原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“ミニスカおばさん” の映像

2021年01月12日 | 自己実現
 (冒頭写真は、当「原左都子エッセイ集」を開設した当初期の我が“ミニスカおばさん”の映像。 当時所有していたガラケーにより鏡に映った我が全身像を自撮りしたもの。)


              
 こちらは、2008.08に同じくガラケーにて鏡に映った映像を自撮りしたもの。 (我が50代前半期の映像。 衣装は娘のワンピースを借りて撮影。

 両者とも、過去の「原左都子エッセイ集」にて公開しています。

 参考だが、現在もこの頃と体型はほとんど変化無し。この頃からジム通いと
ランニング練習を開始したため、むしろ現在の方が足に筋肉が付いているだろう。



 昨日のエッセイにて、ツイッターに載っている“ミニスカおばさんの5流オピニオンブログ”に関して公開したが。
 おそらくツイッターにて「原左都子エッセイ集」を取り上げ、上記の文言のツイートをした人物とは、本エッセイ集にてこれらの写真をご覧になってのコメントと想像する。



 ついでに、2009.02.08付公開の「超ミニの群像」と題するバックナンバーの一部を、以下に引用しておこう。

 私も昔からミニスカートが大好きな人間である。
 ギスギスに痩せたミニスカートの元祖スーパーモデル“ツイッギー”が世界を一斉風靡した頃から、私もミニスカートに慣れ親しみ、既にウン十年の年月が流れている。

 私の年齢になると、日頃出歩いている街中を超ミニで公衆の面前を闊歩するのはさすがに気が引ける。そこで私が普段愛用するのは、膝上数センチ程度の控えめな丈のミニスカートに限定される。

 そんな私も海外旅行などに出かけると、周囲の迷惑を顧みず、今尚上記写真位の超ミニ姿を披露させていただいたりする。
 先だってのインド旅行における美術賞の受賞式典にも、超ミニのドレスで出席させていただいた。ホテルを出発前に、受賞当事者である女性の美術家先生が、同行者である私のその超ミニ姿を見るなり、「本気なの???」と唖然とされたものである。(美術家先生、その節はお騒がせ致しました。何事も無く式典が終了し何よりでした。)

 話が大きく変わるが、先だって2月6日(金)の朝日新聞夕刊に「雪道新潟 超ミニの謎」と題する、女子高校生の制服の超ミニ現象について取り上げた記事があった。 この記事には真冬の雪道を歩く超ミニ制服の女子高生の後姿の写真が添付されているのだが、そのあわらに露出された生身の太股を見るだけで、寒そうなのと、大変失礼ながら一種の“不快感”で震え上がった私である。

 では、さっそく朝日新聞記事を以下に要約してみよう。
 現在、女子高校生の制服のスカート丈が全国一短いのは“新潟県”であるらしい。女子高生の多くが今も太股をあらわに歩くのを見かね、新潟県内の全高校は、今月一斉に生徒指導に乗り出したと言う。
 ある新潟の女子高生は、男性からのちらちら視線は平気なのだが、同性の視線は気になると話す。そして、「スカート丈が長い女子もいるけど、そういう子は別グループ。一緒に行動するのは短い子」とのことだ。
 “短い”のが定説だった東京でも00年頃から、私立を中心にスカート丈が少しずつ伸びている。学校毎に制服文化が生まれ、多様化が進んでいるのだという。「今の子は、近くの友達におしゃれに見えるかどうかが重要になっている」ということだそうだ。
 
 以下略すが、以上が朝日新聞記事の要約である。

 では、私論に入ろう。
 個人が自由感覚としてのお洒落志向でミニスカートを楽しむのと、女子高校生が集団内で制服のスカートを短くするのとは、まったく異質の意思や感覚に基づく行動であると私は捉える。
 女子高生の制服の超ミニ志向を支配しているのは、集団従属心理に基盤を置く“同調心理”であると私は考察する。 彼女達は自分には似合ってもいないことを重々承知の上での“太股露出”行動なのであろう。その行動で、自分が存在し得る「共同体」創りを精一杯することにより、そこで安穏としたい一種の“生き残り”心理のせめてもの表現なのだと推測する。
 もし私の考察が正しいならば、彼女達のその健気な“生き残り心理”の表現の仕方が幼稚過ぎるがばかりに、自らの“太股”を曝け出さざるを得ない哀れさも漂うようにも思えてくる。
 そんな思春期の壊れやすい少女の心を周囲の大人は“生徒指導”という規律により頭から潰そうとするのではなく、対話により救う手立てを考慮するべきではなかろうか。 

