原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

左都子の「科学哲学」 小講座 Ⅱ

2020年05月27日 | 左都子の市民講座
 (冒頭写真は、我が2度目の大学にて受講した「科学哲学」のプラトンによる“3つの比喩”より「洞窟の比喩」のページを転載したもの。  字が既に乱雑になっているが、夜間働く勤労学生の身にしてどうしてもノートの清書時間がとれなかった…。 今後は授業中に殴り書きしたそのまま状態の公開で失礼します。)


 早速だが、上記写真内にある「eikasia」の意味に関して、ネット上より引用しておこう。
 
プラトンの『国家』第六巻で語られる「線分の比喩」においては、
人間の認識のあり方には、エイカシア(映像知覚)とピスティス(知覚的確信)、そしてディアノイア(間接的認識)とノエーシス(直知的認識)という全部で四段階の認識の階層があることが説明されます。
そして、エイカシア(映像知覚)とピスティス(知覚的確信)が現実の事物が存在する感性的世界(現象界)のみを対象とする認識であるのに対して、
ディアノイア(間接的認識)とノエーシス(直知的認識)は現実の世界の背後にある真なる実在であるイデアが存在する知性的世界(イデア界)を対象とする認識であるとされることになるのですが、
「線分の比喩」の議論では、こうした四つの認識のあり方は、数学的な比例関係において捉えられることができると説明されることになります。
 (以上、「eikasia」の意味に関してネット上より引用したもの。)



      


      


      


      


 どうやら「科学哲学」2校時目から、早くも“プラトンの世界”に突入だ。
 
 やはりプラトンは著名哲学者であるし学生が感情移入し易いであろうと、W先生が配慮して下さったものと思われる。
 これが、私にとっては大々的なインパクトだった!

 よく分からないなりにも、面白くて面白くて!! 
 お陰で、私が「科学哲学」とW先生のファンになるには時間がかからなかった。
 他の授業も面白いと言えばそうなのだが、この「科学哲学」の魅力に勝るものはなかった。
 (後に語る「量子力学的実在論」共々、「プラトン哲学」は確実に我が脳裏に永遠に刻み込まれた。 と言える程に理解できているかどうかは不明😝 だが、とにかく私にとって後々までのめり込める対象学問となった。)😍 


 そんな私が、このW先生のプラトンに関する授業等々をまとめる形で、後に当該「原左都子エッセイ集」初期頃2007.11.23付けで「プラトンのイデア論」と題する“学問・研究カテゴリー”エッセイを公開している。
 それを、以下に引用させていただこう。

 今日は、プラトンから命名した娘の14回目のバースデー。
 素直に着実に、あなたらしく成長してくれてありがとう。
 14歳になったあなたに、母からブラトンの「イデア論」を贈ります。

