原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「勉強しないとああなるぞ。」との小学校教諭の発言に異議あり!!

2022年09月25日 | 仕事・就職
 (冒頭写真は、我が家の集合住宅バルコニーより区のゴミ収集車駐車場を撮影したもの。 本日は日曜日につきゴミ収集がお休みのため、残念ながらゴミ収集車が駐車していない。)



 何を隠そう、この原左都子にはとある“特殊趣味”がある。

 それは、働く人を観察する趣味なのだが。

 冒頭写真の通り、我が家のバルコニーから見渡せる視界にちょうど区のゴミ収集車の一時駐車場が存在するのだが。

 我が区の場合、月~土まで毎週曜日ごとに「燃えるゴミ」「資源ゴミ」「不燃ゴミ」「粗大ゴミ」等の収集日が決まっている。
 その収集日の午前7時過ぎる頃になると、(おそらく普段は区の施設内に駐車しているのであろう)ゴミ収集車が一斉にこの駐車場までやってきて、一時的な駐車場となる。
 そして全車が集合すると、出発の合図と共に各車が自分の分担地域へゴミ収集へ出かけて行く。


 その時間帯が、我が朝の洗濯干しの時間と重なるのだが。

 変な趣味😖 と思われるかもしれないが、このゴミ収集車が集団で出発するのを上階から見物するのが我が朝の楽しみとなっている。
 特に注意をして見物するのは、この辺りは近くの小学校の登校ルートとなっていて、小さい児童たちに収集車の運転手さんたちが十分注意しながら慎重に運転している姿だ。
 誰一人その注意を怠る運転手さんはおらず、全車の無事の出発を見届けた後は。 私はひとり勝手に(気を付けて行ってらっしゃい。今日もいい日になりそうだ!)と感動している有様である…

 ついでに説明を加えると。
 ゴミ収集車がこの駐車場へ帰って来るのは、各車ごとに大幅に時間が異なるのだが。 
 一番早く帰って来るのは小型の収集車で、昼頃には帰還する。
 その後は細かい観察をしていないので不明だが。 夕方5時頃になって駐車場を見下ろすと全車が既に消え去っているため、その時間までには全車が区の駐車場へ戻るものと推測する。



 さて、本題に入ろう。

 本日我がエッセイ集のテーマとしてこれを選択したのは、以下の情報を観たことによる。 早速、以下に引用しよう。


    「勉強しないとああなる」 暴言に清掃員伝えたい事
        2022年09月22日 07時00分 東洋経済オンライン

 毎日、毎週、真夏や雨の日でも当たり前のように収集してくれるごみ。しかし、誰がいつどう収集していくといった現場の実際についてはほとんど知られていない。今回は清掃職員の「ごみ収集」以外の仕事にスポットを当てる。

 地方自治体の中には、清掃職員が保育園、幼稚園、小・中学校などでの環境学習を支援している。 だが、この形も最初からうまくいっていたわけではない。 ある自治体では、小学校での環境学習に清掃事務所が協力する形が現在ではできているが、両者の関係がぎくしゃくしていた時期もあったという。小学校の傍らでごみ収集作業をしていた際、2階の窓から見下ろしていた教諭が児童たちに向かって、「勉強しないとああなるぞ」と暴言を吐いたことがあったからだ。
 学校に清掃職員が訪れ、環境学習を支援する意味とは? いったいどのようなことを教えてくれるのでしょうか?

 「ごみ収集」以外の仕事とは?「清掃に従事している方々は、どのような業務を担っていると思いますか?」と問われれば、真っ先に「ごみ収集」と答えるであろう。 もちろんそうなのだが、それ以外にも住民が清掃行政に参加し環境問題にしっかりと向かいあえるよう、啓発する業務にも従事している。
 ごみ収集を直営で行っている地方自治体の中には、清掃職員が保育園、幼稚園、小・中学校などでの環境学習を支援している。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 この情報を見て、教員経験のある私は驚き果てた。😱 

 その部分を再引用しよう。
 「小学校の傍らでごみ収集作業をしていた際、2階の窓から見下ろしていた教諭が児童たちに向かって、『勉強しないとああなるぞ』と暴言を吐いたことがあった」

 「ああなるぞ」って一体なんなんだ?!?!?

