原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

緊急性の低い「119通報」が全体の2割を占めるらしい

2023年09月28日 | 医学・医療・介護
 この原左都子も、昨年秋に路上で激しく転んで結果としては「左膝複雑骨折」の大怪我をした際に、救急搬送のお世話になった。


 なるべく緊急搬送を避けたいのは山々だが、とにかく立ち上がれないし歩けない。
 やむを得ず、救急車にて救急病院まで運んでいただいた。

 あの時の記憶を一生忘れることはないが…

 とにかく立ち上がれないため、担架にて救急車に運んでいただいた。
 救急車内では3名の救急隊員の方々が、それぞれの役割を果たしている。
 運転手の方はそれに集中し。
 患者担当の方は、患者につきっきりで各種質問や救急車内に備え付けの装置での医療措置を施している。 
 もう一人の方は、病院との連絡等々を行っておられたと記憶している。
 
 その一人の患者担当の方が、我が記憶が飛んでいるのに気付いた。
 これは重要事項であり、それに集中して色んな質問を投げかけて下さる。
 「今日は何処へ行きましたか? どなたと会いましたか? 」
 それらに必死で応えようとする我が脳に、少しずつその日の記憶が蘇ってくる。 「そう言えば、○○へ行って、△△さんにお会いしました!」
 そうだとしても、一時記憶が飛んでいた事実とは捨ておきならない事実は医学関係者の 私も十分に理解可能だ。

 隊員氏の判断で、「整形外科」中心ではなく「脳神経外科」も併設している救急病院への輸送が車内で決定した。 (ああ、こうやって個々の患者を運ぶ先を救急隊員が決定するのだなあ…)などと私は感心したものだ。
 

 私が救急病院へ運ばれたのは、午後7時頃の事だったが。

 運ばれた先の救急病院が、大混雑の模様だ。
 「しばらく順番待ちです」との救急隊員の説明で、救急車が列をなしている最後尾で順番待ちをすることとなった。
 まあ私の場合は さほどの緊急性も無いことは自己診断にて把握していたため、救急隊員氏達に命を預け、救急車内で30分程の順番待ちをしただろうか?

 そして、やっとこさ運び込まれた救急患者対応室(担架に寝かされた我が印象だと、体育館程の広さがあっただろうか?!!)の入り口間際のベッドへ運ばれた。

 とにかく最初に、やはり強打したと思われる頭部の検査のため(実際には右顎を強打していた)CT検査室へ運ばれ、精密検査が実施された。
 幸いこれが 大したことはなかった(ほぼ正常状態)だった様子で、私はその後ずっと、体育館のような広さの救急患者対応室の隅っこに寝かされたままになった。

 その状態で、結果として最悪だった「左膝複雑骨折」の診断とその場しのぎの治療を深夜をはさんだ午前2時頃に受けたのみで自宅に返されることとなり。 
 その後車椅子を亭主に押してもらいつつタクシー利用で自宅まで一旦帰った。
 (後日、9日間の左膝複雑骨折手術入院と相成ります。)



 ただ、そんな経験をしてきた身にして、曲がりなりにも「救急患者受け入れ病院」のその厳し過ぎる医療現場の実態の程を十分に観察してきたつもりだ!


 
 朝日新聞記事に戻ると。
 
 今現在の実態として。
 実際問題、救急性の無い通報が全体の2割を超えているらしい。

 救急対応医師の現場での対応ぶりの厳しさに関しても、原左都子自身も救急患者の立場にして十分に観察してきた身でもある。

 ここはどうか、ご自身の判断で「救急性」をある程度判断した上で、救急車を呼ぶ習慣を身に付けていただきたい。

 そうそう、それに関しては「#7119」なる便利な救急相談センターが存在しているようだ。

 とりあえず、救急か否かご自身で判断不能な場合は、この「#7119」に電話することで、適切な対応がなされるとのことだ。


 
 それにしても、実際に昨年秋に救急搬送のお世話になった身にして思うのは。

 今時の救急隊員氏達のご対応の程が素晴らしい!!との感嘆と同時に。
 それらの方々の激務の光景がいつまでも我が脳裏に思い浮かぶ。
 
 救急搬送受付病院内での医師をはじめとする医学従事者の皆さんのこの激務の程を、何とか本気で改善せねば。

 今後もそれらの方々の自殺を防げないのだろう… とつくづく考えさせられる…