 紀元前4世紀に古代ギリシャのアテナイにアカデメイアを創設した哲学者プラトンの関心は、一方の永遠普遍なものと他方の流れ去るものとの関係にあった。 プラトンは自然界や社会の中で何が永遠普遍なのかに興味をよせた。 プラトンは永遠で変わることのない「本当の世界」をとらえようとした。 何が永遠に真理であり、善であり、美しいのかを示そうとした。
 プラトンは私たちが自然の中で触れたり感じたりできるものはすべて「流れ去る」と考えた。 感覚世界に属するものはすべて時間に侵食されてしまう。 だが、すべてのものは時間を超えた「型」に従って創られている。 この「型」は永遠で普遍である。
 プラトンが永遠で普遍と考えたこの「型」は抽象的なひな型であり、それをもとにあらゆる現象が型どられるひな型である。 プラトンは私たちの身の回りにあるあらゆるものの背景には限られた数の原型があるはずだ、との結論に達した。 そしてこの原型をプラトンは「イデア」と名付けた。 この考え方がプラトンの「イデア論」だ。
 感覚世界にあるものはすべて、つかの間のものでしかない。 動物も植物も衰えていき、いつかは死ぬ。 岩石だってゆっくりと朽ちていく。 私たちは変化するものについての確かな知を入手することはできない。 触れたり感じたりできる感覚世界のものに関して、私たちは曖昧なドクサ(意見)しか持てない。 私たちがエピステーメー(確かな知)を持てるのは、理性でとられることができるものについてだけなのだ、とプラトンは考えた。 理性は永遠で普遍であり、永遠で普遍にかかわることしか語らない。 私たちが知覚するもの感覚するものに関して、私たちは曖昧な意見しか持てない。だが、理性で認識するものに関しては確かな知に達することができることをプラトンは示そうとした。(だから、「イデア」は日本語では「理性」と訳されたりもしている。)
 私たちは何かの陰を見たら、この陰の元にあるものがこの陰を投げていると考える。 でも、確信はない。 それで、私たちは振り向いてその陰の正体を確認する。 その正体は陰よりもずっとクリアで輪郭もはっきりしている。 プラトンは、自然界のすべての現象は永遠普遍のひな型(イデア)のただの陰だと考えた。残念なことにほとんどの人々はその陰の中の人生に満足しきっている。 一部のソフィスティケイトされた人にしかこのイデアは見えない。 プラトンはそう語っている。(プラトンはこの話を「洞窟の比喩」として説明している。)
  参考文献 : ヨースタイン・ゴルデル著「ソフィーの世界」1995年

 (以上、本エッセイ集バックナンバーより引用したもの。)


 先程の記述の訂正です。
 失礼申し上げました。 上記エッセイの参考文献「ソフィーの世界」は、W先生ご推薦図書ではありません。 (どなたの推薦だったか忘却しております。)
 W先生ご推薦図書は複数あるのですが、当時大規模書店を巡ったのは、ズーカフ著「踊る物理学者たち」(量子力学的実在論等を取り上げた著書)を求めてでした。 紀伊國屋、丸善、最後に行った「八重洲ブックセンター」でやっとこれをゲット出来た時には、どれだけ嬉しかったことか。

左都子の「科学哲学」 小講座 Ⅰ

2020年05月26日 | 自己実現
 (冒頭写真は、我が2度目の大学にて受講した「科学哲学」の第一回目の授業より転載したもの。 字が綺麗なのは、大学入学直後頃の授業だったため、授業中のメモ書きを自宅で清書していた故だ。)


       


 我が2度目の大学にて一番インパクトを受けたのは、実は専攻分野では無いこの「科学哲学」だった。
 
 我が2度目の大学入学の第一の真の目的は、まさに「学問を徹底的にやる!」 ことだった。
 と言うのも、既に医学分野ではある程度の実績を積んで来ていた。
 もしも2度目の大学(大学院)修了後に職が無くとも、十分に医学の世界で食っていける!との自負があった。 (実際、大学長期休暇中には医学専門分野の人材派遣にて“高給”を稼いでいた。 加えて高齢出産にて我が子を授かった後に、再び医学基礎研究の職に就いた時期もある。)
 それ故に“就職(食い扶持)のため”ではなく、純粋に再び“学問をやる”ことを優先することが叶ったのだ。

 この「科学哲学」だが、月曜日の第1校時の授業だった。
 我が記憶によると、入学後一番最初に受けたのがこの授業だったように思う。

 大教室に入ると、学生がまばらだ。 (5,6人だっただろうか?)
 前から2番目くらいの席に座って、W先生の授業に集中した。
 どうやら、このW先生は哲学者ウィトゲンシュタインとプラトンの崇拝者のご様子だった。 (後のプラトンの授業で私はプラトンにはまり、我が娘の命名は迷い無くプラトン哲学より引用した。)



 このW先生に関して、私は「原左都子エッセイ集」 2009.01.26付 「偉大なる哲学者の“遺産”」と題するエッセイにて取り上げさせて頂いているため、それの一部とこのエッセイに頂戴したコメントを以下に引用させていただこう。