 (以下略すが、以上本エッセイ集2008.02バックナンバーより一部を引用したもの。)


著名人のSNS利用は所詮無理があろう

2021年01月11日 | 人間関係
 昨日のニュース報道によれば、米国トランプ大統領のツイッター投稿が、米ツイッター社により永久停止に持ち込まれたようだ。

 「暴力をさらに誘発する恐れがあるため」との理由による措置だ。


 トランプ氏に限らず、国内外の政治家がツイッター等のSNSを利用して、好き放題に発言するのは今時珍しいことでもないが。
 
 私などは、ずっと違和感が否めないでいる。
 自分自身が立ち上げたブログ等にて、好き勝手に言論活動をする分には自己責任でやれば良かろうとも思うが。 (私自身もそうしている。)
 不特定多数の人間がアクセスして利用出来るSNS上の著名人による発言とは、自己責任とは言えども危険性が大きいのは当たり前の事実だ。 その危険を自ら犯しておきながら、「ヘイトだ!」等々と“被害者”ぶっている姿を見せられるのは、一般人の立場からは違和感が否めないし勘弁願いたいものだ。


 さて今朝方、ヘンリー王子ご夫妻に関するネット情報を見た。 以下にその内容を転載しよう。

 ヘンリー王子夫妻、SNSと決別 英紙  2021/01/11 03:34

 【AFP=時事】英国のヘンリー王子とメーガン妃が交流サイトの使用をやめたと、英紙が10日報じた。フェイスブックやツイッターなどのサイトにヘイト(憎悪)がみられ、次第に幻滅していったとしている。
 英国の高級日曜紙、サンデー・タイムズによると、ヘンリー王子夫妻は米国における新たな「進歩的役割」の一環として、SNSの個人的使用および仕事での使用を避けている。同紙が報じたヘンリー王子夫妻に近い情報筋の話によれば、夫妻は新設した「アーチウェル財団」でSNSを使用する予定はなく、夫妻がSNSの個人的使用を再開する「可能性は極めて低い」という。夫妻は昨年、主要王族の地位を離れる際の条件として、「サセックスロイヤル」という商標の使用を取りやめ、その後、多分野で活動する非営利団体、「アーチウェル」を設立した。
 英王族の地位を唐突に退いたヘンリー王子夫妻は昨年、米カリフォルニア州に移住。夫妻はこれまでオンラインでの存在感が際立ち、王室離脱前のインスタグラムアカウント「サセックスロイヤル」は、フォロワー10万人以上を集めた。
 一方で、夫妻は以前からSNSや英メディアの待遇に不満を持っていた。メーガン妃は過去の自身に対する悪質な書き込みについて「生きていけなくなるほど」と発言。ヘンリー王子も2016年に発表した異例の声明で、「数々のコメントに人種差別的な意味合い」が潜んでいると指摘し、「ソーシャルメディアでの荒らしにおける性差別や人種差別」を非難していた。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 私見だが。

 英国のヘンリー王子ご夫妻の現在の諸活動自体に関しては、私は肯定の立場だ。 敢えて英国王室を離れ、自主活動をされている若きお二人の姿はすがすがしくもある。
 ただSNSに自分たちのフォロアーを求めるのは、元より危険性が高かったはずだ。 それに依存してしまった挙げ句、悪質な書き込みに対し「生きていけなくなるほど(辛い)…」、とおっしゃるのは如何なものか? 失礼ながら“若気の至り”感が否めないのだが…


 と言いつつも、この原左都子も当該ブログに加えて、SNSの一つ「Facebook」を12,3年程前からだっただろうか? 利用している。

 ブログに関しては、現在コメント欄閉鎖の措置を採用している関係で、それ以降は特段の被害を受けることはない。
 コメント欄をオープンしていた頃は、やはり誹謗中傷の被害に遭ったものだ。

