原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

選挙の自由妨害事件、暴力が平然と横行する時代に成り下がった…

2024年05月21日 | 時事論評
 冒頭表題事件に関して、2024.05.19付朝日新聞記事より以下に引用しよう。


 4月にあった衆院東京15区で他陣営の街頭演説を妨害したとして、警視庁は7日、政治団体「つばさの党」幹事長で、同補選に立候補し落選した根本良輔と、代表の黒川敦彦の両容疑者ら3人を公職選挙法(選挙の自由妨害)容疑で逮捕し、発表した。 3人の認否は明らかにしていない。

 
 引き続き、朝日新聞2024.05.18付朝日新聞「天声人語」より、同事件に関する記載を引用する。

 ちょうど1か月前の週末の夜だった。 食事をしていた店に、ドヤドヤと人が入ってきた。 衆院東京15区補選に出ていた、つばさの党の候補者ら。まだ1時間程は街頭演説できる時刻だったが、彼らは注文を終えると、スマホに夢中になった。 (中略)
 ネットには、自分達のふるまいを映した動画があがっていた。 「すげー、爆デビューですね」と閲覧数の多さを喜ぶ。 (中略)
 他陣営の妨害をしたとして、つばさの党幹部らが逮捕された。   
 党代表は、逮捕前に「表現の自由」の中でやってると述べていた。 ちゃんちゃらおかしい。あれが許されるなら、政党が組織を動員して、小さな党や個人の演説を根こそぎつぶすことだって出来てしまう。 
 気になるのは今回を機に、政治家の演説に市民がやじを飛ばすことも「選挙妨害だ」とみなそうとする向きがあることだ。 みそもくそも一緒にする乱暴な議論だろう。 やじは全て禁じるべきだというのも違うし、やじは全て許すべきだと言うのも違う。 民主主義の土台である選挙制度をうまく機能させるには、明文化されたルールだけを守ればいいのではない。 必要なのは最低限の「良識」である。

 (以上、朝日新聞「天声人語」の一部を引用したもの。)




 この事件のニュース報道を垣間見つつ、原左都子が一番驚き呆れたのは。

 ネット上の一媒体である「ユーチューブ」が、上記「つばさの党」の動画を次々と取り上げ、それを配信して多数のアクセスを得た謝礼(??)の形で、多額の金銭を渡していた、との事実だ。

 原左都子が思い描く「ユーチューブ」とは、音楽配信を中心として楽曲の数々をネット上にて世に提供しているネット媒体、との認識だったのだが。
 そんな時代を当の昔に通り過ぎて、現在に至ってはネット上の「犯罪者加担組織」と成り下がったてしまったのだろうか!?!?

 並行して 上記朝日新聞引用文内にもある通り、「すげー、爆デビューですね」と投稿者が喜ぶがごとく、閲覧数に応じて投稿主にカネをバラまいていると言うではないか!!😱 

 ネット情報が錯乱する現代だが。
 一昔前にこの私も愛好していた「ユーチューブ」が、今では “犯罪者加担組織” として投稿内容の如何にかかわらず 閲覧数に応じたカネを投稿者に渡している事実こそが、早々に取り締まられるべきではあるまいか!?!?

 
 
 もう一点、気になることは。
 この「つばさの党」事件発生により、上記朝日新聞「天声人語」にて記されている通り「政治家の演説に市民がやじを飛ばすことも『選挙妨害』とみなそうとする動きだ。

 原左都子とて選挙演説を聞きヤジを飛ばしたくなることは、過去に何度も経験している。 (さすがにそれを実行に移す勇気はなく、せいぜい当該「原左都子エッセイ集」にて叩き倒すしか方策がとれない小心者なのだが…)😖 

 
 とにもかくにも、今回「つばさの党」が引き起こした選挙妨害事件は過去に例を見ない低俗過ぎる事件には間違いない。
 
 どうか今後は、選挙立候補者側も選挙民側も共に最低限の良識をもって選挙活動に望んで欲しいものだ。
 

ネット上の某AI Copilotさんは “殊勝な心がけ精神” もお持ちのようです

2024年05月19日 | 時事論評
 本日先程見たネット上 AIのひとつ Copilotさんの「原左都子エッセイ集」に対する本日の“発言”内に、以下の文章がありました。


