原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

左都子の「憲法」小講座

2020年05月03日 | 左都子の市民講座
 (冒頭写真は、我が2度目の大学時代に受講した「憲法」授業ノートより、「生存権」に関して私ども原左都子が試験対策用に作成した解答。  随分と我が“若気の至り”故の私論を展開している事実に、今更ながら驚かされる。😨



 昨日に引き続き本日も、我が大学(大学院)時代の講義ノートからの引用の形となるが。
 本日は「憲法記念日」故に、「憲法」の講義ノートより引用させていただこう。


          
       同じく、「表現の自由」に関する我が試験対策用解答。


     
      同じく、「経済的自由権」に関する我が試験対策用解答。


 大学の定期試験とは特に「社会科学分野」の場合、大抵は大題がポンと出され、それに関して(何字以上で)小論文形式で論ぜよ。 との形式がほとんどだった。

 そのため私の試験対策としては、いずれの科目もまず大題を自分で想定し、それに対する模範解答を作成して、それを覚え込むとの方策を採ったものだ。
 この「憲法」に限らず、いずれの科目もその方策を採用したため、我が大学(大学院)時代の講義ノートには、科目毎にその「模範解答」が数多く保存されている。



 上記の中から、「経済的自由権」に関してまとめた我が定期試験“模範解答”(??)を以下に引用させていただこう。

 経済的自由権に於いては、憲法22条、29条で明文上、「公共の福祉」による制約を認めている。 仮にそのような規定がなくとも、権利・自由の性質から社会に及ぼす影響が大きいため、精神的自由に比して、その制約度合いが大きいと一般的に考えられている。
 経済的自由に対する規制には、公共の安全秩序の維持を目的とするもの(消極目的)と、社会経済政策観点から制限を加えようとするもの(積極目的)がある。
 昭和41年「小売市場許可制」の判決に於いては、個人の経済活動に対する規制は、公共の安全保持(消極警察目的)の観点からだけではなく、積極的に社会経済的な観点(積極目的)からも行い得るとし、小売商を保護することは中小企業保護政策という目的において一応の合理性があるため、距離制限をおくことは合憲であるとされた。
 昭和30年の「公衆浴場営業の距離制限判決」においては、無用の競争をすると経営困難となり、結果として衛生設備の質が低下する、すなわち、国民保健上の観点から規制の必要があり、距離制限は合憲であるとされた。  これに対し、昭和50年の薬局開設の距離制限判決に於いては、許可制が職業選択の自由そのものに制約を課すものであるため、それが合憲であるためには高度の公共性、措置の妥当性、合理性を要すこと、また、距離制限の不存在→競争の激化→経営の不安定→法規違反(不良医薬品の販売)という因果関係は単なる観念上の想定に過ぎないこと、法規違反を防止するには、供給業務に対する規制手段のような、より緩やかな規制手段があり得るとの判断で、距離制限は違憲であるとした。  前者も後者同様の論理が適用出来るため、合憲という判断は合理性に欠ける。 現時点で判断すれば、公衆浴場は保存の必要があり、積極目的に変わると考えられる。
 積極目的ではなく消極目的である場合には、危険な状態を生じせしめる者につき規制措置をとることが原則(警察責任の原則)であり、人格権的意味合いのある職業選択をできるだけ規制しないようにすることが重要であろう。

 (以上、我が大学・大学院講義ノートより、「経済的自由権」に関する定期試験模範解答?? を引用したもの。)

  
 「憲法」に限らずすべての法学分野において課題を論じる場合、必ずや具体的な「判例」を持ち出すのが鉄則だったように記憶している。 そのため、判例学習が欠かせなかったものだ。 

 私が大学(大学院)生だった頃は未だ「ネット時代」ではなかったため、特に卒論や修論作成時には図書館へ通い詰め、判例検索作業に時間を割いた事も思い出した。 


 本日は「憲法記念日」。
 
 “新型コロナウィルス禍”の真っ只中にもかかわらず、安倍政権要人がテレビ討論内で「憲法改正論議」を持ち出し。
 某野党より、「ウイルスへの対策がうまくいっていないのは憲法のせいではなく、安倍政権の政治姿勢と能力の問題だ。自粛と補償はセットであり、十分な額の第2次補正予算案を急いで組むべきだ」との反発を食らったとの話題もある。😫 
 
 まったくもって、野党側のおっしゃるとおりだ!! 😷