 加えて私自身は一切利用していないのだが、ツイッターに「原左都子」に対する誹謗中傷を見知らぬ相手より書き込まれた事もある。
 その書き込みによれば、「原左都子エッセイ集」は“ミニスカおばさんが公開性との駆け引きに悩みつつ公開する5流オピニオンブログ”であるらしい。
 現在は知らないが、この書き込みは長年ずっと掲載され続けていたようだ。 「原左都子」で検索すると、トップページに必ずやこれが掲載されていた。 
 ただそれを書かれた超本人である私など、「5流」とは素晴らしい褒め言葉だ、と感じ入った。 下手に2流、3流と書かれたならば私も少しは傷ついただろうが、「5流」との“超越した”表現を私は好んだものだ。(見知らぬ人に、我がブログをオピニオンブログの“流派”の端くれに入れて貰えるだけでも有り難い話だ。)😝 
 しかも、「ミニスカおばさん」。 よくぞまあ、我がブログを十分に観察して下さったものだ。 確かに我がエッセイ集の本文や写真欄等に「ミニスカ写真」を沢山掲載しているし~~。 😁  

 Facebookに関しては、開設当初より危険性の回避を十分念頭に置きつつ、友達の選択には念には念をいれ、現実世界の知り合い中心に20名程に絞り込んだため、被害は無かったと言えよう。
 そのFacebookがどういう訳かシステム上のトラブルが多く、当初立ち上げた我がページが昨夏頃より使用不能となっている。 現在は別の「原左都子」ページを作り、読者登録はゼロにして、当該gooより「原左都子エッセイ集」を転載する目的のみで一人静かに利用している。 (時々我がFacebookページにコメントを頂くことがあるようですが、申し訳ない事に現在Facebook上に「原左都子」ページが2部存在し、1部目が自分でも検索し辛いのに加えて、どちらにコメントが入っているのか自分でも不明状態です。 そのためコメント返答が不自由となっておりますこと、この場でお詫び申し上げます。)


 冒頭のトランプ氏の場合、その書き込みが米国民の集団暴力を誘発してしまい、数名の死者まで出してしまった責任は逃れられないだろう。
 ツイッター社によるトランプ氏のアカウント停止は当然の措置であろう。

 特に著名人の皆さんは安易にSNSに依存すること無く、自己の発言の舞台を慎重に吟味・選択して欲しいものだ。


「個人年金」、私も60歳から受け取っています。

2021年01月10日 | お金
 (冒頭写真は、私が加入している“個人年金保険”の保険証書。 決してジブラルタ生命の回し者ではありません。)


 今年も税務申告期間が近づいているが。

 先程、ネット上で“個人年金保険”に関する話題を目にした。
 早速、以下に引用しよう。

 貯蓄を目的とする保険の代表的なものとして、個人年金保険がある。
 年金のため、年間いくらを何年間で受取るか、そのために何才まで保険料を積み立てるか、などを決めて加入する。
 しかし20年、30年、さらにはもっと遠い未来にお金を受取ることになる。
実際に受取りが迫った時に、別の受取り方がいいという状況になったとしても不思議はない。
 個人年金保険にはそれに対応できる柔軟さがあるが、それに伴い税金も変わってくる。
 契約者が受取り方を変えたいと考える理由に税金対策がある可能性もある。
ここでは受取り方によって変わる個人年金保険の税金について解説しよう。
 © マネーの達人 提供 個人年金保険
  年金として受取る場合
  年金として受取る場合、年金は「雑所得」。
 しかし受取る年金額全部に税金がかかるのではなく、課税対象となる雑所得は以下の計算式で求める。
 雑所得 = 総収入金額 – 必要経費   
  (途中大幅略。)

 死亡保険金にもなる
 年金受取りをしている契約者が、受取り期間の途中で死亡した場合、受取る事のできなかった年金は死亡保険金になる。
 ただし、受取り期間10年の契約なら10年で増える額を見込んで年金額は決められている。  死亡保険金となった場合、その金額は「残りの年数 × 年金額」より若干少なくなると考えよう。