 この小学校教諭の「職業差別意識」及び「人生経験不足に伴う思考の浅はかさ」に呆れ果てて、ものが言えなくなってしまった…
 こんな軽薄な思考の人間が学校の教員に採用されて許されるのか?!? 誰がこいつを教員として採用した!??


 この私の場合、自らが好き好んで様々な職業経験を積んできている身にして。 だからこそ職種が異なれど仕事というもの自体の価値をある程度把握できる身であるつもりだ。

 それ故に、毎朝我が家の近くのゴミ収集者から出発するゴミ収集車を見送る趣味に芽生えたのだ!😃  
 まさに、「本日もお世話になります、よろしくお願いします。気を付けて行ってらっしゃい!」の気分で、ひとり勝手に見送っている。


 加えて、上記引用文を読ませていただくと。

 「(ゴミ収集作業員氏の皆さんは)外にも住民が清掃行政に参加し環境問題にしっかりと向かいあえるよう、啓発する業務にも従事している。 ごみ収集を直営で行っている地方自治体の中には、清掃職員が保育園、幼稚園、小・中学校などでの環境学習を支援している。」 との記述もある。

 重ね重ねではあるが清掃行政業務にかかわる皆様が、日々我々の暮らしの向上を目指して環境維持のために活動されている事実に。

 心より感謝申し上げます!

 
 また明日からも、朝の洗濯干しの時間帯に自宅近くの駐車場から稼働するゴミ収集車の出発を、我が家のバルコニーから見送らせていただきます!😃 


岸田首相支持率激低下と旧統一教会会見

2022年09月24日 | 時事論評
 冒頭から、ネット情報の一部を引用しよう。



   旧統一教会が会見を開いた“最悪のタイミング”…国葬支持表明で反対派へさらに燃料投下

 9月22日に行われた旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の会見。その様子からネット上では“逆ギレ”と言われるなど、波紋を呼んでいる。
 「21日、旧統一教会はメディアに向けて『教会改革推進本部』を設置すると文書で発表。そして『経済状態に比べて過度な献金にならないよう配慮』『勧誘当初から統一教会であることを明示する』といった“改革内容”を明かした。
 しかしこの日の会見で『報道特集』(TBS系)の金平茂紀氏が旧統一教会の被害を受けた人たちに対する見解を問いただしたところ、教会改革推進本部の勅使河原秀行本部長は顔をしかめて『まず被害という言葉からちょっと考えてみたい』などと話した。 (中略)
 そんななか、勅使河原本部長の一言が注目を集めた。「個人的には」としつつも「安倍元首相をたいへん尊敬していた。偉大な政治家だったと思っている。丁重に国を挙げて葬儀をすることに賛成だ」と述べたのだ。
 「『NHK』が9月13日に発表した世論調査の結果によると、『国葬開催を評価する』と答えたのは32%。そして『評価しない』が57%でした。また政権と距離が近いとされる産経新聞とフジテレビの調査でも、『国葬を巡る岸田首相の説明に納得できない』と72.6%が回答している。
 世論は岸田文雄首相(65)の国葬を開催する理由が不十分だと考えており、開催も疑問視している。 それでも、岸田首相は『丁寧な説明を続ける』の一点張り。そのため国葬が近づくにつれ、内閣支持率もどんどん下がっている。『毎日新聞』が18日に発表した調査によると、その支持率は29%。ついに3割を切ってしまったといいます」(全国紙記者)
 そんな国葬への逆風が吹き荒れるなか、いまもっとも批判が殺到している旧統一教会の幹部から“支持”が表明されたのだった。
 「この発言には、岸田首相も頭を抱えたでしょうね。国葬反対論がさらに強まることになりましたから」 そう語るのは、政治部記者だ。
 「そもそも岸田首相が会見を行った日、外国為替市場では円相場が一時1ドル=145円台と24年ぶりの円安水準を更新。 (中略)
 ただでさえ円安と為替介入のドタバタのなか、もういっぽうで旧統一教会の本部長が個人的としながらも国葬賛成を表明。 反対派にさらなる燃料を投下することとなった。
 岸田首相にとっては、同時に火消しが求められる状況。 支持率が低下し続けるなか、今回の旧統一教会の会見は“最悪のタイミング”だったといえるでしょう」(前出・政治部記者)
 27日の国葬開催まであとわずか。 岸田首相の悩める日々は続きそうだ。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 私見に入ろう。

