原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

コメント欄をオープンする以上、私は読者皆様と以下のような議論を再開したいが…

2017年02月22日 | 自己実現
 前回公開した 「『原左都子エッセイ』のコメント欄を閉鎖した理由」 に記した我が思いを証明するがごとく、一バックナンバーに本日偶然多くのアクセスを頂いたようだ。

 それは、2008.5.13 公開の 「能力別クラス編成を憂慮する」 と題するエッセイだ。


 当時当エッセイのコメント欄にコメントを頂戴した皆様の同意を得ずして、再度公開する失礼をお詫びしておく。


 それでは、当該バックナンバーに寄せられた「コメント欄」記載内容の全文を以下に紹介させて頂こう。


 
Unknown (カズ)

2008-05-13 16:16:39

そういや、或る何かの番組で小学校の教科書から、台
形の面積を求める公式が消えていたのを出演者の方が
驚いていましたね。この時も、公式が成立する理由を
学ぶことの意味を強調する声がありましたね。


カズさん、円周率についてもそうです。 (原左都子)

2008-05-13 16:33:47

カズさん、いつも早々とコメントをありがとうございます。
私は円周率を3としたことに社会が大反撃したことも印象深いです。
私の見解を述べますと円周率の概念が重要なのです。
それを理解もせずしてただ単に3か3、14かにこだわるのは解せない話です。もちろん、3、14にした方が子どもの計算力はつくでしょうが、概念理解を重視する私としては計算上は3で十分との立場を今なお貫いています。
3、14を主張している人達は真に円周率の概念を理解した上でそう思っているのでしょうか?大変失礼ながら今なお私はそう思っています。


ツールの暗記は苦痛です (こまねちちゃん)

2008-05-13 18:13:10

こんにちは、これは大変興味深い話だったので、私の考えも述べさせていただきます。
その前に、今の小中学校で成績優先クラス分けが進んでいることを知りませんでしたので、個人的にはかなりショックです。
そんなことしたら、他人を平気で差別したり弱者への救済に無関心な人に育ってしまいやすいと思います。
私も、公式や単語などを背景や概念の説明も無しに無理やり暗記させる教育方針は、子供の豊かな精神的成長に少なからず弊害があると思います。
本来、それらは何かを成すための道具に過ぎないのですから。
そりゃ知っているに越したことは無いですが、極端なことを言えば、用途に応じてPCなどから探せれば充分に活用できていると評価できます。
こんな、実社会では当たり前のことが、教えられていないなんて・・・・大丈夫か?今の子供たち!って心配になりました。
子供は国の宝ですから、もっと人間形成に重きを置いた教育をしないと、今以上にグローバル化が進む将来、日本の頭脳は立ち行かなくなると思います。


こまねちちゃん、差別意識大きな問題です。 (原左都子)

2008-05-13 19:13:40

こまねちちゃん、貴重なご意見をありがとうございます。
今回の記事では述べなかったのですが、生徒や単純な保護者の差別意識も大きな問題です。
事実、保護者会に出席しましたら「我が子が最優秀クラスに入れて光栄です。」と何の戸惑いもなく述べる保護者が多いのです。
私など、こういう単細胞親が子どもを育てている現状を垣間見て背筋がゾッっとするばかりでした。
真の意味での人材育成の観点を国にも保護者にも望みたいものです。


Unknown (ゆき)

2008-05-13 21:59:42

はじめまして
子供には個性がありますから
個性を伸ばす事が大切ですね
私の娘の事で教師の言う事は聞いていません
参考になる勉強方法ですよね


こんばんは~! (常夏ボーイ)

2008-05-13 23:05:14

結構、木曜日の退院に決まりました。(--;)
一泊 12000円の収入に繋がったのに残念です。
でも、痛みや苦しさがそのままなのに退院なんて納得出来ないです。
で、ガンは右下葉に12センチの物が出来、摘出しました。リンパ節の転移は無く、レベル1でした。今後の事は、退院前に説明が有るそうです。(^^;)


