慌しい一週間を送り、久しぶりに腰を落ち着けて我がブログの記事作成画面に向かう時間を取ることができた私である。
5日前に公開した前回の記事 「“老いらくの恋”の顛末」 のコメント欄において、記事のテーマからはずれるが、老後の我が人生の送り方についての展望などを少々述べさせていただいた。
高齢出産ゆえに老齢に向かいつつある今尚、子育て真っ最中の日々を余儀なくされている私である。 子どもを一人前に育て上げ親としての役目を全うした暁には、我が全霊を傾けられるような何らかのまとまった事柄に集中して取り組み、まだまだ実りある日々を送りたい旨の我が密やかな夢の序章を前記事のコメント欄において呟かせていただいたところである。
そんな折、本日(11月14日)の朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”に掲載された悩みの相談内容の、周囲を慮ることなく自己満足の世界にどっぷり漬かっているがごとくの、子育て中女性の“軽薄”とも受け取れる“多動行動三昧”の様子に首をかしげてしまった私である。
早速、50歳女性による「貪欲、前進欲で身が持ちません」と題する上記相談を以下に要約して紹介しよう。
仕事、学生、子育ての三つのわらじを履く50歳の女性であるが、3人の子どもを育てながら医療系の専門職で正社員として働き、50歳を目前に大学に編入しヒーヒーいいながら生活している。どう考えても破綻しそうな生活だが、まだまだやりたいことが山ほどあるし、大学院へも進学したい。 仕事ではいろいろなアイデアが出て仕事量が増えるばかりで、専門分野をベースにした会社を起こし、いつかは中学レベルの英語力も克服して自分の仕事の一部を海外の人にも紹介したいと思っている。 腰を落ち着けて一つのことに取り組む人が羨ましく感じつつも、頭の中でいろいろひらめいてしまう。大学の卒論提出もせまっているが、次々と「やりたい事が出てくる病」は治らない。 「貪欲、前進欲」に苦しむ「肉食おばさん」は、今後どういうふうに考えればよいのか。
私論に入ろう。
この相談女性を取り巻く諸環境が自分の好き放題生きられるごとく万全に整っているのであれば、好きになさって一生を全うされたらよいのではと、とりあえずは申し上げたい。
この相談のみでは相談女性の行動パターンは把握できても、その日々の“頑張り”がもたらす成果やご自身の満足度や周囲への貢献度の程は不明である。
もしかしたらこの女性は、日々の生活が破綻する程忙しい割には、実はその忙しさがもたらす収穫や満足感を得られていないのではなかろうか?? あるいは自身が設定した課題の“目標達成評価”を怠っているが故に、何らのプラスのフィードバック感もないまま、次から次へと多動行動に走らざるを得ないのではないかとも懸念する。 もしも、自分なりに自己の目標課題行動に対する達成感が得られているならば、あえてこのような悩みの相談を新聞に投稿しようなどとの発想もない程に充実した日々であるはずだ。
この相談女性の50歳までの生育歴や人生の歩み等のバックグラウンドがまったく不明であるため、容易には物申せない。
その上で多少気にかかるのは、もしかしたら生来的に“多動性行動”に走る傾向にある人物なのではないかという点である。 本人がおっしゃるように、本心から“一つのことに取り組む人を見ると羨ましく感じる”にもかかわらず自分自身を制御できず多動行動に走っているとすれば、それは先天的な要因であるのかもしれない。 (そうであるとするならば医学的観点から話が多少厄介となるため、今回は“スルー”させていただき、そうではないことを前提に私論を進めよう。)
相談女性と同じく子育て中である私が一番気にかかる点は、その女性の3人の子ども達との普段のかかわりである。 医療関係の専門職の正社員として働きつつの大学生ということはおそらく夜間大学へ通っているのであろうが、一体全体3人の子ども達といつ親子のかかわりを持っているのであろうか? この辺に関しての記載が相談内にまったく見当たらないのだが、これはどう考察しても3人の子ども達が“なおざり”にされている日常を想像するしかない。 はたまた、ご亭主とは日頃どのような関係が築かれているのかもまったく把握できない。
相談女性は確かにある意味で“貪欲”なのかもしれないが、この種の多動行動が決して“前進欲”とは言えないにもかかわらず、本人がその言葉で自己を表現して自己肯定しようとしている辺りも大いに気にかかる。
こんな多忙な状況下で、子育て中の子ども達(年齢は不明だが)と普段いつ会話して、母親としていかなる子ども達の未来を描いているのであろうか?
自称「肉食おばさん」に提言したいのだが、もし貴女が“先天的多動性気質”(医療がご専門とのことですから、ご自身である程度自己診断出来ますよね??)の持ち主ではない限り、とりあえずは子育て中の子どもさん達と十分なかかわりを持つ事に重点を置きつつその成長を願ってはいかがであろうか?