 
 ウィトゲンシュタインと言えば、20世紀を代表する哲学者の一人である。
 私は残念ながらウィトゲンシュタインの著作を一冊も紐解いておらず、その業績に未だ触れずにいる。 そんな私ではあるが、哲学者ウィトゲンシュタインの名前は私の脳裏に鮮明に刻み込まれている。

 それには理由がある。
 30歳代での再びの学生時代に、私は当時の自分の専門ではなかった哲学にはまり、卒業認定単位とは関係なく哲学の授業を何本もはしごしたのだが、その中で一番没頭したのが「科学哲学」であった。
 この「科学哲学」の授業に大いにインパクトを受けた私は、担当講師(他大学の教授でいらっしゃったが、我が大学には講師で来られていた)の先生を密かに尊敬申し上げた。 そして、この先生の追っかけをして「科学哲学」を2年に渡って2度(単位取得後の再受講は原則禁止のため2度目は“隠れ受講”だったのだが)と、同先生による「自然科学概論」を受講したのである。
 (私が最初に「科学哲学」にはまったのは、おそらく元々理系で医学関係の職業経験があったというバックグラウンドも大きいと思われるが。)
 
 この先生をここではw先生としておこう。 このw先生というのが、とにかく“哲学者”そのものでいらっしゃるのだ。 浮世離れしているというのか、冗談のひとつも出ないどころか、無駄口の一切ない授業で口を開けば哲学なのである。 そのためか学生には滅法不人気のようで、大教室にいつも受講生が5,6名程しかいない。 最初の頃は訳がわからないまま授業に出ていた私であるが、そのうちW先生の哲学の世界にどんどんと引きずり込まれていった。
 
 このW先生の授業が、これまた唐突だ。いきなり英文の哲学論文のコピーを受講生に配布する。 そして、前方に座っている私に「じゃあ、あなた、ちょっと訳して下さい。」と来るのだ。 哲学専門用語はてんで分からないし、辞書も持ち合わせていない。 四苦八苦しながらしどろもどろ日本語に訳していると、専門用語に関しては先生が手伝って下さりながら、私は何とかプラトンに関する論文を訳した記憶がある。 こういう授業の唐突さも不人気で、さらにだんだんと受講者が減っていき、結局最後まで残ったのは私を含めて3、4人だったように思う…。 学生の人気におんぶしたがる大学教員も多い中で、W先生はそういうことには我関せずで、相変わらず哲学者でいらっしゃる。これがまた魅力的なのだ。

 なぜ、ウィトゲンシュタインの名が私の脳裏から離れないのか。 それは、上記のごとくご自身が哲学者でいらっしゃるW先生が授業中におっしゃった一言によるものだ。
 「古代より現代まで世界中に多くの偉大な哲学者が存在するが、その中でも私が特に影響を受け、偉大と考える哲学者は“プラトン”と“ウィトゲンシュタイン”です。」と明言されたのである。
 後に私が、我が子の名前をプラトンから引用するに至るほどプラトンにはまり、また一昨年の夏にプラトンが創設したアカデメイアを訪れるためにギリシャまで旅立ったのは、W先生の影響力に他ならない。

 一方で、ウィトゲンシュタインもいつかは紐解きたいと思いつつ、未だ実現していない。
 そうしたところ、先だっての1月18日(日)の朝日新聞日曜版別刷り「奇想遺産」のコラムにウィトゲンシュタインが取り上げられていて、久々にW先生のことを思い出した、といういきさつである。
 この朝日新聞記事に目を通すと、偉大な哲学者ウィトゲンシュタインの横顔を垣間見る事ができ興味深い。
 “ウィトゲンシュタイン・ハウス 大哲学者癒した「建築療法」”と題する記事の一部を以下に要約してみよう。
 ウィトゲンシュタインの人生は2期にわかれる。極限まで論理の抽象化を進めて、数学のようにかわいてスカスカな印象を与える『論理哲学論考』は、哲学の歴史を変えた本と今では言われる。しかし、時代の先を行き過ぎて誰からも理解されない。
 厳密な彼が建築デザインしたウィトゲンシュタイン・ハウスは物の寸法からディテールまで異様なほどに整理されている。彼は2年間この家の設計と工事に没頭することにより人間が変わった。後期は普遍的な厳密さより、多様なコミュニケーションを大切にする人間的なものとなった。箱庭を作って患者をなおし、いやすという箱庭療法というメリットがあるが、これは大哲学者の「建築療法」であった。大哲学者ともなると箱庭療法の結果さえ、歴史に残った。