ありがとう~(^_-) (常夏ボーイ)

2008-05-14 00:01:34

生保の特約を付けていたので凄い黒字になりますよ~(^^;)
でも、油断大敵です。今‥隣で寝て居る爺さんも昨年同じ主治医の手術を受け転移無しで退院し、半年で再発し‥肝臓に転移し抗癌剤治療の為入院してます。
黒字と思ってもお金は使えないかな~(^^;)
この病院は入退院が激しいですよ!手術室20室ありますしね…
抗癌剤の使用は必要無いそうです(^-^)v


つづけておじゃまします (toshiyuki)

2008-05-14 04:19:31

私立は進学実績がもっとも重要なのです。コメントにもありましたが多くの親達が望む方法でもあるのです。私の息子も私立高校3年生、3年になってはじめて文理別のクラス編成になりました2年までは毎年クラス替えがありましたが成績にかんしては平均になるように分かれているようでした。
ただ中3からは数学等でクラスをさらに半分に分けて授業を行う分割授業がはじまるとその分け方は成績順です、学校の味方をするようですが一番やりやすく(レベルが近いので授業がやりやすい)効果も期待できる方法ではないでしょうか。
中高一貫の私立に行かせた場合、中学受験して入学するわけですからおなじくらいのレベルの子(良く似たタイプの子)が多く、子供にとっては楽しく親にとっても安心ですが、個性を磨こうと考えた場合は?ですね。
入学後の5年間でそのことは感じましたね。


ゆきさん、すばらしいお母様ですね! (原左都子)

2008-05-14 07:36:51

ゆきさん、初めてのコメントをありがとうございます。
ゆきさんのブログの中学生時代の記事を拝見しました。すばらしいお母様でいらっしゃいますね。ゆきさんを信じ、ゆきさんの自主性を尊重したお母様の愛情に拍手です。
また、ゆきさんご本人がもっといいですね。ご自身が好きだと思える社会、理科の勉強に専念しその結果を見事に出されましたね。
私はゆきさんのブログを垣間見させていただいただけなのですが、お母様のお考え同様ゆきさんには元々高い学習能力がおありなのだと察します。そんなゆきさんがお母様の愛情に支えられ、実力を発揮されたお話は大変興味深いものがありました。
またお越し下さいますように! 


常夏ボーイさん、引き続きお大事に。 (原左都子)

2008-05-14 07:51:53

常夏ボーイさんには別便でも連絡させていただいておりますが、リンパ節への転移がなくて一安心ですね。
抗癌剤の使用の必要もないとのことで、体力消耗も回避できそうですね。私の場合は、術後の回復は順調だったのに抗癌剤の副作用で毎日発熱し体が弱って大打撃を受けましたので。
そうですね。満を持してお金はキープしておいた方がよいかもしれません。
病棟には様々な病状の方が入院されていますよね。私の時もそうでした。
とにかく、引き続きお大事にして下さいね!


教育って難しいねぇ~ (幸慶家)

2008-05-14 08:19:39

こんにちは。
さとちゃんの言うのもごもっともだと思いますが、≪学習タイプ別、学習環境別、すなわち生徒の学習への取り組み方の個性に応じたクラス編成≫での、各個人のそれを見極める教師能力があるか・・・と言う事にも。
そもそも、こういうのって、≪必要≫なの?
老いさんも、実際中学時代に、この「能力別クラス編成」を体験しました。
で、やはり、さとちゃんの記事にあるような、「差別」「落ちこぼれ」状態をも体験しました。
実際、こんな事、公表するのも恥ずかしい限りなんですが、授業内容に着いて行けないのね・・・
結局、判らない、面白くない、やらない、益々判らない・・・と、落ちこぼれて行きました。トホホホ・・・
差別もありましたね。
だから、「こんなの」要らない!
成績のいい奴は放っておいても自分から勉強するんだから。



教育のスタート (嵯峨野)