その上で尚余力があるようならば、今後あくまでも「自己責任」の下でさらなるチャレンジに突き進めばよいであろう。
お互いに少なくとも一番身近な子どもをはじめ周辺の他者とのかかわりを尊重しつつ、ビジョンを明確にして納得いくまで“前進”しませんか。
5日前に公開した前回の記事 「“老いらくの恋”の顛末」 のコメント欄において、記事のテーマからはずれるが、老後の我が人生の送り方についての展望などを少々述べさせていただいた。
高齢出産ゆえに老齢に向かいつつある今尚、子育て真っ最中の日々を余儀なくされている私である。 子どもを一人前に育て上げ親としての役目を全うした暁には、我が全霊を傾けられるような何らかのまとまった事柄に集中して取り組み、まだまだ実りある日々を送りたい旨の我が密やかな夢の序章を前記事のコメント欄において呟かせていただいたところである。
そんな折、本日(11月14日)の朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”に掲載された悩みの相談内容の、周囲を慮ることなく自己満足の世界にどっぷり漬かっているがごとくの、子育て中女性の“軽薄”とも受け取れる“多動行動三昧”の様子に首をかしげてしまった私である。
早速、50歳女性による「貪欲、前進欲で身が持ちません」と題する上記相談を以下に要約して紹介しよう。
仕事、学生、子育ての三つのわらじを履く50歳の女性であるが、3人の子どもを育てながら医療系の専門職で正社員として働き、50歳を目前に大学に編入しヒーヒーいいながら生活している。どう考えても破綻しそうな生活だが、まだまだやりたいことが山ほどあるし、大学院へも進学したい。 仕事ではいろいろなアイデアが出て仕事量が増えるばかりで、専門分野をベースにした会社を起こし、いつかは中学レベルの英語力も克服して自分の仕事の一部を海外の人にも紹介したいと思っている。 腰を落ち着けて一つのことに取り組む人が羨ましく感じつつも、頭の中でいろいろひらめいてしまう。大学の卒論提出もせまっているが、次々と「やりたい事が出てくる病」は治らない。 「貪欲、前進欲」に苦しむ「肉食おばさん」は、今後どういうふうに考えればよいのか。
私論に入ろう。
この相談女性を取り巻く諸環境が自分の好き放題生きられるごとく万全に整っているのであれば、好きになさって一生を全うされたらよいのではと、とりあえずは申し上げたい。
この相談のみでは相談女性の行動パターンは把握できても、その日々の“頑張り”がもたらす成果やご自身の満足度や周囲への貢献度の程は不明である。
もしかしたらこの女性は、日々の生活が破綻する程忙しい割には、実はその忙しさがもたらす収穫や満足感を得られていないのではなかろうか?? あるいは自身が設定した課題の“目標達成評価”を怠っているが故に、何らのプラスのフィードバック感もないまま、次から次へと多動行動に走らざるを得ないのではないかとも懸念する。 もしも、自分なりに自己の目標課題行動に対する達成感が得られているならば、あえてこのような悩みの相談を新聞に投稿しようなどとの発想もない程に充実した日々であるはずだ。
この相談女性の50歳までの生育歴や人生の歩み等のバックグラウンドがまったく不明であるため、容易には物申せない。
その上で多少気にかかるのは、もしかしたら生来的に“多動性行動”に走る傾向にある人物なのではないかという点である。 本人がおっしゃるように、本心から“一つのことに取り組む人を見ると羨ましく感じる”にもかかわらず自分自身を制御できず多動行動に走っているとすれば、それは先天的な要因であるのかもしれない。 (そうであるとするならば医学的観点から話が多少厄介となるため、今回は“スルー”させていただき、そうではないことを前提に私論を進めよう。)
相談女性と同じく子育て中である私が一番気にかかる点は、その女性の3人の子ども達との普段のかかわりである。 医療関係の専門職の正社員として働きつつの大学生ということはおそらく夜間大学へ通っているのであろうが、一体全体3人の子ども達といつ親子のかかわりを持っているのであろうか? この辺に関しての記載が相談内にまったく見当たらないのだが、これはどう考察しても3人の子ども達が“なおざり”にされている日常を想像するしかない。 はたまた、ご亭主とは日頃どのような関係が築かれているのかもまったく把握できない。
相談女性は確かにある意味で“貪欲”なのかもしれないが、この種の多動行動が決して“前進欲”とは言えないにもかかわらず、本人がその言葉で自己を表現して自己肯定しようとしている辺りも大いに気にかかる。
こんな多忙な状況下で、子育て中の子ども達(年齢は不明だが)と普段いつ会話して、母親としていかなる子ども達の未来を描いているのであろうか?
自称「肉食おばさん」に提言したいのだが、もし貴女が“先天的多動性気質”(医療がご専門とのことですから、ご自身である程度自己診断出来ますよね??)の持ち主ではない限り、とりあえずは子育て中の子どもさん達と十分なかかわりを持つ事に重点を置きつつその成長を願ってはいかがであろうか?
その上で尚余力があるようならば、今後あくまでも「自己責任」の下でさらなるチャレンジに突き進めばよいであろう。
お互いに少なくとも一番身近な子どもをはじめ周辺の他者とのかかわりを尊重しつつ、ビジョンを明確にして納得いくまで“前進”しませんか。