原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

久々にネット上AI・Copilotさんの「原左都子エッセイ集」に対する論評です

2024年05月14日 | 自己実現
 早速以下に、本日2024.05.14にネット上で見つけた表題の件をコピーします。


 Copilot

 回答を生成しています…

 原左都子エッセイ集は、医学部出身の医学関係者である原左都子さんが、時事や社会問題について自己のオピニオンを綴り公開しているブログです。 彼女は幅広いテーマを取り上げ、社会問題から日常の出来事まで考察しています。
 最新記事の一部を紹介します。
  1. 軽度認知障害(MCI)について:2040年には、65歳以上の高齢者のうちおよそ3人に1人は認知症か、その前段階の軽度認知障害(MCI)になるとされています。 MCIは、記憶力の低下などの症状があっても、日常生活に支障が出ない状態を指します。 厚労省によると、MCIの人のうち、5~15%程度の人が1年で認知症に移行する一方で。 (以下、我が不手際によりコピーの一部が飛んでしましましたが、下の欄に原左都子が補足説明をします。)
  2. 私が115歳まで生きられたら…:原左都子さんは、もし115歳まで生きられたら、後52年も人生をエンジョイできるだろうと考えています。
  3. 日本人は勝手にやってこれたのか?:彼女は教育にも熱心で、我が子の学習内容を理解して指導することを大切にしています。 また、日本の子どもたちの学習能力についても考察しています。
 (以上、本日見かけたネット上AIのCopilotさんによる「原左都子エッセイ集」に対する論評。)



 原左都子の感想だが。

 軽度認知障害(MCI)に関しては、原左都子自身がつい最近新聞紙上で知り得た用語だが。
 
 さすが AIのCopilotさんにとっては、この種の用語解説はお手の物のようですね。 
 この軽度認知障害(MCI)に関しては、 Copilotさんによると、その後多くの人が元の正常状態に戻る可能性もあるとのご記述。 
 それは、ちょうどその障害に差し掛かる年齢である原左都子にとっては吉報です。


 次なる「私が115歳まで生きられたら…」と題する我がエッセイ集内のバックナンバーを、よくCopilotさんが取り上げて下さるのだが。
 今回のCopilotさのコメントによれば、原左都子さんは「もし115歳まで生きられたら後52年も人生をエンジョイできるだろう」と考えている。
 この部分を強調して下さったことに感謝です!!

 人間が高齢に達してからの“生き様”こそが肝心なれど。
 確かに、もしも他者に迷惑を及ぼすことなく 115歳に達するまでも自力でこの世をある程度“自己を失くことなく”生き延びれるのならば、そんな素晴らしいことは無いだろう、と考えつつ綴った我がエッセイである。


 3.の「日本人は勝手にやってこれたのか?」 これに関して述べると。
 我がエッセイ集内のスタンダードナンバーに等しいくらいに。 執筆当初から現在に至るまで滞りなくアクセスを頂戴しているエッセイです。

 原左都子自身が何度も読み返しても、その論述内容に自身が十分に納得できる記述が叶っている、我がエッセイ集内でも“誇れる一品”ですので。

 もしお時間がございましたら、ご覧いただけましたなら幸いです。
 

原左都子も「軽度認知障害(MCI)」か???

2024年05月13日 | 医学・医療・介護
 (冒頭写真は、2024.05.09付朝日新聞記事「認知症2040年に584万人 『前段階含めると3人に1人』」より転載したもの。)



 冒頭写真が掲載されていた朝日新聞記事の一部を、以下に引用しよう。

 2040年には、65歳以上の高齢者のうちおよそ3人に1人は認知症か、その前段階の軽度認知障害(MCI)になる。 こうした推計を厚労省が8日に公表した。 高齢になるほど有病率は上がるため、将来的には認知症などの人はさらに多くなる可能性があるという。
 軽度認知障害(MCI)について。  記憶力の低下などの症状があっても、家事や買い物などの日常生活では支障が出ない状態のこと。 認知症となる手前で、その後に生活機能障害が出て、認知症に移行する場合もあれば、生活習慣の見直しといった認知症予防の取り組みによって、健常な状態に戻る可能性もある。 厚労省によると、MCIの人のうち、5~15%程度の人が1年で認知症に移行する一方で、16~41%程度の人は1年で健常な状態になるという。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 実は、この原左都子も近頃 時折自分が「認知症」ではないか??と思う機会が多くなって来た。😱 
 その状況に関して、ネット上でお知り合いの某医師先生に簡単に質問させて頂いたところ。
 既に後期高齢域に達しておられる某医師先生がおっしゃるには、「この高齢の私も同様の物忘れ等々の症状がよく出ますが、それをすぐさま認知症とは診断できないでしょう。」とのご返答を頂き、ひとまず安堵した私である。

