先だって、20代の母親が1歳の三男を“ネグレクト虐待”により死に至らせた事件が発生した。
報道によると、なんでもこの母親は子育てを放棄して夜な夜なネット上のチャットに興じていたらしい。
子育てとは母親にとって過酷な程の使命を背負われる厳しい労働であり、時にはエスケイプして別世界で気分転換したい思いに関しては、私も同じ現役母親の立場として重々理解可能である。
そのエスケイプ対象がこの母親の場合ネットであった事についても、決して全面的に否定する訳ではない。
それにしても、ネットでのおしゃべりの何がそんなに面白いの?? と言いたくなる原左都子の私見を、この記事で述べさせていただくことにしよう。
私にとっての本格的なネット経験はこの「原左都子エッセイ集」のみであり、現在に至って尚それ以上でも以下でもない。
今から遡る事5年程前に本ブログ「原左都子エッセイ集」をネット上に開設した時点では、時代背景的にもさほどのネットコミュニティ組織らしきものは存在しなかった。(私がその分野に関して無知だっただけの話なのだろうが…)
ブログ開設後1ヶ月程経過したころ、ネット上に“ブログコミュニティ”なるものが存在する事を発見した。 訳が分からないまま恐る恐るそれに登録したものの、一体何を目的とする組織なのかも有効な使用方法も分からず放置したままにしていた。
そうしたところ、「読者登録」とやらがぼつぼつと到着し始める。 中には丁寧な文章を添えて我がエッセイ集を高く評価して下さるアクセスもあるではないか!
これはやはり感激である。 そういう方々にはこちかから御礼返答をする事を憶えつつ、私なりにコミュニティを有効利用していった。 その後あれよあれよと言う間に「原左都子エッセイ集」の読者登録が怒涛のごとく押し寄せ、当時コミュニティ内部のみで400人を超過する読者の方々に支えられるに至った。 開設後1年半頃までの話である。
その間、確かに一ネット利用者としては面白おかしく楽しい日々が経過した。
ところが何事も“楽あれば苦あり”であるのが現実だ。
コミュニティ内読者登録が急増するにつれ、歓迎しない反応も増え始めるのは世の常というものであろう。
我が「エッセイ集」とは何ら関係のない反応も多発する事態と相成ったのである。
アフィリ目的者は「ポチお願いします!」の一辺倒だ。 これに関しては無視すればそれで凌げる場合が多いため、対応は簡単だ。
男性からの「お付き合いして下さい!」との嘆願に関しても、長い独身時代を過ごし“その道”に関して海千山千の私にとってはまだしも可愛気がある反応との感覚だ。
肝心要の「原左都子エッセイ集」の記事内容に対する各種ご意見や反論は元より大歓迎だったものの、同時に“誹謗中傷”アクセスも多発するのが運命というものでもあろう…。 ただこれに関しては胃を痛めつつも、著者の立場として誠実に対応させて頂いて来たつもりだ。
私が一番頭を悩ませられたのは、「原左都子」の存在自体に対する誹謗中傷であった。 (一度として会った事もなく私という人間を知りもせずして、何でネット上で受けた印象のみで無意味にバッシングされねばならないの??)との理不尽な思いばかりが募ったものだ… これこそネットという世界における一番の痛手と実感させられた。 要するに相手にとって“癪に障る”対象という事なのだろうが、この種の反応に辟易としつつも、ネット上に(たとえペンネームであろうが)一個人の存在を自ら公開してしまった以上、嫌悪感を抱く人もいて当然であろうことを思い知らされたものだ。
上記ブログコミュニティ登録より1年半程が経過した頃、そのコミュニティは「ブログ読者登録」組織からネット上の「友達作り」を奨励する組織へと変貌したことを契機に、私はそのコミュニティから退く決断をした。
その後も、そのコミュニティに「原左都子エッセイ集」を登録した直後より応援いただいている方々が、今となっては数少ないものの5年来ご訪問下さっている。 実にうれしく感じつつ感謝申し上げている次第だ。
原左都子の私事が長引いてしまったが、結論としては“ネット上の人付き合い”が面白おかしく経緯する「賞味期限」とは1年~1年半位が限度なのではなかろうか?
いえいえ、私の場合は“癖の強い”「原左都子エッセイ集」を媒体としてネット上の人付き合いを展開したためそのような結果とならざるを得なかったのかもしれない。
当初よりもっと“スマート”な人付き合いをネット上で目指している方々は、それ相応に長い年月お付き合いが続くのであろうか??
