原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

今時の小学校では「2B」鉛筆使用が主流らしい

2023年09月21日 | 自己実現
 (冒頭写真は、原左都子が普段使用している筆記具類。 これらを各部屋に常置してあり、たとえばテレビニュースの聞き取り書き等々、いつでもすぐに筆記態勢に入れるように備えている。)



 いえいえ、正式文書や手紙・葉書類等々は、必ずやパソコン・キーボードにてのブラインドタッチ高速打ち派なのだが。
 (参考だが、27歳時に医学業務の要請によりコンピュータプログラミングをも担当することとなった。 そのプログラミング言語のCOBOLの字数の多さに辟易として、英文タイピング検定2級を取得した。 その恩恵で、今尚キーボード高速入力が得意技だ。)



 話題を大きく変えよう。

 2023.09.19付朝日新聞記事によると。
 近頃の小学生が使用する鉛筆は「2B」が主流であるらしい。
 へえ、そうなんだ!! と多少驚く私だ。

 と言うのも私が小中学生の頃には、絶対的に「HB」が主流だった!
 もっと薄い(と言うのか、硬い)「H」を好む児童生徒も多かった記憶がある。
 幼き時代の私自身の感覚でも、芯の先が固い鉛筆の方が書き易かった記憶もあるなあ。


 
 ここで上記朝日新聞記事より、今なぜ「2B」が学校現場で推奨されているのかに関する部分を引用しよう。

 その理由として、子どもの「筆圧の低下」との声もあるようだ。
 これに否定的なご意見も存在するようで、一般的に低学年の方が筆圧が強いとみられるらしい。
 小学生の字が「薄くなっている」背景に関しては、「就学前教育が進んだことで、今の子ども達は幼い頃から鉛筆に慣れ、筆圧の調整能力が高くなっている」との指摘もある。
 その上で、「長く書いても疲れないとされる2Bが推奨されやすいのではないか。 相手が読み易いような適切な濃さで書くこと。 それを理解した上で、自分にあった硬さを選ぶとよい」とのご意見もあるようだ。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 いやはや私の小学生時代(過疎地出身ですが)は、塾通いをする子など皆無だったものだ。
 この私が幼稚園時代(4歳時点)での知能(IQ)試験で通園した幼稚園の過去最高得点のIQ168を打ち立てて、「親が特別教育でもしているのか?!!」と大騒ぎになった話題は、幾度となくバックナンバーにて披露しているが。
 そんなもの何らしていないどころか、子どもなど放ったらかしの家庭に私は育っている。 

 当時の我が記憶を振り返ると。 幼稚園とはくだらない事ばかりやらされてつまらないところだなあ、との印象しか抱けないままに日々ダレて通っていたところ。
 その日は突然「知能試験」とやらをするとのことで。 それに取り掛かってみると、これが面白くて面白くて!!  何でいつも、こういうことをさせてくれないの?? と感激しつつノリノリで取り組んだものだが。 ページをめくってはいけないのに、一人でどんどん進めていると、「勝手に次へ進んではダメ!!」と怒られたものだ。



 話が大幅に飛んで恐縮だが… 。

 とにかく、私は基本的に「鉛筆好き」(ボールペンや万年筆に比して、と言う意味だが)だと言えよう。

 とは言え、今や時代はキーボード時代へすっかり移ろいでいる。

 これに関しても、若き頃に「英文タイピング検定2級」を取得するチャンスがあったお陰で。
 人よりもずっと早くパソコン・キーボードに馴染めたのは、我が人生に於けるひとつの「成功」への道程の第一歩だったと今尚自己評価している。😀 



