この表題は、1月4日付朝日新聞一面トップ記事 「できる子 伸ばせ」 の題名を一見して抱いた“一種の嫌悪感”と共に、原左都子の脳裏に浮かんだ疑問をそのまま表現したものである。
もう少し詳細に私の“嫌悪感”を説明すると、「できる子」と一言で言っても何ができるのかが問題であるはずだ。 全国紙である朝日新聞たるものが、国民の誤解を生みそうなこんな軽薄な表現の表題を一面トップに掲げて教育を語ってよいものなのか? と言ったところである。
これはあくまでも本文記事を読んでいない段階での私の感想なのだが、新年早々教育関連記事を名立たる新聞が一面トップに持ってくること自体にそもそも意表をつかれる思いだ。 まさかとは思うが新政権の文科省が本年の学校教育課題として“「できる子」を伸ばす”ことを第一義に掲げ、それを新年早々国民に吹聴するようメディアに裏で指示でもしているのであろうか??
そう言えば近頃の義務教育においては、既に「ゆとり教育」が見直される方向にあると言われて以降何年か経過している。
一例として東京都杉並区立和田中学ではもう3年も前の時点で民間企業出身の校長の指揮の下で、公立中学の立場にありながら学校が身勝手に選出した(?)一部の「できる子」とやらを対象に「夜スペ」と銘打って一種の“英才教育”を施し世間の物議を醸したものである。
確かに原左都子が子どもの頃とは、「できる子」なる言葉が大手を振ってまかり通っていた時代だった。
「原左都子エッセイ集」開設直後の2007年9月のバックナンバー 「横並び教育の所産」 においても既述しているが、私の小学生時代には学校の物事のすべてが「できる子」中心に執り行われていたものである。 この場合の「できる子」の意味合いとは至って単純で“お勉強のできる子”という馬鹿さ加減なのであるが、要するにたかが小学校レベルでの学習習熟度の高い子ども達が、学校におけるあらゆる活動において重宝されていたのである。 実はこの原左都子も一応「できる子」に分類されていたようで、子供心に多方面で“いい思い”をしてきてた記憶があるのは事実だ。
ところが当時(“もやは戦後ではない”と言われた昭和30年代頃)の学校教育とは、単に学校現場や(失礼ながら教員たる資質が疑われるような)教員どもが自分が“使い易い”「できる子」に頼りつつ日々の教育を取り仕切るという、至って安直な発想から生じた生徒に対する評価で身勝手に「できる子」を選定しているに過ぎなかったものだ。 それはまた、今後将来に向けて育ち行くすべての子ども達の人権や将来性を否定するべく歪んだ産物に他ならなかったのである。
その後学校教育における時代が巡りめぐり、結果として経済力も教育力も低迷を続けざるを得ない程に国力が衰退した現在のこの国が、今後の国家発展のために学校教育において 「できる子」 を育成したい気持ちは分からなくもない。 だが決して国政たるもの過去の学校教育における思慮不足の過ちを繰り返さないで欲しいと祈りつつ、朝日新聞記事に目を通した原左都子である。
そうしたところ、上記1月4日付朝日新聞トップ記事を読んだ後に今回の朝日新聞記事を綴った記者が言わんとしている趣旨は原左都子なりに一応理解できたのである。
それでも私がこの記事の担当であるならば「できる子 伸ばせ」ではなく、「未来の科学者を育てよう!」 と題したであろう。 その方がよほど世の共感を得たであろうし、学校教育現場で本気で子どもの将来を考慮している人材からの反発を食らわずに済んだのではなかろうか。
要するに今回の記事は、「国際生物学オリンピック」で日本初の金メダルを受賞した高校生グループを取り上げ賞賛するのが趣旨の記事なのである。
朝日新聞トップ記事及び3面記事の内容の一部をここで紹介しよう。
戦後、日本の教育は全体の底上げに重きが置かれ「できる子」は逆に放っておかれた。それが「ゆとり教育」や学力低下が問題となったのを機に「できる子」の才能を伸ばす試みへのタブー視は薄まりつつある。文科省は高度な理数教育をする高校を全国で100校以上指定している。
(以下3面記事) 数学五輪メダリスト達は進路を聞かれると「東大に行きたい」と言う。ところがその多くは医学部志望だという。なぜならば親が数学では食っていかれないと言うからだそうだ。 (中略) 個々の研究室が極めて狭い領域の指導に偏り組織的な教育がなされていない現状だ。 米国ハーバード大学の試みによると、分野を問わず多様性のあるクラス編成をした方が「毎日が刺激的!」と答え活性化する学生が増えることが実証されている。科学分野の研究とは一つの見方やアプローチだけでは行き詰る。異分野の研究者と交じり合い新鮮な視点や手法があってこそ活性化する。