 所得税の申告
 個人年金保険の受取り開始時に、公的年金を受取っている人もいるだろう。
 公的年金が年額400万円以下、かつ年金以外の所得が20万円以下なら所得税の申告は不要だが、どちらか一方でも制限を超えれば、所得税の申告が必要。
 人生100年と言われる今、生活費のためにあるいは健康のために長く働く(給与所得となる)、または一時所得があったとなると、それらの所得は公的年金以外の所得として全て合算される。
 そしてこの合計が20万円を超えると、所得税の申告が必要。
 
 (以上、個人年金保険の税務申告に関するネット情報の一部を引用したもの。)



 私が「個人年金保険」に加入したのは35歳直前期、公立高校にて教員をしていた時のことだ。 (参考だが、私が加入しているのは「公益財団法人・日本教育公務員弘済会」個人年金である。 当時、受取率が国内個人年金の中で最高と言われていた。)
 
 学校に当該弘済会個人年金保険等を取り扱っている保険会社の担当者氏がよくやって来て、営業をしていた。
 その担当者氏(女性)が、私にも声をかけてきた。 「個人年金に加入しませんか?」 そして我が年齢を尋ね、「35歳を過ぎると年金掛け金が急激に上昇します。今が加入のチャンスです!!」

 子どもの頃より貯蓄の趣味がある私であり、35歳近くにしてこの先「結婚」をするか否かに関しても何らの展望も無かった時代だ。
 そんな私は考えた。 (個人年金という手もあるなあ。 それ、いいんじゃないか?!?)
 さすがに営業担当者。 決して誘いを拒否しない私に“猛烈アタック”の営業を開始した。 直ぐに我が「個人年金受取プラン」を作成して翌日持参してくれた。
 それによれば、月々1万3千円ほどの掛け金を60歳(正確に言えば60歳を過ぎた3月)まで続けると、その翌月の4月から個人年金を受け取れるとのことだ。 当時(経済バブル期がそろそろ終焉に向かっていた頃だが)の計算で、私は月6万円程の個人年金が受け取れるとの“美味しい”計算だった。

 ところが…
(公的年金以外に月6万円の追加収入、最高じゃん!!)😍 と浮かれたのは束の間だった…

 バブルとは、必ずやはじけ去るもの…
 その後、バッタバッタと証券会社を筆頭に金融機関が経営破綻し始め…
 我が個人年金保険を扱っていた某中小保険会社も破綻の道程を辿った。

 それを救ったのが、外資系保険会社・ジブラルタ生命だったとのいきさつだが。 その際に60歳以降の受取額の見直しが実施され、我が月6万円との金額も泡と消え去った…

 それでもまあ、“腹の足し”にはなるということだろう。
 私が加入している個人年金は“1年分一括支払い制”だが、やはり小銭とて入金されれば嬉しいものだ。😁 

 加えて、1年に1度は保険会社の担当者(大抵入社早々のうら若きイケメン😍 )が我が家にやって来る。 (本人の生存確認の意味合いもあるのだろうが)、イケメン氏と一時対談するのも“暇つぶし”になるというものだ。 

 私が加入している個人年金保険は“終身もの”のため、長生きする程に元が取れるとのシステムでもある。

 是非共長生きして、元を取るぞ!! 


 (あくまでも参考アドバイスですが。 生涯独身を貫きたい女性や、ご結婚をされていても我が道を歩みたいと欲するご自身にある程度の財力ある女性にとって、“個人年金保険”はご自身の老後の味方になってくれる保険制度かもしれません。)


眞子さまは今、幸せなのか不幸なのか??

