原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

今日のコネは明日の足かせ

2010年12月06日 | 仕事・就職
 前回の記事「就活と学問の狭間で…」の続編のような形になるが、今回は就職時の“コネ”について論評してみることにしよう。


 原左都子にはきっぱりと言い切れることがある。 
 それは、私は我が生涯における度重なる就職において“コネ”“人脈”あるいは“紹介”等、他者のバックアップを得たり他者を介する形態に一切依存したことがないということだ。 すべての就業において我が実力のみで就職をゲットしてきている。

 ウン十年前の春に初めて新卒で社会に出る時もそうだった。
 私の場合は医学関係の国家資格を取得した上での就職であり、当時その分野は超売り手市場という時代背景に恵まれていたことは認める。  
 そんな中、多くの学友達は既に先輩等が数多く活躍している地元の名立たる病院や医療機関への就職を早期に決定していく中、私だけはあくまでも東京に本社がある民間企業への就職を希望した。 当時先輩の誰一人として先駆者はなく開学以来私が初めてのことであり、指導教官が私の選択に関して「何もそんな冒険をしなくても、いくらでもいい就職先はあるのに…」と心配下さった程である。

 その民間企業での面接は今でもよく憶えている。 後にこの企業の取締役になる当時の所属部門の部長が面接時に未熟な私に問いかけるのだ。 「あなたは管理する立場と管理される立場とどちらを好みますか?」  元々“一匹狼タイプ”で身の程知らずの私がきっぱりと応えて曰く 「どちらも嫌いです。」  それを受けて説諭に入る部長曰く 「企業とは社員皆が共同で一つの事業を作り上げていく組織体です。そこでは管理する事も管理される事もとても重要ですので、あなたがもしこの会社に入ったならばどちらの能力も磨くよう精進して下さい。」 
 これは企業幹部にして“的を射た”説諭であり今尚私の脳裏に刻み込まれている明言の一つでもあるのだが、その当時は「どちらも嫌いです」の我が正直過ぎる大失言により当然入社試験に落ちたものと覚悟を決めたものだ。 どういう訳か入社が決まり、その後女子社員がどんどん結婚出産退社していく中、27歳にして同期入社の出世頭として係長に任命されるごとくこの企業で活躍し成長させたもらえた私である。

 その後30歳にして新たな学問に励むため上記の民間企業を退社した後の我が就活においても、“コネ”や“紹介”等に頼ったことは一度もない。
 例えば私にとってはまったくもって専門外の“パーコン”(パーティコンパニオン)を志した時とて、誰のコネによるのでもなく“身ひとつ”でバンケット会社の面談に乗り込んだものだ。 国会議事堂前に位置する某バンケット会社の面談において首相経験者国会議員元秘書の女社長と面会した際も、私が過去において積み上げたその道とは何のかかわりもない実績を大いに評価してくれ即時採用していただいた。  その後4年の年月が流れ、大学院進学時点で夜間は定時制高校教師になるためコンパニオンを卒業する旨私が申し出た時、この女社長が「○○さん(私のこと)の今後の活躍を私も期待しています!」と激励して送り出してくれたことも今尚印象的な出来事である。

 我が子出産後は“お抱え家庭教師”として家庭内で君臨しつつも、子どもが小学校に進学するにあたり医学的バックグラウンドを活かそうかと再就職を試みた私である。 (今で言う)独立行政法人である某研究所に“あわよくば”との発想で出した履歴書であったのだが、当時既に40代半ばにして20倍の競争率を難なく乗り越えてまたもや採用されてしまったのだ。 (ところがこれに関しては、多少の事情を抱えた我が子がまだまだ小さ過ぎる時点での職業復帰を焦った事等様々な我が失策に苦慮した挙句、3年で退職に至ったことについてはバックナンバーにおいて既述した通りである。)
 
 そんな私も他者の“紹介”に依存せねばならなかったことがある。
 それは就職ではなく大学院進学においてであるのだが、これは既に社会経験を大いに積んでいる私にとっては大いに鬱陶しかったものである。
 30代半ばにして大学院進学を目指した私であるが、大学院の入試とは大学における指導教官の推薦書提出が必須であることを当時初めて知ったのだ。 それまで“コネ”や“紹介”等に一切頼らず生き抜いてきている私にとってこれは実に鬱陶しい現実であった。 やむを得ず当時の大学指導教官に相談したところ「自分で自己推薦書を書いて持って来なさい」との返答である。 (それは結構得意かな!~)とほくそ笑みつつ自己推薦書を仕上げて持参したところ、「あなたは自己分析力が秀でていますね!」と指導教官に唸られ、自己推薦書をほとんど丸写しで仕上げて下さって提出した経験がある。
 (推薦書の提出を強要する場合、他推選ではなく自推薦にした方が本人の自己分析力や文章力も判断材料にできるというものだ。)


 上記のごとく原左都子の場合、自分自身は“コネ”や“紹介”に一切頼らず実力のみで人生を渡って来ていると言い切れるのだ。 
 そんな私も、多少の事情を持って生まれてきている我が娘に関しては“コネ”等を頼ってやるのも親の責任なのかと思いつつの日常であることは否めない。

 それ故に、私は娘が幼い頃より娘の将来に向けて“人脈”を創るべく努力をしているとも言えるのだ。
 その経験に基づいた私の感想は、“人脈”とは確かに一時的には効用があるのかもしれないということである。 “一時的”と表現するのは、結局は一人の人間がこの世を渡って行くためにはどうしても本人の努力そして実力が欠かせないからに他ならないからである。 結局はいつ何時も“本人自身”が社会における評価対象となる実態を、我が子を通してまざまざと見続けそれを実感している一人の親である。

 “コネ”にまつわる私自身や我が子を通じての経験を通して習得した原左都子の思いを今回の記事の表題 「今日のコネは明日の足かせ」 に込めてみた。
 “コネ”とは一時的に活用できる効用はあるのかもしれない。 ただ、その後は自分の実力で精進してこそ真の成功をゲットし得るのが人生というものであろう。
 自分自身が努力を全くせずしていつまでも“コネ”に頼り続けるしか脳の無い人間にとっては、“コネ”とは足かせでしかない、という今回の話である。
                  
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