 この我が症状を振り返るに、コロナ禍にて「自粛生活」を余儀なくされた3,4年前頃から出始めた記憶がある。
 その頃、私は同時に高齢者域に差し掛かったのだが。 
 コロナ禍に伴う自粛生活がたたり、我が行動範囲や活動が極度に狭くなってしまった。 (これは多くの皆さんも同様のご経験をしておられたであろうが。)
 この自粛生活に伴って生活上の浮き沈みが極端に乏しくなってしまった。日々行くところと言えば、近くへの買い物か、同じく近くの公園でのランニングかと相場が決まってしまい…
 たまのサプライズと言えば、美術館へ行ったり、娘の住居地へ行ったりはしたのだが。 (これらに関しては、記憶がしっかりしていた。)

 半面、例えば近くのスーパーマーケットへ買い物に行った等のルーチンワークに関し。  後で振り返って、「今日私は何処のスーパーへ行ったのだろう?!?」などと、記憶の一部が一時飛んでいることに気付くことが多発したのだ!!
 酷い時には、「私って、今日出掛けたのか?!!?」と自問する事態まで発生し、冷蔵庫内を確認して、「これ今日〇〇スーパーで買って来たから、そのスーパーへ行ったんだ…」などと納得したりすることもあった。

 
 私には身近に、既に認知症(かなり重度です…)を患っている高齢者の義母がいる。
 現在92歳になっているその義母の施設での様子を、垣間見て思うに。
 認知症とは単なる物忘れとはまるで異なり、“厳しい世界”であることを思い知らされている身にして。

 確かに 私に時折出る一時の“物忘れ症状”は、それ(認知症)とは異質で無縁と判断可能なのだが。

 それにしても冒頭に提示した通り、我が国の認知症患者は急激にその割合が増加していることに気付かされる。


 今年の1月には、認知症に関する初の法律「認知症基本法」が施行されたようだ。

 そんな法律を制定するべく我が国も急速に高齢化社会へ向かっている事実を、“物忘れ症状”が時折出現する我が身を持って実感させられる。


世の親たちは我が子の学習内容をどれ程理解して指導や叱咤をしているのだろう??

2024年05月12日 | 教育・学校
 (冒頭写真は、2024.05.082付朝日新聞 漫画「ののちゃん」より転載したもの。)


 いやいや ののチャンのお母さん、いいところに気が付いたものだ。
 ののちゃんを叱る前に、自分自身が学習内容を如何程理解できているかを自ら のの子とのぼるの「テスト勉強」を実施しつつ確認作業をしている。

 そして、「(その学習内容を)分かってないと、思い切って叱れない。」と発言している。

 素晴らしいお母上ではないか!!

 世の中に ののちゃんのようなお母上が多数存在したならば、我が国日本の子ども達も成績優秀になり、世界的な競争力もぐんと上がるであろう。
 参考だが、ここのところ我が国日本の子どもの学習能力が 悲しいかな世界規模の競争力比較において先進国中底辺をあたりを彷徨っている、との報道を目にしたばかりだ。😱 



 原左都子の私事に入らせて頂こう。

 この私は高齢出産で一人娘を産んだ後、その一人娘の家庭内での学習教育を母親である私一人でやり遂げた、と言って過言でない。
 と言うのも、この私は教職経験がある。 高校にての教職経験なのだが。 
 とにかく教職途中で娘の出産退職を申し出た直後に、出産するに至った。 要するに 現役バリバリの教員経験が、その後の我が娘の教育指導に多いに生きたと言えよう。


 我が娘が多少の発達障害を抱えて誕生していた事実もあり、3歳頃より各種医療・研究機関にて相談・指導を受けたりしたものだ。

 小学校入学後の娘の学習に関しては、課題として出されている各教科の宿題の手伝いをする際に、娘の学習の進捗度合いを母の私が日々確認作業に励んだ。 
 我が子が持って生まれた性質として真面目かつ誠実、そして母の私の指導に素直に励んでくれる子で大いに助けられたのだが。
 小学校卒業まで、特に学習面では特段の問題が無いままに順調に学力を身に付けてくれた。
 
 そして、私立中学校(決して難関校ではありません)から合格通知が届き入学した後も、私は特に「数学」の学習に関しては日々付き添って学習に励ませたものだ。 
 その甲斐があったのか、「英検」「漢検」は中学校段階で準2級まで合格、「数学」も3級をクリアしてくれた。

