原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

大学共通入試“マスク鼻出し事件”、元々故意(悪意)だったと私は判断する

2021年01月18日 | 時事論評
 冒頭から、ネット情報を引用しよう。


 大学共通テスト情報によると、大学入学共通テストの第1日程(16、17日)の2日間を通じて4都県4会場で4件の不正行為があり、いずれも失格となったらしい。


 このうち東京都の会場では、試験時間中にマスクから鼻を出していた受験生が、正しい着用を求める試験監督者からの再三の指示に従わなかったとして不正行為と判断された。

 同センターは受験生に配布した「受験上の注意」で、マスクの正しい着用を義務づけており、試験監督者からの指示に従わなかった場合は「不正」になる可能性があることを知らせている。
 この受験生は1日目の16日、地理歴史・公民、国語、外国語を受験。 マスクから鼻を出して試験を受けていたため、それぞれの科目の監督者が試験時間中に計6回注意したが、従わなかったという。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 ここから、原左都子の私見だが。
 
 この東京の受験生に関してだが。

 当該ニュース報道をネットで読んだ時点で、私は“マスク鼻出し受験生”による“故意(悪意)行動” ではなかったかと結論付けた。

 何と申せばいいのか。

 元医学関係者である原左都子にしても。
 「マスク全員着用」を国家(文科省)が実施する全国規模のイベントに全員強制を強要するとの“指導”とは、正直なところ、行き過ぎ感を抱かざるを得ない。

 ただ、文科省が操る国家を挙げた「大学入試制度」にこの国家に於いて反旗を翻す訳にもいかない事実を、利口な受験生の皆様は既にご存じかつそれに無条件に従おうと志されたことでもあろう。


 そんな環境下で、我が身を削って。
 
 今回の「マスク鼻出し」との“クーデター”を起こした若者に。

 多少の“興味”を抱いたのが、 原左都子の正直な感想だ……

 もしかして、この青年は自身の生命を賭けて。

 その行動に出たのではなかろうか、と本気で思ったりもするのだが…
 

再掲載 「阪神・淡路大震災」発生直後に献身的に動いた医療ボランティア

2021年01月17日 | 医学・医療・介護
 (冒頭写真は、本日朝の西宮市の一風景。 阪神・淡路大震災発生から26年目の朝を迎え、大震災発生直後の時間で止まったままの時計の周囲で黙祷する人達。)



 3年程前までgooブログ上でお付き合いがあった某臨床医師先生(M氏とする)が、上記表題のごとく、当該大震災発生直後の早朝に直ぐに現地へ医療ボランティアに急がれたレポートを発表されていた。

 そのレポ-ト内容に大いなる感銘・衝撃を受けた私が、早速その旨のコメントを記させていただいたところ。 
 M氏より、更なる詳細レポートを届けていただいた。 

 本日はそのM氏による詳細レポートの再掲載を中心に、私なりに「阪神・淡路大震災」の追悼をさせていただこう。



 本日(2021.01.17)、阪神・淡路大震災の発生から26年目を迎えた。

 東京暮らしの私も、“あの日”の事は鮮明に記憶している。

 晩婚の末、高齢出産にて誕生した娘が未だ1歳少しの頃だった。 既に発達の遅れに気付いてはいたものの、未だ“赤ちゃん”状態のためさほどの懸念を抱いていない段階だ。 1歳の誕生日過ぎて、やっとこさ“はいはい”をし始めた娘のその姿があまりにも可愛らしく、その動きを見ては目を細めていたものだ。
 婚姻時点で当時は未だ珍しい存在たった超高層タワーマンションの一室を(義母が)購入してくれ、生まれたての娘も含め一家3人で暮らし始めたのだが…。 どうも“暮らしにくさ”を引きずる日々だった。
 例えばビル風が日々強く吹き荒れるため、バルコニーでの布団干しを禁止されていたり、洗濯物が砂埃で汚れる。 エレベーターの待ち時間が長い。 管理費がべらぼうに高い。 等々…
 転居するなら早めの方が少しでも高く売却出来ると判断し、住居の買替えを実行に移した。 秋頃に売りに出し、年末には買い手が見つかり年明けには売却の段取りとなった。