上記朝日新聞記事要約の前半部分に関しては、尚、異議申し立てしたい原左都子である。
戦後の日本の義務教育においては決して「底上げ」に重きが置かれてはいなかったと、その時代に児童生徒だった私は言い切れる思いだ。 かと言って「できる子」は学校がそれをうまく利用するだけで決してその才能を伸ばす教育も成されていなかったというのが、厳しい私論であるが日本の昭和の時代の貧弱な教育の実態だったのではなかろうか。(結局は家庭環境が豊かな子どものみが、その家庭力によってある程度の教育を受けられたというだけの話に過ぎないであろう。)
平成に入って文科省が「ゆとり教育」を全面に打ち出した時には、当時教員を退職し我が子を産んでまもない時期の原左都子にとって、どれ程我が国の教育行政の“進化”に感激したことであろう。 それも束の間、我が国の学校教育の現状は彷徨い続けるばかりである…
朝日新聞記事の後半部分に関しては、原左都子も大いに同意するのだ。(おそらく、前半部分と3面の後半部分を担当した記者が異なる人物なのであろう。)
結局は子ども本人が科学に興味を示しているにもかかわらず、世間知らずの親の立場としては「せっかく東大に入るならば偏差値が高い医学部に入った方が世間の聞こえもいいし、あなたも将来高収入を得られるじゃないの」とアドバイスすることになるのであろう。 そこには一切、親としての子どもの適性や夢に関する展望が欠落しているのである。
そんな中、ハーバード大学の分野を超えた多様性のあるクラス編成の試みは実にすばらしい!と言えるのだ。
最後に原左都子なりの結論を述べよう。
「できる子」とは一体誰なのか?
それは決して小中高でお勉強が出来て国際教科オリンピックで金メダルを取れるという表面的な現象に満足する子ではない。 そうではなく、視野が狭く軽薄な親どもや周囲の下手な干渉にもめげず、自分の意思を貫きつつ自分らしい人生を送れる潜在パワーを育成してきている子なのである。
「子ども達よ、がんばれ!!」
もう少し詳細に私の“嫌悪感”を説明すると、「できる子」と一言で言っても何ができるのかが問題であるはずだ。 全国紙である朝日新聞たるものが、国民の誤解を生みそうなこんな軽薄な表現の表題を一面トップに掲げて教育を語ってよいものなのか? と言ったところである。
これはあくまでも本文記事を読んでいない段階での私の感想なのだが、新年早々教育関連記事を名立たる新聞が一面トップに持ってくること自体にそもそも意表をつかれる思いだ。 まさかとは思うが新政権の文科省が本年の学校教育課題として“「できる子」を伸ばす”ことを第一義に掲げ、それを新年早々国民に吹聴するようメディアに裏で指示でもしているのであろうか??
そう言えば近頃の義務教育においては、既に「ゆとり教育」が見直される方向にあると言われて以降何年か経過している。
一例として東京都杉並区立和田中学ではもう3年も前の時点で民間企業出身の校長の指揮の下で、公立中学の立場にありながら学校が身勝手に選出した(?)一部の「できる子」とやらを対象に「夜スペ」と銘打って一種の“英才教育”を施し世間の物議を醸したものである。
確かに原左都子が子どもの頃とは、「できる子」なる言葉が大手を振ってまかり通っていた時代だった。
「原左都子エッセイ集」開設直後の2007年9月のバックナンバー 「横並び教育の所産」 においても既述しているが、私の小学生時代には学校の物事のすべてが「できる子」中心に執り行われていたものである。 この場合の「できる子」の意味合いとは至って単純で“お勉強のできる子”という馬鹿さ加減なのであるが、要するにたかが小学校レベルでの学習習熟度の高い子ども達が、学校におけるあらゆる活動において重宝されていたのである。 実はこの原左都子も一応「できる子」に分類されていたようで、子供心に多方面で“いい思い”をしてきてた記憶があるのは事実だ。