2021年01月09日 | 恋愛・男女関係
 (冒頭写真は、本日付朝日新聞朝刊広告欄より雑誌広告の一部を転載したもの。)


 我が「原左都子エッセイ集」初期の頃のバックナンバーに、「プリンセス雅子さま論」と題するエッセイを公開している。

 このエッセイは幾度も再公開しているため、既に読まれている読者の皆様もいらっしゃるであろうと心得つつ。
 本日のテーマを語るに際し原左都子自身が大いに参考になるため、以下に一部を引用させていただこう。


 
 実は私は雅子さまが皇太子とご結婚される以前より、雅子さま(当時は未だ“小和田雅子さん”でおられたが)に少なからぬ興味を抱いていた。
 何分、一女性にして類稀な経歴をお持ちのスーパーレディであられる方だ。  (そのご経歴に関しては、ここでは省略させていただくが。)

 小和田雅子さんが皇太子妃候補としてメディア上で話題となっていた頃、私は高校教員をしていた。
 皇太子の弟君である秋篠宮殿下のご結婚にずい分と遅れをとっていた皇太子を心配してか、当時所属高校の女子高生が教員である私によく冗談を言って来たものだ。 「先生もまだ独身なんだから、皇太子の奥さんになってあげたらどう??」 (顰蹙は承知だが)この女子高生達の反応の程が何とも可愛らしく可笑しくて、「じゃあ、そうするよ♪」などと笑いながら返していたものだ。

 その裏で私は、小和田雅子さんを皇太子妃候補に祭り上げる事に関して“国政の貴重な人材観点”から何とも“もったいない”感覚を当時抱き続けていた。 
 とにかく生育環境に恵まれ、(もしかしたら父親のコネかもしれないが)類稀な才能と特権を活かし世界規模で活躍し、今後国家を第一線で支えていく「官僚」として立派にその地位を築き上げていた小和田雅子氏である。
 何故、この人物が皇太子妃であらねばならないの?? 私はそう思い続けたものだ。
 女子高生じゃないが、何もそんな才能溢れる人材を皇太子妃になどする必要はないはずだ。(確かに皇太子妃とは“英語力及び語学力”及び“淑女力”は欠かせない要件だろうが…)  女子高生が言うように私が皇太子妃にでもなってあげた方が、小和田雅子さんとの類稀な能力を紡いで生きている女性の今後の人生が犠牲にならずに済むのではあるまいか??? 

 それまでの皇室の歴史に於いても、皇室妃殿下候補の選定に当たってはそれに“相応しい”人物を選定して来たのではなかったのか。
 美智子皇后に関しては、初めて民間から迎えられた(実に素晴らしい)妃殿下であられた。
 秋篠宮妃である紀子さまに関しては、弟君の好みと紀子さま側ご家族の意向が合致して結婚が即決したと私は捉えている。
 これらの事例と比較して、明らかに皇太子が小和田雅子さんと婚姻に至るまでの道程は多難を極めたと私は理解している。
 それでも、どうやら皇太子の一番の「好み」が小和田雅子さんであったようだ。 周囲皇室要人が他の皇太子妃候補女性をいくら勧めても、どうしても皇太子は雅子さんにこだわり続けた印象を私は持っている。
 そして、20年前の1993年6月にご両人はご成婚に至られた。

 皇太子殿下ご成婚後20年が経過した現時点で、巷ではこの話題に関して“言いたい放題”のメディア情報が満ち溢れている。

 例えば、平成16年5月10日、皇太子さまが訪欧前の記者会見で述べられた、「人格否定発言」である。
 「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」  当時皇太子さまは44歳、皇太子妃雅子さまは40歳。 雅子さまのキャリアや人格を否定する動きとは、何だったのか。“お世継ぎ”を求めるプレッシャーや、外国訪問をなかなかさせない宮内庁への批判だと受け取られたが、皇太子さまが具体的に説明されることはなかった。(以上、メディア情報より引用)
 原左都子の私論だが、皇太子殿下のこの発言は私も今尚鮮明に記憶している。
 私の解釈としては、皇太子殿下自身が「好んで」選択した妃殿下である雅子さまの経歴について外部のメディアが誹謗中傷する事態に耐えられず、思い余って発言された内容と理解している。
 それ故、私としてはこの皇太子殿下の発言に、雅子さまへの愛情を感じさせていただけたものだ。

 原左都子の私論に入ろう。
 今から遡る事20年前に、小和田雅子さんとの一女性が皇太子妃となられる決断をした時点で、一生に渡るどれだけの損失を我が身に振りかぶる覚悟をされた事であろう。
 そんな思いが庶民の皆さんに理解可能であろうか??