 さて売買契約締結に向けての最終確認のため、不動産仲介会社の担当者がやって来たのが1995年1月17日の事だ。 
 午前10時過ぎに我が家を訪れた担当者氏が、血相を変えて私に訴える。
 「今朝早く関西地域で大規模地震が発生して、死者が数百人出ているようです!!」
 朝からテレビを見る習慣がまったくない私にとって、大震災の第一報がこれだった。
 「え~~~~~~~~!!!」と驚愕するばかりで、開いた口が塞がらない。 ただ、担当者も仕事の都合があるだろうと推測して、早速面談に入り1時間程で最終確認を終えた。

 担当者が去った後、早速テレビのスイッチを入れると真っ先に画面に映し出されたのは、高速道路が横倒しになっている光景だった。 (嘘でしょ?!? 何かの間違いじゃないのか??)としか感じられない。 その後はテレビ画面にくぎ付けだ。 1歳少しの娘も“はいはい”をやめて、私の隣で訳がわからないなりにテレビ画面を見つめ、横で驚愕する私と一緒に動揺している様子だ。 
 そうこうしていると米国在住の姉から電話が入り、「関西で大地震があったとの報道だが、どうなっているか?」と尋ねる。 姉は大阪の大学へ進学後10数年間大阪で暮らしていた故に、現地知人の安否を気遣っているようだ。
 この日は夜遅くまで阪神・淡路大震災に関する報道を注視した。 特に夜間に入り、神戸市長田区一面が火災で焼け落ちる映像は、まさに地獄をみる思いだった…。


 ここから、表題に掲げたテーマの本題に入ろう。

 昼間は外出していたのだが、夜間になりテレビ報道や新聞にて改めて阪神・淡路大震災23年目のニュースに触れた。
 その後、gooブログを訪問したところ。
 タイムリーに、阪神・淡路大震災関連記事を公開されているブログに出くわした。

 関西地方で医師・大学院講師をされているM氏(とさせていただく)が、23年前の大震災発生直後に医療ボランティアとして活動された記載を公開されていた。
 この私も過去に医学経験があるものの、臨床経験(医療現場勤務経験)が皆無のため、自ずと医療ボランティア力は無くその経験も皆無だ。
 そんな私にとってM氏の医療ボランティア記述は実にリアルであり、また感銘を受ける内容だった。 早速コメントを入れさせて頂いたところ、M氏より更なる詳細のご返答を頂戴した。
 
 そのご返答の内容を、私なりの表現にて以下に紹介させていただこう。
 大震災発生のあの日、M医師先生は偶然にも勤務先の大阪の病院にて夜勤をされていたらしい。 仮眠中に物凄い揺れに驚かれたものの、幸い病院の建物には被害がなかったようだが、すぐさま「神戸の病院はどうなっているのか」他の職員氏達と共にテレビ画面にくぎ付けになられたようだ。
 神戸に同業のお知合い医師がおられたM先生が連絡を取られた後、夜勤勤務明けに緊急の医療資材の確認やそれを持ち出すことが可能か、などを看護師たちと手分けして行うと同時に、足の確保などを話し合い準備を整える作業に入られたそうだ。
 尼崎から連絡が入り、4病院が倒壊、倒壊の恐れがあること、また病院の多くが臨時的に野戦救護所的に運営されつつある事など、また「合流したい」との申し出もあり、M先生たちは平常勤務の医師との申し送りも済ませ尼崎へ向かわれたそうだ。  合流場所の阪神尼崎駅からは緊急チームが急遽編成され、彼らの道案内で長田地区に向かったとの事だ。
 後はもう何が何だか分からないままに動かれ…。 現地では、野戦救護所状態だったものの、病院関係者の手伝い、消防や警官のグループに合流、応急処置と病院への橋渡し役などを手分けして行ったのを記憶しておられるそうだ。
 現地では、被災はしたが比較的軽症だった人たちが中心となって、倒壊した家屋、火災した家屋の確認や、行方不明となっている人の捜索などが行われたとのこと。
 以上のような厳しい状況の中、取り敢えず「動けた」ことに、幾らか「使命の一端を担えることが出来た」のではないかと自負されておられるようだ。 M氏は緊急医から医師の一歩を踏み出されておられるとのこと、それもあり医療ボランティアとして動けたとも言える、と記されていた。
 そしてご返答の最後に、今から23年前の出来事はある意味でM先生の原点の一つでもある、と結ばれていた。
 (以上、gooにブログを公開されているM医師先生よりのコメント返答より私がアレンジしつつ引用させていただいた。)