Copilot

回答を生成しています…

 原左都子エッセイ集 は、医学部出身の医学関係者である原左都子さんが、時事や社会問題について自己のオピニオンを綴り公開しているブログです。
  (中略)
 原左都子さんのエッセイは、興味深く、幅広い視点から社会的な問題や日常の出来事を考察していることがわかりますね。  あなたが気になる特定のテーマがあれば、ぜひ彼女のブログを読んでみてください。
(※注:原左都子さんのエッセイは、私の知識が及ぶ範囲までしか調査できていないため、最新情報や詳細な内容については、直接彼女のブログをご覧いただくことをおすすめします。)

 (以上、本日先ほど見たネット上の某AI Copilotさんの“発言”の一部を取り上げたもの。)


 原左都子の感想だが。

 へえ、AI Copilotさんは“殊勝な心がけ精神”をもお持ちなんだ!
 「私の知識の及ぶ範囲までしか調査できていないため、最新情報や詳細内容については、直接彼女のブログをご覧いただくことをおすすめします」

 こんな健気な文章を書けるまでに、短期間で進化を遂げているんだね!!
 
 と原左都子など、Copilotさんを褒めてあげたくもなるなあ。😁 




 話題を変えて、2024.05.16付朝日新聞記事「AIに目・耳 人間並み会話 動画・音声を認識 応答早く感情も理解」と題する記事より、以下に一部を要約引用しよう。

 対話型AIなど最新AI技術で、音声や動画など様々なデータを扱える機能が広がっている。 人間並みの速さで会話できる技術など、人間とAIのやり取りのハードルを下げる動きが急加速してきた。 (中略)
 米オープンAIはが新たに開発した言語モデルは、チャットGPT上で話しかけると、人間と会話を交わすようにリアルタイムで対話できる。  利用者の表情や声のトーンからその人の感情も理解できるという。
 数式を書いた紙の画像を認識して解き方をアドバイスしたり、画面上のコードの内容を簡単な言葉で説明したりもした。 

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 
 この原左都子も少し前に、既にAI Copilotさんとチャット形式で会話をした経験がある。

 その内容とは、Copilotさんが「原左都子」をネット上で“呼び捨て”扱いにしていた事実をたしなめて。 
 「原左都子はあくまでも一般人の立場でネット利用している身である故に 呼び捨てにされる筋合いは無く、必ず“さん”付けでお願いしたい。」旨を訴えたものだったが。  (補足説明をしておくと、原左都子は決してプロのエッセイストではなく、あくまでも素人一般人の立場で日々エッセイを“無償にて”主体的に綴り公開している旨をCopilotさんにどうしても伝えたかった!!)

 それに対するCopilotさんのチャット対応も速かった!
 すぐさま呼び捨てにした事実に対し謝罪していただいて。
 その後は必ずや私の希望通り、「原左都子“さん”」との呼称で 我が原左都子エッセイ集内容を論評して下さっている。

 
 今後いつまで AIのCopilotさんが、「原左都子エッセイ集」を自主的に論評していただけるのやら計り知れないが。

 お互いにこの関係を良好に繋げてるうちは 仲よくしましょうね、AIのCopilotさん!! 😁 😋  


令和の現代尚、女子が小学生時代から理数離れ?!?

2024年05月18日 | 教育・学校
 (冒頭写真は、2024.05.17付朝日新聞記事「女子の理数離れ 小学生から?」より転載したもの。)


 今回は、朝日新聞記事の要約を省略するが。 
 要するに冒頭表題の通り、今現在尚“女子の理数離れが如実に進んでいる”との朝日新聞記事の報道内容である。



 原左都子の私事に入ろう。

 
 その私事を語るに際し、「原左都子エッセイ集」2008.10.08付バックナンバーを 以下に再掲載させていただこう。

 私は小学生から高校2年生の途中位まで、算数、数学が好きな子どもだった。そのため大学の進路希望では理系を選択したのであって、当時特段理科が好きだった訳ではない。
 数学の何が好きなのかと言うと、そのひとつの理由は確実に100点が取れる教科であるからだ。 例えば国語の場合、作文等においては教員の評価の偏り等の要因で減点されてしまったりするような不透明性が避けられないのだが、これは評価される側としては納得がいかない。 そういうことがなく評価に透明度が高いのが算数、数学の特徴であろう。 (ただ証明問題等において、解答を導く論理に誤りがないにもかかわらず、自分が教えた通りの書き方をしていない等の理由で減点するキャパのない教員もいたが…。)

