原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

今年も文化勲章“秋の叙勲”ご授章恩師より年賀状を頂戴しました!

2021年01月02日 | 人間関係
 (写真は、昨日元旦に我が2度目の大学・大学院恩師より頂戴した年賀状。)



 2年前にも同趣旨のエッセイを公開しているため、そのバックナンバーより一部を引用させていただこう。


 毎年元旦に手元に届く年賀状の枚数は、年々減少していくが…。
 それでも、必ずや“直筆一筆”が添えられた価値ある年始の挨拶状が届けられる事実こそが、私が年賀状文化を終焉出来ない主たる要因である。
 
 今年も届きました! そんな付加価値ある年賀状の数々が!
 まあ私の場合は私側こそがそんな方々とのお付き合いを優先していることもあり、“直筆一筆”付年賀状がほとんどと言えるのだが。

 さてそんな中、元旦に届いた年賀状に於ける 直筆一筆“名文No.1”に輝いたのは、冒頭写真の恩師先生よりの年賀状だ!
 早速、その一筆「名文」をご本人の許可無く以下に紹介させて頂こう。(吉井先生、ご迷惑でしたら心よりお詫び申し上げます。)

 「小生に賜った御名文を楽しく読ませて頂いています。 ありがとう!」

 恩師先生おっしゃるところの我が“御名文”(お恥ずかしい限りだが…)とは、「原左都子エッセイ集」2012.03.18公開のバックナンバー「吉井溥先生、秋の叙勲ご受章おめでとうございます!」であろう。 
 (要するに恩師吉井先生にとられては、当該エッセイ自体が僭越ながらも「御名文」であられることと推測する。)

 既に再公開済みのため、ここではその内容を割愛させていただこう。 

 私の場合、一度目の大学に於いても二度めの大学・大学院に於いても、指導教官であられる恩師に恵まれたおそらく類まれな学生だったことでであろう。
 
 それが証拠に、一度目の大学(郷里過疎地の国立大学だが)医学部指導教官氏よりも卒業後関わらせて頂く機会が何度かあり、一昨年恩師他界後にご家族より恩師の著書をお贈り下さるとの恩恵を賜っている。
 当該医学部恩師よりも、生前には長年に渡り“直筆一筆”入りの年賀状を頂戴していた。

 更には、二度めの大学・大学院(横浜市立大学だが)にてご指導いただいた吉井溥先生に関しては、私側も記憶が新しい。
 (ここで注釈だが。 ネット検索すると我が恩師と同姓同名の他無名私立大学教授氏が世に存在しておられる様子だ。??  我が恩師先生が既に高齢域に達していることを狙い、単に自分こそが“秋の叙勲”をゲットしたとのガセネタの恐れも否めない…😱   敢えて我が恩師こそが“秋の叙勲”授章者であられることを原左都子がお伝えしたく、我が出身大学・大学院名を明瞭に公表させて頂いた。)
 皆さん単なる偶然としては、吉井溥の名の“溥”の字が“特異的に偶然すぎる”と感じませんか???


 吉井先生の年賀状の“直筆一筆”は何も今年に限らず、毎年素晴らしく私に訴えて下さる底力があるのだ! その一言に毎年勇気を得させて頂いていると表現しても過言ではない。

 おそらく吉井溥先生は、毎年年賀状を届ける「教え子」(この言葉を高校教員経験がある私は“教員の立場”としては好まないが。)皆の一人一人に届けていらっしゃる事だろう。

 吉井溥先生は、(2021年に)88歳になられると私は記憶させて頂いている。
 今後益々お元気にご活躍され、来年以降の年賀状にも「一筆直筆」文書を無理の無い範囲で頂戴出来る事を楽しみにお待ちさせて頂きたく存じます!

 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)



 さて、昨日頂いた恩師 吉井溥先生年賀状の今年の一筆は。

 「お元気ですか。
  ゼミ創設五十周年の祝いがコロナで不可となり残念無念です。」

 吉井先生は、自らまめにゼミ総会等々を開催されるタイプの先生であられた。
 誰よりも率先してゼミ会を企画立案され、それをいつもゼミ発足直後頃の諸先輩達に命令して、実施に持ち込まれるのがいつものパターンだったものだ。

 私の場合、2度目の大学への入学が既に30歳時だったため、おそらくゼミ創設後15年が経過した頃の学生だったことであろう。 それ故に、未だに吉井先生は私を“若い”と信じて下さっているのはラッキーだ。😜 

 それにしても、吉井先生は今年米寿を迎えられるはずだが。
 いつまでも積極的に学生達と相まみえたく心がけておられる事実こそが、長生きの秘訣でもあられることであろう。

 どうか今後とも長生きされて、コロナ禍が収束した暁には吉井ゼミ創設60周年・70周年記念パーティでも開催しましょう!!😃