2008-05-14 14:04:32

私は、教育の出発点を保育園からスタートすべきと考えています、この頃から道徳、倫理観を養える教育のあり方を考える時期に来ているのではないでしょうか、文武両道の精神を幼稚園児までに教育して、心を養って行くのが今後の教育の在り方と思います。
受験を前に、暗記ですべてを覚えるのは、物事の理解力、判断力の無い人間ばかりになり現代社会のひずみが大きくなるように思えますが、幼児教育のあり方を考えて行きたいと私は考えています。


toshiyukiさん、真の学力とは… (原左都子)

2008-05-14 14:07:21

確かに私学にとっては大学進学実績が命です。そして、安直に成績順に生徒を振り分けて指導するのが学校にとって一番効率のよい方法なのでしょう。
ただ、子どもの個性とは実に多様です。同程度の成績であれ、学習方法や家庭での学習環境(親の教育方針も含めて)は皆異なることでしょう。
とにかく、単に大学進学という目先の目標ではなく、将来に通じる真の学力を、そして人間としてのバランスのとれた成長を願い日々子どもの教育に当たっている私にとっては、しばらく不本意で頭の痛い日々が続きそうです。


幸慶家さん、悪循環スパイラルは回避するべきですね。 (原左都子)

2008-05-14 14:25:09

老いさんのおっしゃる通りなんです。
「理念なき教育改編」でも述べたとおり、ゆとり教育の失敗は、結局は教員の資質や能力不足、そして教育指導内容の不備にあると私は考えております。
どのようなクラス編成にしようとも、上記の条件が整えられないのならばその効用は期待できないでしょう。それならば、いっそのこと“ごちゃ混ぜ”クラスの方が偏った差別意識も回避できるし、個性豊かな子ども同士が影響を及ぼし合ってむしろ成長できるのかもしれません。
学習において一番回避するべきことは、老いさんの言う“わからない、面白くない、やらない、もっとわからない、…”この悪循環スパイラルですね。最低限、教育者と名の付く人は生徒がこのスパイラルに落ち込まないような指導を心がけるべきです。


嵯峨野さん、道徳、倫理観教育は家庭が主体であるべきです。 (原左都子)

2008-05-14 14:44:58

嵯峨野さん、初コメントありがとうございます。
私は本ブログのバックナンバー記事「道徳教育私論」において既述しましたが、子どもの人間としての基本的な道徳心、倫理観教育に関しては家庭がその主体であるべきと考えます。もちろん、学校等の集団生活の場では、家庭では経験できない集団という社会における道徳心を教育するべきなのは言うまでもありませんが。
そして、私は早期教育に関しましても反対派です。
学科教育のスタートは小学校からで十分と考えています。
早期教育の意味合いも様々でしょうが、現行の一般的な保育所、幼稚園等で行われている学習予備段階のお遊び的なもので十分だと思います。
もちろん、子どもの個性に応じて各家庭が対応する分には自由でしょうが。
余談ですが、私は変な幼児で、幼稚園で一番面白かったのが「知能テスト」でした。こんな面白い“遊び”があるんだ、と子ども心に感激して没頭したのを今なお憶えています。人の個性は様々です。
また、お越し下さいますように。


教育 (k)

2008-05-14 20:26:30

・教育の目標は、機会均等より学習成果の平等である。


kさん、機会均等が保証されてこそ… (原左都子)

2008-05-14 21:28:19

kさん、当ブログへのコメント誠にありがとうございます。
私も学習成果の平等を決して否定しているわけではありません。それに関しましては、当ブログを熟読いただけましたらおわかりいただけることと存じます。
ですが、とりわけ子どもの教育について議論する場合、人間社会の基本として、すなわち基本的人権の観点から、まずは機会均等が保証されてこその学習成果の平等について語るのが本筋ではないでしょうか?
残念ながら、現状の社会では子どもの機会均等が保証されていない状況です。
そして、学習成果の平等に関しましても、その評価基準もあいまいです。
そもそも、kさんにとっての学習成果とは何なのでしょうか?
もし差し支えございませんでしたら、もう少し詳細にkさんのご見解をご表明いただけたらと思います。
その上で、議論させていただけましたら幸いと存じます。
再度のコメントを心よりお待ち申し上げております。              