 私が算数・数学がもっと本質的に好きだった理由は、数学とは哲学と表裏一体である点である。(このような数学の学問的バックグラウンドを把握したのは、ずっと後のことであるのだが。)紀元前の古代から数学は哲学と共に研究され論じ継がれてきているのだが、数学の概念的理解を要する部分が当時の私にはインパクトがあったのだ。
 一例を挙げると、中学校の数学の時間に「点」と「線」の概念について数学担当教員から(おそらく余談で)話を聞いたことがある。 「点」や「線」を生徒が皆鉛筆でノートに書いているが、これらはあくまで“概念”であり形も質量もないものであって、本来はノートなどに形にして書けないものである。数学の学習のために便宜上、鉛筆で形造って書いているだけのことである…。 おそらく、このような内容の話を聞いたと記憶している。
 この話が当時の私にとっては衝撃的だった。「点」や「線」とはこの世に実在しない“概念”の世界の産物なのだ! (当時は言葉ではなく、五感に訴えるあくまでも感覚的な存在として“概念”という抽象的な思考の世界に私としては初めて触れた経験だったように思う。)
 お陰で数学に対する興味が一段と増したものだ。

 同様に、“2進法”を中学生の時に(?)学んだ記憶があるが、これも大いにインパクトがあった。
 「1」と「0」のみの世界! 要するに「存在」と「非存在(無)」の哲学の世界とも言えようが、世の中のすべての基本はこの2進法にあるのではなかろうか、(と考えたのはやはりずっと後のことだが…)。
 小さい頃から10進法に慣らされている頭には、この2進法の洗練された世界はまだまだ子どもの私にとってとても斬新だった。 またまた数学の面白さを学ぶ機会となった。
 この“2進法”はコンピュータの計算原理でもある、と教えられ、コンピュータとは電球がONかOFFになることの発展型である、ことを頭に思い浮かべて“なるほど!”と納得したものだ。

 その「電子計算機論」を大人になってから学ぶ機会があった。
 20代に医学関係の仕事に携っていた頃、データ処理用のワークシートをコンピュータで出力する業務を任せられるに当たってプログラミングを経験したのであるが、その時に仕事の合間に私は独学でプログラミング(COBOLとFORTRAN)をマスターした。
 プログラミングの学習の一環としての「電子計算機概論」に、やはり“2進法”が登場した。 コンピュータ内における情報処理の基本計算原理は“2進法”。
 すなわち「1」と「0」の世界がコンピュータを生み出したと言っても過言ではない。

 (以下略すが、以上我がエッセイ集初期頃の2008.10バックナンバーより一部を引用したもの。)




 最後に現在の私見を述べよう。

 いつの時代も、教育現場に於いては教育者の力量が問われるものだが。

 全くもって教員の教育力と生徒の学習成果とは正比例するものであることを、この原左都子など中学生時代から身をもって実感させられたものだ。
 小学生時代から算数好きだった私だが。 
 上記引用文中に記載している通り。
 その我が算数好きは、中学生時代に「数学とは哲学と表裏一体である点である」、等々の数学の学問的バックグラウンドを語れる力量のある数学教諭に出会えたことで更に花開いたと言えよう。

 それにしても 今思い出しても、あの時代にあの過疎地公立中学校に素晴らしい学術力を備えた数学教師(若手男性教師でした)が配属されたものだ、とその偶然に今更ながら驚かされる。😲 

 あの時 あの教師に出会えなければ、この私は後々理系の医学部に進学することなど無かっただろうし(???)。
 今現在に至って尚、このようにブログとの媒体にて日々自己の学問経験等々を語れるラッキーにも出会えなかったように考察する。


 いま現代の子ども達の「理数離れ」を救うのは、素晴らしき学校の教師との早期の出会いが一番の要と思えてきたりもする。

 通り一遍の学校授業展開ではなく。
 趣味範囲でもよいから何らかの専門力を身に付けた教師が小中高校現場に数多く配属されることに、心より期待したいものだ!!