 故安倍氏の「国葬」が3日後に開催される今、特に都内では既に外国人来客の警備対応として、高速道路等々の点検が大々的に実施されているのを本日昼のニュース報道にて見た。
 故安倍氏国葬の費用額を、岸田政権は10何億程??と見積もっていると発表済だが。 あの大規模な高速道路点検の様子を見ただけでも、そんなに少ない費用で済むはずもないと実感させられる。
 しかも一般通行車両を遮断してまでの点検作業だ。 これを「国葬」が終るまでずっと続行するつもりなのか?!?  
 一般人の大迷惑の程を想像して、余りあると言うものだ!!😡 

 上記の引用文中にも記載されているが。
 朝日新聞社の世論調査でも、「国葬」反対が56%、賛成が38%と反対が賛成を大きく上回っている。
 立憲民主、共産、社民、れいわ新選組は各党の代表は欠席を決めている。

 岸田首相は国会の閉会中審査で一度だけ質疑に応じたが、首相の説明に納得できないとの反応が、納得できるの3倍近くに達している。 岸田首相の言葉は国民の心に届いていないままだ。

 そんな中での、今もっとも批判が殺到している旧統一教会幹部から“岸田支持”が表明されたとの上記引用文中の記述だ。
 上記引用文を繰り返すが、「旧統一教会の本部長が個人的としながらも国葬賛成を表明。 反対派にさらなる燃料を投下することとなった。 岸田首相にとっては、同時に火消しが求められる状況。 支持率が低下し続けるなか、今回の旧統一教会の会見は“最悪のタイミング”だったといえるだろう。」


 故安倍氏「国葬」に断固として反対!!を貫いている原左都子としては、(よくぞまあ、今この時期に旧統一教会幹部が岸田氏による「安倍国葬支持」を表明してくれ、国葬反対派国民の岸田氏支持率低下現象を煽ってくれたものだ!!)との感覚だが。

 それにしても、あと3日後に故安倍氏「国葬」は実施されてしまう運命にある。
 
 東京都は「半旗」を掲げるらしいが…
 都民の一人としては、勘弁して欲しいとしか言いようがない。😫 

 国葬当日は国葬反対派デモにでも加わって我が意思を表明しようか、と考えたりする今現在だ。


経済力ある女性は「国際ロマンス詐欺」を楽しんでいいんじゃないでしょうか??

2022年09月22日 | 恋愛・男女関係
 (冒頭写真は、漫画家・井出智香恵氏による新刊「毒の恋」を朝日新聞記事より転載したもの。)

