原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“オンライン〇〇会”だけは勘弁して! ー vol.2 ー

2020年08月03日 | 人間関係
 先程、我が「原左都子エッセイ集」バックナンバーを編集画面にて見ていて、近い過去に公開した表題のエッセイを発見した。


 2020.06.11付バックナンバー 「“オンライン〇〇会”だけは勘弁して!」より、一部を以下に引用しよう。

 どうもこの世の中は、手段を問わず“人と繋がりたい”連中で溢れているようだ。
 “コロナ禍”で自粛せねばならない現在(今となってはコロナ非常事態宣言は多くの地域で解除されたようだが)、“オンライン〇〇会”が世に幅を利かせている様子である。

 我が家にもそれに関する案件の通知が届いた。
 義母が暮らす高齢者介護施設よりの通達、「モニター面会開始のご案内」が5月の連休直前に郵送されてきた。 (参考だが、施設長氏が若い世代の男性なのだが。)
 それを見て私が亭主に曰く、「義母からは1日2,3回必ず電話が掛かってきているし、とにかく認知症を抱え耳が遠い義母と会話するのは究極難儀でもあるし、わざわざモニター付きで面会する必要はないんじゃない?」
 すぐさま亭主も我が意見に同意して、それを放置することとした。😓
 義母側からもその要望は無く、(と言うよりも、義母はモニターが何だかも知らないのだろうが。😖 )その後事無きを得ている。

 世間でよく耳にするのが“オンライン飲み会”だ。
 それをして「楽しい!」という映像をテレビ等々でよく見かける。😷
 まあ人それぞれ勝手にやればよかろうが、何で酒飲むのにネット上で“つるまなきゃ”飲めないのか??  集団嫌いのこの私など、その光景を一見しただけで阿呆らしくて辟易としてしまう。
 やはり人とのコミュニケーションとは、現実世界でこなしたいものだ。 
 相手の反応を直に感じたり触れ合ったり出来てこそのコミュニケーションの価値ではなかろうか? 

 オンライン映像との無機質な平面画像を見て喜べる人種の気が知れない。
 やはりこれもネット社会がもたらした所産であろうか? この世に生まれ出た時点で既にネットが存在していた世代の人種とはそれが当たり前になっていて、そんな平面画像で本気で満足出来てしまうものなのか??

 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)



 2020.08.01付朝日新聞 “between" のテーマが「オンライン飲み会していますか?」だった。
 それに対する朝日新聞読者の回答とは。
  「はい」が8%、 「いいえ」が92% だった。
 さすが高齢者が大多数とおぼしき朝日新聞読者の回答の程は、我が想像通りだった。

 その記事の中で、読者の面白い回答があった。 以下に紹介しよう。
 「リアル飲み会なら端と端で違う話題で盛り上がれるし、特定に人に話しかけられるがオンラインはそれが無理。」 
 「必ず話している人の話を聞かないといけないのが苦痛。 1回でギブアップ。」
 「その場の空気感・雰囲気を大事にしたい。 物理的に同じ場にいることは非常に重要。」

 オンライン飲み会に参加しようとも思っていない原左都子にして、重々納得のご意見の数々だ。

 中でも、真ん中の「必ず話している人の話を聞かないといけないのが苦痛。」とのご意見に驚かされた!😱 
 これホントなの??
 ホントだとすると、それ地獄だよ。
 「お前出しゃばりすぎだぞ。 少し引っ込め!!」、と注意する参加者がいないのだろうか?
 私がそのオンライン飲み会参加者の一人ならば、酔った勢いでその罵声を浴びせそうだが。 (お前こそが今後一切出るな! と言われて終わりか??)😵 


 とにもかくにもオンライン会などに参加するつもりが後にも先にも毛頭無い私故に、その被害者にも加害者にもならずに済んでいて、良しとしよう。😜