 今となっては まさにテレビニュース等を見つつ、急いでその内容をメモする時にしかぐらいにしか鉛筆を利用しないが。

 その行動を日々繰り返す私にとって、冒頭写真の鉛筆類は未だに我が必須アイテムの役割を果たしてくれている。 
 

再掲載 「“悩みのるつぼ“2013.10.12 岡田斗司夫氏回答を論評する」

2023年09月20日 | 自己実現
 本日つい先ほど、「原左都子エッセイ集」一ファンの方から、「岡田斗司夫氏のファンだ」云々のメッセージを頂戴した。


 
 岡田斗司夫氏と言えば、当「原左都子エッセイ集」初期頃のエッセイにコメントを頂戴している。 
 そのコメントが書かれているバックナンバーエッセイを探したのだが、残念ながら見つからなかった。

 コメント内容はよく覚えていて。
 何と言うのか、自分は有名人だと言いたげな表現の下に、大した内容でもない多少嫌味ったらしいコメントを記載して下さっていた。
 内心、(これ、すぐに論破できるぞ!!)と燃えた原左都子は、言葉こそは丁寧に整えつつも、反論意見を誠実に書かせていただいた。
 これには後日談があって。
 その岡田斗司夫氏とのやり取りを読んで下さった原左都子ファンの一女性が、明瞭に「原左都子さんのご意見に一票!!」とのコメントにて応援して下さり、大いに心強かったものだ!!



 さて、本日「岡田斗司夫氏ファン」とおっしゃる方からメッセージを頂戴したのをきっかけに。 
 2013.10.14付「原左都子エッセイ集」バックナンバー、「“悩みのるつぼ”2013.10.12 岡田斗司夫氏回答を論評する」と題するエッセイを、以下に再掲載させていただこう。


 「原左都子エッセイ集」でおなじみの朝日新聞“悩みのるつぼ”10月12日の相談は、20代大学生による 「生きていく意味がわかりません」 だった。
 これに対する今回の回答者 岡田斗司夫氏の回答表題は、「あなたの前にあるのは二択です」。

 今回の悩み相談の場合、相談者側の相談内容よりも回答者であられる岡田氏の回答内容に我が関心が集中した。
 そこで本日のエッセイは、表題の通り、岡田斗司夫氏の回答内容を論評することに主眼を置く。

 冒頭から、我が私論の結論を記そう。
 この相談に原左都子が回答するならば、私は 「あなたの前には無数の選択肢があります」 と題するであろう。

 それでは早速、20代大学生の相談内容を以下に要約して紹介しよう。
 そろそろ就活が始まるが、何のために就職して働くのか分からない。 僕は世間で高学歴といわれる大学に通い成績も良いので問題なく卒業できる。 普通に頑張っている先輩達も良い会社に就職できている。 大学の4年間は自由に遊べる時間が多いので、それを励みに受験を頑張った。 しかし卒業して社会人になると約40年間も働き、家と会社の往復で仕事も大変そう。 家が裕福ではないのでニートはできず、生きていくために働かねばならない事は分かっている。 でも、何のためにそこまでして生きていかねばならないのか。 僕はゲイだが、恋愛を楽しむ事は出来ても将来結婚して家庭を築くことは出来ない。 金持ちになりたい欲もない。 そして社会に出ると汚い事がいっぱいあるし、やりがいや目標などを考えずになるべく楽な仕事を選ぼうとするのも間違っていると思う。 働く意味、生きていく意味を教えて欲しい。 (朝日新聞“悩みのるつぼ”相談より引用。)

 ここで少しだけ原左都子の私論を語ろう。
 この相談には「生きていく意味が分からない」などとの“ご立派”なタイトルが付けられている割には、その実とは軟弱にも「将来働きたくないのだがどうしよう」と言いたいのが本音ではなかろうか?
 そんな輩などごまんと存在するのがこの世の常だ。 (既に高齢のこの私だって本音を言えば、自分がやりたい事だけしてへらへらと生きていけるものならそうしたいと思う事もあるよ。)
 あなたが高学歴で成績もよろしいのであれば、何も大袈裟に新聞投稿などして「やりがいや目標など考えず楽な仕事を選ぼうとするのは間違っている」などと、さも優等生気取りで綺麗事をホザいてないで、自分勝手に楽して生きていく方策を見出す努力をすれば済む話じゃん! と片付けたくもなるというものだ。

