私家版 宮城の野鳥フィールドノート since 1976

掲載していなかった記録をアップし始めました。あっという間に1年が経ってしまうので。今シーズンの鳥の海の記録も。

2011年6月23日(月)鮎川浜

2011年06月23日 | 金華山・航路
■2011/6/20(月)6:34-7:04【天気】晴れ
【場所】鮎川浜
【種名】カルガモ,トビ,オオセグロカモメ,ウミネコ,ハクセキレイ,ホオジロ,スズメ,ハシボソガラス,ハシブトガラス(7科9種)
【メモ】今まで行けなかった鮎川浜に行った。昨年度は5月,7月,9月の3回鮎川港から金華山沖40Kmの海域の海鳥を調査した。お世話になった方々の安否伺いを兼ねて出かけた。石巻渡波地区を過ぎ,コバルトラインは通行止めということで,荻浜経由で鮎川を目指す。行く浜行く浜で,津波によって壊滅した漁港と人々の家々の跡地を見る。見慣れた風景がそこには全く存在しなかった。大小多くの漁船がひしめく大漁港も瓦礫が港を覆っている。かろうじて津波の被害を免れた家も,地震で半壊のところもあった。樹木の葉の色が赤茶けているのは津波によるものだ。もう少しで鮎川浜というところで,ひどい段差があり,車高が10cmしかない前輪近くのトランスミッションをつり下げている場所に石ころが入ってしまったらしく,すごい音と震動がする。ここでは直せないので,だましだまし,行くことにした。峠の教員住宅を過ぎ,鮎川港に入る。いつも通る場所は,道路が何となく行けそうにないように見えたので,真っ直ぐ七十七銀行の前を行くことにした。ところが,着いた先が,よく見るとホエールランドの前で,岸壁の駐車場ではない。よく見ると,いつも駐車する定期線切符売り場やお世話になっている金華山観光の事務所前の岸壁は,満潮で50cmくらい下にあった。もちろん満潮だから50cm下にあったのではなく,津波や地震による地盤沈下,施設の破壊により,下にあるのだった。定期船や黒潮号の船着き場はすっかり水没していて,歩いて行くこともままならない。干潮でもどれくらいでるのか想像がつかない。いずれ,鮎川港一帯はすべて破壊され尽くしているので,どうしようもない。エンジンつき小型船に漁師の方が一人乗っていて,網の手入れをしていた。アナゴらしい魚やフグの種類,キンメのような魚など(魚類はちっともわからないのでこの程度で)バケツで蒔いたところにオオセグロカモメの成鳥夏羽個体が10数羽群がって食べていた。
 帰りは石巻の長浜に寄ったが,オオセグロカモメとウミネコの群れ50羽ほどと,遠くにシルエットからするとウミガラスの類が1羽浮かんでいるのが見えた。何しろ,ここ3週間ほどは愛用のEOS7Dと100-300mmがドック入りしているので使えず,たまたまヤマダ電機に行ったらニコンD3100と18-55mmのレンズキットがコンデジ並の安さで売っていたので衝動買いし,それを持って鮎川に行ったのだった。そんなわけで望遠だったら,後で見れば何だかわかるのだが,このセットではとうてい無理な話だ。
 それから,蕪栗沼に向かったが途中,石巻工業港からマーメイドとブルーライナーが健在で,現在はマーメイドが田代島,網地島航路を1日1往復しているのがわかり,門脇桟橋の惨状を見るに付け,本当に涙がでてきた。地震後,やはり沖に出て助かったということだった。
【写真】
  
■地盤沈下により水没している定期船航路桟橋。この日の撮影時間は鮎川では満潮で130cmの潮位があった。/転覆した船があちこちにある一方,地震直後に沖に避難して助かった船も多くあったということだった。
  
■定期船航路の切符売り場前の駐車場付近は満潮で海面下にある。/停泊している黒潮号/オオセグロカモメ成鳥夏羽(ペアになれなかった成鳥)が小型漁船で(試験的に)水揚げした少量の魚を食べていた。


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