文科省が教員免許更新制を2010年限りで廃止し、それに代わる教員の質向上策として教員養成課程を6年制にすることを検討し始めている。
この「教員養成6年制」は民主党がマニフェストで掲げた政策であり、学部の4年だけでなく大学院修士課程もセットで義務づけ、手厚い体制で教師を育てようとするものである。
この「6年制」の背景としては、世の中が複雑になって子どもへの対処や学校運営が難しくなっていることや、大学院修了という肩書が保護者や子どもへの「箔づけ」になるという考えが教育関係者の間であるらしい故だそうなのだ。
民主党の某国会議員は、「先生が先生というだけでは尊敬されない時代になった。うつになる人も多い。修士をとってもらってきちんと育てる必要がある。」と力説しているとのことである。
この新政権による「教員養成6年制」マニフェスト政策には、一般社会より既に様々な懸念点が上げられている。
6年制に伴う学生の学費負担増加の問題や、それに伴う志願者の減少問題、あるいは「教師の仕事は忙しい割には収入がさほど多くないため、魅力を感じる人が少なくなる」との見方もある。
(以上、朝日新聞11月21日記事より要約引用)
それでは、修士の学位を取得し高校教員経験もある私の立場から私論を述べさせていただくことにしよう。
「教員養成6年制」移行への新政権のマニフェストの考え方のお粗末さ加減に、辟易とさせられるばかりの私である。
“世の中が複雑になって子どもへの対処や学校運営が難しくなっている”との部分に関しては同意するが、その対策として、“大学院修了という肩書が保護者や子どもへの「箔づけ」になる”とは一体どうしたことか? 新政権が本気でこのような発言をしているとすれば、その思考の旧態依然ぶりは国民に見限られて野党に成り下がった前政権よりもおぞましい限りである。
本来学位を取得することとは「箔づけ」目的ではないはずだ。 「箔づけ」などという軽薄な目的で学位を取得する人が多い現状ではあろうが、表立った目的がそうであってはならないし、そのような軽薄な目的がもたらす効用は“自己満足”でしかあり得ないのは当ブログの前々記事でも述べた通りである。 大学院を目指す以上は、あくまでも学問を極めるという正当な目的で学位取得に臨むべきである。
さらに、今となってはむしろ現実社会の方が学位取得者本人よりもずっと進化を遂げていて、真に実力社会が到来しつつある実感もある。 大学院の質の問題もあるが、希望さえすれば猫も杓子も入学できる大学院が溢れる時代と化している我が国の大学院事情の下で、元より学位が「箔づけ」たる価値を得るはずもない。 「先生が先生として尊敬されない」時代であるのは明らかな事実だが、「学位」などを売り物にして実力が伴わなければ、さらに教員が社会的信用を失うのみであるのは明白だ。
「箔づけ」よりも今後の教員養成制度が目指すべきは、教員としての真の「指導力」であろう。
そのために私論が掲げたいのは、まず第一に教員たるべく「適性」である。 これに関しては、やはり学校教育現場における「研修」が欠かせないのではなかろうか。
ここで私事を述べるが、私の場合は大学時代に高校中学2教科の教員免許を取得するべく教員養成課程の科目取得に臨んでいる。 その教員養成過程制度の下で一番印象が強いのが、何と言っても当時は2週間だった学校現場での「教育実習」である。
実はそれまで中高生との接触など一切ない環境で暮らしていた私にとって、教職免許取得を目指している割には自分が教員としての適性などないのではないかとの懸念もあった。 ところが、あの「教育実習」の2週間は私にとって大いにインパクトがあったのだ。何とまあ、実習先の高校生達が人間味に溢れていて可愛らしいこと、この上ないのだ。 生徒達から多くのパワーをもらえた2週間のあの経験があったからこそ、後々の私の高校教員生活の道程へと繋がったとも言える。
それにしても教員志望者にとって2週間の実習期間は極度に短い。
子どもの教育とは、人命を預かる医師の仕事に匹敵するほどに人間性の育成への影響力が強いことを鑑みると、医師に準ずるごとくの「研修制度」は設けるべきであろう。
今は野党に成り下がっている前政権において、教員の長期研修制度について議論されていたような記憶もある。 新政権においても、今後教員を目指す候補者に対して既に形骸化している陳腐な「学位取得」などではなく、将来の教員就業に向けて自分の適性を見て取れる「研修制度」こそを充実させるべきではなかろうか。
上記朝日新聞記事内に「教職の魅力づくりを」と題する某大学准教授のコメントがある。 その一部を以下に紹介しよう。
教員養成を6年化しても資質が向上する保証がなく、逆効果になる可能性が高い。大学側にも多額のコストがかかる。実習をどう指導するかも問題だ。ここ20年教員の免許法はほぼ毎年改正されているが、今必要なのは教職の魅力づくりと既設制度の中身の充実ではないのか。
新政権さん、旧態依然とした発想で教員の「箔づけ」などと言っていられた時代は当の昔に過ぎ去っていますよ。 表向きの一見斬新そうな改革で素直に右に倣う国民の“めくらませ”ばかりをしている場合ではなく、地道に教育の現状改革をして真摯に子ども達の明るい未来を育成していきませんか?