 以上の朝日新聞の記事を読むと、私が尊敬申し上げるW先生は、もしかしたら前期のウィトゲンシュタインの影響を大きく受けているのではないかと、私には見受けられる。 何やら、前期のウィトゲンシュタインとW先生に共通点があるように感じられるためだ。 そして私も、哲学の本髄とは極限まで論理の抽象化を進めることにあるようにも感じる。

 いや~~、それにしても、ウィトゲンシュタインといいW先生といい、真に偉大な学者というのは一見変人のように見えても、必ずや後世に影響力という遺産を残せる普遍の存在であるものだ。 


Comments (4) 

哲学か~ (ドカドン)2009-01-26 21:39:34
哲学は、難しい。
でも、物事をたやすくして、多くの人に教えるのも、いい様に思う。大衆に向けて、発信する時、心がけるのは読み易さ・・・。
哲学の世界は「極み」の郡に属し、大衆「文学」とは、あいまみれないのじゃないのかな?
学者すごい、でも浮世にまみれないと、大衆の心を引き付ける物を生み出す事が、しんどいのかもしれないね?

ドカドンさん、哲学と出会って人生観が変わった私です。 (原左都子)2009-01-27 10:16:06
哲学は確かに難解です。
現在では、大衆が読みやすいように書かれた哲学書も増えていますが、それでも“哲学的感覚”を持ち合わせていない人々にとっては、やはり難解な学問であろうと思います。
確かに哲学は「極み」の郡に属するのかもしれません。
偉そうな事を言っている私だって、実は読みこなせないです。
ただ、一時期哲学にはまって“哲学的感覚”を持てたことにより、私の人生観が大きく変化したことは事実です。
哲学と出会う前までの自分の薄っぺらさを痛感させられました。哲学の思考の深さに感銘を受け、事象の多面性、多様性に気付かされることにより、人間性が豊かになり、浮世で生きていくことが数倍楽しくなった私です。

素晴らしい遺産に触れられたのですね。 (ガイア)2009-01-27 13:47:08
ウィトゲンシュタインと言う哲学者は名前だけは知っています。オーストリアのウイーンの出身すね。シュタイン或いはシュテインと言う名前は多いですね。哲学の世界に疎い私ですから、読んでいませんが。
A先生が学生に不人気だったそうですが、受講生の多い、少ないに関わらず授業を続けるところが魅力的ですね。大学の講義は本来その様なものだと思います。学生の人気を気にしている大学教員なんて本物ではありませんね。
W先生が浮世離れされた哲学者であられることが、先生の醸しだす人間としての魅力であり、最後まで残った学生はそれを感じていた、分かっていたのだと思います。
受講中には難しい、難解だと思っていた先生の講義が卒業後の後年にある切っ掛けによって思い起こされ、なるほど、そうだったのか、と思う事が私にも屡あります。
例えば私の場合、それは文学の講義に於ける太宰治の世界であったり、造型理論の講義に於けるカンディンスキーや映像の講義に於けるエイゼンシュタインの世界であったりします。
確りと勉強はしませんでしたが、卒業後デザインの現場で思い出し、真面目に勉強をしなければ、と思いました。
私たちは様々な領域に於いて、何らかの形(例えば講義を通して哲学の)で過去の偉大な遺産を受け継いで来ているのですね。
何かを切っ掛けに学生時代の講義を思い出し、偉大な遺産を再認識する事は、今後を生きる上でのヒントになります。その様な意味に於いて、原さんのこのエッセイを楽しく有意義に拝読しました。