 そんな貴方の相談に、評論家の岡田斗司夫先生は実に丁寧に肯定的に応えて下さっているよ。
 以下に、岡田氏の回答内容を要約して紹介しよう。
 青春という言葉がある。「大人になるかどうかで悩む時期」の事だ。 大人は汚いしずるい。でも大人にならなくちゃいいけない気がする。 いや、ずっと子どものままじゃいけないの? こんな悩みが自分の中に生じてこない段階は「子ども」だ。 そしてこんな問題でいちいち悩まなくなった状態を「大人」という。 人により「子ども」から「大人」に移行する期間は異なるし、「大人」になったからと言って後戻りできない一番しんどい時期だ。 既に「大人」になったと思しき相談者には「青春を続ける」か「しぶしぶ大人になる」かの二択が残されているのみだ。 たとえ後者を選んだとしても「働く意味・人生の意味」に悩まなくなるのはたぶん5年後ぐらいだろう。
 この記事を読んでいる読者である大人の方々も、「そういうの自分の青春期にも悩んだよな~。」等々と思うことだろう。 子どもから青春にシフトしたらもう戻れないのと同様に、もう「悩めない」のだ。 だから回答者の私(岡田氏)も、もう貴方の悩みは理解できなくなった。 自分の事を思い出して苦笑いするだけだ。 バカみたいだろうか? 大人の特権とは昔のバカみたいな時代を笑えるぐらいだ。 あなたも悩み過ぎたら大人になって、いつの日か一緒に笑いましょう。
 (以上、“悩みのるつぼ”岡田斗司夫氏の回答を要約引用したもの。)

 上記の岡田氏の回答を読ませていただき、氏の理論に従うならばもしかしたら原左都子とは未だ「子ども」段階で右往左往している状態なのかと自己分析させられる思いだ。
 と言うのも、氏の今回の大学生に対する回答内容とは、大学生が既に「大人」になっていると結論付けると同時に、氏にとってはそれは過去のノスタルジーとして片付けておられる。 しかも、現役大学生に向かって「いつか一緒に苦笑しましょう」とまで結論付けておられるのだ。

 ちょっと待ってよ、岡田斗司夫先生。
 これはいくら何でも“手抜き回答”ではないだろうか。 あるいは岡田氏とは現在著名人であり、仕事及び収入にも恵まれておられる立場からの回答かとも推察する。
 当該相談男子学生にとって、一時は岡田氏の回答で心が癒されるのかもしれない。
 ところが今回の岡田氏の回答を深読みすると、男子学生の現在の苦悩を捉えられていないばかりか、男子学生にとって将来の明るい人生に繋がる回答とは一切成り得ていないのではなかろうかと私は危惧する。

 最後に原左都子の私論でまとめよう。

 この男子学生の相談内容に多くの“落ち度”がある事実は、その年齢にしては致し方ないであろう。
 若気の至りと表現するべきか、自分は有名大学へ進学してある程度優秀な成績を修めている事を暴露している事実からして(何と申しましょうか??)との感想を抱いてしまう朝日新聞読者が多いことであろう。 しかもそれらを自負しているのであればもっと相談内容に論理性を持たせばよいものを、書けば書く程に墓穴を掘る結果となっている事実も辛い…。

 ただ、そんな貴方も将来変わり行く可能性が十分にあると私は想像する。
 その辺は、岡田斗司夫氏が書かれている内容とおそらく一致するのであろう。

 あなたは「ゲイ」である事を(何故かこんな場で)公開している。  私自身はレズでも何でもないのだが何故か結婚や出産願望が若い頃より乏しくて、それらを後回しにした人生を歩んでいる。 自分自身がそうしたくて長き独身人生を選択・堪能してきたのだ。 もしも一生独身であろうとそれでもよいとの考えもあった。
 あなたはどうなのだろうか? もしもゲイ同士の結婚制度を認めて欲しいのならば、それを国家や自治体に訴え続ける人生というのもあり得るのではなかろうか!? そのための資金を得る目的で働くという動機付け選択肢もあり得ると私は思うのだが??

