原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“タイガーマスク現象”における「善意」の真意を問う。

2011年01月20日 | 時事論評
 今世に流行っている “タイガーマスク現象” によって 「伊達直人」 なる人物の名前を初めて知った原左都子である。

 原左都子名付けて “タイガーマスク現象” をご存じない方はおられないと推測して、このまま話を続ける事にしよう。

 タイガーマスクの主人公である「伊達直人」を名乗る人物から児童擁護施設に寄付が届いたニュースを最初に見聞した時に、“天邪鬼”及び“へそ曲がり”を自覚する原左都子は、その行動の背景に「善意」はおろか、むしろ“事件性”を考慮して背中が薄ら寒くなったものである。
 一体 「伊達直人」なる人物の今回の寄付の魂胆は何なのだろう??  寄付を受け取った側の施設は御礼と感謝の思いをメディアを通して伝えているようだが、それで本当に事が済むのだろうか?   この人物は今回の行動により何らかの歪んだメッセージを社会に発信したいのではないだろうか?  施設の子供達を手放しで喜ばせていいのだろうか?? 等々、何やら不気味な感覚が心中に渦巻いた原左都子である。


 ここで少し、“タイガーマスク現象”を分析してみることにしよう。

 まず、今回の“タイガーマスク現象”は大きく二つの流れに分割できるであろう。

 その一つは、先陣切って寄付を実行した人物(あるいは組織)に関してである。
 当初、原左都子がこの現象をメディアで見聞した時、この寄付行為が真に「善意」であると仮定した場合、何処かのNPO等の民間団体、あるいは今流行りのネット上でのコミュニティ組織が企画した寄付事業なのかとも推測した(そうであることを期待した)のだ。

 そして、今回の場合は当初の寄付者がタイガーマスクの主人公である 「伊達直人」 を名乗ったことが功を奏したと分析できるのだが、この寄付行為に全国の“単純”「善意」の国民が共感して追随した結果、二次現象としての寄付が多発したと捉えられるのだ。 例えば同じくタイガーマスク、あるいは類似のメディア上の架空の英雄達の名を名乗ることにより、自分達の経済力の範囲内で全国の児童擁護施設への寄付行為が相次いだことが、今回の“タイガーマスク現象”の特徴と言えるであろう。


 当初の寄付者が実名を名乗り出ない限り、今後も今回の寄付行為の真相の解明は不可能なのかもしれない。

 そんな中、原左都子はどうしても今回の“タイガーマスク現象”を素直に喜べないでいるのだ。
 弱者救済の観点に関しては、原左都子とてもちろん異論はない。 今回の寄付現象の追随者である国民の中には、お年玉を寄付に差し出した小さい子供もいると見聞している。 その行為自体はとりあえずは賞賛に値するであろう。

 ただボランティア活動や寄付行為とは、提供側の発想が「自己満足」等自己の利益に留まっている限り、弱者を傷つけるのみの結果しかもたらさないのではなかろうか?


 そうこう思いつつ重苦しい心情を引きずっていたところ、やはりメディアにおいて原左都子の見解と類似するオピニオンを幾つか発見した。

 その一つは、贈る側の“我が身息災”な事情による寄付についての話題である。
 朝日新聞「声」欄投書によると、何処かの物品販売店がクリスマス商品の売れ残りを廃棄処分するよりは児童擁護施設にでも寄付した方が喜ばれると安易に判断して、当該施設に寄付を申し出たところ、「それはうれしい事だが、今年贈り物があると小さい子供とは必ずや来年も贈り物が届くことを期待するものである。そういった事情で辞退させていただくべきと判断する。」との施設責任者よりの回答だったとの逸話である。

 そして、里親として子供を預かっている女性による朝日新聞「声」欄の投書「本当に欲しいのは物より心」もごもっとものご意見であろう。 
 この女性は投書欄で曰く 「親が養育困難な子供を預かる身として、子ども達の心の奥の見えない傷を抱きしめ家庭の中で長い時間をかけて癒し、子供の心を豊かにしたいと頑張っている。 そんな子供たちが欲しいのはランドセルでもお金でもなく、親の愛情、親に代わる人の愛情であると断言できる。それでも私は伊達直人氏の寄付は心よりうれしい。これを初めの一歩として、一過性ではなく子供達のことを胸に留めて下さるように祈っている。」 


 この種の投書の数々を受けて、やっと別の側面から今回の寄付現象を報道することを勇気付けられたのか、朝日新聞1月16日付朝刊に 「タイガーマスクの心得」 なる、今後児童擁護施設へ寄付をしたい国民に対する寄付に関する“マナー”の記事が掲載されたのである。
 児童擁護施設に預けられている子供達の心理や、その子供達を預かって共に痛みを共有しつつ厳しい日々を歩んでおられる職員の方々の日々のご苦労を慮った場合、“タイガーマスク現象”を賞賛するのみでなく、マスメディアはもっと早期にこの手の寄付に際するマナー関連の記事を公開するべきだったと原左都子は捉えるのだ。

 それでは、上記朝日新聞記事 「タイガーマスクの心得」 を以下に端折って紹介しよう。
 この記事では寄付行為をする時の心がけを二つのポイントに絞って解説している。
 その一つは 「贈る際 できれば名乗って」 であり、もう一つは 「事前の連絡 施設側助かる」 とのことである。 これらに関しては、上記の朝日新聞への投書の内容をお読み下されば把握できることであろう。
 この記事の解説者である茨城県高萩市長も「暖かい善意の輪が広がっていることはうれしいが、モノをあげたら終わりではなく、これを機に家庭で暮らせない子供達への理解を深めて欲しい。施設出身者は大人になってからも差別されがちだが、そうした偏見は無知からくる。今回の寄付運動を、子供達が置かれた現実を知る一歩にして欲しい。」と述べている。
 そしてこの朝日新聞記事では、寄付金の使い道を指定できることについても言及しているので、今後寄付行為を志す場合、記事を読んで参考にしていただいたいものである。
 
 人が本気で弱者保護に乗り出したい場合、名前を名乗るのは当然のこと、その使い道を明確にしてこそ“生きた寄付金”になるというものであろう。 


 そういった現状をも踏まえて原左都子の“天邪鬼”視点で考察すると、世の寄付行為の大方は寄付する側の「自己満足」を満たすのが目的であったり、はたまた“税務対策”であるに過ぎないのが実態なのではなかろうか?

 今回の“タイガーマスク現象”の場合、当初の寄付者が 伊達直人 を名乗った事により、子供も含めて国民の間で寄付行為を“一時の流行事象”としてしまったことがプラスマイナス両面で社会全体に寄付行為に対する今後の課題を投げかけたとも言えるであろう。
 そういう意味では、今回の“タイガーマスク現象”もその存在意義はあったということなのかもしれない。
         
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