昨日は、高齢者介護施設に暮す義母の定例の耳鼻科付添い日だった。
この付添いを亭主と“擦り合った”挙げ句、一時は義母の孫に当たる(我々にとっては甥)にまでそれをお願いした時期もあったのだが。
さすがに現役職業人世代の甥にそれをお願いするのは、仕事との兼ね合いで難しく…
その後またもや我々夫婦で擦り合った挙げ句、現在は再び私が付添い業を担当する流れとなってしまった…
(実際問題、認知症状と耳の聞こえの悪さを兼ね備えている高齢者の病院付添いとは過酷な生業だ…)
そんな私の義母耳鼻科付添いに関する“見解”をバックナンバーで述べている。 以下に、再掲載しよう。
付添いを嫌がる亭主に向かって、私は義母の耳鼻科定期受診に関する私見を述べた。
「義母の耳鼻科受診だが、もう辞めてもいいように思う。 何年間もずっと私が中心に付き添ったから周知しているが、定期受診で一体何をやっているかと言うと、そのほとんどが“補聴器の点検”だ。 耳鼻科医による聴力検査や耳の垢取りは半年に1度のみだ。 補聴器の点検をしたからといって、既に認知症状が極限まで悪化せんとしている義母の耳はそれに比例して聞こえが悪くなるばかりだ。 その改善は既に見込めないと解釈してよいのではなかろうか? 今後は“聞こえない”ことを前提とした人生を義母が歩み、周囲の我々もそれを受け入れるべきではないだろうか?」
亭主応えて、「母本人が耳鼻科へ行きたい意思があるうちは、たとえその受診が無駄であれども付き添ってやりたい。」
私が内心で(実の息子のその思いは分かるが、若くも無い付添人が脚を痛めた状態でまで無理して付添う必要も無いだろうに…. )と思いつつ、「日程を変更してもいいんじゃない? それよりも、義母の体調不良等で本人からドタキャンして来る時もよくあるから、先に義母の体調を問うたらどう?
「義母の耳鼻科受診だが、もう辞めてもいいように思う。 何年間もずっと私が中心に付き添ったから周知しているが、定期受診で一体何をやっているかと言うと、そのほとんどが“補聴器の点検”だ。 耳鼻科医による聴力検査や耳の垢取りは半年に1度のみだ。 補聴器の点検をしたからといって、既に認知症状が極限まで悪化せんとしている義母の耳はそれに比例して聞こえが悪くなるばかりだ。 その改善は既に見込めないと解釈してよいのではなかろうか? 今後は“聞こえない”ことを前提とした人生を義母が歩み、周囲の我々もそれを受け入れるべきではないだろうか?」
亭主応えて、「母本人が耳鼻科へ行きたい意思があるうちは、たとえその受診が無駄であれども付き添ってやりたい。」
私が内心で(実の息子のその思いは分かるが、若くも無い付添人が脚を痛めた状態でまで無理して付添う必要も無いだろうに…. )と思いつつ、「日程を変更してもいいんじゃない? それよりも、義母の体調不良等で本人からドタキャンして来る時もよくあるから、先に義母の体調を問うたらどう?
(以上、バックナンバーより引用したもの。)
結果としては、義母の意思を尊重する結論となった。
とにかく、若き頃より“医療依存”の激しい人種だ。
何らの医学的根拠も無く、「身体の何処かが痛んだら必ずやお医者さまに見て貰わねばならない!」と頑なに信じて疑っていない生き様を現在まで引きずってしまっている。
それどころか認知症状が悪化するにつれ、その“医療依存思想”が激しくなっている。
義母本人が一番、補聴器を付けても聞こえないことを周知しているにもかかわらず。 (私に言わせて貰うならば)、耳鼻科受診日が近づくにつれ“心ウキウキ”喜んでいる”様子だ。 😖
亭主の主張通り、義母のこの“思い”に応えねばならないのだろう。
さて昨日午後、その付添いのために私が施設を訪れると。
義母が玄関口で“ニコニコ顔”で私を待っていた。 (本気で耳鼻科受診が嬉しいその義母の思いが痛く伝わる…)😓
早速タクシーを手配し(施設から徒歩7分程度の距離だが、義母の現在の歩行能力ではその距離を歩くのは無理だ。)、耳鼻科に到着した。
昨日は、聴力検査・医師の診察・補聴器担当者との面談のフルコースメニューだった。
聴力検査に関しては、義母にその検査受け力が既に欠落(検査士の指示が聞き取れない、反応力に乏しく押すべき時にボタンを押せない等々)しているとの理由で、亭主付添い時に検査拒否した事もあったようだが。
昨日は私の判断で、検査士のキャパシティにお任せして検査を受けさせることにした。 随分と長時間かかったようだが、一応の検査結果は出た。
その検査結果に関する医師の診断は、大雑把に言えば「難聴が極度に進んでいる」とまとめられたが…
(まあ、医師に診断していただかずとて、そうであろうことは日々実感させられているが。)
次なるテーマは、補聴器担当者との面談だったのだが。
ここで、担当者氏より新たな提案が成された。
それは、補聴器の耳内への取り付け部分を“特注”にするとの内容だった。要するに義母の耳内を“型取”して、それに合わせて補聴器の耳栓部分を作成するとのことだが。
実際、既に認知症の進み具合が半端でない義母にして、それを作ったとして装着する能力があるのか否かの不確実性が高い、との問題がある。
それでも私は訳が分かっていない義母に対して、「お母さん、新しい耳栓を作りましょう! そうすると今までよりも聞こえが良くなるかもしれませんよ!」と勧めた。
それに従った、と言うよりもまさに“訳が分かっていない”と表現するのが適切だろうが…
とにもかくにも、難儀な義母の耳鼻科付添いであることには変わりのない昨日の午後だった。