(冒頭写真は、昨日付新聞広告欄より週刊誌の広告を掲載したもの。)
また、このシリーズか……
と、読者の皆様より飽き飽きされそうだが。
実際私の現況とは、“70歳に向けてカウントダウンに入っている年代”と表現出来きよう。
この“コロナ禍”さえ無ければ。
きっと私の70歳までのカウントダウンは、実に自由かつ充実していたことだろう。
それを思うとやるせなくなるのだが、やむを得ない。 ここは“コロナ禍”が70歳まで続くものとの基盤の下で、今後の展望・行動をせざるを得ないのであろう。
60歳を迎えた時と65歳を迎えた今とでは、(たとえ“コロナ禍”に遭遇せずとて)、先々の夢や希望がまったく異質であることに気づかされる。
私にとっての60歳(還暦)頃とは、未だ“キャピ付くギャル”がごときだった。
実際、街をミニスカで歩いていて“シニア女優”のスカウトを受け、そのオーディションに六本木のタレント事務所まで出かけたりもした。
フルート練習のため近くの音楽スタジオまで定期的に出かけ、スタジオスタッフの若きミュージシャン達と相まみえては、楽しい時間を過したりもしたものだ。
とにかく私の場合、高齢域に近づきつつあるなどとの悲観的な発想は全くない時代だった。
さて、それでは冒頭写真の某週刊誌記事を考察して行こう。
「70過ぎたら “やめること” “捨てること” “離れること”」との見出しだが。
私の場合、既に20代で郷里を捨て親を捨て上京し自由の身となっている立場にして、今更それを実行せねばならない立場ではない。
結婚・出産が遅かったこともあり、自由奔放に生きた時代が長い感覚だ。
そのまま現在にまで至った挙げ句に、義母・実母に依存される身だが。
ただ、両人共に施設暮らしを選択してくれている関係で、トラブルすら無ければ特段我が生活が乱されることもない。(このトラブルが一旦発生すると、心痛を抱え込む事となるのだが。)
“きょうだいの縁”ねえ。
これも我が40代に、思い切って米国の姉との縁を私側から切った。
“友人との縁”。
これに関しても私の場合、嫌な奴らとの縁は既に自然に切れていると判断できよう。
“子どもとの縁”。
これに関しては、私にとっては世の中で一番に可愛い娘と同居中だが、これぞ我が人生を最大に充実させてくれている源とも言えよう。
(おそらく結婚を望まないであろう??)娘との縁が今後も長く続きそうな事態が、私にとって今後の一番の生き甲斐となろう。
えっ、なになに??
“嫌いな嫁” に、“知らない甥” に財産を渡さないと決める???
私の場合、“嫁”には一生涯縁がなさそうなのはラッキーだが。
実は “知らない甥”との財産分与は、既に経験・解決済みだ。
詳述は避けるが、義理姉が膵臓癌で63歳の若さにて亡くなった後に、今まで一度たりとてお会いしたこともなかった義理姉の3度目のご亭主の“甥”と名乗る方より、自身も遺産の取り分がある!との主張が我が亭主の下に届けられた、との事件に遭遇している。
この際の我が亭主の采配ぶりに私は感動した。 きちんと法制度に従った計算を施し、それを実行に持ち込み一件落着させた。 あの事件の時ほど、我が亭主の力量に感激した事件は未だかつて無かったため、いつもその案件を思い出しては亭主を褒めてやっている。😁
この私が「老人ホーム」に入る気が無い事に関しては、再三再四表明している。
何分、徹底的に“集団嫌い”の私だ!
義母と実母の高齢者施設を訪れる機会があるが、たとえ普段は個室暮らしとしても、食事は皆で一緒等々の風景を見る都度、私には絶対的に無理感を抱かされるばかりだ。
「人間ドック」に「サプリ」???
そんなもの原左都子でなくとも、正式な医学教育を受けた人材がそれに依存するすべもなし!
それと「運動」とを一緒くたにする過ちを犯してはならない。
要するに、他力本願の「運動」との意味かな? それならば納得だ。
最後に、「見栄」ねえ。
興味深い課題だが。
高齢者が“見栄を張る”場面とは如何なる場面なのだろう。 無い能力をあるがごとくに見せようとする高齢者が多いとの事実だろうか??
そう言えば、我が郷里実母が施設内でそれを常にやってしまっている電話を受けるなあ。 例えば、娘自慢とかねえ。(特に米国暮らしの姉の自慢をよくやらかしているようだ。 かの過疎地に於いてはそれのみで自慢になり得る!と未だ信じている実母こそが哀れですらあるのだが…)
等々と自由感覚で記述してきたら、既に3000字オーバーのようだ。