 何はともあれ、若いあなたの前には無数の選択肢があるはずだ。
 人間誰しも“食い扶持”は必要だが、自分なりの目標が描ける程に自ずとその“食い扶持”に巡り会え、自らの人生の可能性が高まっていくのではあるまいか?

 若者達とは、まだまだ自分自身の夢を描き続けるべきと私は心得る。 その対象が何であろうが、その夢を叶える道程こそが自身の生涯を生き抜く「真の」収入源となろう。

 岡田斗司夫先生の理論にケチつけるようで申し訳ないが、そういう意味で原左都子は一生涯岡田先生がおっしゃるところの 「子ども」 であろうし、そうありたいと志している。

 (以上、原左都子エッセイ集バックナンバーを再掲載したもの。)




 今現在、この原左都子がメディアを通して岡田斗司夫氏を拝見する機会は無いに等しい。

 ただ、今朝原左都子宛に岡田斗司夫氏に関するメッセージが届く程だから。😱 

 岡田氏も、何らかの形でこの世で自己表現を続けられているのであろう。

 とにかく世に名を売られている岡田斗司夫氏は、未だにファンを抱えられている様子で、よろしいことじゃないだろうか??

 今後共々、無名を貫き通しつつ自己表現を続ける予定の原左都子にとっては、他人事の話に過ぎないが…


誰と同い年?

2023年09月19日 | 自己実現
 先程2023.09.16付朝日新聞(いつも何日か遅れて朝日新聞を読む習慣がずっと続いているが)をめくっていたら…


 「オトナになった女子たちへ」の今回の表題が「だれと同い年?」だった。
 このコーナーは、いつもは女子(女性と言うよりもむしろ若い女子)読者相手に “性” に関する内容の記事を展開している内容と、私は捉えているのだが。

 今回はどういう訳か、テーマが「だれと同い年?」だった。

 ちなみに、このコーナーの筆者であられる伊藤理佐氏の同い年芸能人は、「中山美穂」「曙」「ミスチル桜井」「サーヤ(黒田清子さん)」等々であるそうだ。



 これに、原左都子がつられない訳が無い。

 早速、同年生まれの芸能人を思い浮かべてみた。

 どうしてもダントツ一位で思い出すのは、「郷ひろみ」である!
 これには理由があって、郷ひろみと私は誕生日が1日違いなのだ!!
 参考だが、郷ひろみの誕生日は1955年10月○○日らしい。 (原左都子の方が一日だけお姉さんだ。)

 そして 郷ひろみの素晴らしい点は、未だにスリム体形を保ち続けていることだ! 
 決してその真似をしている訳ではなく、おそらく生活信条が一致していると推測するが。 この私も幾つになってもスリム体形を保ちたい派であり、その点でポリシーが一致していると、郷ひろみ氏を拝見する都度、安堵するというのか同輩がいて嬉しいと思える心理になる。

 この郷ひろみ氏のヒット曲は数多かれど。
 今現在ステージで歌い踊っているのを拝見して一番盛り上がるのは、何と言っても「2億4千万の瞳ーエキゾチック・ジャパン」だ!

 それにしても原左都子の場合はバリバリ無名の一般人であり、体形を保持してると言えども、到底舞台に立って踊れる体型とは程遠いことは十分に自覚できている。 (えっ?? もし舞台に立って踊れるチャンスがあれば、それに対応するのか?? そんな気は全く無く、単に自身の趣味で自宅で踊って楽しみ、あわよくば今後に続く体形維持を目指しているだけの話だ。 所詮、プロとアマでは所詮大違いと言う事実を若い頃より実感し続けてきている…)

