙開発局なんて…」
レイオットが言うのを、男は片手を上げて制した。
「ナッツには様々な分野のスペシャリストが集まっています。法律や経済など、一見畑違いに見える人材もいます。空や宇宙では何が起きるかわからないので、どんな知識や経験も役に立つんですよ。あなたが先の事件で見せた機転と判断力には、素晴らしいものがありました。ぜひ、ナッツでその力を発揮して頂きたいと思い、お話しに参りました…」
人事部の男と別れると、レイオットはアレックスを連れて数ヶ月ぶりの自宅に戻った。ハウザー・シティでは、市長のリコール運動が始まったというが、まだ帰らない方がいいだろう。列車の中で読んだ新聞記事によると、市長はいずれ、隔離対象者の枠を、年収100万スター未満の市民にも広げるつもりだったそうだ。その事実をすっぱ抜かれたので、市民全体に非難の声が広がったのである。
彼が町に足を踏み入れた途端、ブッシュ・パイロット達がわらわら群がってきた。
「戻ってきてくれて良かったよ。あんたのおかげで、組合の電話は鳴りっぱなしだ。何しろ、大統領の陰謀を暴いた男だからな。仕事の話もいっぱい来てるぜ」
「仕事ったって…」
セスからは、人目を引かないよう家も飛行機もそのままにして出てこいと言われていた。飛行機だけは錆び付かせるのがしのびなかったので、
―組合に寄付するから、好きに使ってくれ。
と、格納庫の鍵を郵送しておいた。
「事情がわからなかったので、機はそのままにしてあるよ。わたしが定期的に整備だけはしておいた」
顔に傷跡のある組合長が言った。彼は最も優秀なメカニックでもあった。機体は格納庫の中で、新品同様の光を放っていた。
「これなら、明日からでも飛べるな…ありがとう」
「なに、わたしの機が故障して海に不時着した時、あんたは悪天候をついて捜しに来てくれた。これぐらいじゃ、まだまだ借りを返したことにはならんよ」
別の、やや小太りのパイロットが言った。
「レイ、実はちょうど、おいしい仕事が一件来てるんだ。あんたと組んでやれたらいいなと思ってたところさ。これから、リーの店に行って話さないか? もちろん、今日はおれのおごりだ。こないだ、高価な部品を譲って貰った礼をまだしてなかったからな」
リーの店でも、レイオットはひっきりなしに声をかけられた。この町ではずっと無気力に暮らしていた。他人のことにも無関心で、友人もつくらなかった。彼らも新しくやって来たよそ者を警戒していたはずなのにと、不思議な思いがした。
「きっと、職人的な仕事をしてるから、腕のいい奴は受け入れるんだよ」
と、アレックスがさかしげに分析した。
家に戻ると、ビデオフォンがかかってきた。これは、受信者の側で画像入りか音声のみかを選択できる。ビデオボタンを押すと、スクリーンにハサウエィ空軍大佐が大映しになった。
「どうしたんです、大佐。ひょっとして、軍法会議ですか?」
―ハハハ、わが軍の迎撃システムをことごとくスルーして、精鋭部隊をぶっちぎったからか? おかげで、システム・エンジニア達は弱点の修正に大わらわだ。パイロットもしごかれとるぞ。何しろ、一機たりとも、きみをまともに追撃できなかったんだからな」
「そいつは、気の毒に」
―他人事みたいな言い方をするな。どうだ。あいつらをきみが鍛え直してやる気はないか?」
「どういうことですか?」
―きみを教官として迎えたいという話が出ているんだ。来月から、ウィングバッジをつけたてのヒヨコ共も上がってくるから、そいつらの教育もやって貰えるとありがたい」
レイオットは目眩を覚えた。今日何件目のリクルートだろう。「釣り針のカード」とはこのことか。
ユージェニーの占いは、やはり当たるようだ。
(終わり)