 
 冒頭から、本日の「朝日ID」よりメールにて届いた情報より一部を引用しよう。

  見ず知らずの相手に恋愛感情を抱かせて現金をだまし取る国際ロマンス詐欺で、7500万円の被害に遭ったと告白した漫画家の井出智香恵さん(74)が単行本「毒の恋」(双葉社)を出版した。 ネットでのやりとりだけでなぜ信じ、大金を送り続けてしまったのか。「レディースコミックの女王」のベテラン作家が自身の体験を赤裸々に語り、再発防止を訴える。
 2018年2月、井出さんのフェイスブックに1通の英文メッセージが届いた。
 相手はハリウッドスターのマーク・ラファロを名乗った。半信半疑ながら、パソコンの翻訳機能を使ってやりとりした。70歳の漫画家だと写真付きで自己紹介すると、「You look pretty cool with your job(仕事をしている君の姿は最高にクールだ)」と絶賛された。
 30代で結婚後は夫の暴力と放蕩(ほうとう)の中で、一人で稼いで3子を育てて離婚。そんな過去の告白に、20歳下の“マーク”は「僕は君を悲しませない」と憤ってくれた。妻と離婚調停を内密に進めており、弟の不慮の死に心を痛めていると明かした。

 (以上、本日の「朝日ID」よりメールにて届いた情報より一部を引用したもの。)




 引き続き、本エッセイ集 2021.05.18付記事「我が過去に経験したFacebook上の事件、あれぞ『国際ロマンス詐欺だったのか?』」からごく一部を以下に転載しよう。


 つい最近、ニュース報道等で「ロマンス詐欺」と銘打つFacebook上の振り込め詐欺関連の報道に接した。

 何でも、詐欺被害に遭ったのは日本国内各地の複数の60代女性達。
 その詐欺の特徴とは、相手男性は“国連に勤務する医師”とのことのようで、“フィアンセ”である貴女に日本まで会いに行きたいからその旅費として100万円を振り込んで欲しい、と伝えられたらしい。
 (ところがニュース報道によれば、金融機関で振り込む際に被害者女性が用紙に“カタカナ”で記入し始めたことを不審に思った窓口係員が“国際ロマンス詐欺”と見抜き詐欺であることが判明したとのことだ。 ちょっと分かりにくい話だが、その女性の場合は“完璧に”騙されていたのであろう。)

 2016夏の我がフェイスブック事件と比較してみるに。
 私の場合はそもそもお互いに十分に自己紹介し、私の方は亭主と娘がいるこをあちらは最初から把握している。 その立場にして決して私を“フィアンセ”と呼ぶわけもなかった。 あちらは奥様を癌で亡くされたようだが、当時16歳高校生の可愛い息子さんがいて2人でテニスをする写真等々を送ってくれたりもした。
 とにかくよく写真を送ってくれる人物だった。
 私とのフェイスブック上の付き合いとは、要するに“文通”だった。 筆まめな人であり同じく筆まめな私と意気投合して、一体どれ程のメールのやり取りをしただろうか。 
 私側としては、またとはない英語ブラッシュアップのチャンスでもあり、実際あの夏の1か月半の間に英文読解・英文記述能力が久々に急激にアップしたものだ。

 別の側面から加えると、人間とはたとえメールとの手段であれ、一定期間親密に付き合えば“情が移る”ものでもあろう。
 B氏に関してはご自身最愛の当時16歳の息子さんの日々の話題も多く、まさに我が“母心”に染み入るものもあったのも確かだ。

 この事実を逆側面から考察するに。
 我が過去のSNS上の経験がもしも「振り込め詐欺」(上述の通り私の場合は自力で未然に防いだ立場だが)であったならば、やはりその実態とは甘いものではないのかもしれない。

 (以上、本エッセイ集2021.05.18付バックナンバーより一部を転載したもの。)



         
 写真は2016年夏当時、我がFacebookページ宛に相手英国人男性から届いた英文メールをコピーしたものの一部。 コピーするといつもA4用紙1~3枚程の分量のメールが届いた。 個人情報につき、あえて裏面から撮影した。
 これを読みこなし、いつも辞書を引きつつ同じ分量程のメールを作成して返信したものだ。
 実際、ひと夏のこの英文やり取りのお蔭で、我が英語読解・作文力が大いに蘇ったものだ。

 私の場合は失う物は何も無かったし、とにかく“マンツーマン”にての英文読解・筆記能力のブラッシュアップが思いもよらず叶ったものである。

 