 私見でまとめるが。

 このM医師先生よりのコメントご返答内容とは、今後の大災害発生時に“緊急”「医療ボランティア活動」体制を発動するに際し、貴重な資料となり得るのではなかろうか?
 
 「医療ボランティア」に関する情報に関しては、私は今まで海外の激戦地域で活動している報道しか見聞していなかった。
 もちろん、国内の災害時にも「医療ボランティア」が活動している様子はメディアにて伝えられてはいる。 だが、国内の場合“緊急”感に欠けると言うべきか、要するに大災害がある程度沈着して後の報道に過ぎなかったように感じるのだ。
 もちろん、それも重要であろう。

 その点、M先生が23年前の大震災時に実行された「医療ボランティア」活動とは、まさに大災害発生直後の“緊急事態”に対応されている点に於いて素晴らしい故に感銘を受けるのだ。

 阪神・淡路大震災は、早朝の5時台に発生した大災害だ。
 夜勤明け直前の大揺れにも動揺せず、ご自身のお疲れの身体も後回しにされ、まずは「人命救助」の発想が浮かび、それをすぐさま行動に移されたM先生はじめ医療スタッフの皆様の果敢なボランティア精神・行動に、大いなる拍手を贈らせていただきたい。 

 M医師先生のような医療関係者が今後ますます増えたならば、大災害発生直後期の「医療ボランティア」活動が更なる充実を遂げるのであろう。

 (以上、M医師先生による阪神・淡路大震災発生直後の生々しい医療ボランティア活動レポートを再掲載させていただいた。)



 この臨床医師M先生に関してだが。
 
 当該「阪神・淡路大震災医療ボランティアレポート」を記され公開された後のことだが。
 病に倒れ入院して闘病を続けられていた。 その間もドクターストップにもかかわらず、病床よりスマホでブログ上に現況をご報告されたりしていたのだが…
 
 2018年の大晦日の日に、忽然とネットより姿を消された。
 ブログは、おそらくご自身で“抹消手続き”を済まされたのであろう。

 あの日以来、ネット上で一切お目に掛かれることは無い。

 「マサヒ」先生と自称されていたが、どなたに対してもフレンドリーな方でgooブログ上のファンを沢山抱えられていたのに…
 アベシンゾー・バッシングも超強力!! この原左都子など関連記事によく “同感!コメント” を入れさせて頂いていたものだ。

 今も生きておられ、関西地方で医師としてご活躍されていると信じたいのだが…
 

「経験値が高い」との褒め言葉

2021年01月16日 | 自己実現
 我が「原左都子エッセイ集」は2011年冬頃にコメント欄を閉鎖して以降、そのまま閉鎖措置を採用している。

 2007.09の開設だが、2011秋頃までの4年間はエッセイを公開する都度怒濤のごとくのコメントが押し寄せていた。
 有り難いことにその内容はいずれのコメントも学術性や専門性が高く、しかも長文(我がエッセイが一本ほぼ3000字前後だがそれよりも長文の)コメントも数多く頂戴していた。


 その間、コメントにて様々な高評価をいただいていたのだが。
 今でもよく覚えているコメントがある。
 (どなたから頂戴したのか思い出してみるに、アブストラさんだったか?、いや、それと同類の学術用語から引用したペンネームの方だったか…?? 喉元まで出かかっているのだが、残念ながら思い出せないなあ…)