今回この記事を綴ったきっかけとは、現在私が「原左都子」のペンネームでフェイスブック上に公開している我がページに知人よりコメントを頂いたことによる。
以下の文章は私が「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて幾度となく綴り公開している内容であり繰り返しとなるが、今一度本エッセイの結論として、我がフェイスブックページから私のコメントの内容のみを割愛して紹介させていただくことにしよう。
私などミニスカで街を闊歩しただけで未だにナンパの声がかかりますから、ネットなどとの七面倒臭い手段を使って男と出会おうなどと少しも思っていませんよ。 な~~んて冗談ですけど、ノスタルジー趣味もあまりない私の場合、フェイスブックはやはりペンネームの「原左都子」登録で正解だったと思います。 それにしても手段は何でもいいから人と繋がっていたい人種の多さに驚かされます。 同時に「同窓会好き」人種というのも世に存在しますが、過去の人脈を掘り起こしてまで人と繋がりたい人種とはよほど楽しい過去を過ごしたのでしょうかね??
それよりも今現在身近に係っている人間関係こそを大事にしたいものです。
人間関係において“相互関与”が重要だからこそ空虚なネットなどに深入りしたくはないのです。 だから私は「原左都子エッセイ集」のコメント欄も閉鎖しました。 現在は一部の読者の方よりメッセージの形でコメントを頂き、一対一の対等な関係でお付き合いを続けております。
私は元々生身の人間同士での相対(あいたい)付き合いのみを「人間関係」と表現しています。 言葉表現はとにかく、人間としての日々が楽しく充実いている者の勝利でしょうね。
最後に私論をまとめるが、今回のエッセイの表題に於いて「人間関係」ではなく「人付き合い」と表現したのは、原左都子なりの理由がある。
ネット上での人との関係とはあくまでも「人付き合い」でしかあり得ないのではなかろうか?
また同窓会等、幹事担当者が人を義務的強制的に集めた関係も、私に表現させてもらうと一時の「人付き合い」でしかあり得ない。 ただ、その種の会合出席をきっかけに真の「人間関係」が再燃することはあり得るよね。 それを期待して私も10年に一度位は各種同窓会に出席しているのだけど… (何だか出席者の皆さん“人付き合いが上手なお利口さん”ばかりで、私が本当にお会いしたい人とは同窓会になど出席していないのが現実だなあ~~)
私の理想としては今後年齢を重ねても、文章等の間接的手段により表面上で気を遣い合いつつ「人付き合い」を“スマート”にこなすよりも、人間同士“すったもんだ”でぶつかり合いながらドロドロした生身の「人間関係」を充実させたい思いであることには間違いないぞ。
疲れ果てる事は覚悟の上で、私の今までの経験からはそんな「人間関係」の方がほよど達成感が得られるし、生きている実感があるのよ…
報道によると、なんでもこの母親は子育てを放棄して夜な夜なネット上のチャットに興じていたらしい。
子育てとは母親にとって過酷な程の使命を背負われる厳しい労働であり、時にはエスケイプして別世界で気分転換したい思いに関しては、私も同じ現役母親の立場として重々理解可能である。
そのエスケイプ対象がこの母親の場合ネットであった事についても、決して全面的に否定する訳ではない。
それにしても、ネットでのおしゃべりの何がそんなに面白いの?? と言いたくなる原左都子の私見を、この記事で述べさせていただくことにしよう。
私にとっての本格的なネット経験はこの「原左都子エッセイ集」のみであり、現在に至って尚それ以上でも以下でもない。
今から遡る事5年程前に本ブログ「原左都子エッセイ集」をネット上に開設した時点では、時代背景的にもさほどのネットコミュニティ組織らしきものは存在しなかった。(私がその分野に関して無知だっただけの話なのだろうが…)
ブログ開設後1ヶ月程経過したころ、ネット上に“ブログコミュニティ”なるものが存在する事を発見した。 訳が分からないまま恐る恐るそれに登録したものの、一体何を目的とする組織なのかも有効な使用方法も分からず放置したままにしていた。
そうしたところ、「読者登録」とやらがぼつぼつと到着し始める。 中には丁寧な文章を添えて我がエッセイ集を高く評価して下さるアクセスもあるではないか!
