(冒頭写真は、昨日1月4日に訪れた近くの神社にて引いた「末吉」のおみくじ。)
私が正月三が日が過ぎてから初詣に行くのには、理由がある。
我が家の近くの神社がどういう訳か人気神社で、特に毎年初詣時期には“ゲロ混み”状態なのだ。
その理由は未だ不明だが、とにかく正月三が日は神社までの道がまるで“新発売ゲーム機”を買うがごとくの長蛇の列状態だ。😨 その距離おそらく1~2㎞。
昨日の1月4日ですら神社内に列が出来ていた。
さすがにコロナ対策で三密を避けるがごとくの工夫はなされていたが、神社の入口を入って後少なからずの時間列内で待たされた。
私が毎年律儀に「おみくじ」を引くのにも、とある理由がある。
本エッセイ集バックナンバーでも幾度か記載しているが、私は高校生時代に旅先の神社で「凶」を引いた経験があるのだ。
その旅行帰りの鉄道駅で、置き引きに遭った。
その置き引きの前段階から、汽車内で私に目を付けている男がいることを把握していた。 (3人の女子旅だったが、長身でロングヘア、白いミニワンピース姿だった私は、確かにその中で突出して目立っていたと思う。) 汽車を降りて後も尾行されている事実に気付いていた。
若気の至りの愚かさで、駅に荷物を置いたまま汽車の乗換え時間に私は旅仲間と駅近へショッピングに出かけた。 そして駅に帰ってみると、私の荷物(3個)がすべて忽然と消えている… 他の友達の荷物はすべてあるのに、何故か私の荷物のみが無い! 何とも不思議な光景だった。
直ぐに駅近の交番へ行って被害届書を提出したのだが、“まず見つかる事は無いだろう”との警察官の返答だった…。
その後しばらくの期間、私は日々恐怖に突き落とされた。
何故ならば、その荷物の中には“汚れた下着類”を沢山ねじ込んでいたためだ。 しかも高校の生徒手帳(身分証明証付き)には我が個人情報が満載だった…。
あの経験後私はすっかり「おみくじ恐怖症」になり、決して「おみくじ」を引けない時代が何十年も続いた。
転機は、40近くで娘を産んだ頃だっただろうか?
今後は母として強く生きねばならない。 「おみくじ」ごときを怖がっていては強い母になれない!?!
そう決断し、その後は敢えて毎年年始には神社へ初詣をして「おみくじ」を引くようになった。
幸いな事にその後「凶」を引き当ててはいないが、毎回「おみくじ」を引く時は私にとって緊張の一瞬だ。😱
さて、今年のおみくじに話題を戻そう。
晩秋頃からあれこれと不運が連続している感が、我が心理内にあった。
例えば、義母・実母問題。
参考だが、“義母の補聴器耳栓問題”は年が明けた今尚、抱える課題だ。 ただし、年末頃からその主たる担当を義母の実の息子である我が亭主にバトンタッチした。 それは良かったものの、年明け早々より義母のデタラメ電話は日々耐えることが無い。
年末突然発症した“ギックリ腰”もどきも辛かった。 今後に続く我が身体に関する懸念材料である。
それよりも何よりも、人間関係に於いてギクシャク感がある昨年末だった。
ここでは詳細記述は避けるが、ブログ関連の人間関係に於いても、我が心理面で今後に引き続く課題を抱えるがごとくの重荷を自ら背負ってしまっている…。
そんな折に引いた今年の「おみくじ」。
まさに今の私は「末吉」で正解だろう。
ただ「末吉」とは、“今が一番不運な時期であり、後は輝くばかりの吉が訪れる” 運勢だとも解釈されているようだ。??
我が“吉人生”を取り戻すのは、もちろんのこと私自身の努力に他ならない。
今は逆境かもしれないが、必ずや我が「吉」を取り戻すべく今年も精進を続けよう!!😃