原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

8月の米国西海岸旅行中にモントレー・カーメル方面訪問決定

2018年07月22日 | 雑記
 (写真は、今朝メールチェックしたら届いていた、モントレー・カーメル方面ツアーのバウチャー。)


 8月下旬に娘と二人で実施する“米国西海岸旅行”の残されていた後一つの訪問先が決定した。
 
 結局は現地のパッケージツアー会社が主催している、英語ガイドによるモントレー・カーメル方面パッケージツアー参加を選択した。 このツアーの道中に、目的のシリコンバレーにも立ち寄るとの情報も、このツアーを選択した決定打だった。

 ツアー情報によれば、当該ツアーへの日本人参加者は稀との事だ。
 参加者のほとんどが現地米国の人々であるらしく、ツアーバス内でフレンドリーに話しかけてくれたりして、外国人の参加者にとってはまたとない現地の人々とのコミュニケーションの場にもなり得そうだ。

 これならば、集団嫌いな私も下手な軋轢を感じずに済みそうでもある。
 (ただし、既に退化した英会話力を出発までに如何にブラッシュアップ可能かが一番の課題だが…)

 しかもこのツアーの特徴は、我々の宿泊ホテルまで迎えに来てくれる“ピックアップ”サービスもあるとの事だ。
 ただしその迎えのピックアップサービスを利用するには、現地到着後ツアー実施会社に電話を入れて、英語にて迎えの時間等々の最終確認を要するとのことだ。 (恐らく実行可能だろうが…)

 バスツアー中の “英語ガイド” も楽しみだ!
 まさに我が英語力が何処まで“退化”しているのかの確認が出来そうでもある。

 この現地ツアーを申込むに当たり、アドバイスを頂戴していた我がエッセイ集 読者のQAZさんにもここで御礼申し上げます。 (QAZさんは現役時代に米国西海岸のシリコンバレーやモントレーに幾度も出張されていた人物であられ、その過去のご経験によりモントレー訪問等々を推奨して下さっていた。)


 さて、それではモントレーとカーメルに関して、ウィキペディア情報よりほんの少しだけ、以下に紹介しておこう。

 まずは、モントレーから。
 モントレー、モンテレー(英語: Monterey [ˌmɒntəˈrei])は、アメリカ合衆国カリフォルニア州モントレー郡、太平洋岸のモントレー湾に位置する町。
 人口29,674人(2000年)。面積30.4km2。『歴史のゆりかご』と呼ばれている。 映画『エデンの東』の舞台となった。『モントレー・ジャズ・フェスティバル[2]』は2007年で開催50周年。1967年、モントレー・ポップ・フェスティバルを開催。

 次に、カーメル。
 カーメル・バイ・ザ・シー (英語: Carmel-by-the-Sea) は米国カリフォルニア州の小さな街。 通常カーメルと略される。 モントレー郡に属し、西は太平洋、北はモントレー半島に面する。 サンフランシスコからは南に約190km、ロスアンゼルスからは北に約530kmの位置にある。 人口は4,081人 (2000年)。 
 周囲の美しい景観と芸術家の集まる独特の雰囲気で知られる。 1906年、「芸術家や詩人の集まる街」、1910年、「カーメルの60%の住居が景観と融合した芸術として建設された」との特集記事がサンフランシスコの新聞に掲載された。この頃の議会は芸術家達に支配され、また歴代の市長には俳優、詩人、作家などが度々選出されている。 クリント・イーストウッドも1986-1988年にかけて市長を務めた。

 (以上、モントレー及びカーメルに関するウィキペディア情報を引用したもの。)


 ネット上で写真を検索しての感想だが。
 
 原左都子個人的には、後者のカーメルこそに興味が湧く。 確かに芸術性豊かな街と捉えた。
 
 ただ、たかがone dayのバスツアー (いやいや過去の個人海外旅行の経験からその詳細は不明だ。 参加者が少ない場合マイクロバス、あるいは下手をすると我々親子のみのワゴン車ツアーも考えられる。 いや、私などその方が自由度が高い故、それに期待したいものだが…


 何れにせよ、目指すべき旅行の内容を自身で明確にするステップを踏む程に、旅への夢が膨らむものでもある。
 本日仕事が休みの娘にもそれに同感して貰いたく思い、上記バウチャーのコピーを持たせた。

 米国旅立ちまで、後1ヶ月少し。
 ネット検索等々で更なる諸情報を集め、気分を十分に高揚させて出発したいものだ! 



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 前回公開した「骨折記念日」に関してですが、「原左都子エッセイ集」にて先に表題のみ公開後に、gooにて“表題同一”(盗作?? あるいは偶然?? 本文内容は全く異なるようですが)の記事を発見し、原左都子と致しましては釈然としませんので、こちら側から削除致しました。
 私どもの「骨折記念日」は既に完治している骨折に関する記載であり、今現在どうしても公開したい内容ではないこともありまして、改めてまたの機会に原左都子の「骨折記念日」を公開したく考えております。 (あるいは今後公開しないかもしれませんが、私どもの意向としましては何ら問題はございません…。  世には不意の骨折に苦しむ方々が数多い事でしょう。 負傷された皆様の1日でも早い回復をお祈り申し上げます。)