ところが当時(“もやは戦後ではない”と言われた昭和30年代頃)の学校教育とは、単に学校現場や(失礼ながら教員たる資質が疑われるような)教員どもが自分が“使い易い”「できる子」に頼りつつ日々の教育を取り仕切るという、至って安直な発想から生じた生徒に対する評価で身勝手に「できる子」を選定しているに過ぎなかったものだ。 それはまた、今後将来に向けて育ち行くすべての子ども達の人権や将来性を否定するべく歪んだ産物に他ならなかったのである。
その後学校教育における時代が巡りめぐり、結果として経済力も教育力も低迷を続けざるを得ない程に国力が衰退した現在のこの国が、今後の国家発展のために学校教育において 「できる子」 を育成したい気持ちは分からなくもない。 だが決して国政たるもの過去の学校教育における思慮不足の過ちを繰り返さないで欲しいと祈りつつ、朝日新聞記事に目を通した原左都子である。
そうしたところ、上記1月4日付朝日新聞トップ記事を読んだ後に今回の朝日新聞記事を綴った記者が言わんとしている趣旨は原左都子なりに一応理解できたのである。
それでも私がこの記事の担当であるならば「できる子 伸ばせ」ではなく、「未来の科学者を育てよう!」 と題したであろう。 その方がよほど世の共感を得たであろうし、学校教育現場で本気で子どもの将来を考慮している人材からの反発を食らわずに済んだのではなかろうか。
要するに今回の記事は、「国際生物学オリンピック」で日本初の金メダルを受賞した高校生グループを取り上げ賞賛するのが趣旨の記事なのである。
朝日新聞トップ記事及び3面記事の内容の一部をここで紹介しよう。
戦後、日本の教育は全体の底上げに重きが置かれ「できる子」は逆に放っておかれた。それが「ゆとり教育」や学力低下が問題となったのを機に「できる子」の才能を伸ばす試みへのタブー視は薄まりつつある。文科省は高度な理数教育をする高校を全国で100校以上指定している。
(以下3面記事) 数学五輪メダリスト達は進路を聞かれると「東大に行きたい」と言う。ところがその多くは医学部志望だという。なぜならば親が数学では食っていかれないと言うからだそうだ。 (中略) 個々の研究室が極めて狭い領域の指導に偏り組織的な教育がなされていない現状だ。 米国ハーバード大学の試みによると、分野を問わず多様性のあるクラス編成をした方が「毎日が刺激的!」と答え活性化する学生が増えることが実証されている。科学分野の研究とは一つの見方やアプローチだけでは行き詰る。異分野の研究者と交じり合い新鮮な視点や手法があってこそ活性化する。
上記朝日新聞記事要約の前半部分に関しては、尚、異議申し立てしたい原左都子である。
戦後の日本の義務教育においては決して「底上げ」に重きが置かれてはいなかったと、その時代に児童生徒だった私は言い切れる思いだ。 かと言って「できる子」は学校がそれをうまく利用するだけで決してその才能を伸ばす教育も成されていなかったというのが、厳しい私論であるが日本の昭和の時代の貧弱な教育の実態だったのではなかろうか。(結局は家庭環境が豊かな子どものみが、その家庭力によってある程度の教育を受けられたというだけの話に過ぎないであろう。)
平成に入って文科省が「ゆとり教育」を全面に打ち出した時には、当時教員を退職し我が子を産んでまもない時期の原左都子にとって、どれ程我が国の教育行政の“進化”に感激したことであろう。 それも束の間、我が国の学校教育の現状は彷徨い続けるばかりである…
朝日新聞記事の後半部分に関しては、原左都子も大いに同意するのだ。(おそらく、前半部分と3面の後半部分を担当した記者が異なる人物なのであろう。)
結局は子ども本人が科学に興味を示しているにもかかわらず、世間知らずの親の立場としては「せっかく東大に入るならば偏差値が高い医学部に入った方が世間の聞こえもいいし、あなたも将来高収入を得られるじゃないの」とアドバイスすることになるのであろう。 そこには一切、親としての子どもの適性や夢に関する展望が欠落しているのである。
そんな中、ハーバード大学の分野を超えた多様性のあるクラス編成の試みは実にすばらしい!と言えるのだ。
最後に原左都子なりの結論を述べよう。
「できる子」とは一体誰なのか?
それは決して小中高でお勉強が出来て国際教科オリンピックで金メダルを取れるという表面的な現象に満足する子ではない。 そうではなく、視野が狭く軽薄な親どもや周囲の下手な干渉にもめげず、自分の意思を貫きつつ自分らしい人生を送れる潜在パワーを育成してきている子なのである。
「子ども達よ、がんばれ!!」