ガイアさん、そうなんです! (原左都子)2009-01-28 16:17:59
W先生との出会いは、私にとりまして本当に運命的だったと思えます。(と申しましても、あちらは私のことは憶えていらっしゃらないでしょうが。)
私の若かりし頃を振り返りますと、結果としてはある程度の実りある人生を歩めていたようにも思えます。ですがその実態は、ごく一部の偏った知識の下での自己の快楽と都合の良い結果ばかりを優先していたように今は感じます。
ですが、W先生との出会いは私の根本を揺さぶってくれたように思えます。
哲学者でいらっしゃるW先生の授業は本当にインパクトがありました。
難解ではあるのですが、ほとんど聞く耳を持たない私のような人間にも訴える力があるということこそ、真の学者であるとの印象を持たせていただけました。
ガイアさんには、その辺の私の思いを理解して頂けると思っておりましたが、やはり思い通りのコメントを頂き、何だかとても安心致している私です。
我々は、過去の賢人の偉大な遺産を受け継ぐ能力を育み、それを後世に伝える努力も怠るべきではないと再確認致しました。
 
 (以上、本エッセイ集バックナンバーの一部と頂いたコメントを引用したもの。)


 つい先程、このW先生に関しウィキペディアにて調べたところ、 何と! 2018年に71歳の若さで他界されているではないか!
 誠に惜しい“天才人材”を亡くしたものだと、意気消沈……

左都子の「法学概論」 小講座 Ⅷ

2020年05月25日 | 左都子の市民講座
 (冒頭写真は、我が2度目の大学にて受講した「法学概論」授業の最後の講義ノート。)


 S先生による「法学概論」講義もこの8シリーズ目で終焉を迎える。
 最後の最後にS先生が選んだのが法学の基本である「近代市民法」だったのには意外性があった。

 これを終えて私は2度目の大学を卒業し、4月からは大学院生としての学業を引き続き開始することとなる。
 あの春のことはよく覚えている。 またもや自分の目指す新たな方向へどんどん近づけそうな、何ともすがすがしい春だった記憶がある。
 とにかく超多忙の2度目の大学4年間だった。
 夜間や大学長期休暇中は仕事をしつつの勤労学生だった訳だが、実によく学びよく働き、その間に酒も恋愛も存分に堪能しつつ😜 、(何度も言うが)我が煌めくばかりの“華の独身時代”を過ごせたものだ。


 それでは、最後の写真を掲載させていただこう。

      



 この「近代市民法」に関しては、我が「原左都子エッセイ集」初期頃の“左都子の市民講座”内で取り上げている。

 その一つ、2007.12.16 公開の「近代市民法の基本原理とその修正(その1)」を、以下に再掲載させていただこう。

 近代市民法とは何か?
  近代市民社会において施行されている法のこと
   近代っていつ?  → 市民革命以降の時代
   市民社会って何? → 資本主義社会が市民社会
              (社会主義社会は市民社会とは言わない。
               生産手段の社会的所有により横並び社会では
               あるが、反面、自由が制約されているため。)
 我が国における近代市民法とは?
   私権を確立するために制定された私法の基本法である「民法」のこと
     これに対し、「憲法」とは、国家統治のあり方を定めた根本規範
            政治指針であり、具体的な権利義務は表れない
  近代市民法の根本理念 = “自由と平等”
    ここから、次の3つの基本原理が導き出される。
            ↓
        近代市民法の基本原理
          ○所有権絶対の原則
          ○契約自由の原則
          ○過失責任の原則

