原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

肺癌疑いを放置したとの医療ミスが報道されているが……

2017年02月04日 | 医学・医療・介護
 「癌」と一言で表現すれども医学が目覚ましく発展進化を遂げた今尚、 「(最善の医療行為を尽くせば)命が助かる癌」 と 「(それを施して尚)助からない癌」 が存在している現状と、元医学関係者の私は捉えている。


 原左都子自身も癌を経験している身だ。
 その経験を以下に振り返らせて頂こう。

 今から遡る事21年前、我が40歳時の事だ。
 多少の事情を抱えて産まれた娘が2歳になり未だ発語が出ないと親として気をもみ始めていたその時、私の頭頂部に元々存在していた“できもの”が、どんどん大きくなっていくのを私は認識していた。

 この“できもの”に関してだが、31歳時のある日突然、頭頂部に出没した。 髪の毛に隠れて合わせ鏡でも見えないものの、手探りで直径約1cm程だった。 触れると固くてその部分の皮膚が突っ張る感覚はあるものの、痛くも痒くもない。 (一体何なのだろう??)との不気味さはあったのだが、学業と仕事と享楽と日々多忙を極める身にして、(まず心配はないし、2,3日で消えるだろう)と結論付け、放置する事とした。
 その後半年経過しても、“できもの”はそのままの形で我が頭に存在し続けた。 大学の集団検診時、私は初めて医師との問診時にその“できもの”に関して質問した。  若き医師(我が30代の所属大学に医学部が併設していたため、おそらく附属病院の若手医師が大学の検診を担当したものと推測する。)の回答とは、「おそらく“粉瘤”でしょう。 心配はないと思いますが、もしも形が崩れたり、大きくなったり、何個も出来始める等々変化があれば、直ぐに皮膚科を受診して下さい。」  私もそれぞ模範解答!と同意した。

 さてその後8年程の月日が流れ、私は晩婚後に娘を出産した。 まだサリバン業には着手していない時期だが、何事にも手のかかる娘に翻弄されつつ、我が脳裏の片隅には、出産後より頭の“できもの”が徐々に大きくなっているような嫌な感覚が蔓延っていた。
 そして娘が2歳になった頃には、その“できもの”の大きくなり様が尋常ではない実感もあった。
 ところが、母の立場としては娘の成長の遅さこそがずっと大きな課題だ。 まずは、その対策を練った後に、亭主に我が頭の“できもの”について話そうと決心した。
 その後、娘に対する医師よりの“発達の遅れ”及び“今後の指導方針”に関する診断及びアドバイスが下り、その指導方針に従って我がサリバン業を開始する段取りと相成った。

 そこで私は初めて亭主及び親族に、頭に“できもの”が元々あってそれが大きくなっているから病院を受診する旨を伝えた。 
 実はその時既に、我が“できもの”が「悪性」化しているのであろう予感はあった。
 ただそれを親族には伝えなかったところ、医学の心得が一切無い親族皆が口をそろえて「大した事はないよ」と言ってくれたのに助けられる思いだった。
 ところが、結果とは無常だ。  組織診の結果、我が頭の“できもの”は「悪性」、すなわち「皮膚癌」の診断が下り、私は即刻入院手術と相成った。
 (その後の成り行きに関しては、本エッセイ集開設当初のバックナンバー「癌は突然やって来る」に於いて記載しておりますので、よろしければご参照下さい。) 

 そんな経験がある私は、今に至って“ある思い”が脳裏をかすめる。
 もしもあの時、私が病院受診しなかったとしたら、今私はどうなっているのだろうか?
 意外や意外、そのまま放置しておいてもいずれ自然治癒したかもしれないのか??? その種の思考も無くはない。  
 それよりも何よりも、やはり自己の体内に不気味な“できもの”が突如として現れ、それがゾンビのごとく増殖して大きくなっていく事態とは、ご経験の無い皆様の想像以上に恐怖心を煽られる出来事なのだ。
 私の場合、そのゾンビ状態が体表面の皮膚に出没した事に助けられたのだろう。 だからこそ早期にそれが「悪性」である(悪性化している)事実に気付く事が叶ったとも言えよう。
 そうではなく、体内に発生した癌に関しては、特に医学経験の無い皆様には永遠に計り知れない病状であろう。


 話題を変えよう。

 肺癌の疑いがあるにもかかわらず1年間放置されていた医療ミスに関する報道を、先だってテレビニュースにて見聞した。
 その医療ミス事件を受けて、ネットで発見した関連情報を要約して紹介しよう。

 病院の検査で異常が見つかりながらも、結果が患者に伝えられずに適切な治療を受けられなにかった例は過去にもたびたび起きている。
 名古屋大学医学部付属病院(名古屋市)は昨年12月、肺癌の疑いがあると指摘された検査結果を主治医が確認しなかったため、80代の女性が3年にわたって放置されていたと発表。 治療が遅れた女性は死亡した。  同大病院は昨年9月にも、肺の画像診断で肺癌を見つけたとの情報が担当医に伝わらず、50代の男性患者が約2年後に死亡したと発表したばかり。 平成20年にも、口腔癌の疑いがあると診断した30代患者を約3年間放置していたことを公表している。
 医療事故に詳しい「医療過誤原告の会」の宮脇正和会長は「今回、慈恵医大病院は自ら見落としがあったことを患者に説明し謝罪したが、同様のミスは全国の大病院で起きているだろう」と語る。
 相次ぐ伝達ミスに、名古屋大病院は院内で患者の情報を共有できるようなシステムの導入など再発防止策を検討中。 
 今回、肺がんの所見が放置された男性の妻=当時(51)=は15年、都内の別の大学病院で点滴用カテーテルを誤挿入されその後死亡。 男性は病院側の責任を求め提訴し、和解後も大学病院の医療安全をめざして活動していた。 「伝達ミスを防ぐには、個人の頑張りでは限界がある。大学病院など大規模な病院がシステムの改善など再発防止策を共有していくことが必要だ」と話している。
 (以上、ネット情報より一部を要約引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 冒頭に記した通り、一言で「癌」と表現しようが、その病態とは千差万別であるのが実態であろう。

 医療行為を施さねば必ずや死に至る癌もあれば、(これは一部の情報であり臨床的に確立した概念ではないであろうことを明示した上で)放置しておいても治る癌もあると、私は認識している。

 むしろ医療業界及びその関連団体が「検診利益」を上げんとするばかりに、無駄な検診を毎年国民に強制して健保収入をぼったくろうといている事実も否めないと私は捉えている。

 そんな医療を取り巻く現実下で、発生し続ける医療ミスの現状。
 これに関しては政府と医療業界の癒着以前の問題として、医療界の患者に対する姿勢を改善するべき基本的課題である事には間違いない。

 私が過去に経験した癌の場合、癌そのものに関して一切の痛みが無かった事に始終助けられたものだ。(一番辛かったのは、術後の抗癌剤投与による発熱・脱毛等々の身体衰弱の有様だった……

 そうではなく特に痛みを伴う癌の場合、その痛みから患者氏を解放してあげる目的のみでも、決して医療ミスを繰り返してはならないと結論付けたい。