分けて分けて、そして・・・ (kuisin)

2008-05-14 23:29:18

ども、kuisinです。
私は完全な能力別授業は受けていませんが、中学の時に英語のみに限って習熟度別ではありました。
恐らくはここでコメントをしている皆さん、そして原さんも、この授業そのものを受けたことはないかと存じます。(あったらすみません)
数少ないこの場での体験者としての率直な意見を述べれば、“必要性が分からない”の一点に限ります。
私の学校の場合ですと、英語はビギナー、(中間の名前は忘れました・・・以後便宜上“中間”とします)、そしてマスターの三つのクラスに分かれていました。クラスの分け方は完全にテストの成績のみで左右され、40点以下ならばビギナー、40~70までなら中間、それ以上はマスターとなってました。
なぜか不思議なことに、私たち生徒の中に、ビギナーと中間、または、中間とマスターの間を行き来している生徒がいました。成績の向上が名目なのに、右往左往とはこれ如何に??
友達の中にビギナーと中間のクラスを行ったり来たりしている友人がいたので、話を聞いてみると、教え方が全くの別で、別のクラスからきた場合に訳が分からなくなる、とのことで、次のテストではその学習法の違いに付いていけず、クラスがまた変わってしまうのだそうです。
私自身は中間にずっといました。(成績からすると普通・・・)ビギナーは分かりませんでしたが、一度だけ成績が良かったテストがあり、その後マスターに行ったことがあります。
教師が違えば学習法も異なる。メンバーが違えば競争もあったものではない。順調に積み重ねていたはずなのに、いきなり高く放り投げられるような、空虚感。
結局次のテストの結果は散々で、すぐに中間のクラスに戻りました。
あ~・・・何が言いたいのかと申しますと、一部の生徒以外は付いていけないのがほとんどだった、ということです。
まぁ私の学年で試験的に導入されただけらしいので、その後もその中学で継続されているのかは分かりませんが・・・。ただ原さんの記事を読んで、ふと思い出しました。
置いてけ堀は、子供の方がつらいものです。
では、またまた、長文失礼しました。


kuisinさん、すべての生徒の学力向上のためのクラス編成であるべきですね。 (原左都子)

2008-05-16 06:46:10

kuisinさん、返答が少し遅くなりましたが、kuisinさんのコメントで、能力別クラス編成の実態の一例がよく理解できました。
kuisinさんの例の場合、能力別クラス編成の目指す方向が捉えにくいですね。その編成で力が伸びるのは最上位クラスをキープし続ける生徒のみであるような気もします。
生徒に混乱を起こさせて、やる気を失わせる能力別クラス編成の意義とは一体何なのでしょう。一部のエリートの輩出でしかないようにも感じられますね。
クラスを成績で分けさえすれば学力が向上するものでは決してないですね。指導側は自らの指導効率や学校の体裁という観点ではなく、常に生徒個々の立場に立った指導体制作りを心がけるべきです。
学校は指導者のためではなく、生徒のために存在するのですから。



 以上、あくまでも過去の我がエッセイ集の一バックナンバーにコメントをお寄せいただいた一事例を紹介したまでの事だ。
 コメンテイターの皆様が、きちっと!我がエッセイ論題に的を絞って的確にコメントして下さっているその事実とご能力の程が実に素晴らしいでしょ!?!

 上記コメンテイターの中で、いまだお付き合いがある方もいる一方、もしかしたら生存されているのか否かの連絡がまったく途絶えている方もいるのが実情だ……


 可能ならば、私とて我がエッセイ集のコメント欄を再度オープンしたい。
 だが、過去にその栄光を十二分に経験し堪能させて頂いた身にして、既に我がエッセイ集のコメント欄の繁栄時代は過ぎ去ったと心得えるべきだろう。

 今後はまた異なる形態で、我がエッセイ集を充実せんと志したいものだ。