原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

死して尚息づく母の思い

2010年03月01日 | 人間関係
 バンクーバーオリンピックは本日(日本時間3月1日)閉会式が行われ、2週間に渡る4年に一度の世界最大のスポーツの祭典は幕を閉じた。

 今回のオリンピックにおいては、開幕前のリュージュ競技の練習中に死者が出る等の悲しい事故もあった。

 そんな中今回のオリンピックにおいて私が一番心を痛めたのは、競技には直接関係ない話題で恐縮なのだが、女子フィギュアスケートカナダ代表のジョアニー・ロシェット選手のお母上が娘のショートプログラム本番の2日前に急死したという訃報に対してであった。

 この訃報は様々な意味合いで我が身と重複するのだ。
 まず、ロシェット選手のお母上と私は同年代である。 そして、我が娘はまだ16歳ではあるが、このお母上同様に年頃の娘を持つ母親でもある。 

 ロシェット選手のお母上の死因が心臓発作による突然死であったところが悲劇の度合いを強調していて、何とも無念である。 五輪開催国の国民の期待を一身に背負って大舞台に立つ娘の心情を思うと、母としては何個心臓があっても足りないであろうと我が身につまされる思いだ。


 私事になるが、この私も心臓発作による突然死の危険要因を遺伝子的に抱えていると言える。 我が父を含めて父系の血縁の3人の叔父が40代~60代の若さで急性心筋梗塞で突然死しているという、バリバリの“突然死”家系なのである。 それ故に、この身にたまに不整脈等の症状が出現すると、“突然死適齢期”真っ最中の現在において一瞬我が脳裏に“突然死”の風景が交錯するのだ。

 実は(日本時間)24日の五輪女子フィギュアショートプログラムをテレビで観戦していた最中にも、不整脈症状が出現してしまった。 この時の不整脈の最大の原因は、真央・ヨナ対決を見届けんとして心理的に興奮状態にあったことが引き金になっていたものと自己診断するのだが、折りしもこの症状がロシェット選手のお母上の訃報報道と重なった。 心臓とは心理面で不安を煽るほど鼓動が激しくなるものなのだが、我も明日は“突然死”かとの危機感を抱えつつも、持ち前の精神力で五輪ショートプログラムはテレビで完全制覇した。

 夜になって、やはりフィギュアスケートファンである娘と共にショートプログラムのハイライトをテレビで観戦しつつ、ロシェット選手のお母上の訃報を引き合いに出して私は娘に切々と告げた。
 「人間の命とはわからないもので、この母(私のこと)とていつ急死するやもしれない。 ロシェット選手は自国開催の五輪の大舞台の直前に、幼少の頃からずっとフィギュアスケーターとしての自分を支え続けてくれていたお母上が急逝というとてつもない不幸に見舞われたにもかかわらず、ショートプログラムにおいて完璧な演技を全う出来たことに、母は感服の至りである。 あなたにもそうであって欲しい。 例えばの話が、もし大学受験の直前に母が急逝したとしても、あなたはあなたのベストを尽くすことに集中しなさい。」
 我が子幼少の頃より“お抱え家庭教師”として君臨し続けている母である私の絶大な影響力を受けつつ育ち、有難くもその成果を今は我が物として成長している娘にとって、母のこの話はロシェット選手の活躍と相俟って身に滲みた様子である。


 今回の五輪女子フィギュアにおけるカナダ代表ロシェット選手の銅メダル獲得に関して、不信感を提言する世論が横行している模様である。
 これに関して、今回の五輪の男女フィギュア競技を隅々まで堪能してその採点基準をある程度把握した原左都子より、ロシェット選手の銅メダルが“不透明”ではない根拠についてここで少し説明しておこう。

 ロシェット選手とは五輪直前の2009年世界選手権において2位に位置する程、元々実力のある選手である。 遡って4年前のトリノ五輪でも5位の実績を打ち立てていると同時に、数年来に渡り世界の名立たる大会において上位をキープし続ける実績をあげている。 その背景には3回転ジャンプの数種類を難なくこなす等々の確固たる実力が元々ある選手なのだ。
 例えば、今回のフリーにおいても冒頭で3回転の2連続ジャンプを綺麗に決めているし、点数が加算されるプログラムの最後の方でも3回転ジャンプを難なく成功させている。
 今回の五輪の試合を観戦した日本人がロシェット選手との比較対象として出しているのは5位になった安藤美姫選手であるようだが、残念ながら安藤選手はショートもフリーも3回転の2連続を飛ばず終いである。 私論は特に安藤選手の表情面で豊かさに欠ける欠陥(いつ見ても泣きそうで自信なげな表情をしている)を指摘したい思いもあるが、それ以外の芸術表現等の要素においても、安藤選手は5位で妥当か、安藤ファンには大変申し訳ないがそれ以下だったのかと結論付けるのだが…。
 (私論は、むしろ米国代表で4位に入った長洲未来選手とロシェット選手との順位差がどうだったのかという考察をしてみたりもするのだが、これに関しても表現力の印象面の観点からやはりロシェット選手が大幅に上回っていたと結論付ける。)
 故に、バンクーバー五輪におけるロシェット選手の銅メダルは至って妥当なのである。


 それにしても、ロシェット選手はよくぞまあ、突然のお母上の不幸にもかかわらず今回の五輪の最後まで強靭な精神力を世界に披露できたものである。
 その根底には急逝したお母上の幼少の頃よりの偉大な教えが、ロシェット選手の確かな支えとして存在していたとの報道である。
 「何があっても自分のやるべき事を貫きなさい。 自分のためにフィギュアスケートを成し遂げなさい。」

 世界的祭典である五輪の舞台に娘を自らの急死直後に毅然と立たせる力を与え、尋常ではない集中力でメダルを獲得させたロシェット選手のお母上たる役割の偉業が、私には重々身に滲みる思いである。
 原左都子が娘に捧げる願いも、ロシェット選手のお母上とまったく同様である。
 我が娘にもいつ何時何が起きようと強靭な意志を持って自分のやるべき事を貫いて欲しいし、自分自身のために自らの目標を成し遂げて欲しいものである。
                       
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