 それに比して、高齢域に達して未だあのスリム体形を保ち舞台映えがする郷ひろみ氏を、尊敬申し上げない訳も無い。



 ついでと言っては何だが。
 
 原左都子と同年生まれの芸能人を、私が知る限りでネット調査してみた。


 その方々を、以下に列挙すると。(敬称略とさせていただきます。)

 明石家さんま。 松山千春。 川中美幸(へえ、この方私よりずっと年上と認識していたが、同い年なんだ…)。
 ラサール石井。 この方に関しては、過去に於いてその“天才性”を評価した時期もあったなあ…
 アグネス・チャン。 この方、今はどうしておられるのだろう???
 西城秀樹。 残念ながら若くして亡くなられたなあ…

 
 別版として、原左都子と同級生で「早生まれ」の方々も紹介しておこう。

 桑田佳祐氏。 大地真央氏。 役所広司氏。 (いやはや、天才肌の方々が多いなあ!)

 野口五郎氏。 新沼謙治氏。 (このお二人も原左都子が今尚大好きな歌手の方々だ。)



 と、今回のエッセイでは 原左都子と「同級生」の方々の名を連ねさせていただいたが。
 
 残念ながら、早死にされた方もおられる中。

 今尚芸能人として大成された人材が現役で活躍されている事実に、改めて感動させて頂けた次第だ。

 郷ひろみ氏はじめ、同年生まれの芸能人の方々の今後のご活躍を応援申し上げます!!


今時、25cm以上サイズの女性靴を普通に販売して欲しい!!

2023年09月18日 | 自己実現
 そうは言ってみても。


 日本人の身長の伸びが既に40年前より止まっているとのニュース報道にも、過去に接している。

 そうだとすると、それに並行して日本人女性の足の大きさも、40年前から止まっている計算となるか!?!?



 何を隠そう、身長165cmの原左都子の足のサイズが実は25cmなのだ…
 (これを一昔前に公表すると嫁の貰い手が無いから黙っておくように!、と父系のお婆ちゃんから指導されたような記憶もある… )

 そんなもの黙れるわけもない代わり、実際問題そんな大きな履物がほとんど郷里過疎地では販売されてもいなかった…


 本日、実は来る10月1日に久々に参加する「高校時代の同窓会」出席のために履いて行く靴を買いに出かけた。
 私に合うサイズの靴は、自宅下駄箱内に豊富に存在するのだが。
 何分、現在左膝針金摘出手術を受けて間もない身にして、自宅にある靴はヒールが高すぎたりして危険性があるのだ。


 既に高齢域に達している我が身にして。
 それでも、久々の同窓会(高校時代の同窓会なのだが)には、何分久々に会う同じ年齢の方々に最大限の我が近況の“素晴らしさ”を外見にて演出したいのは、皆さん同じ心境なのではなかろうか??

 左膝さえ骨折被害に遭っていなければ、我が下駄箱にいくらでも似合うハイヒールがあるのに…

 何で、こんな時に高校時代の同窓会になどエントリーしてしまったのだろう。
 あと1年待てば、この私の左膝も回復し普通に歩けるようになっていて。
 参加者の誰よりも高齢域に達して尚、(あくまで自己評価では)類まれなこの高身長スリム体形を維持し続けている事実が証明できたのに… ???


 などと罰当たりな事を言っていると、せっかく今回お誘い下さった同窓生に失礼であろう。

 
 それにしても、高齢女にして靴のサイズが25cm!!
 (いえいえ、25cmでも小さく感じる靴もあります…)😱 
 
 
 これを公表するのみで嫁の貰い手が無い事実を、私は過去の経験から十分に存じております!!