 そのコメントとは、「原さんは“経験値”が高い、云々…」との内容だった。

 これ、実に我が人生を的確に表現して下さっている文言だ。 故にこれ以上無い“褒め言葉”であり今尚鮮明に記憶している。
 まさに我が生き様とは、様々な分野にチャレンジしつつ“経験値”を高めるべく精進する日々だったものだ。

 婚姻して家族を作る、との生き様ももちろん素晴らしいであろう。
 ただ、私はそれを後回しにする選択を主体性を持って実行してきた。
 まあ40歳手前で家族を持つことも実現出来たのは、ラッキーだったと言えよう。
 その後も高齢出産で産んだ娘の発達障害等々のお陰で、休む間もなく“サリバン活動”に日々励む等の活動も加わり現在に至っている。 まさにまだまだ精進の日常が続行しているが、この活動こそが我が「経験値」を高めてくれている実感もある。

 その弛まぬ精進の後押しがあって、我が「原左都子エッセイ集」は13年5ヶ月の年月に渡り“オピニオンブログ”として我が思想を公開することが叶っている、と自己評価している。



 話題を変えよう。

 本日2021.01.16付朝日新聞 別刷「be」内に、この「経験値」との言葉に関する興味深い解説があった。
 以下に、要約引用しよう。

 新しい仕事を前にした時などに「経験値を高めたい」という表現を使うことがある。 (元々は)ロールプレイングゲームでキャラクターの成長に必要な点数を表す言葉だが、日常生活でも「経験を重ねて得る力の度合い」という意味で使われる。
 更に歴史を遡ると、ゲームの無い昔から、工学などの分野では「理論ではなく過去の経験から導かれた推定値」との意味合いで使われてきた言葉のようだ。
 では、どうして現在の意味で使われ出したのか?
 某コンピューター文化史研究家氏は、1986年に発売されたファミコンの「ドラゴンクエスト」が影響した可能性を指摘している。
 米国発祥のロールプレイングゲームが日本に紹介された80年代初頭は、キャラクターの成長に必要な点数は「経験値」などと訳された。 
 誰が「経験値」との言葉を使うのを決めたのかを尋ねると制作の中心となった堀井雄二さんであるとの返答が返ってきた。
 その後ドラクエはシリーズ化され、空前のブームを巻き起こした。 その過程で「経験値」という言葉が世に広く知られるようになり、知らぬ間に意味が変わっていったのだろう。
 「経験値」が日常生活に定着したことについて、堀井さんは「自覚はあまりなかったが、言われてみて“そうか”と思った。 うれしいです。」と話している。

 (以上、朝日新聞 別刷「be」のコラムより一部を引用したもの。)



 最後に、原左都子の私見に入ろう。

 「経験値」、素晴らしい言葉だ!
 
 他に人間の能力を比較する言葉として、「偏差値」「期待値」「絶対値」、ついでに「血糖値」等々があるが…  (原左都子なりに、無い頭を絞って思い出してみたのだが… 大して思い出せないものだなあ…)😵 

 特に「偏差値」は勘弁願いたいものだ。
 (今現在、巷ではこの「偏差値」を競って大学入学希望者達に文科省から共通試験が課せられているようだが。)

 それをクリアして大学入学を果たす若者にアドバイスしたいが。

 その後の人生を左右するのは、決して「偏差値」ではなく「経験値」であることを、この原左都子がアドバイス申し上げよう。

 長引きそうな“コロナ禍”が過ぎ去った後には、出来うる限り自己の「経験値」を高められるよう、努力を続けよう!