 漫画家の井出智香恵氏に話を戻そう。

 井出氏は、国際ロマンス詐欺により7500万円の大損失を計上したようだが。

 その後こうやってプロ漫画家としての能力を活かし、新刊を発刊されたことだし。
 一時ではあったが、「心臓を掴まれる」程の恋愛経験をなさったのは事実であり。  そのご経験を今後如何に捉えて生きるか、こそが今後の人生を更に有意義にする好材料ともなりそうに想像する。


 井出氏ご本人も、朝日新聞記事内で以下の発言をされている。
 「年を重ね、仕事を失う不安や健康問題などの悩みが増えた私の『心の隙間』に詐欺師が入り込んだ。 愚かな体験だが、教訓にして欲しい。聞く耳を持たなかった私にお金を貸してくれた友人知人におわびし、死ぬまで漫画を描いて返済することを誓う。」

 井出氏の場合、今後の弛まぬ漫画家活動により、きっとその損失金額を早期に回収されることだろう。           


長谷川潔作 「仏訳『竹取物語』挿絵」

2022年09月21日 | 芸術
 (冒頭写真は、朝日新聞2022.09.13付「美の履歴書」より転載した 長谷川潔作 「仏訳『竹取物語』挿絵」。)



 早速作品の説明文を、以下に要約引用しよう。

 89歳で亡くなるまでパリを拠点に活躍した銅版画家・長谷川潔は、第一次世界大戦終結からまもない1918年に横浜を去り、フランスへ渡った。 南仏の風景やビーナス像を思わせる神話的な女性像などを描きながら、独自の表現を模索する日々。 (中略)
 その傍らで力を注いだのが挿絵本の制作だった。 日本から日夏耿之介や堀口大学といった詩人らと取り組んできた中で、最も時間をかけたのが、この「竹取物語」だという。 エングレービングで挿絵を施し、各章の書き出しの文字の図案から、容姿や活字、印刷、製本まで手がけた。 「完璧主義らしい長谷川の仕事ぶりがうかがえる」と担当学芸員の滝沢恭司さんは話す。(中略)
 長谷川の努力は、日本の伝統性と西洋文化が融合した傑作となって結実した。 完璧なまでに独自性を追い求めた姿勢の先に、やがて行き着く深遠な精神世界がみえてくる。

 (以上、朝日新聞記事より一部を要約引用したもの。) 



 ここで話題を変えて、「かぐや姫は神(天女)だったのか?」とのテーマを掲げ、それに関連するネット記述のひとつを以下に引用しよう。

 かぐや姫は宇宙人!? 正体を考察
『竹取物語』では「かぐや姫」は月の住人として描かれています。主人公が地球人ではないということになり、その辺りが日本最古のSFとも言われている所以なのでしょう。
 「かぐや姫」の正体については昔から様々な説が議論されています。 モデルになった人物は、奈良から平安に実在した女性たちの名前が幾人も挙げられていますが 、ネックになるのは彼女は明らかに人間でないことです。
 なにしろ3か月で大人になってしまうのですから。またこの当時、宇宙人という概念があったのかは定かではないのですが、空を飛ぶ人間でない女性は数多く神話や物語に登場します。それが「天女」です。 
 天女伝説は太古からあちこちに存在します。天の羽衣をまとい空を飛ぶ天女がそれを盗まれてしまって天に帰れなくなるという説話は驚くほど多く日本各地に存在するのです。「かぐや姫」は月に帰る時天の羽衣をまとっています。「かぐや姫」も天女であったということでしょうか。またこの「天女」は現代でいうところの宇宙人だったのかもしれませんね。(中略)    

 どうやら「かぐや姫」は何やら罪をおかし、地球に島流しのような刑に合わされていたように見受けられますね。そしてそこからが本題。いったい「かぐや姫」は何をしでかしたのでしょうか。 『竹取物語』ではその理由は説明されていません。ですから具体的にはわからないのですが、この物語が書かれたとされる時代と照らし合わせて推測してみると、流罪になっている人には高貴な人や政治的な策略で流された人もいたということが1つの糸口となるかもしれません。