 ○所有権絶対の原則とその修正
   所有権絶対の原則とは
    近代市民法の根本理念 = “自由と平等” であるならば、
    個人が自由な意思で、平等な地位において手に入れた財産権、特に
    その代表的な所有権は何人によっても侵害されない、という原則
                ↓
    この財産権をどのように行使しようが、これまた自由
               = “権利行使自由の原則”
    権利を行使する過程において他人に損害を与えようと、法に触れない
    範囲内でならば責任は問われない。
    資本主義経済の高度発展は、この原則に負うところが大きい。
   しかし…
    資本主義の発展 → 貧富の格差の拡大
     一握りの独占企業がみずからの財産権を行使することにより
     他人に損害を与えてもよいのか?多くの人が不幸になってもよいのか?
       例: 公害問題、現在多発中の賞味期限偽造問題、etc…
    20世紀に入ってから、この基本原理に歯止めがかかった。
     「公共の福祉」 = 社会全体の共同の幸福  の思想の導入
       この枠を超える権利の行使は 「権利の濫用」となる。
        ワイマール憲法153条3項「所有権は義務を伴う」
         (「公共の福祉」を世界に先駆けて明文化した。)
    このように、「所有権絶対の原則」に制限を設けた。     
      ところが、この「公共の福祉」概念は抽象的かつ曖昧であり、
      “諸刃の剣”の側面もあるという弱点を抱えている。
        個人の自由が制限される。
        権力者がこのような尺度を利用して、私権を恣意的に侵害する
        危険性もある。
      両者の整合性を取ることは、今なお困難な課題である…
 
 次回の“左都子の市民講座”において、「近代市民法の基本原理とその修正(その2)」と題して「契約自由の原則」を、次々回「同(その3)」と題して「過失責任の原則」について解説します。お楽しみに! 

 (以上、本エッセイ集バックナンバーより引用したもの。)


 ところが…

P.S.
  本エッセイ集の著者である原左都子が 2007年公開 「原左都子エッセイ集」内に綴った当該文書が、数年後の年月日の日付にて 見知らぬ人物により yahooに於いて丸ごと無断転載され、 “yahoo 知恵袋”内某質問事項の“ベストアンサー”として公開され続けております。 
 この案件に対し、私どもより yahoo相手に善処を要求したものの、なしのつぶての有様です。
 yahoo には、一なる大手企業として「著作権」侵害に対する更なる認識をお持ち頂きたい思いですが、それが叶わない現状に即し、読者の皆様にお願いがございます。
 我がエッセイ集より、ネット上の別サイトへ転載・引用する場合には、必ず 「原左都子エッセイ集より転載・引用」 の一言を末尾に記載して頂けますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
                 「原左都子エッセイ集」  著者  原左都子

 との事件が発生したものの未だにyahooからは“なしのつぶて”状態…、 そのまま(別人の名で)ベストアンサーとして公開され続けている… 



 さて、本日は私が住む東京都でも“新型コロナ非常事態宣言”が解除されるらしい。

 明日以降も「左都子の小講座」を続行せんと志しているが、ガラリと学問分野を変えて。  
 一般教養科目だった「自然科学概論」か、あるいは2度目の大学に於いて私にとり一番インパクトが大きかった 「科学哲学」 を思い切って取り上げてみようかと、虎視眈々と狙っている。😐  

左都子の「法学概論」 小講座 Ⅶ

2020年05月24日 | 左都子の市民講座
 (冒頭写真は、我が2度目の大学にて受講した「法学概論」の講義ノートより“憲法の基本原理”のページを撮影したもの。)



 どうやら私が住む東京都でも、明日25日に「コロナ緊急事態宣言」が解除される方向のようだ。

 7シリーズ続いたこの「法学概論」小講座も、そろそろそれに合わせてお開きにしようか。
 と思ったが、このS先生の講義には付録で第10章「近代市民法」があるため、それを公開した後に終了しよう。



 それでは、S先生の「法学概論」講義ノートより、「憲法の基本原理」及び「犯罪と刑罰」に関する我がノートのページを以下に掲載させていただこう。


      


      


      


      



 授業最終場面に際し、S先生は「憲法」を語って下さった。

 「憲法の改正とは、“改正”ではなく“革命”」

 素晴らしい“お言葉”である。
 「憲法改正」を口にする人間は、その覚悟を持って発言して欲しいものだ!