この「教員養成6年制」は民主党がマニフェストで掲げた政策であり、学部の4年だけでなく大学院修士課程もセットで義務づけ、手厚い体制で教師を育てようとするものである。
この「6年制」の背景としては、世の中が複雑になって子どもへの対処や学校運営が難しくなっていることや、大学院修了という肩書が保護者や子どもへの「箔づけ」になるという考えが教育関係者の間であるらしい故だそうなのだ。
民主党の某国会議員は、「先生が先生というだけでは尊敬されない時代になった。うつになる人も多い。修士をとってもらってきちんと育てる必要がある。」と力説しているとのことである。
この新政権による「教員養成6年制」マニフェスト政策には、一般社会より既に様々な懸念点が上げられている。
6年制に伴う学生の学費負担増加の問題や、それに伴う志願者の減少問題、あるいは「教師の仕事は忙しい割には収入がさほど多くないため、魅力を感じる人が少なくなる」との見方もある。
(以上、朝日新聞11月21日記事より要約引用)
それでは、修士の学位を取得し高校教員経験もある私の立場から私論を述べさせていただくことにしよう。
「教員養成6年制」移行への新政権のマニフェストの考え方のお粗末さ加減に、辟易とさせられるばかりの私である。
“世の中が複雑になって子どもへの対処や学校運営が難しくなっている”との部分に関しては同意するが、その対策として、“大学院修了という肩書が保護者や子どもへの「箔づけ」になる”とは一体どうしたことか? 新政権が本気でこのような発言をしているとすれば、その思考の旧態依然ぶりは国民に見限られて野党に成り下がった前政権よりもおぞましい限りである。
本来学位を取得することとは「箔づけ」目的ではないはずだ。 「箔づけ」などという軽薄な目的で学位を取得する人が多い現状ではあろうが、表立った目的がそうであってはならないし、そのような軽薄な目的がもたらす効用は“自己満足”でしかあり得ないのは当ブログの前々記事でも述べた通りである。 大学院を目指す以上は、あくまでも学問を極めるという正当な目的で学位取得に臨むべきである。
さらに、今となってはむしろ現実社会の方が学位取得者本人よりもずっと進化を遂げていて、真に実力社会が到来しつつある実感もある。 大学院の質の問題もあるが、希望さえすれば猫も杓子も入学できる大学院が溢れる時代と化している我が国の大学院事情の下で、元より学位が「箔づけ」たる価値を得るはずもない。 「先生が先生として尊敬されない」時代であるのは明らかな事実だが、「学位」などを売り物にして実力が伴わなければ、さらに教員が社会的信用を失うのみであるのは明白だ。
「箔づけ」よりも今後の教員養成制度が目指すべきは、教員としての真の「指導力」であろう。
そのために私論が掲げたいのは、まず第一に教員たるべく「適性」である。 これに関しては、やはり学校教育現場における「研修」が欠かせないのではなかろうか。
ここで私事を述べるが、私の場合は大学時代に高校中学2教科の教員免許を取得するべく教員養成課程の科目取得に臨んでいる。 その教員養成過程制度の下で一番印象が強いのが、何と言っても当時は2週間だった学校現場での「教育実習」である。
実はそれまで中高生との接触など一切ない環境で暮らしていた私にとって、教職免許取得を目指している割には自分が教員としての適性などないのではないかとの懸念もあった。 ところが、あの「教育実習」の2週間は私にとって大いにインパクトがあったのだ。何とまあ、実習先の高校生達が人間味に溢れていて可愛らしいこと、この上ないのだ。 生徒達から多くのパワーをもらえた2週間のあの経験があったからこそ、後々の私の高校教員生活の道程へと繋がったとも言える。
それにしても教員志望者にとって2週間の実習期間は極度に短い。
子どもの教育とは、人命を預かる医師の仕事に匹敵するほどに人間性の育成への影響力が強いことを鑑みると、医師に準ずるごとくの「研修制度」は設けるべきであろう。
今は野党に成り下がっている前政権において、教員の長期研修制度について議論されていたような記憶もある。 新政権においても、今後教員を目指す候補者に対して既に形骸化している陳腐な「学位取得」などではなく、将来の教員就業に向けて自分の適性を見て取れる「研修制度」こそを充実させるべきではなかろうか。
上記朝日新聞記事内に「教職の魅力づくりを」と題する某大学准教授のコメントがある。 その一部を以下に紹介しよう。
教員養成を6年化しても資質が向上する保証がなく、逆効果になる可能性が高い。大学側にも多額のコストがかかる。実習をどう指導するかも問題だ。ここ20年教員の免許法はほぼ毎年改正されているが、今必要なのは教職の魅力づくりと既設制度の中身の充実ではないのか。
新政権さん、旧態依然とした発想で教員の「箔づけ」などと言っていられた時代は当の昔に過ぎ去っていますよ。 表向きの一見斬新そうな改革で素直に右に倣う国民の“めくらませ”ばかりをしている場合ではなく、地道に教育の現状改革をして真摯に子ども達の明るい未来を育成していきませんか?