3月に入って受験シーズンが終盤を向かえ、そろそろ学校の卒業式が行われる季節となっている。
つい先だって我が家においてもこの4月に高2になる我が娘と、来年度の大学受験予備校の申し込みコースの話し合いをしたばかりである。
そんな折に目にした17歳高校女生徒の新聞の投稿内容が、同世代の娘を持つ母として気掛かりである。
早速、朝日新聞3月1日「声」欄の女子高校2年生からの「親は子どもの背中を押して」と題する投書を以下に要約して紹介しよう。
私は現在高2で高校生活も残り1年である。これからどんな学校に進学してどんな仕事に就いて生きていくのか、そんな人生最大の決断をしようとしている今、私には乗り越えなくてはならない問題がある。 それは「自分のやりたい仕事」と「親がやらせたい仕事」の意見の食い違いである。私の夢は素敵な結婚式を提供するブライダルコーディネーターになることである。だが、親は公務員のような安定した仕事に就いて欲しいという。確かに娘に苦労をさせたくない、安定した職を、という親心も理解できるが、私は公務員になるより自分のやりたい仕事をしたい。最近は親を説得しようとしても全く聞く耳を持たない。 親だからと言って、子どもの人生まで選択する権利はないはずだし、子どもの人生の主役は子ども自身のはずだ。 自分の夢を追いかけて苦しくなった時にそっと背中を押してくれるような関係が、私の理想の親子像である。
上記投書を読んで驚いたのは、我が愚かな親の考え方と、数十年前に高校生だった娘の私に対して取った言動がこの投書者の親と瓜二つであることだ。
我が親も私の進路選択に際してまったく同様の事を言い続けていた。 「安定した職業選択をしろ」「一生一人で食べていけるような確かな才能を身に付けろ」 さらには、「できれば公務員になれ」「大学は地元の国立限定!」「私立大学など金をドブに捨てるようなものだから、行く必要はまったくない」等々等々… 黙って言わせておけば、未成年で世間知らずの娘をつかまえて好き勝手放題だったものだ。
当時まだまだ右も左もわからないまま親の希望に一応従順だった私は、親の指示に従って大学受験勉強と平行して高3の秋に「国家公務員初級試験」も「地方公務員採用試験」も受験し、難なく合格した。 (不思議なことに、県内有数の大学受験校だった我が高校の生徒にも、恐らく親が同様の考えだったのかと推測するのだが、共に公務員初級試験を受験する仲間が結構存在していたのである。) そしてまもなくあの悪名高き“社会保険庁”から面接通知が届いた時には、“糠喜び”の親が東京まで親子面接に同行すると言う。
私の場合、高校生時点ではこの投書者のごとくの将来の具体的な職業展望は残念ながら未だ描けずにいた。 ただ、公務員試験に合格してみて初めて私の脳裏で少し具体的になったことがある。 18歳というまだ子どもだと自己診断する自分が半年先に早くも就職して、“事務仕事”に明け暮れる近い未来の我が姿の影像だけはどうしても描けないことは明白だった。 とにかく、今は大学へ進学してさらなる専門性の高い学業に励み、その後に自分の職業選択をしたいという思いが強かった。
そこでその意思を我が親に伝え、“社会保険庁”の面接には一切行く気はないときっぱりと宣言した。 我が親は 「4年後に同等以上の職業に付ける保証はない」 「国家公務員になると結婚相手だって違ってくるのに…」 と地団太踏んで残念がりつつも、最終的には私の意向を尊重するに至ったのである。
さて、当時の我が親の思いが現在の私の生き様に如何なる影響力を及ぼしているのかについて、少し考察してみよう。
結局、その後大人になった私は親の希望通り専門性の高い職業分野の国家資格を取得した後に上京して自立し、その分野で活躍することとなる。 ある程度の経済力も身に付け(親の希望通り一人で生き抜く覚悟と共に)長~~い独身貴族を堪能してきたとも言える。