これはやはり感激である。 そういう方々にはこちかから御礼返答をする事を憶えつつ、私なりにコミュニティを有効利用していった。 その後あれよあれよと言う間に「原左都子エッセイ集」の読者登録が怒涛のごとく押し寄せ、当時コミュニティ内部のみで400人を超過する読者の方々に支えられるに至った。 開設後1年半頃までの話である。
その間、確かに一ネット利用者としては面白おかしく楽しい日々が経過した。
ところが何事も“楽あれば苦あり”であるのが現実だ。
コミュニティ内読者登録が急増するにつれ、歓迎しない反応も増え始めるのは世の常というものであろう。
我が「エッセイ集」とは何ら関係のない反応も多発する事態と相成ったのである。
アフィリ目的者は「ポチお願いします!」の一辺倒だ。 これに関しては無視すればそれで凌げる場合が多いため、対応は簡単だ。
男性からの「お付き合いして下さい!」との嘆願に関しても、長い独身時代を過ごし“その道”に関して海千山千の私にとってはまだしも可愛気がある反応との感覚だ。
肝心要の「原左都子エッセイ集」の記事内容に対する各種ご意見や反論は元より大歓迎だったものの、同時に“誹謗中傷”アクセスも多発するのが運命というものでもあろう…。 ただこれに関しては胃を痛めつつも、著者の立場として誠実に対応させて頂いて来たつもりだ。
私が一番頭を悩ませられたのは、「原左都子」の存在自体に対する誹謗中傷であった。 (一度として会った事もなく私という人間を知りもせずして、何でネット上で受けた印象のみで無意味にバッシングされねばならないの??)との理不尽な思いばかりが募ったものだ… これこそネットという世界における一番の痛手と実感させられた。 要するに相手にとって“癪に障る”対象という事なのだろうが、この種の反応に辟易としつつも、ネット上に(たとえペンネームであろうが)一個人の存在を自ら公開してしまった以上、嫌悪感を抱く人もいて当然であろうことを思い知らされたものだ。
上記ブログコミュニティ登録より1年半程が経過した頃、そのコミュニティは「ブログ読者登録」組織からネット上の「友達作り」を奨励する組織へと変貌したことを契機に、私はそのコミュニティから退く決断をした。
その後も、そのコミュニティに「原左都子エッセイ集」を登録した直後より応援いただいている方々が、今となっては数少ないものの5年来ご訪問下さっている。 実にうれしく感じつつ感謝申し上げている次第だ。
原左都子の私事が長引いてしまったが、結論としては“ネット上の人付き合い”が面白おかしく経緯する「賞味期限」とは1年~1年半位が限度なのではなかろうか?
いえいえ、私の場合は“癖の強い”「原左都子エッセイ集」を媒体としてネット上の人付き合いを展開したためそのような結果とならざるを得なかったのかもしれない。
当初よりもっと“スマート”な人付き合いをネット上で目指している方々は、それ相応に長い年月お付き合いが続くのであろうか??
今回この記事を綴ったきっかけとは、現在私が「原左都子」のペンネームでフェイスブック上に公開している我がページに知人よりコメントを頂いたことによる。
以下の文章は私が「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて幾度となく綴り公開している内容であり繰り返しとなるが、今一度本エッセイの結論として、我がフェイスブックページから私のコメントの内容のみを割愛して紹介させていただくことにしよう。
私などミニスカで街を闊歩しただけで未だにナンパの声がかかりますから、ネットなどとの七面倒臭い手段を使って男と出会おうなどと少しも思っていませんよ。 な~~んて冗談ですけど、ノスタルジー趣味もあまりない私の場合、フェイスブックはやはりペンネームの「原左都子」登録で正解だったと思います。 それにしても手段は何でもいいから人と繋がっていたい人種の多さに驚かされます。 同時に「同窓会好き」人種というのも世に存在しますが、過去の人脈を掘り起こしてまで人と繋がりたい人種とはよほど楽しい過去を過ごしたのでしょうかね??
それよりも今現在身近に係っている人間関係こそを大事にしたいものです。
人間関係において“相互関与”が重要だからこそ空虚なネットなどに深入りしたくはないのです。 だから私は「原左都子エッセイ集」のコメント欄も閉鎖しました。 現在は一部の読者の方よりメッセージの形でコメントを頂き、一対一の対等な関係でお付き合いを続けております。
私は元々生身の人間同士での相対(あいたい)付き合いのみを「人間関係」と表現しています。 言葉表現はとにかく、人間としての日々が楽しく充実いている者の勝利でしょうね。
最後に私論をまとめるが、今回のエッセイの表題に於いて「人間関係」ではなく「人付き合い」と表現したのは、原左都子なりの理由がある。
ネット上での人との関係とはあくまでも「人付き合い」でしかあり得ないのではなかろうか?
また同窓会等、幹事担当者が人を義務的強制的に集めた関係も、私に表現させてもらうと一時の「人付き合い」でしかあり得ない。 ただ、その種の会合出席をきっかけに真の「人間関係」が再燃することはあり得るよね。 それを期待して私も10年に一度位は各種同窓会に出席しているのだけど… (何だか出席者の皆さん“人付き合いが上手なお利口さん”ばかりで、私が本当にお会いしたい人とは同窓会になど出席していないのが現実だなあ~~)
私の理想としては今後年齢を重ねても、文章等の間接的手段により表面上で気を遣い合いつつ「人付き合い」を“スマート”にこなすよりも、人間同士“すったもんだ”でぶつかり合いながらドロドロした生身の「人間関係」を充実させたい思いであることには間違いないぞ。
疲れ果てる事は覚悟の上で、私の今までの経験からはそんな「人間関係」の方がほよど達成感が得られるし、生きている実感があるのよ…