連載 白石の野鳥(2)
-1980.4~1984.4 鳥類調査報告-
はじめに
社会人としての最初の赴任地は白石市で昭和55年春のことでした。それまで,仙南地方とは全く無縁だったといってよかった私は,以来,この地で5年の歳月を過ごしました。
白石といえば,大学の頃東京に行く急行の窓から,東白石駅前の白石川にハクチョウやカモ類がたくさん越冬していたのを見ていたくらいで,あとは東北大学野鳥の会の先輩方が,不忘山の麓のキャンプ場でアカショウビンを見たという話を聞いてうらやましく思った以外は,特に関心を抱いたことはありませんでした。
大学当時は今の東北大学理学部附属植物園内にあった研究室や川内のサークル棟を根城に,植物園,広瀬川,蒲生海岸,鳥の海,伊豆沼・内沼が主なフィールドでカウントに何度も通っていました。おそらく蒲生にシギチを見に行った回数は,休講のたびに行っていたこともあり,相当な数になっていたと思います。それで,いくら社会人になるとはいえ,長年通い慣れたフィールドを離れなければならないというのは,実に辛いことでした。
ところが,赴任が決まって3月に一度白石に行った時のことです。東白石駅前で,汽車の窓からハクチョウ類やヨシガモ,ハシビロガモ,カワアイサなどがいるのを見た後,白石駅に降り立ち,そこからしばらく歩いて白石大橋付近で何かいないか橋の上から下を見ると,カワセミ,カワガラス,イカルチドリがいるではありませんか。2回目に行った時には,ヤマセミとアマツバメも飛んでいて,これは意外によいところへ来たと内心嬉しくてしかたがありませんでした。これはまるで広瀬川と同じだと思ったのです。
白石市の野鳥のフィールドとしては白石川はもちろんですが,南蔵王山麓の川原子ダム,不忘山,不忘・蔵王・三住地区周辺はじめ,魅力的な探鳥地がたくさんありました。中でも川原子ダムの湖面に映る不忘山の雄大な景色には本当に感動しました。5月の連休にはさっそく不忘山に登りましたが,コマドリなどの高山性の野鳥は6月にはきっと見られるだろうと思いました。
そういうわけで,1年目の1980年はフィールドの下見を兼ねて,あちこち出かけていました。1981年になるといよいよ川原子ダムとその周辺でセンサスを始めました。湖面のカモ類のカウントは定点で,周辺の小鳥類はロードセンサスというように決めて,日曜日の7時から9時までの2時間で回れるようにしました。2度ほどは早朝4時から始めたことがありましたが,この時はヤマセミやトラツグミも見ることができました。しかし,冬季のセンサスはスキー場に行く道路や生活道路の他は除雪もされておらず,厳しい気候とも相俟って人を寄せ付けませんでした(もっとも山スキーを履けばいいとは同僚の先輩から言われましたが)。それで4月初旬の雪解けまでは,白石川のハクチョウ・カモ類のカウントに勤しんでいました。
3年目に当時『白石市植物誌』の刊行準備を進めていた刊行会代表のSさんから,「第1章 環境」の「4 動物の外観」の鳥類の項を執筆担当してもらえないかという依頼があり,自分の技量も考えず承諾してしまいました。今にして思えば,周りのレベルの高さにやっぱりやめておけばよかったと思うことしきりでした。結局,この依頼がきっかけとなり,他のフィールドも調査することになったのですが,もちろん本業が忙しく,鳥どころではないこともたくさんあって,結局こうして出てきたセンサス結果も満足できる内容ではないのですが,このまま埋もれさせておくのももったいないし,当時の鳥種と現在のそれとの比較などにも多少は役に立つし,当時から環境もだいぶ変わっているところも多いことから,まとめてみることにしたわけです。
なお,白石川のハクチョウに関しては,当時の「白石川白鳥愛護会」の方々にカウントの際,何度かお会いし,様々な情報をいただきました。紙面を借りて御礼申し上げます。この報告をまとめるにあたり,特にお世話になった職場の同僚,諸先輩,地域の皆様に深く御礼申し上げますとともに,今後,郷土白石の自然を愛し,すばらしい野鳥の自然誌を作ろうとする若い人々が育ってくれることを期待してやみません。
1987年8月6日
※当時の本文を加筆修正して掲載しています。
なお,白石の豊かな自然の一端は,ブログ右メニューの「JAVAアプレット」の
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