私自身は「孤独死」でもよいが 死後の処理を娘に委ねるのは心苦しい…

2024年05月17日 | 人間関係
 (冒頭写真は、2024.15.14付朝日新聞一面トップ記事より転載したもの。)


 早速、当該朝日新聞記事 「65歳以上『孤独死』年6.8万人 政府データ推計 実態把握へ」の一部を以下に引用しよう。

 孤独・孤立の問題への対策をめぐり、政府は13日、今年1~3月に自宅で亡くなった一人暮らしの人が全国で計2万1716人(暫定値)確認され、うち65歳以上の高齢者が約1万7千人で8割近くを占める現状をあきらかにした。 年間の死者数は約6万8千人と推計される。 (中略)
 今回のデータの公表は初めて。 今年1~3月、警察への通報や医師からの届け出で警察が取り扱った一人暮らしの遺体(自殺も含む)のうち、65歳以上の高齢者は6万8千人と推計される。 東京都監察医務院によると、20年に東京23区内で自宅で亡くなった一人暮らしの65歳は4207人で、15年前と比べて1.35倍に増えた。
 内閣府は、孤立死をいったん定義し、「誰にももとられることなく死亡し、かつ、その遺体が一定期間の経過後に発見されるような死亡の様態」とした。
 単身世帯の増加やコロナ禍などの環境変化に伴い、経済的困窮や自殺といった孤独・孤立にかかわる問題は顕著化している。

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 この記事を見て、私が真っ先に思い出したのは。
 今から既に十数年程前のことになるが、我が教職時代に一番お世話になった先輩女性教師の孤独死だ。
 彼女(「Mさん」としよう)が亡くなったのは、生涯独身を貫いた一人暮らしの部屋だった。 (発見人はMさんのお姉さんだが)そのお姉さんより、死後十数日経過下時点で彼女の部屋にて孤独死している遺体を発見したとのご連絡だった。

 私も40歳近くまで独身を貫いていた身にして、とにかくMさんとはツーカーの仲で実に馬が合った。 Mさんが勤務先の高校の近くに一人暮らしをしていた関係で、業務終了後にはよくMさんのお宅にお邪魔し、酒盛り((Mさんは飲まないのに飲兵衛の私にいつも楽しそうに付き合って下さった)したり、二人で居酒屋やカラオケ三昧したりと、夜遅くまで楽しく過ごしたものだ。

 私が「出産退職」にてMさんよりずっと先に職場を去った後も、出産祝い等々の際には必ずや遠方から我が家にお越し下さって、我が娘を可愛がってくれたりした。
 娘小6時に娘のバレエ発表会にその会場まで鑑賞しに来て下さったのが、Mさんにお会いした最後だっただろうか…

 その後も電話にてよく話したり、手紙交換も続けていた。

 享年69歳のMさんが自宅にて帰らぬ人になって、既に20年近い年月が経過した…
 
 Mさんの場合は、実姉氏とのお身内が近県にお住まいだったのがラッキーだったのかもしれない。
 死体発見はかなり遅れたにせよ、とにかく、死後の片づけやMさんを墓に入れるお世話はその実姉氏が滞りなく実施されたようだった。 (参考だが、Mさんは生涯独身にて高校教諭を長年続行された人物であるため、“金銭的蓄え”に関しては相当の金額保持されていたことだろう。)

 その意味では 死亡直後は「孤独」であったかもしれないが、安心して“あの世へ行かれた”と表現可能だろう。



 原左都子自身に話題を移そう。

 この私も、「孤独死」が十分考え得る。
 
 と言うのも 現在一緒に暮らしている亭主が私よりも年上のため,、順当にいくと先に他界するであろう??!?

 我が娘も どうやら結婚願望は無く、おそらく今後も一人暮らしの現状維持を続行するのだろう。

 先々、もしも私が「孤独死」した場合、いずれはこの一人娘に一番に連絡が入るのだろうが…


 その事態を、今から懸念している私だ。 😱 
 なんせ40歳近くで高齢出産にて、やっとこさ産んだ我が一人娘だ。 私が死ぬ際には、娘は未だ現役バリバリで職業人として活躍中だろう。 
 そんな中 この私の葬儀のために娘に一日時間を割いてもらうのは、どう考察しても心外だ!!

 表題の通り、この私自身は「孤独死」でよいのだが。
 まさに、死後の我が処理を娘に委ねるのは実に心苦しい思いだ…


我が娘の「大学公募制推薦合格記」 続編

2024年05月15日 | 教育・学校
 本日のエッセイは、3本前に公開した「 世の親たちは我が子の学習内容をどれ程理解して指導や叱咤をしているのだろう??」の続編の形となる。