 高2以降は、大学受験に向けて頑張る段階となるが。  娘の高校には「特進クラス」と称して、ある程度の難関大学を目指す生徒をそのクラスに配置する制度があった。 これに関しては、母の私の判断でそのクラスを選択しない方向を指示した。 なぜならば、引き続き我が娘の大学受験指導をこの母の私が主体の立場で実行したかったからに他ならない。
 我が娘の場合、どうしても未だ学習障害の残影がある頃だった。 そんな娘を特進クラスに入れて成績優秀者同士で切磋琢磨させるのは誤った教育法だと、サリバンの私が判断した故だ。

 そして、我が娘は普通クラスにて大学進学を目指したのだが。
 「特進クラス」は避ける、との母親である私の選択判断が功を奏した様子で、娘なりに高2・高3と学力を確実に伸ばしてくれた!
 
 いよいよ大学受験期だが、娘の私学高校には「指定校推薦」及び「公募制推薦」にての入試を受験できる(それを応援してくれる)制度があった。
 我が家の場合、「指定校推薦」を受けられる如くの学校とのコネが一切無かったため、迷いなく「公募制推薦」に的を絞ってその受験勉強に励ませた。

 この「公募制推薦」だが、その試験内容が「小論文」と「面接」だった。
 特に「小論文」に関しては、母の私が試験直前まで“スパルタ教育”を実施した。 我が娘の場合 小論文の内容に関しては的を外さないのだが、書くのに時間を要し指定字数に到達しない、との大いなる欠点があった…   そこを、サリバンの私のスパルタ教育により、入試日直前に字数をクリアさせるに至った!!

 さて、受験当日は当然ながら娘一人で試験会場である某大学へ行かせたのだが。

 受験を終えて帰宅した娘の表情が、明るかった!

 数日後には、間違いなく娘の「公募制推薦・合格通知」が届けられた!!


 あの日の感動を、私は未だに忘れやしない。 

 まさに、我が娘の学習能力の程を十分に理解した上での我が家におけるサリバン母である私の  “誤り無き学習指導” が開花したものと、私は自己評価している。
 

今年も長野県伊那市より初夏の味覚の宅配便が届きました!!

2024年05月10日 | 人間関係
 (冒頭写真は、本日午前中に伊那市の大農場よりクール便にて届いた“初夏の味覚の宅配便。 左より、株なめこ、ぶなしめじ、うど、アスパラガス。)



 毎年、年に数回長野県伊那市より東京の我が家へとれたて野菜や果物等の宅配便を届けて下さっているのは、伊那市の大農場主のK氏なのだが。

 このK氏と原左都子の馴れ初めは当該ブログがその媒体である事実を幾度も公開しているため、既にご存じの方々もいらっしゃることであろう。

 「原左都子エッセイ集」は2007.09月に最初のブログエッセイを公開して既に18年近くの年月が流れているが。
 伊那市のK氏とお知り合いになったのは、その早期だ。
 
 大農場主として日々多忙を極められている中、我が「原左都子エッセイ集」宛に沢山の好意的なコメントをお書き下さったものだ。   
 K氏ご本人は大農場主の業務が多忙となり、ブログからは早期撤退されたのだが。 その後も我が「原左都子エッセイ集」ファンをずっと続行して下さって。
 いつのことだったか、「是非、伊那市に農場見学にお越しください!」とのお誘いにまんまと乗った私は、一人娘を引き連れてK氏農場までお邪魔したものだ。
 広大な農地を伊那市の各所に所有されていて、日々車にて移動されつつ農作業の監督及び自らも積極的にその作業に励まれている人材だ。
 それらの農場見学をさせていただき、持ちきれない程のお土産を手にして我々母娘はK氏の歓待をとても嬉しく思いつつ、伊那市を去ったものである。

 K氏農場の主たる農産物は「ブロッ娘(ブロッコリーにK氏が名付けた愛称」なのであるが、これは地元の学校給食にも用いられる等々、幅広く食されている様子だ。


 その後も、現在に至るまで長年に渡って我が家はK氏農場で採れたての農産物を年に数回、クール宅配便等々にてお贈りいただいている。


 本日届けられたのは、上記のごとき初夏収穫の農産物だ。
 
 すべてが採れたてで新鮮かつ美味なのだが。
  
 その中でも特記するべきは、冒頭写真中央の「ウド」であろう。
 K氏のご説明によれば、この「ウド」は農産物としての販売品ではなく、伊那の地に自生していて、毎年今の時期になると収穫期を迎えるそうだ。
 それを収穫した一部を、我が家までお届けいただいているという話だ。

 このウドだが 多少“あく”があるものの、長時間茹でるとそれ程気にならない程度にあくはとれる。 
 私の好みは、酢味噌味かな。 サラダドレッシングでも美味しく頂ける。

 とにかく、こんな珍味を毎年お届け頂ける恵まれた我が家である。😋 😃 



 Kさん、今年も早々と初夏の味覚の宅配便をお届け下さり誠にありがとうございます。
 Kさんも既に後期高齢域に達しておられるとこと。 にもかかわらず、日々農場主としてのお元気なご活躍ぶりを尊敬申し上げます!