今振り返るに、あの時もしも“社会保険庁”の親子面接に合格して国家公務員になっていたとして、果たして私は日々単調な事務仕事に喜びを見出せていたのであろうか? あるいは、職場結婚で早期退職して官僚の奥さんにでもなって納得できていたのであろうか? どっちに転んでいたとしても、至って「つまならそう」な感覚しか抱けないと言うことは、少なくとも子どもが高校生時点での親の希望の押し付けは、私の場合は“不正解”であったという結論に達する。
最後に、「声」欄投稿者の女子高校生の苦悩に話を戻そう。
今は親となっている私であるが、上記のごとく我が親の勝手な思い込みに高校生時代を翻弄された我が身の反省から、我が子には自分の夢を叶える事を最優先するべく進路指導をしている。
現在は私が高校生の頃とは時代背景が大きく変容している。 この女子高校生の親の「安定性」志向が、今の時代においてどこまで保証されるのかに関しても危険性を伴っている現状であり、この親の浅はかとも言える希望に空虚感すら漂っている気もする。
投書の女子高生には次なる進学まで後1年の猶予期間がある。 その間に(今の時代背景すら把握できていなさそうな)親と、十分に話し合う機会を持ってはどうか。 それにより、既に具体的な進路を見定めている女子高生の未来に関する親子での合意が整うことを私は期待したい。
それでも尚この期に及んで娘の描く夢よりも、保証のない「安定性」を愚かな親が優先しようとするならば、そんな時代錯誤の親はとっとと切り捨てて思い切って家を出よう。
17歳にして既に具体的な夢を描けているあなたの未来は、必ずや明るいと原左都子には実感できるのだ。 親とは実に勝手な生き物で、その分野で近い将来頭角を現し始めるあなたを見たならば、遅ればせながらあなたの背中を押し始めるかもしれないよ。
それが証拠に我が愚かな親など、自分自身が定年まで歩んだ公務員という道のひと昔前の時代の「安定性」にどっぷりと浸ったが故に、娘にまで無責任にその道を強要して結局は娘に愛想を尽かされる結果となった。 そのくせ、そんな親に反発して郷里を出て上京以来大人に成長して自分が信じる道を自らの専門力により培い、経済力というバックグラウンドも伴って歩み続けている娘である私に、何十年来精神面でぞっこんおんぶし続けているのだから、親とは何とも身勝手なものよ…
つい先だって我が家においてもこの4月に高2になる我が娘と、来年度の大学受験予備校の申し込みコースの話し合いをしたばかりである。
そんな折に目にした17歳高校女生徒の新聞の投稿内容が、同世代の娘を持つ母として気掛かりである。
早速、朝日新聞3月1日「声」欄の女子高校2年生からの「親は子どもの背中を押して」と題する投書を以下に要約して紹介しよう。
私は現在高2で高校生活も残り1年である。これからどんな学校に進学してどんな仕事に就いて生きていくのか、そんな人生最大の決断をしようとしている今、私には乗り越えなくてはならない問題がある。 それは「自分のやりたい仕事」と「親がやらせたい仕事」の意見の食い違いである。私の夢は素敵な結婚式を提供するブライダルコーディネーターになることである。だが、親は公務員のような安定した仕事に就いて欲しいという。確かに娘に苦労をさせたくない、安定した職を、という親心も理解できるが、私は公務員になるより自分のやりたい仕事をしたい。最近は親を説得しようとしても全く聞く耳を持たない。 親だからと言って、子どもの人生まで選択する権利はないはずだし、子どもの人生の主役は子ども自身のはずだ。 自分の夢を追いかけて苦しくなった時にそっと背中を押してくれるような関係が、私の理想の親子像である。
上記投書を読んで驚いたのは、我が愚かな親の考え方と、数十年前に高校生だった娘の私に対して取った言動がこの投書者の親と瓜二つであることだ。
我が親も私の進路選択に際してまったく同様の事を言い続けていた。 「安定した職業選択をしろ」「一生一人で食べていけるような確かな才能を身に付けろ」 さらには、「できれば公務員になれ」「大学は地元の国立限定!」「私立大学など金をドブに捨てるようなものだから、行く必要はまったくない」等々等々… 黙って言わせておけば、未成年で世間知らずの娘をつかまえて好き勝手放題だったものだ。