 月からの使者の「かぐや姫」に対しての言葉遣いからも「かぐや姫」が月の世界で高貴な身分であることが分かるので、その高貴な人が地球などの賤しい場所に流されてしまうということは、よほど大きなことをしでかした可能性があると考えることができるのではないでしょうか。
 宇宙人ということで、地球人の私たちには想像もできない世界での罪であり、物語にヒントもないことから、各人の妄想の域を出ないことにはなりますが、その罪が何なのかを想像することも本作の楽しみ方のひとつでしょう。 (中略)

 日本人は古くから、月を愛でるという習慣を持ち、月は黄泉の国、いわゆる天国としても見ていました。 肉体を地球に捨て、浄められた魂だけが月に召され再び生を持ち地球に帰ってくるという、いわゆる輪廻転生の仏教的な考えです。 


 (以下略すが、以上ネット情報より引用したもの。)



 話題を、冒頭の長谷川潔作「仏訳『竹取物語』挿絵」に戻そう。

 この作品は「銅版画」のようだが。
 原左都子の感想としては、何とも繊細だがある意味で端的に仕上げられた銅版画の印象だ。
 特にかぐや姫の表情に、美しき中に可愛らしさも表現されていると感じる。
 月にて何らかの犯罪をおこして地球などとの賤しい場所に流されてしまった女性(天女)であるとは、この作品からは思いも及ばない。


 私には“月をめでる”なる風流な趣味はあまりないが。

 満月の夜にはたまには月をめでて、かぐや姫に思いを巡らせてみるか。



 P.S.

 文中の太字部分は編集画面上の偶発であり、原左都子としては特段の意味合いはありません。


「ナンパ」  ー vol.2 ー

2022年09月20日 | 人間関係
 つい最近の朝日新聞「ひととき」欄にて、78歳女性が「もしかしてナンパ?」と題する投稿をされていた。


 この記事を見て思い出したのだが、当「原左都子エッセイ集」開設初期に私は「ナンパ」と題するエッセイを公開している。

 当該バックナンバーを、以下に再掲載させていただこう。


 今時、街角で若者がナンパをしている姿をすっかり見かけないが、ナンパって今は廃れてるの? もう既に死語化しているのであろうか。
 昔は若者、特に男の子がこのナンパをよくやっていて、私もあちこちでナンパされたものだ。
 オーソドックスなのは、休日などに繁華街を歩いている時に「お茶しよう」と声をかけるパターンだ。 昔は喫茶店が多く、とりあえずは喫茶店でコーヒーでも飲みながらお話しませんか、という訳である。 これって、今考えるに至って健全な出逢いであるように思う。ナンパというのはそもそも外見から入るのはやむを得ないとして、次のステップとして、お互いに話し合うことにより理解し合おうという手段はなかなか健全でしょ。
 だいたい、今時「お茶する」などという文化が廃れているように見受けられる。 喫茶店自体をすっかり見かけなくなった。人間関係が希薄化している現在、話し合いによりお互いを理解し合うという機会がどんどん失われつつあるようだ。
 次によくあるナンパは車によるもので、「ねえ彼女、送るよ。」というパターンだ。 車は密室になるし、どこへ連れて行かれるかわからず危険性が高いのでお断りするしかない。
 私が30歳代後半独身で高校教員だった頃、この車ナンパによく遭遇した。 勤務先の学校から駅までバスを利用するのだが、仕事帰りに夜暗いバス停でひとりでバスを待っていると車が停車し、「ねえ彼女、駅まで行くんでしょ。送るよ。」とくる訳だ。(ミニスカ、ボディコンスーツ、ロン毛ソバージュのど派手な教員だったもんで、スンマセン…。)たまには生徒も車で通りかかる、高校生、免許持ってるからね。「先生、送るよ。」まさか送ってもらう訳にはいかない。 ある日、ちょうど車ナンパされている時にバス停に校長がやって来た。車が走り去った後で、校長曰く「今、ナンパされていましたね。」ものわかりのいい校長だ。
 電車内ナンパも経験している。 空いた電車に座っていると男が横に座り「彼女、どこで降りるの。時間があったらお茶しない?」 また、新宿駅のホームで電車待ちの時にもナンパされたことがある。 新幹線で大阪から東京への帰り、指定席で隣り合った男性に声をかけられ3時間語り合ったこともある。
 人との待ち合わせの時にナンパされることも多い。 ある時、待ち合わせ相手が来ないでイライラしているとナンパされた。待たされて頭にきていたこともあり、30分限定でお茶につきあった。 その後、そ知らぬ顔で待ち合わせ場所へ戻り「ごめん、遅くなっちゃって。」と言ったら、相手は何も知らずに「いいよ」と言ってくれた。
 大学生から合コンの誘いを道端で受けたこともある。その時私は既に30歳手前だった。「私は学生じゃないけど、職場の女性でいいならば…。」と言うと、その男子学生は「喜んで!」と言うんだけど、まさか30歳近いとは思ってないだろうからやっぱり断った。 後でその話を職場の40歳近い子持ち女性にすると、「何で誘いを受けてこなかったの、私行きたかったのに。」と怒られた。

