(写真左側2枚は水森亜土氏画少女のイラスト、右側は内藤ルネ氏画レターセット)
現在、東京都文京区弥生に佇む「弥生美術館」において “水森亜土展” が開催中である。(会期:12月26日まで)
少女時代に水森亜土氏の大ファンであった原左都子は、先だっての12月12日に娘を引き連れて弥生美術館へ出向いた。
まずは、「弥生美術館」について少し語ろう。
この美術館は東京都文京区弥生に「竹久夢二美術館」と併設という形で静かに佇んでいる。 大都会東京の中心地においてこれ程閑静な地に存在する美術館も数少ないことであろう。
この「弥生・竹久夢二美術館」の場合何故にそれ程周辺が閑静なのかと言うと、東京大学の目前に位置しているからに他ならない。 東京大学とは国立大学にして最大の学生数を有する“マンモス大学”であるにもかかわらず、一部研究機関組織を除き郊外に移転するでもなく今尚東大全学部が大都心(駒場キャンパスも含めて)に蔓延っているが故に、文京区のその周辺は閑静を保ち続けられるのである。
(ここで話が逸れるが、東大出身と言ったって今時タレントやフリーターしか出来ない輩を社会に放出するならば、今後は歳費削減のためにも政権はお得意の“事業仕分け”対象として東京大学を郊外移転させて、あの都心の広大な土地を民間に譲渡する等国家財源の一部として有効利用したらどうなの、とでも言いたくなる昨今の経済危機事情でもあるのだが…)
話がずれたが、「弥生美術館」は昭和59年に創設されたようだ。 創設者が挿絵画家・高畠華宵氏のファンであった縁で氏のコレクションを公開することを目的に創設した美術館であるそうで、高畠氏の数多い作品が常設展の形で公開されている。 元々挿絵画家である高畠氏コレクションを公開目的で創設されたこの美術館においては、今回の水森亜土氏のごとく、やはり挿絵や漫画、イラスト分野の作家の特別展が開催されることが多いようだ。
そして隣に併設されている「竹久夢二美術館」に関しては、平成2年に開館したとのことである。 大正ロマンを象徴する画家であり詩人でもある竹久夢二氏コレクションが数多く公開されている。
さて、「弥生美術館」における今回の特別展である“水森亜土展”に話を移そう。
実は原左都子は、本気で“少女趣味”人種であるのかもしれない。 40~50年程前に水森亜土氏のイラストのファンであった女の子は原左都子に限らず多かったことであろう。 その後基本個性は貫きつつも少しずつ芸風を変えながら長年活躍しておられる亜土氏のファンを30代になって尚続けていた私である。 それが証拠に冒頭の左側2枚の亜土氏画少女イラスト写真は、私が30代で大学に再入学した際の講義ノートに挟んであったものを今回写真に撮ったのだ。 (これをどこから仕入れたかの記憶はさすがにないのだが、亜土氏のこの写真の少女画は今でも私のお気に入りである。)
弥生美術館で現在開催されている水森亜土氏特別展に関する公式記述の中に、以下の文面がある。
水森亜土は長いキャリアを持つイラストレーターであるが、いつ見てもその絵は古くささを感じさせない。私たちが人生の時々で出会うたび、亜土の絵はフレッシュでチアフルでハッピーなものとして心に響く。それは絵を描く亜土自身が人生を楽しみ、常に前を向いて走り続けているからかもしれない。 水森亜土は多彩な顔を持つ。絵描きとしてだけでなく、両手づかいのパフォーマー、歌手、アヴァンギャルドな舞台女優としても実績を誇っている。また華やかな活躍の一方で、四季折々の自然と動物と家族を愛し、ユニークな発想でハードな日々も軽やかに生きる賢い女性でもある。……
今回の亜土氏の特別展で亜土氏少女の頃の油絵作品を初めて観賞したのだが、我々親子はこの油絵に唸ったものである。 「こんなの今でも私は描けない…」と我が娘が感心する通り、水森亜土氏とは正統派の芸術作品も難なく描ける芸術家であるのだ。