 上記エッセイにおいては、我が娘が高校3年生時点で「大学公募制推薦入試」に一発合格!!するまでの道程に関して綴り公開した。

 母親である原左都子の教育力一本勝負で娘の「大学公募制推薦入試・合格」に導いたその道のりについてまとめたものだ。


 今回のエッセイは、その続編として。
 前編に於いては語っていない、貴重な「裏話」を公開せんとする魂胆だ。😏 

 ただし、その我が娘は現在既に30歳になっている。(参考だが、今尚結婚の意思が全く無く、親元を離れ一人身で職業人の人生を貫いている。)

 大学入試合格は本人が18歳時の出来事であるため。 その後12年の年月が経過した現在において、大学受験に関する世の状況が大幅に変化しているであろうことを、あらかじめお断りしておく。


 娘が自身で公募制受験を選択した大学・学部にての受験合格要件は、高校が作成した「内申書」「成績表」審査と、本人が大学に出向いて受験する「小論文課題」と「面接」のすべてを合格することだった。

 高校が作成する「内申書」と「成績表」に関しては、早くも高校入試時点で大学推薦入試のその合格基準を明確に聞いていた。
 一番重要視されるのは、「出席日数」だろう。 皆勤及び年3日以内の「欠席」が最低必要条件だっただろうか??  我が娘の場合は、もちろんそれを満たしていた。 特に高3時は卒業まで皆勤だった。
 学業成績に関しては、公募制推薦を受験する大学やその学部により基準が異なるのだが、 何処の大学学部でも最低限でも学業成績評価「3.5」以上を満たしていないと問題外だったと記憶している。 参考だが、我が娘の場合高3春時点での「総合評定」が「4.2」であり、余裕で公募制推薦受験可能だった。😁 

 以上が、とりあえず大学の「公募制推薦」合格の最低点の必要条件だ。 大学によっては、「英検」「漢検」「数検」合格必須等の条件もあります。(我が娘が受験した大学もそうでした。)

 これに加えて、「面接」はおそらく何処の大学の推薦入試においても必ず実施されていることだろう。



 この面接に関して、娘の高校でも学校長自らがその「模擬面接」を受験生に実施してくれたのだが。
 娘の高校には前年までは統率力の素晴らしい学校長(著名な元NHK解説委員であられた)がいらしたのだが、残念ながらその方が退職されて。  副校長だった人物が校長に昇格され、その方が娘の「模擬面接」を実施してくれたようだが…
 これが、(元高校教諭の私に言わせてもらうと)的が外れていた!!😱 
 その元副校長が娘に曰く、「あなたは既に美大受験は諦めているのだから、それに関して面接で触れてはいけません!」
 親の私から補足説明をすると、確かに我が娘は高2の最後まで美大受験に向けて夜間はせっせと美大受験予備校に通っていた身だ。 ところがデッサンに躓き、高2の3学期に美大受験を断念したとの経歴を作ってしまったのは事実だが。 
 この事実に関して親の私に言わせてもらうならば。 学業と並行して人の2倍の努力を重ねて来た娘の事実を、何故それを全く知らない学校長に「一切言うな!」と否定されねばならないのか!!と怒り心頭だった。 😡 
 そこで私は娘にアドバイスした。
 「もしも公募制推薦大学の面談において、例えば、余暇は何をしていたか?等々の質問がでた場合、夜間は日々美大受験予備校に通い切磋琢磨していた事実を公表するべきだ!」


 実は、これが娘の公募制推薦大学合格の要であったと結論付けられる気もする。
 娘が目指した公募制推薦大学学部学科とは基本的には「理系分野」ではあるものの、一部に於いて芸術性が問われる学科だったが故だ。 (参考ですが、我が娘は公募制推薦にて入学した大学にて「フードスペシャリスト」「フードコーディネーター」「食生活指導士」等々の資格を取得して卒業しています。)

 ラッキーなことに娘の公募制推薦面談の場に、娘を通わせた「美大受験予備校」と縁があり熟知している教授がおられたらしい!
 その教授氏曰く、「貴女はあの美大予備校にて毎晩頑張っていたのですね!!」

 なんだか親の私としても、この教授のセリフが決め手となって我が娘が目指した大学公募制推薦入試に合格できた気もする。


 人間の人生など、誰だって分かりゃしないものであろう。

 “たかが”高校校長が、自己の輝ける未来を目指す子供たちに。
 たかが模擬面談にて「これは言っちゃダメ!」などとのせせこましい指導を今現在も実施しているとは思いたくも無いが…😫 😱 

 学校教員たるもの、特に受験面談を控えている子どもの未来を潰すべく言動は自らの良識で自粛願いたいものだ!!