 現在は、ネットでの出会い系サイトやメールのやりとりによる出逢いが多いようだ。 それにはそれの利点もあるのであろうが危険性も高い。やはり、生身の人間との直(じか)の出逢いを大事にしたいものだ。
 ナンパの話などして不謹慎であったかもしれないが、このナンパはひとつの生身の人間との直の出会いであり、利用の仕方さえ誤らなければ良き出逢いのきっかけのひとつとなり得るのではないかと私は思うのだが…。 

 (以上、「原左都子エッセイ集」初期頃のバックナンバーより再掲載したもの。)


 
 さて、冒頭の最近朝日新聞にて読んだ78歳女性による「ナンパ」の話に戻ろう。

 どうやらこの女性は大通りを歩いている時に、後期高齢者と思われる男性に「そこの喫茶店で一緒にお茶を飲んでもらえないかねえ。」とナンパされたようだ。
 その時、女性は長く連れ添って一昨年に他界した夫を思い浮かべ、そのナンパ男性も妻に先立たれて寂しくてたまらないのかもしれない、と考えたらしい。 それでも、「今急いでおりますので、すみません、失礼します」とお断りしたとのこと。
 男性側は、「あ、そうかね。残念だな」と言いつつ一人で喫茶店に入ったとの記述。
 その話題を後のお友達同士の集まりで話したら、「お茶ぐらい付き合ってあべれば良かったのに」との返答が返ってきたとのこと。


 これがもし原左都子だったらどうするだろう??

 ところが特に私が住む大都会では、人と人との関係が究極希薄化してしまっているのに加えて。
 今の時代、下手に見知らぬ人に声を掛けたりしたものならば、セクハラ、パワハラ等々の不審者として訴えられかねない物騒な世の中だ。😨 
 少し前までよくあった街頭でのキャッチセールスですら、姿を潜めている感覚がある。

 そのような現代の殺伐とした時代背景下に於いて、あえてこの私に男性から「お茶飲みませんか?」とお声を掛けて下さったとしたら。

 私ならば、まず一言二言会話をして相手男性の素養の程を一瞬にして探るだろう。
 そして一時なりとて会合を持つ価値がありそうだと判断したならば、その誘いに乗るかもね。

 いや、やっぱり外見も大事だなあ。 
 見た目が好みじゃなかったら「急いでいますので。」などと言いつつ、そそくさとその場を去るだろうね。😜 

 勝手に言ってる分には、誰だって自由さ! 😖 😵