次に、内藤ルネ氏に話を移そう。
冒頭写真の右側の内藤ルネ氏のレターセットに関しては、2005年9月に同じく「弥生美術館」で開催されたルネ氏の特別展に原左都子が訪れた時に買い求めたものである。
その時の内藤ルネ特別展のキャッチフレーズが “~日本の可愛いはルネから始まった~” だったのだが、そのフレーズ通り、ルネ氏の可愛い少女画イラストを我が少女時代に重々堪能して来ている。
内藤ルネ氏は2007年に残念ながら亡くなられたが、時代的には水森亜土氏よりも早期に少女画分野で活躍されていたことを記憶している。
昭和30年代から40年初頭にかけて「りぼん」「なかよし」等少女雑誌のイラストレーターとして活躍されていたのがルネ氏であり、原左都子小学生時代の当時、その種の雑誌の“付録”だったルネ氏デザインのちょっとしたお洒落なアクセサリーや着せ替え人形等が欲しくて、親に雑誌を買うことをねだったものである。
“少女趣味”という世界とは、おそらく受け手により大きく嗜好が分かれる分野であろうことは原左都子も承知している。
今回の「弥生美術館」特別展の作家である水森亜土氏は、それ故に(?)かどうかは不明だが、自らの個性である独特の作風を守りつつも、後々少女画のヌード作品等を多く発表されている。 これが目当てがどうかについても我が想像の範囲内であるが、今回の特別展には青年男性単独の姿も見受けられれば、はたまた若いカップルの姿も存在した。
それにしても原左都子は今尚 “天然少女趣味” なのかもしれない。
水森亜土氏のイラストの特徴である“下膨れ”顔の少女画を好む私である。
しかも我が人生を通して豊満妖艶な女性体型など決して目指さず、スリムな少女体型を何十年も維持しつつ未だにミニスカートスタイルを好むのも “天然少女趣味” の表れであろうか?? と今回再度自己分析した私である。
現在、東京都文京区弥生に佇む「弥生美術館」において “水森亜土展” が開催中である。(会期:12月26日まで)
少女時代に水森亜土氏の大ファンであった原左都子は、先だっての12月12日に娘を引き連れて弥生美術館へ出向いた。
まずは、「弥生美術館」について少し語ろう。
この美術館は東京都文京区弥生に「竹久夢二美術館」と併設という形で静かに佇んでいる。 大都会東京の中心地においてこれ程閑静な地に存在する美術館も数少ないことであろう。
この「弥生・竹久夢二美術館」の場合何故にそれ程周辺が閑静なのかと言うと、東京大学の目前に位置しているからに他ならない。 東京大学とは国立大学にして最大の学生数を有する“マンモス大学”であるにもかかわらず、一部研究機関組織を除き郊外に移転するでもなく今尚東大全学部が大都心(駒場キャンパスも含めて)に蔓延っているが故に、文京区のその周辺は閑静を保ち続けられるのである。
(ここで話が逸れるが、東大出身と言ったって今時タレントやフリーターしか出来ない輩を社会に放出するならば、今後は歳費削減のためにも政権はお得意の“事業仕分け”対象として東京大学を郊外移転させて、あの都心の広大な土地を民間に譲渡する等国家財源の一部として有効利用したらどうなの、とでも言いたくなる昨今の経済危機事情でもあるのだが…)
話がずれたが、「弥生美術館」は昭和59年に創設されたようだ。 創設者が挿絵画家・高畠華宵氏のファンであった縁で氏のコレクションを公開することを目的に創設した美術館であるそうで、高畠氏の数多い作品が常設展の形で公開されている。 元々挿絵画家である高畠氏コレクションを公開目的で創設されたこの美術館においては、今回の水森亜土氏のごとく、やはり挿絵や漫画、イラスト分野の作家の特別展が開催されることが多いようだ。