当時まだまだ右も左もわからないまま親の希望に一応従順だった私は、親の指示に従って大学受験勉強と平行して高3の秋に「国家公務員初級試験」も「地方公務員採用試験」も受験し、難なく合格した。 (不思議なことに、県内有数の大学受験校だった我が高校の生徒にも、恐らく親が同様の考えだったのかと推測するのだが、共に公務員初級試験を受験する仲間が結構存在していたのである。) そしてまもなくあの悪名高き“社会保険庁”から面接通知が届いた時には、“糠喜び”の親が東京まで親子面接に同行すると言う。
私の場合、高校生時点ではこの投書者のごとくの将来の具体的な職業展望は残念ながら未だ描けずにいた。 ただ、公務員試験に合格してみて初めて私の脳裏で少し具体的になったことがある。 18歳というまだ子どもだと自己診断する自分が半年先に早くも就職して、“事務仕事”に明け暮れる近い未来の我が姿の影像だけはどうしても描けないことは明白だった。 とにかく、今は大学へ進学してさらなる専門性の高い学業に励み、その後に自分の職業選択をしたいという思いが強かった。
そこでその意思を我が親に伝え、“社会保険庁”の面接には一切行く気はないときっぱりと宣言した。 我が親は 「4年後に同等以上の職業に付ける保証はない」 「国家公務員になると結婚相手だって違ってくるのに…」 と地団太踏んで残念がりつつも、最終的には私の意向を尊重するに至ったのである。
さて、当時の我が親の思いが現在の私の生き様に如何なる影響力を及ぼしているのかについて、少し考察してみよう。
結局、その後大人になった私は親の希望通り専門性の高い職業分野の国家資格を取得した後に上京して自立し、その分野で活躍することとなる。 ある程度の経済力も身に付け(親の希望通り一人で生き抜く覚悟と共に)長~~い独身貴族を堪能してきたとも言える。
今振り返るに、あの時もしも“社会保険庁”の親子面接に合格して国家公務員になっていたとして、果たして私は日々単調な事務仕事に喜びを見出せていたのであろうか? あるいは、職場結婚で早期退職して官僚の奥さんにでもなって納得できていたのであろうか? どっちに転んでいたとしても、至って「つまならそう」な感覚しか抱けないと言うことは、少なくとも子どもが高校生時点での親の希望の押し付けは、私の場合は“不正解”であったという結論に達する。
最後に、「声」欄投稿者の女子高校生の苦悩に話を戻そう。
今は親となっている私であるが、上記のごとく我が親の勝手な思い込みに高校生時代を翻弄された我が身の反省から、我が子には自分の夢を叶える事を最優先するべく進路指導をしている。
現在は私が高校生の頃とは時代背景が大きく変容している。 この女子高校生の親の「安定性」志向が、今の時代においてどこまで保証されるのかに関しても危険性を伴っている現状であり、この親の浅はかとも言える希望に空虚感すら漂っている気もする。
投書の女子高生には次なる進学まで後1年の猶予期間がある。 その間に(今の時代背景すら把握できていなさそうな)親と、十分に話し合う機会を持ってはどうか。 それにより、既に具体的な進路を見定めている女子高生の未来に関する親子での合意が整うことを私は期待したい。
それでも尚この期に及んで娘の描く夢よりも、保証のない「安定性」を愚かな親が優先しようとするならば、そんな時代錯誤の親はとっとと切り捨てて思い切って家を出よう。
17歳にして既に具体的な夢を描けているあなたの未来は、必ずや明るいと原左都子には実感できるのだ。 親とは実に勝手な生き物で、その分野で近い将来頭角を現し始めるあなたを見たならば、遅ればせながらあなたの背中を押し始めるかもしれないよ。
それが証拠に我が愚かな親など、自分自身が定年まで歩んだ公務員という道のひと昔前の時代の「安定性」にどっぷりと浸ったが故に、娘にまで無責任にその道を強要して結局は娘に愛想を尽かされる結果となった。 そのくせ、そんな親に反発して郷里を出て上京以来大人に成長して自分が信じる道を自らの専門力により培い、経済力というバックグラウンドも伴って歩み続けている娘である私に、何十年来精神面でぞっこんおんぶし続けているのだから、親とは何とも身勝手なものよ…