原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

片方から依存性ある人間関係の終焉はさほど辛くない

2018年07月28日 | 人間関係
 分かりにくい表題を提示したが。
 本文をお読み頂ければ、私が言いたい論点をご理解いただけると信じたい。

 逆視点より言い直すならば、「対等に付き合えた相手との別れは実に辛い」ものだ。


 今回はまったく別の時事論評ものを用意していたのだが。

 先程本日2018.07.28付朝日新聞“悩みのるつぼ”を読んで、どうしてもこの表題でエッセイが書きたくなった。

 それでは早速、“悩みのるつぼ” 本日の相談 40代女性による「親との永遠の別れが怖い」の内容を要約して以下に紹介しよう。
 子供がいない40代既婚女性だが。 死に支度を始めた70代の両親とお別れが近づいている事を近頃強く意識するようになり、その事が頭から離れない。 後何年とか今日会うのが最後かもしれないと考えて、仕事中にも涙が出てくることがある。 順番通りなら私が独り残され、老後の孤独を想像して恐れている。 
 今から友人を作ったり地域活動をせねばと思いつつ、生来の人見知りで先延ばしにしている。 今が一番幸せだと思うと感謝の気持ちでいっぱいの半面、なお辛く感じる。
 皆さんはどうやってこの恐怖と闘っているのか。 実際に別れが来た後、心が崩れる事無く、どうやって生き延びてきたのか。
 子に恵まれず大人になり切れない私の贅沢な悩みだと思うが、今の私は5歳の子供に戻ってしまっている。 アドバイスをお願いしたい。
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”より、相談内容を要約引用したもの。)


 私見に入ろう。

 何とも“お目出たい”相談と、一読して呆れ果てた。
 冒頭に私が記した、「対等に付き合えた相手との別れは実に辛い」 とはまったく異質・異次元の“辛さ”に独りよがりにがんじがらめになっている相談者の様子だ。

 本エッセイ集内で多発している表現を繰り返すが、とにかくこの相談女性の人生の“経験値” が低いことこの上なさそうだ。
 既婚ならば、子どもが出来ずとて旦那はいるだろう? 仕事に通っているのならば、そこでの人間関係もあるはずだ。 しかも、未だ40代との若さ!
 何故、相談者の孤独のターゲットが両親の死後にばかり向くのかが、どうしても理解しかねる。


 私事に入ろう。
 40代手前で晩婚に至った私だが、もしも当時見合結婚相手に恵まれなかったら私はその後も独身を貫いた事だろう。 そして引き続き“青春”を謳歌し続けたことに間違いない!
 
 えっ? 実親が死ぬのが怖い?? 
 生みの親など20代初頭に捨て去って単身上京した我が身だ。 その段階でこちらとすればもはや親など他人の位置付けでしかなかった。 片やあちら(特に母親)は、我が上京後も特に次女である私に精神的に依存し続けているようだ。(今現在に至っても)

 ただ我が母がそれを私に面と向かって押し付ける事は無かったのが幸いした。
 父亡き後も過疎地にて一人暮らしを頑張った後、一昨年次女の私の「指導」に素直に従い高齢者自立支援施設へ入居し、比較的元気に過ごしている。 日々種々の問題が発生するものの、施設入居の現状を受入れ実行した母を私も評価している。
 後は死期を待つのみだが、近い(遠い??)未来に母の葬儀を滞りなく実行すれば、我が実母に対するノルマ(我が実母に対するお勤め)は終焉する。
 実際、あちら側から一方的に依存される関係の身内高齢者を抱える身としての心境とは、正直なところそんなところだろう。
 我が父は突然死にて60代に他界している。 当時多少事情を抱えて出生した娘の教育指導が大変な時期であり、父が死んだ直後に遠方まで葬儀に駆けつけねばならない事態に実に困惑させられた。 ただまさに現在理想のPPKであり、死後数年経過した暁には母と「父は良き死に方をした」と語り合ってもいる。

 私の場合義母の保証人も担当しているが、これまた難儀な行脚だ。 
 もちろん誠心誠意出来る限り、日々保証人の務めは果たしているつもりだ。 義母も施設入居の身であり直接的に面倒を看ねばならない訳ではなく、この状況下に於いて良き関係を続行したい(するべき)と常に欲している。
 ただ正直なところ、義母がいざ死に至ったら辛いか?と問われると、決してそうではない。 人間の死とは突然訪れる場合が多く、その際にこちら側が別の重要案件を抱えていたりすると、迷惑だろう… と想像したりもする……。

 要するに何が言いたいかといえば、表題に掲げた通り、両者の人間関係が対等ではなく、あちらがこちらに全面的に依存している関係の場合、それが終焉(死も含めて)する際にはさほどの辛さは無いのではなかろうか?、とのことだ。


 “悩みのるつぼ”相談に戻ろう。

 この40代女性相談者も、少しは“死に支度”を始めたご両親の世話でもしてみては如何か!?!と言いたくもなる。

 ただし今時の70代とは、私が知っている範囲では皆さん若いよねえ。
 私もそうありたいと願いつつ、それらの元気な70代の皆さん(ブログ上の知り合いの方々も含め)のご様子を日々伺っているのだが…。

 ご両親が未だお若いからこそ、相談者40代女性は寂しいのであろう。 
 もう少しご両親が老いぼれ認知症状でも出現し、どうしても貴女の世話になりたいと言い始めたならば、きっと相談者の貴方は“孤独”だなどと泣いている場合では無くなるよ。

 だからこそ、今はご亭主や職場仲間との交流を楽しむ事に主眼を置き、その努力に精進しては如何だろうか?

 冒頭に掲げた通り、40代とは「対等に付き合えた相手との別れは実に辛い」事こそを経験するべき世代であり、それが未だ可能な年齢であるはずだ。
 (ところが40代との若い時期に自分が寂しいと嘆く人種程、後に老後に至っても自己中心人生を歩みそうに考察するが…。 要するに将来、自分の親の面倒すら看る能力が無いのかと想像する。)


 そういえば、「対等に付き合えた相手との別れは実に辛い」なる切実な出会いを、私は“今現在”果たして経験出来ているのかどうか???
 今後も可能ならば一生に渡り、「対等な出会いと別れ」に胸躍らせたい思いであるが……