(冒頭写真は、、我が2度目の大学にて受講した「法学概論」授業の講義ノートより転載したもの。)
今回の「法学概論」のテーマは「法の解釈」だ。
この「法の解釈」は法学の中でも私が好きな分野だった。
故に、我がエッセイ集「左都子の市民講座」カテゴリーに於いて開設初期に取り上げている。
その一部を以下に引用しよう。
法律は解釈論が面白い。
元々理論派の私は法解釈の“理屈っぽさ”にはまってしまい、学業の中途から経営法学へ方向転換したといういきさつがある。
①法の解釈とは?
法文の意味や内容を明らかにすること。
具体的事実に対し、法を適用するときにその解釈が必要となる。
②法の解釈の意義
○抽象的表現の具体化、明確化
例:民法1条の3「私権ノ享有ハ出生ニ始マル」
では、「出生」とはいつなのか? 学説は分かれる。
・陣痛開始説
・一部露出説 ← 刑法の通説
・全部露出説 ← 民法の通説
・独立呼吸説
※ 刑法においては人名尊重の観点から「出生」を早期に解釈するの
が通説の立場
胎児であるか、人であるかにより適用される条文が異なり、
刑罰の重さが異なってくる。→
人を殺した場合は殺人罪
胎児を人工的に流産させた場合は堕胎罪
○法律の非流動性と社会現象の流動性とのズレを埋める
法 … もともと最高に強力な社会規範
この最高に強力な社会規範が流動的であったならば、人々は
何を基準に生きてよいのかその方向性を見失ってしまう。
そこで法とはそもそも非流動的な存在である。
解釈により非流動的な法と流動的な社会現象とのズレを埋める。
(途中大幅略)
★利益衡量論 (新しい解釈法、帰納的方法)
結論が先にあり、それに基づき法律構成をする、という考え方
論理的解釈よりも、実務家の勘による。
(実務家はその実務経験により、極端に言うと、どちらが善でどちらが
悪かが直感で判断できることもあるらしい。その判断力でとりあえず
結論を先に導いておいて、後から法律構成をするという方法。)
欠点:制定法規範を無視する恐れがある。
↓
法の秩序が危険にさらされる恐れがある。
法適用の際のひとつの手段としてこの方法を用いるならば妥当性はある。
(以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)
以上の引用は、S先生の「法学概論」よりの引用ではなく、おそらく我が修士論文指導教授だったY先生の授業より引用した記憶がある。
(上記写真を見ると、S先生も同様の講義をされているようだが。)
「法の解釈」に於ける最重要ポイントは、上記の “法律の非流動性と社会現象の流動性とのズレを埋める” 事にあると、私は現在でも解釈している。
参考だが、我が修士論文はまさにこの「法の解釈」論を主柱としたものである。
論文テーマに関して、如何なる法の解釈論を採用するかの「学説研究」を徹底的に実施した。
修士論文審査に当たりその分析の緻密さに対し“高評価にて合格”したものの、あまりにも理屈にこだわり過ぎると“理論遊び”になる点を指摘された。
(それでも、そのご指摘は私にとっては我が目指すべく学問の方向であり、十分に納得の結果だった。)
S先生の「法学概論」に戻ろう。
さすがに博学であられるS先生、この授業でも医学に関して述べられている。
「脳死を個体死と認めるか?」 脳幹を損傷した場合も人工呼吸装置により一週間位は生きられる。 どの時期をもって脳死と判定するかは、医師にとっても困難な現状。
我が考察だが、この講義から30年の年月が経過した今、ニュース報道に於いて「心肺停止状態」の表現が多用されているように感じる。
要するにこの「心肺停止」の用語など、「死」をいつと判定するかに関する上記“法的概念”を念頭に置いて慎重に表現している結果と推測・実感させられる。
我が国のごとく制定法(成文法)国家に於ける「法の解釈」とは、人が生きる社会全般に於いて大きな使命を果たすべく存在である、ということだろう。