原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

今年初めて「箱根駅伝」に感情移入できました。

2011年01月04日 | 人間関係
 毎年新年の1月2日、3日にテレビ放映される大学対抗「箱根駅伝」を、今年初めて感情移入して観戦した原左都子である。

 人間の心理とは実に複雑であることを、今年の「箱根駅伝」観戦を通して実感させられた思いだ。
 そんな微妙な心理のひだを今回の記事で綴ることにしよう。


 今年で87回目を迎えた「箱根駅伝」であるが、もちろん私も昔からその存在は知っていた。 だが、毎年私学ばかりが出場している駅伝大会にまるで興味がなく見向きもしないでいた。

 その存在が私にとって顕著化したのは、我が身内と結婚して以降のことなのである。
 我が身内は、昨日(1月3日)の箱根駅伝において18年ぶりに総合優勝を飾った大学に(遡って直系の附属高校、及び大学院修士及び博士課程、はたまたその研究室と、おそらく20年近くに渡って)通い続けた人物である。 (“おそらく”と表現するのは、何分晩婚夫婦故に、長い独身時代に何をして生きていたかに関して、お互いその実態の詳細を知らないのである。) 
 我が身内がそれ程長きに及んでお世話になった大学が出場する「箱根駅伝」を、身内本人は元よりその血縁家族が毎年見逃すはずはないのだ。 
 となるとだ。  毎年新年に身内の実家を訪れると必ずやテレビのチャンネルは「箱根駅伝」に設定されて実家において大々的に放映されることになる。 そして身内は親族共々出身大学の応援に躍起になるのである。

 私にとっては、これが鬱陶しい。
 国公立大学及び大学院出身で私立にはまったく縁のない人生を歩んで来ている原左都子にとっては、 
(箱根駅伝なんか、どうでもええわ~)  と内心ダレるしかないのだが、律儀な私は義父母の手前一緒に観ているふりをして柄にも無く“いい嫁”を演じるはめとなる。
(過去において国公立大学が「箱根駅伝」に出場したことは一度もないと思うのですが、あの駅伝大会は私学連合か何かが主宰しているのでしょうかね?? そうではなく単に国公立大学の駅伝部はその実力や組織が貧弱なため、出場できる能力に達していないだけの話なのでしょうか?)

 その後年月が流れ、毎年新年は親族で賑わった身内の実家も数年前に義父が亡くなり、そして義母も年老いたため、以前のように御節料理を丹精込めて手作りして新年に一族を迎え入れる余裕がなくなったのだ。 近頃では外の食事処で身内親族の新年会が催されるようになり、おのずと実家のテレビで「箱根駅伝」を観戦する機会もなくなっていた。


 そんな折、何故に私が今年の「箱根駅伝」を途中から観る事になったのかというと、そのきっかけは単なる偶然である。
 例年年末年始の昼間のテレビ番組とは、普段の番組に増してつまらない極みであるものだ。 ましな番組はないものかとチャンネルを民放に変えてみたところ、ちょうど東洋大学の柏原選手が走っていたのである。(この選手は駅伝選手として既に名が売れているため、私とて知っているんだぞ。) と思いきや、早稲田大学の選手がその前に走っているではないか!
 「あっ、これ箱根駅伝の中継だね! え~~、どうなってるの早稲田強いじゃん」、と言うのも、ここのところ早稲田は箱根駅伝において低迷し続けている印象があるからだ。 シード落ちも経験しているしね。
 そして画面はちょうど佳境に入る。 柏原選手が早稲田の選手をとらえ、抜き去ろうとしているではないか!
 「頑張れ!柏原!!」と一人で騒いでいると、娘も一緒に観戦し始める。
 そこで娘を捕まえて私曰く「昔、あなたが小さい頃、新年になると毎年お父さんの実家で箱根駅伝を観戦“させられた”のよ。そして皆が早稲田を応援するの。あれが鬱陶しくて参ったもんだわ。」
 そんな新年の思い出も、今となっては懐かしいから不思議なものだ。
 往路の接戦を観た私は、3日の復路も感情移入して観戦することになった。

 ここで娘の「箱根駅伝」に関する心理について少し触れよう。
 新年に身内の実家を訪問しても娘にとってはテレビよりも遊びの方が面白い年頃で、それを観戦した記憶は今となってはほとんどないようだ。
 我が家の場合そもそも母である私の権力が強い家庭であるため、どうしても娘は私の影響力を大きく受けながら育つことになる。 
 大学に関する志向においても、中学生頃までは母である私の出身大学には興味を示し、大学説明会等では我が出身大学のパンフレットは毎年もらってきていたようだ。 「私立は受験科目数が少ないから、あなたのように何事にも時間がかかる子にとっては受験し易いかもしれないよ」などとアドバイスしても、さほどの興味を示さないでいた。  結局は芸術方面を目指すことになり、父とも母とも畑違いの分野を選択することになったのだが。
 そんな娘にとって箱根駅伝をテレビ観戦するのは今年が初めてであるとも言えるのだが、自分が志望する美術系の大学がよもや箱根駅伝に出場する訳もないためか、大学対抗駅伝としてではなく通常のスポーツ競技として箱根駅伝を楽しんだ様子である。

 箱根駅伝には他の駅伝にはないドラマチックなエピソードがあり、それがこの大会のハイライトシーンでもあることを娘に伝授した。
 例えば、タイムが遅いチームには“繰り上げスタート”という非情な仕打ちが待ち構えていること。  昔は不運にも“蒲田の踏み切り”の遮断機が降りた場合、選手は電車通過を立ち往生して待たねばならない時代もあったこと。 “シード権争い”が熾烈であるというのも箱根駅伝の特徴であること。
 これら通常の駅伝にはあり得ない場面が展開される“物語性”“意外性”故に、箱根駅伝とは今尚新年早々テレビ放映され続けているのであろう。


 私が今年の箱根駅伝に感情移入できたのは、柏原選手の活躍を目の当たりにしたからのみではない。
 おそらく、我が子が来年大学受験を控え、そしてそれをクリアした暁には大学生になることが背景的心理要因として大きいのではないかと自己分析するのだ。

 昨日の復路10区のラスト場面において5大学が団子状態の熾烈なシード権争いの中、ゴール直前でコースを誤るというアクシデントに遭遇してしまった国学院大学の寺田選手が、それでも全力で10位に食い込んだ場面では、胸を撫で下ろしつつ我が子が頑張ったかのように涙を流した。
 最後の最後まで早稲田を追いかけたにもかかわらず、たった21秒差で総合優勝を逃がした東洋大学。 ゴールで山本選手を待つ柏原選手の顔に笑顔はない。既に優勝を逃がしたことを悟るその神妙な顔つきにも“あどけなさ”があるのに母性本能をくすぐられたものだ。 既に日本における駅伝競技の第一人者として成長している柏原選手も、親の世代の立場からすればまだ一人の大学生であることを実感させられる思いである。

 おそらく我が子が大学を卒業するまで、私は毎年新年には箱根駅伝に感情移入し続けるのであろうと予測している。 
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