 小和田雅子さんの人生に於ける一番の失敗は、皇室と交流できる程の家庭に生まれ育っている中で、その交流を阻止できなかった事であると原左都子は捉える。  
 そもそも皇太子と出会える“超特権パーティ”になど出向かなければ、小和田雅子氏はその後一生一民間人として国家の官僚を続行できたはずだ。
 ところが、小和田雅子氏は若かりし時代にそれに出向いてしまった。 それがどうしてなのかに関しては、あくまで庶民でしかない私には計り知れない……
 それでも私には、現在心身面での「適応障害」に悩まれつつご公務が限定されている「プリンセス雅子さま」をバッシング申し上げようの発想は一切ない。
 雅子さまこそが時代の犠牲者との感覚を抱きながら、聡明な小和田雅子さんが何故そんな“過酷な運命”を回避できなかったのかに関して問い続けつつ、一生涯庶民を貫ける事を幸せと感じている原左都子である…… 

 (以上、本エッセイ集開設初期頃に公開したバックナンバ-より一部を引用したもの。)


 このエッセイを公開した当時に仲良くして下さっていた、東大卒某大学教授氏がこれを読んでおっしゃるには。
 「雅子さまの現状を原さんは否定的に捉えているようだが、そうかなあ。 ボクはそう思わない。 将来皇后になられて天皇家を支えて行かれる方だ。 素晴らしく恵まれた生き様だと思うけど…」
 それに対して私は、「一般人として自由奔放に生きる人生の方がよほど価値が大きい…」ナンタラカンタラと反論をさせて頂いたことを懐かしく思い出す。

 まさに、人の“幸せ”とはそもそも個人的な感覚に基づいているものだ。
 たとえ天皇家に嫁いで自由を奪われたとしたとて、それがご本人にとってプラスの側面もあるのならば、他者がとやかく言うべき事でも無いのであろう。
 雅子さまは一昨年既に皇后となられているが、皇后になられて後の雅子さまを私は肯定的に捉えている。 特にコロナ前の雅子さまは、諸外国要人達とのパーティ等の会合をご自身が積まれてきたキャリアをふんだんに活かしつつ、積極的にこなされていた。 あの映像を見た時にこの私も、やっと雅子さまの本来のご活躍の時が来た! と安堵したものだ。


 さて、話題を表題に戻そう。

 冒頭写真は、本日付朝日新聞広告欄より転載したものだが。
 某週刊誌の広告内に上記写真の文言があった。 「眞子さまは不幸になる権利もある」

 このコピーを書いた記者が言わんとすることは、私なりに理解可能だ。
 要するに、眞子さまが小室氏との婚姻を望んだこと自体を「不幸」と捉えているものと推測する。
 そしてその現状を秋篠宮が認めた今に至り、眞子さまは今後「不幸」になるものと捉え、それでも良いのではないか、と結論付けている様に想像する。

 (実際この週刊誌記事を読んでもおらず、その気も全くない立場での論評で恐縮ではあるが。) 
 原左都子とて、眞子さまと小室氏とのご成婚が成立したその後の眞子さまの有り様を思うに。
 “幸薄き人生を歩まれるのか??”なる感覚しか抱けないでいる。
 
 何せ“皇室育ち”との大いなる制限の下に、小室氏とまともに恋愛をした後に結婚を目指したとは到底考えられないカップルだ。(方や小室氏側は、少なくとも母親は“結婚支度金”等々、元々“金目当て”だった事実を否定できないのではなかろうか??)


 “人を愛すること”の真の尊さを露知らずして、小室氏との婚姻を強行する眞子さまが実に気の毒ですらある… 😥 

 (上述のごとく)この週刊誌記事を読む意思がまったくない私だが。

 それでも今後の眞子さまには、「私は結婚して幸せになる権利がある!」との内面から出る勢いで。
 小室氏とのご成婚を、眞子さまご自身の意思で成就させて欲しいものだが…
 