アンリ・マティス  ー 色彩の魔術師 vol.6ー

2021年01月14日 | 芸術
 (冒頭写真は、朝日新聞愛読者プレゼントにて頂いた 「アンリ・マティス 色彩の魔術師 -vol.6- 」より「アルジェリアの女」。)



 アンリ・マティス ー 色彩の魔術師 ー シリーズの公開は2ヶ月ぶりとなろうか。

 先月到着した「豪奢Ⅰ」との作品は、3人の女性ヌードが描かれた作品だったのだが。
 私はどうも、ヌード描写作品の良さがまるで理解出来ない人種のようだ。
 人間とは衣装を身にまとった姿の方が、ずっと美しく感じる。 身体と衣装という芸術とのコラボとでも表現すればよいのか、そちらの方にこそエロチシズムを感じ取れるように思うのだが。

 と言うわけで、昨月のマティス作品の一枚は非公開とした。


 もう一枚の「豪奢、静寂、逸楽」と題する作品も、女性のヌードを描いたものだが。
 こちらは複数のヌード女性と風景がコラボして、芸術作品として仕上がっているように私は評価する。
           

 この作品の手法は、“点描手法”が用いられている。
 点描技法とは、色彩理論に基づきながら細かな筆触で色を並べていく手法のようだが。 マティスの当該作品に関しては描かれた人物の身体が不自然になり、マティス本人はこの技法に満足しなかったそうだ。 (解説書より引用。)



 冒頭写真作品「アルジェリアの女」に話題を変えよう。

 アルジェリアとの国は、北アフリカに位置するらしい。
 東にチェニジア、リビアと、南東にニジェール、南西にマリ、モーリタニア、西にモロッコ、サハラ、アラブ民主共和国と国境を接し、北は地中海に面する国のようだ。
 エジプト・ギリシャへは14年程前に旅をして、その際に地中海に位置する湾岸都市アレクサンドリアへも訪れたが。 
 美しい街との評判を聞いていたが。 街全体をサハラ砂漠の砂が覆っているのか土色だったのに加え、アレクサンドリアから見る地中海も土色で濁っていたし…  道行く人々は我々も含めて外国人観光客ばかり…  
 この絵に描かれている女性のごとくの“エキゾチックかつオリエンタルな風貌の女性”を一人も見かけなかったのは残念だった。
 マティス作品に描かれている女性は、日本の浴衣風の衣装を身につけているのも興味深く不思議だ。





          
 最後にこの絵の説明をしておこう。

 作品名は、「赤いキュロットのオダリスク」。
 色彩はマティス作品らしい色使いで、作品としては一見美しくはあるのだが…

 ここでまたもや原左都子の歪んだ好みを語らせていただくに。
 「なんで胸を露出せねばならないんだ!?! きちんと着衣している方がずっと美しいのに…」と身勝手な我が好みで残念無念だ。


 参考だが、“オダリスク”とはハレムの女奴隷であるようだ。 
 このオダリスクは、19世紀以降多くの芸術家が取り組んできた主題らしい。
 
 この作品はパリの美術館が公式に購入した最初のマティス作品となったが、その背景にはオダリスクという主題と第一次世界大戦後の植民地主義の関連が指摘されている。

         (との解説を書かれたのは、東京大学大学院 神津有希氏。)        
 

再掲載 「日本人は勝手にやってこれたのか?」

2021年01月13日 | 時事論評
 この表題は、今思えば“コロナ禍”が未だ大した事態に陥っていなかった昨春頃に公開したエッセイテーマである。


 当時朝日新聞に掲載されていた、某若手(?)作家氏が、新聞紙上に書かれていた記述に触発を受け、原左都子がエッセイにまとめて公開したものだ。


 早速、以下に再掲載させていただこう。


 今回の我がエッセイは、020.05.30付朝日新聞 別刷「be」内コラム記事、 作家 保坂和志氏による 「夏の手前で 日本人は勝手にやってきた」 に対する反論の形となろうか。


 以下に保坂氏論評の部分部分を取り上げつつ、我が私論を展開させていただく形式としよう。

 「(日本は)政府が無能なのに、コロナ対策がなぜかうまくいっている」 
 これに対し保坂氏の友人男性は、「無能なのに、じゃなくて、無能だからこそうまくいっているんだ」とのご見解だそうだ。 
 日本人は放っておけば勝手に努力して、勝手にせっせと働いて、勝手にあれこれ工夫する、そういう人達の集まりなんだと、保坂氏のご友人がおっしゃるとのことだ。