そして隣に併設されている「竹久夢二美術館」に関しては、平成2年に開館したとのことである。 大正ロマンを象徴する画家であり詩人でもある竹久夢二氏コレクションが数多く公開されている。
さて、「弥生美術館」における今回の特別展である“水森亜土展”に話を移そう。
実は原左都子は、本気で“少女趣味”人種であるのかもしれない。 40~50年程前に水森亜土氏のイラストのファンであった女の子は原左都子に限らず多かったことであろう。 その後基本個性は貫きつつも少しずつ芸風を変えながら長年活躍しておられる亜土氏のファンを30代になって尚続けていた私である。 それが証拠に冒頭の左側2枚の亜土氏画少女イラスト写真は、私が30代で大学に再入学した際の講義ノートに挟んであったものを今回写真に撮ったのだ。 (これをどこから仕入れたかの記憶はさすがにないのだが、亜土氏のこの写真の少女画は今でも私のお気に入りである。)
弥生美術館で現在開催されている水森亜土氏特別展に関する公式記述の中に、以下の文面がある。
水森亜土は長いキャリアを持つイラストレーターであるが、いつ見てもその絵は古くささを感じさせない。私たちが人生の時々で出会うたび、亜土の絵はフレッシュでチアフルでハッピーなものとして心に響く。それは絵を描く亜土自身が人生を楽しみ、常に前を向いて走り続けているからかもしれない。 水森亜土は多彩な顔を持つ。絵描きとしてだけでなく、両手づかいのパフォーマー、歌手、アヴァンギャルドな舞台女優としても実績を誇っている。また華やかな活躍の一方で、四季折々の自然と動物と家族を愛し、ユニークな発想でハードな日々も軽やかに生きる賢い女性でもある。……
今回の亜土氏の特別展で亜土氏少女の頃の油絵作品を初めて観賞したのだが、我々親子はこの油絵に唸ったものである。 「こんなの今でも私は描けない…」と我が娘が感心する通り、水森亜土氏とは正統派の芸術作品も難なく描ける芸術家であるのだ。
次に、内藤ルネ氏に話を移そう。
冒頭写真の右側の内藤ルネ氏のレターセットに関しては、2005年9月に同じく「弥生美術館」で開催されたルネ氏の特別展に原左都子が訪れた時に買い求めたものである。
その時の内藤ルネ特別展のキャッチフレーズが “~日本の可愛いはルネから始まった~” だったのだが、そのフレーズ通り、ルネ氏の可愛い少女画イラストを我が少女時代に重々堪能して来ている。
内藤ルネ氏は2007年に残念ながら亡くなられたが、時代的には水森亜土氏よりも早期に少女画分野で活躍されていたことを記憶している。
昭和30年代から40年初頭にかけて「りぼん」「なかよし」等少女雑誌のイラストレーターとして活躍されていたのがルネ氏であり、原左都子小学生時代の当時、その種の雑誌の“付録”だったルネ氏デザインのちょっとしたお洒落なアクセサリーや着せ替え人形等が欲しくて、親に雑誌を買うことをねだったものである。
“少女趣味”という世界とは、おそらく受け手により大きく嗜好が分かれる分野であろうことは原左都子も承知している。
今回の「弥生美術館」特別展の作家である水森亜土氏は、それ故に(?)かどうかは不明だが、自らの個性である独特の作風を守りつつも、後々少女画のヌード作品等を多く発表されている。 これが目当てがどうかについても我が想像の範囲内であるが、今回の特別展には青年男性単独の姿も見受けられれば、はたまた若いカップルの姿も存在した。
それにしても原左都子は今尚 “天然少女趣味” なのかもしれない。
水森亜土氏のイラストの特徴である“下膨れ”顔の少女画を好む私である。
しかも我が人生を通して豊満妖艶な女性体型など決して目指さず、スリムな少女体型を何十年も維持しつつ未だにミニスカートスタイルを好むのも “天然少女趣味” の表れであろうか?? と今回再度自己分析した私である。