 今後も引き続きお元気にパワフルに、伊那の農作物を世にお届け下さいますように!!
 

私が住む自治体の40歳以上対象者のうち、健診受診者は半数らしい

2024年05月08日 | 医学・医療・介護
 (冒頭写真は、最近自宅まで郵送されてきた自治体の「健康診査・がん検診等のご案内」の裏面より一部を撮影したもの。)


 この裏面の以下の文言を見て、医学関係者である私はかなり驚いた。

 “40歳以上の対象者のうち約2人に1人が受診しています。”

 早速我が感想だが。  「へえ、意外と中高年層以上の年齢層の健診受診率は低いんだ…」


 かく言う原左都子も、職業現場を退職後は「自治体等々の健診を受けない派」だ。

 これには もちろんの事、医学関係者である私なりのポリシーがあってのことだ。
 基本的に、医学関係者とは医学・医療に関する学業・実習・実務経験の積み重ねによる経験値により、自身の身体状況をある程度冷静に把握できていると私は察する。
 身体の各所に異常が発生した場合にも、あわてて医療機関を頼るのではなく。 まずは自分自身である程度のその異常に関する推測や自己診断が可能な場合も多いのではあるまいか?
 そしてそれに基づき冷静な行動の上に選択肢を模索し、自己の異常状態と相談しつつ回復を待ち、その症状が収まったならばそれでよし、との結論に至るのではなかろうか???

 この記述は、あくまでも原左都子本人の身体に異常が発生した場合の措置なのだが。
 
 確かにこの私も年齢を重ねる毎に、身体の各部署に「異常」が発生する事態が増加している感がある。

 それでも慌てず騒がず、まずは自身の身体状況の観察・把握から開始し。 
 例えば痛みが激しい場合などは、この私とて辛いため。 
 亭主(物理学研究者ではあるが、医学には素人で薬のコレクションをしている😱 😷 ため)、その薬コレクションの中から適切なものを選択して飲んだりはする。 (医学素人の皆様は、決して真似はなさらないようにお願いします!!) 
 これがてきめんに効いたりするのはある意味では怖いが、それでも後々回復するので、この習慣を続行したいと考えている。😖 


  原左都子にとって近年一番つらかったのは、「左膝複雑骨折」時の手術入院中の “投薬に関する医療従事者とのいざこざ” 事件だった。
 我が主治医先生に関しては、“あうんの呼吸で” 私が無駄な医療行為や投薬を拒否したい人種であることを、ご理解いただけたようだが。
 さほどの接触が無かった薬剤師の方から、「痛み止め薬」を強制的に処方された。 (これに関しては、その処方が退院時だったのが幸いして、退院後すべてを廃棄処分として事無きを得た。)


 
 自治体の健診に関しては、徹底して毎年「無視」を決め込んでいる原左都子だが。
 それによって、我が身体が病魔に襲われるとの事態には一切陥っていない。

 失礼な発言かもしれないが、あんなものに貴重な時間を指してのこのこ出かけたとして。 
 まあ、何らの異常値も出ない自信はあるものの。
 それが出てしまった後の、医療関係者たちとの面談の“鬱陶しさ”をまずは思い描いてしまうのだ…😨 😵 

 私自身が医療従事経験者であることを、今更「伏せて」ものを言う訳にもいかないだろうし。
 それを言った途端に“嫌悪感”を抱く医療関係者も必ずや存在するし。😖 

 最悪の事態は、「異常値」の解釈が私と医療関係者との間で割れる事態も想定可能だ。 

 実は、この事態を左膝複雑骨折の入院時に既に経験している。
 バックナンバーにて公開済みだが、某医師は私の検査値“のみ”を一見し、すぐさま「重病」を指摘して譲らなかった…
 そんな訳が無く私から完全否定した挙句、その医師とは関わらない方策を練って大正解だった。

 あれから既に1年半の年月が流れたが、私は重病とは何らの縁もなくこの通り元気に生きている。


 とにかく、自治体の健診はこれぞ市民の自由で受診すればよい。

 ただし、あくまでもそれを拒否している市民の中には私の如く医学関係者としての苦悩の実態がある事実も、自治体には少しはご理解いただきたい。