 原左都子の見解だが。
 そもそもこの国の「コロナ対策」がうまくいっているとは思わない。 当初“日本のコロナ対策はばくち”とまで諸外国から後ろ指をさされた日本政府だった。 

 「日本人は放っておけば勝手に努力して…」云々に関しても、私は決してそうは思わない。   確かに日本人の特質として、“馬鹿素直”なところがある点は認めるがそれは「努力」と表現出来るほどの代物ではなく、そもそも主体性無き国民性と捉えている。  その“主体性の無さ”を作り上げたのは我が国の教育体制、すなわち政府の責任と判断している。  「工夫」に関しても、ちまちまどうでもよい事に関してはそれをする国民が存在する(失礼な表現をお詫びしますが)ようだが、基本的に創造性無き国民が多数である感覚を私は抱いている。 これに関しても教育体制が一番の原因であろう。
 
 保坂氏による「日本人は規則に対する強い敬意がある」との記述にも同意する。  
 原左都子の視点で少し言葉を変えるならば「規則に対する敬意」ではなく「規則に対する従順さ」の方が適切かも知れない。 とにかく、“主体性”に欠けた国民性を学校教育により作り上げられてしまい、それにいつまでも国民ががんじがらめになっている印象がある。 

 保坂氏が面白い表現をされている。
 「無能だからうまくいっている」と言ったご友人が、日本人が勝手に努力して勝手に働くことを喩えて、「猫が暇さえあれば毛づくろいをしているのと同じ」と言っておられるらしい。
 原左都子の感覚としても要するにそういう事だ。 これを努力とは言わないだろう、と言いたいのだが。

 保坂氏は作家であられるが、小説を毎日書いておられるらしい。 周囲から「創作活動は大変ですね」と言われるが、勝手にやっているだけだから大変ではないとのことでもある。 出来不出来など関係無く、とにかく毎日書いておられるとのことだ。 そしてそれが一番好きだからやっているだけ、とのご記述でもある。

 原左都子の場合、保坂氏とはまったく立場が異なり、単なる“しがない”ブロガーでありこれによる一銭の収入も得ていない。 
 まあそれでもやはり自分で勝手にやっているだけ、との自由度に救われている感覚はある。 私の場合も現在に於いてはこの業が一番の達成感が得られるため、日々励んでいるだけのことと言えよう。

 最後に保坂氏は、「ならば国家は何をすればよいか?」とのテーマで結ばれている。 そして、これを機に一気にベーシック・インカムにするのがいい、との結論に至っておられる。
 以下、保坂氏の記述を引用するが。  「一律10万円の給付を毎月続けるのだ。 家計に余裕のある人は寄付なりクラウドファンディングなどするだろう。 国が自動的にお金をくれたら、働かなくなってギャンブルばかりする、なんて心配は無い。 そんなことをするのは(国民の)一部で、大半はマイペースで働き続ける。 課された労働でなく、喜びとしての仕事をそれぞれが見つける。 これこそ、コロナ以後の大転換。 コロナが人類に与えた、試練と恩恵だ。」

 最後に、原左都子の私論でまとめよう。
 
 作家の保坂先生。
 最後のご論評は冗談か、あるいは“見果てぬ夢”でいらっしゃいますよね??

 原左都子として“コロナ後”を語るのは、(まだまだ“コロナ禍”が続行するとの論者として)もっとずっと先に伸ばしたいが。
 この国の国民それぞれが“喜びとしての仕事”に就けるまでの国家の大転換など、“コロナ禍”にはかかわり無く夢また夢の物語であろう、と結論付けて。

 今回のエッセイを終焉に持ち込もう。

 (以上、本エッセイ集昨春頃に公開したバックナンバーを再掲載したもの。)



 いやはや、怖いねえ。
 政府が無能だと、必ずや“コロナ禍”とは今後も感染力を爆発させつつ人類を襲う脅威であり続ける存在のようだ。

 上記表題エッセイは今読み直してみても原左都子の基本思想が十分に綴られているため、付け加えるべき事も特別ないと言えよう。