 とにかく今回の同窓会出席時には未だ左膝の不具合を抱えている身にして。 

 自宅にある25cmサイズの運動靴を履いて、しんみり粛々と出かける予定でおります…
 

厚労省が15日に、年代別のコロナウィルス抗体保有率を公表

2023年09月17日 | 医学・医療・介護
 この原左都子に関して言えば。

 8月中旬に、昨年秋の左膝複雑骨折時に挿入した針金除去手術を受けるに先立ち、病院にてコロナ抗体検査を受けた。

 その結果は、陰性だった。

 私の場合、コロナワクチン予防接種は2022.02に受けた「第3回のモデルナ社製ワクチン接種」以降、コロナワクチン接種を受けていない。
 要するに、ワクチン接種していない歴1年半程になるが。



 何故、私が第3回目接種以降、コロナワクチン接種を回避しているのかを説明するならば。

 3度目の接種直後より丸2日間に渡り、39℃を超える高熱に苛まれた故だ。
 あの時の高熱発熱の記憶は未だに鮮明だが。
 ワクチンを受けて帰宅した夜までは、接種箇所である腕が痛む以外は通常の身体状況だった。
 ところが夜中から具合が悪くなり始め、時間と共にその体調が悪化するばかりだ。 
 朝になり体温測定してみると。 な、何と、既に39℃を超えているではないか!!
 これはコロナワクチン接種の副作用とすぐに判断した私だが、既に起き上がれない程の体調悪化ぶりだった。
 寝て過ごすしか方策が取れず、とりあえず亭主にその旨告げて寝て過ごしていたのだが。 困ったことに、体温が下がる気配が無い。
 かと言って既に起きて活動可能な身ではなく、布団の中で半ばうなされつつ時間を過ごした。 (水分補給には留意しました。)

 次の日の朝方になって、全身から汗が吹き出て来て。
 見る見る間に、我が体温が37℃台程まで下がった。 
 これはもう峠を越した! と判断して 消耗した身体をかばいつつも、未だ生きながらえていることに感謝すらしたものだ。


 そんな私は、コロナワクチン3度目接種後に医学関係者としての自身の結論を出した。
 これは、我が体内で確実に「コロナ抗体」が作られたぞ。 しばらくは、私はコロナには感染せずに済むだろう、と推測し。


 そして、その後4度目の接種は見送った。

 昨年秋に5度目のコロナワクチン接種の機会があったと記憶しているが。
 それは受けようと志していたところ、ちょうど時を同じくして路上で激しく転倒し、救急搬送の上に左膝複雑骨折のために9日間の入院と相成った…

 予約していたコロナワクチン4度目接種は当然ながらキャンセルして、私は左膝複雑骨折手術のために9日間の入院の身となった。


 あれから9か月程が経過した我が身だが。
 左膝の針金除去手術を終えて、心身ともにさっぱりしているのかどうかを説明するならば。
 一旦膝の複雑骨折を経験すると、そう簡単に膝が回復してくれるという訳ではない事実が身に染みている…
 未だ我が左膝は腫れが残ったままで、この腫れが一体いつまで続くのかが不明だ… (要するに、未だ歩行が普通に出来ない有様です…) 😭 



 話題を、表題の厚労省による「年代別コロナ抗体保有率」に戻そう。

 コロナ自然感染、高齢者は「4人に1人」。
 コロナに感染後 体内には抗体ができ、しばらく残る。 ワクチンによる抗体と自然感染による抗体は区別でき、抗体保有率を調べれば、どれくらいの人が感染した経験があるのか分かる。
 調査では、今年7~8月に診療所で検査のために採った血液の残りを用いた。
 22都道府県4235人分の血液を調べたところ、全体の抗体保有率は45.3%だった。
 小中学生にあたる年代の子どもの7割が感染を経験した可能性がある一方で、70歳以上は4人に1人程度しか自然感染の経験がないことになる。

 (以上、朝日新聞記事より引用したもの。)



 原左都子の感想だが。

 いやいや、そうなんだ!

 やはり子供の感染とは、たとえ一時でも今後の免疫力強化に繋がるのに比して。
 高齢者とは、自然感染による抗体保有率が有意に低いことを改めて認識させられた…

 かと言って今後、原左都子が「コロナワクチン接種」を実行するかどうかに関しては、もっと深い医学的考察を要する気もするなあ…