“テレワークしたくない派”が大多数の娘の職場が出した今後の方針は…

2021年01月09日 | 仕事・就職
 冒頭より上記“テレワーク”がテーマだった本エッセイ集数日前公開のバックナンバーを、以下に引用させて頂こう。


 昨日は、娘の職場の初出勤日だった。

 年末年始休暇中に娘が言うには。
 「来年から私の職場もテレワーク中心となりそうだ。 出勤初日に、曜日毎のテレワーク職員分担を皆の話し合いで決定することになる。」

 その娘が昨夜帰宅後、早速我が娘は何曜日にテレワークになったのか確認した。

 そうしたところ!
 (参考だが、娘の班はリーダーを筆頭に総勢8名だが。)
 何と!  テレワーク希望者が、たったの1名のみだったとのことだ!!😲
 その1名に関しては、即刻毎日テレワークが決定したようだ。

 残りの7名のテレワークを嫌う理由に私は笑い転げた。😁
 その内容と我が感想( )内を、以下に列挙しよう。

 まずは我が娘(27歳独身女性) : 「職場で仕事をする方が集中できるためそうしたい」   (まあ一番正当派だろうが、「つまらない奴だなあ~」とチコちゃんに怒られそうだ…😖 )

 A氏(30代後半男性4人家族、次女は昨年誕生したばかり) : 「妻が私に家にいられると家事が増えて大変だから、毎日仕事に行って欲しい、と言う」 (分かる分かる、私も妻氏に同感だ。)

 B氏(30代前半独身男性) : 「家で仕事をすると光熱費がかかるから職場でしたい」  (何とまあ、究極正直なご意見だこと!  私自身も現役時代に職場に行くとトイレットペーパー代やティッシュ代が浮くなあ、といつも水面下でいじましく思っていたため、このご意見にも同感!)

 C氏(20代前半独身女性) : 「 … 」 (あっと残念。 この方のご意見も若き独身女性らしく面白く、かつ独身が長かった私にとってその心情がよく理解できたのだが、詳細を忘却してしまったため省略。)

 ここまで記したらお分かりいただけるだろうが。

 娘の職場は人と人とのコミュニケーションが十分にとれていて、かつ皆がフランクに語れる実に良き人的環境に恵まれている、と私はいつも陰ながら感謝している。
 こんなに正直に“テレワークを嫌う理由”を語らせてくれる職場はまず無いことであろう。

 さて結果として今週は、テレワーク希望のたった1名(参考だが、この方は50代独身男性。 写真で見る限り、まるで俳優のごとくお顔の彫りが深いイケメン氏だ。 娘にもいつも優しいらしい。)のみが本日より毎日テレワークに入り。
 残り7名は今週一杯は出社にて業務に当たるらしい。

 今後のテレワークの行方は不明だが。
 とにかく親としては娘がよき職場仲間に恵まれている事実に、まずは安堵だ。😊

 (以上、数日前のバックナンバーを引用したもの。)


 7日に菅首相より出された「緊急事態再宣言」により、私が暮す大都会では、外出自粛、営業時間の短縮、出勤者の7割削減、イベント開催等の自粛等々が再発令された。
 (にもかかわらず昨日8日朝の通勤時間帯は、いつもと変わらない混雑した通勤風景だったらしいが…)

 ニュース報道によれば、この緊急事態宣言発令により既に昨日より職員全員強制でテレワーク体勢に入り、職場がひっそりしている光景も映し出された。
 ある女性職員など、「テレワークは避けたいと思いつつもやむを得ない」と落胆している様子だった。


 さて、昨日夜遅く帰宅した娘に、早速今後の職場の「テレワーク」方針に関して尋ねたところ。
 やはり今回発令された「緊急事態再宣言」には従わねばならず、来週から職員全員の“曜日毎のテレワーク”制が実行に移されるとのことだ。
 参考のため、我が娘はとりあえず来週は水・金がテレワーク日になるとのこと。 ただし、再来週以降は更にテレワーク日が増える可能性も大きいとも言う。

 「職場で仕事をする方が集中できるため出勤したい」、との“精神論”を主張した我が娘はともかく。😟 

 「私に家にいられると家事が増えて大変だから、毎日仕事に行って欲しい」、と妻が訴えているA氏や、 「家で仕事をすると光熱費がかかるから職場でしたい」との理由のB氏には、テレワークにより“実質被害”がもたらされよう。😖 

 如何にその対策を施しましょうかね?? Aさん、Bさん。😵