 何らの法的知識もこの国に対する愛情も無くして、安易に「憲法改正」を高らかに掲げる人間が現在国家首相に就任しているが…  
 「憲法の基本原理とは、“恒久平和主義”」。
 これを肝に銘じつつ、少しは法律の基本そして「憲法」を学んだ上で慎重の上に慎重を重ねて問題提起をして欲しく思う。


 次なる「犯罪と刑罰」の授業では、S先生は「死刑存廃問題」に関する持論をじっくりと述べて下さった。
 この授業の時に、「私の授業は決して録音しないで下さい。それが外部に漏れると私は監獄行きになります。」と今一度おっしゃった。
 まさに微妙な法的問題である。 
 S先生の発言内容は割愛するが、一人の人間としてじっくりと考えねばならない課題であることを痛切に感じさせて下さった内容で、今尚鮮明に記憶している授業だ。


 ノート欄外に“期末試験”に関する内容が書かれている。
 それによれば、「テキスト」「自筆ノート」「六法」が試験中に参照可のようだ。
 大学の特に「社会科学」の試験は、この形式を取る授業が多かったように記憶している。

 たった今書棚を確認すると、S先生の著書が保存されていた。
 パラパラめくってみると多少の線引きはあるものの比較的綺麗だということは、授業中にはほとんど使用しなかったと思われる。
 とにかくS先生の授業は博学であられる先生の口頭弁論方式だった。

 以前も書いたが、私の場合口述授業の「自筆ノート」を取るのに長けていて、自分で言うのも何だがノート内容がほぼ完璧だ。
 この我がノートが若き学生達に狙われたものだ。  試験前になると、「ノートをコピーさせて頂けませんか?」と学生が押し寄せた。
 中には、「どうやったらノートが取れるのか教えて欲しい」と尋ねる学生もいた。 高校までの授業で、教員の板書をノートに写し書きすることに慣れ切ってしまっているのだろう。 
 (これ、まさに高校までの授業のやり方の失策と私は捉え、我が高校教師時代にその改革、すなわち“生徒に板書をさせない授業”を私なりに試行錯誤したりもした。)
 「講義を聴きながら、少なくとも自分が興味を持った箇所からノートをとる練習をしたらどうか」とか、「綺麗で無くてよいから、とにかく講義内容を聞きながら書き取る事に集中すれば…」 などとアドバイスしたものだ。


 悲しいことに、大学の授業に於いて今尚教官が「板書」をして学生にそれをノートに写させている大学もあると聞く…
 そんな大学にて学生はどうやって学習では無く 「学問」 に触れることが叶うのか?? 

 原左都子として嫌みったらしい事は承知だが、摩訶不思議な感覚に陥る…😱 

本日真夜中に“大量PVプレゼント” ありがとうございました!

2020年05月23日 | お知らせ
 (冒頭写真は、本日午前2時前頃~4時過ぎ頃にかけて見知らぬ方より頂戴した大量PV。)




 我が「原左都子エッセイ集」は時たまこのようなサプライズが起こる。


 今朝午前8時頃我がブログの編集画面を開いて、実に驚いた。


 ざっと計算して、そのPV数は約3000 だ!


 もしかしたら最悪の場合、単なるシステムエラーなのかもしれない??? 😲 


 そうではないと信じたい。

 我が「原左都子エッセイ集」ファンのどなたかからのプレゼントであって欲しいものだ。



 とにもかくにも、本日真夜中に我がエッセイ集宛に“大量PV”をプレゼント頂いた方、ありがとうございました。 

 とても嬉しく存じております! 😀