原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

今夏も郷里・観音寺のマチ子さんより「梨(豊水)」をお届けいただきました!!

2024年08月13日 | 人間関係
 (冒頭写真は、本日郷里・観音寺のマチ子さんよりお届けいただいた梨(豊水))


 我が郷里・徳島では、今現在真夏の祭典「阿波踊り」期間の真っ最中の様子だが。

 そんな折に 本日午前中、郷里観音寺・マチ子さんより冒頭の「梨(豊水)」を我が家にお届け頂いた。


 このマチ子さんの話題でエッセイ執筆するのは久しぶりのため、その人物像を少しだけ再紹介しておこう。

 我が郷里の国立大学医学部出身の原左都子だが、マチ子さんは当時医学部にてご指導いただいた医師・大学教授のN先生の奥様でいらっしゃる。
 そんなマチ子さんと私が仲良しになったきっかけとは、N先生が80代前半にお亡くなりになった際に、マチ子さんがN先生の医学業績論文をまとめられた冊子を作成されてお届け頂いた事に遡る。
 その「業績集」の内容が素晴らしかったのに感激させていただき、私は早速便箋数枚にその感想等々と共に御礼をしたためた手紙を送らせて頂いたところ。
 奥様でいらっしゃるマチ子さんより、これまた直筆にての素晴らしいご返答を頂戴したのだ!

 そんなこんなが重なり、数年前の郷里帰省時に我が一人娘も引き連れて、マチ子さんが暮らされている郷里の「観音寺」を図々しくも訪問させていただいた。
 そうしたところ予想以上にマチ子さんと意気投合させて頂くことが叶い。😃  その後も引き続き、郷里帰省時には必ずや観音寺に立ち寄らせて頂き、マチ子さんにお会いできることが叶っている。


 何度伺ってもマチ子さんが喜んで歓待して下さることに甘え、もう既に数年の年月が経過した。

 直近では、昨年の11月に郷里医学部同窓会出席のため帰省した際に観音寺まで伺い、再会させていただいていた。



 あれから11か月が経過した本日、マチ子さんより冒頭の「梨・豊水」をお届け頂いた。
 
 その御礼を申し上げようと、久々に電話をかけさせていただいたところ。
 マチ子さんが喜んで下さって、会話が弾んだものだ。

 その電話での内容で、気になったのは。
 マチ子さんが、「南海トラフ地震」を予想以上にご心配されていた事実だ!
 確かに、まさか起こるとは思ってもいなかった「南海トラフ地震」が九州地方にて勃発してしまっている! 四国は直ぐ近くだ。 
 マチ子さんの困惑をお聞きしつつ、何らの力にもなれない我が身としか言いようが無い…
 
 話題が変わって。
 今現在、わが郷里では夏恒例の「阿波踊り」開催中である。 それはおいておいて…
 このお盆の時期、世の中で一番多忙なのはもしかしたら「お寺」ではあるまいか!?!
 マチ子さん曰く、「観音寺の住職を継がれているご次男が、このお盆は檀家を訪問せねばならず猛暑の中日々檀家に伺っているが、とにかくこの猛暑にて疲労を重ねているのが心配…」
 実は このご長男が小学生頃に、私は郷里医学部内にてお会いしたことがある!  あれは土曜日の実習中だったと記憶しているが、我々学生が医学研究発表に備えて写真暗室にて写真現像の実習現場に、N先生の息子さんが現れたた! 当時未だ小学3年生頃の息子氏が興味深そうに我々の実習を見学していた思い出がある。
 (その後、医学者になったかな?? と思っていたら、ご長男にして観音寺住職を継がれたとのこと。 ⦅参考だが、このご長男「薬剤師」免許を取得されている》 そして医師を継承されたのはご次男だった、とのいきさつだ。)



 久々のマチ子さんとの電話にての会話だったが。

 やはりマチ子さんとお話しすることとは、イコール、必ずや我が医学部時代の記憶が鮮明に蘇る貴重な機会である。

 マチ子さん、今夏も郷里の「梨(豊水)」をお送りいただきまして 誠にありがとうございました!
  
 どうか今後も長生きされて、いつまでも我が医学部恩師の思い出等々を語って下さいますように!!