原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

人脈とは時に“足かせ”になる

2010年03月10日 | 時事論評
 民主党内の度重なる「政治とカネ」問題に党は一体いつ決着をつけるのか、あるいは、どうせ馬鹿な国民が夏の参院選までに忘れ去るだろうと高をくくってこのまま放置を決め込むつもりなのかとイラついていたところ、少し明るい兆しが見えたような気がする報道を目にした。
 昨日(3月9日)NHKテレビの昼のニュースを見聞していたところ、ついに前原国土交通省大臣の口から (私の記憶によると) “企業団体献金禁止の論議の如何にかかわらず、小沢氏は「政治とカネ」問題の責任を自らとって辞任するべき” との趣旨の見解を明言する影像が流れたのだ。
 
 以前にも、内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)の枝野氏が大臣就任の直前に街頭演説において同様の見解を公にしているが、枝野氏の大臣就任後はどういう訳か「政治とカネ」問題に対する見解が報道されないようだ。 枝野氏の見解に現在も変化がないのであれば、閣僚の立場となった今こそ、国民の前で今一度当時の街頭演説のごとく力強く小沢氏に辞任を迫って欲しいものである。

 民主党内の「政治とカネ」問題に対しては、野党につつかれる以前に当然ながら党内で自ら決着を付けるべき課題である。
 そういう意味では、今回の前原大臣の閣僚としての公の場面での発言は心強いものがあった。 「政治とカネ」問題の当事者である灰色幹部の“お飾り鳩山首相”や“独裁小沢氏”に操られる新政権など国民にとってはもはや“無用の長物”以外の何ものでもない。(北教組関連のあの地方選出議員もね。) “非小沢派”の民主党幹部が今後も中心となって灰色議員を排除しつつ、是非ともクリーンな新政権を目指して欲しいものである。


 それにしても“小沢人脈”のみに頼って昨夏当選した(させられてしまった)“若輩小沢チルドレン議員達”は、「政治とカネ」問題で国民の支持を大幅に失いすっかり落ちぶれた新政権の下で、一体如何なる心境で議員としての日々を送っておられるのであろうか??
 彼らにとっては小沢氏の存在なくして現在の国会議員の地位などないことは当選当初より自覚できているのであろうが、一国民の立場で考察しても、灰色小沢氏の独裁下では自分の居場所などなく、肩身の狭い惨めな思いを味わっていることであろうと同情申し上げたくもなる。
 これに懲りて尚国会議員として生き残りたいのであれば、今後は“小沢人脈”から距離を置き、自らの国会議員としての生命を自らの力で繋ぎ止める力をつけるべく精進なさることをお勧めしよう。


 少し以前に、私が2年半に渡って無料で利用させていただいているこのgooブログのトップ画面において、 「教えて下さい 人脈の作り方」 云々の見出しを発見した。(タイトルが目に入っただけで、内容は一切読んでいないのだが)

 「人脈」とはその本来の意味は“人とのつながり”である。
 その意味の通り、「人脈」とは人間関係の一種であることは間違いないのだが、自然発生的に出来上がって来る交友関係等通常の人間関係の意味合いとは異質の存在であるように私は感じる。 そこには、どうやらそれを利用してうまく世渡りせんとする損得勘定を伴う利害関係や上下関係が陰を潜める、やや“不健全な”人間関係を想像してしまう私である。 (上記の“小沢人脈”により実力もないのに突然国会議員となってしまった小沢チルドレンに代表されるような、いわゆる“コネ”とか“縁故”とかね。)

 
 ここで少し私事を述べさせていただくと、私自身は“世渡り”“損得勘定”等の“しょぼい”観点で「人脈」にお世話になった経験は今までの人生において皆無と言える。

 私の30代での大学時代の指導教官のご思想が立派でいらっしゃった。
 「私は学生の就職先の紹介等は一切しない。それは個々人が自分自身で見つけるように。なぜならば自分の未来は自分で切り開くものであり、自由に未来を羽ばたいて欲しいと願っているからだ。 そういう個人的なことに他者が関与するべきでないと考えているし、紹介した後々のトラブルも避けたい気持ちが強い。 皆さんが自分で見つけた就職先や進学先に“推薦書”が必要な場合はそれは書きます。 ただし、まず自分で“自己推薦書”を書いて持参すること。それを見せてもらってから推薦書の内容を双方で協議しましょう。」

 私も他大学の大学院受験に際して、この指導教官に“推薦書”作成をお世話になったことがある。 この推薦書が文字数にしておそらく1200字程と結構な長さだったのだが、教官の指示通り“自己推薦書”をその文字数にまとめて教官室まで持参した。 私の“自己推薦書”をじっくりと読んだ指導教官が感心して唸ってくれたのをよく憶えている。「自己分析力がすばらしいし、このまま推薦書として提出するに値する文章力ですね!」 そしてその場で内容の一部を訂正しつつ、私の推薦書を手書きで仕上げて下さったのだ。 (結局私はこの他大学大学院の受験に自らの力が及ばず不合格となり、せっかくの教官手書きの推薦書を無駄にして申し訳なかったのだが…)


 いや、それにしても“世渡り”“損得勘定”が絡む「人脈」とは、それを利用する側、される側双方にとって鬱陶しいだけの存在でしかないという結論が、真っ当に生きている人々の間では導かれて当然なのではなかろうか?
 上記私事の事例の“大学院受験の推薦書”など、提出を強制されているからやむを得なかったと言えども、ご多忙な教官のお手を煩わせただけで結局無駄となってしまったことを今尚大いに申し訳なく思う私である…。
 逆バージョンももちろん考察できる。 この就職難の時代に(縁故等の)「人脈」に頼ってやっとこさ就職できたけれど、その職場や仕事内容が自分に合わないから辞めたいのに「人脈」に頼ったが故に身動きできない…  そんな付随的な要因にがんじがらめになっていたのでは、自分の先々の人生展開も危ぶまれるというものであろう。

 「小沢人脈」のみに頼って何の力もないのに軽々しく立候補して昨夏当選して“しまった”小沢チルドレン衆院議員達が新政権発足後の小沢独裁に耐え忍んできた今現在、どのような心境で「政治とカネ」問題や新政権への国民よりの支持率低迷状況を捉えているのか、 何だかその惨めさが身に滲みる思いもするよねえ、国民の皆さん……。
       
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