原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

キャリアは不採用から始まる

2009年11月05日 | 仕事・就職
 「こんな会社に落とされるとは…」

 職員採用試験に不採用となり、上記のごとく (ここまでレベルを下げれば採用されると思っていたのに、こんな会社にさえ門前払いを食わされるのか…) と嘆く就職希望者が今の時代、世に溢れていることであろう。

 朝日新聞の生活面で現在「不採用にめげない」と題するシリーズ記事が掲載中なのであるが、11月2日の“シリーズ③”においても同様の嘆きの事例が取り上げられていた。
 その記事によると、55歳のある女性は「こんな会社でも落ちるなんて…。私って世間からいらない人?」と肩を落としている様子である。この女性は2月に派遣切りに遭って以降約50社に応募し、現在全敗状態とのことである。

 そうか~。 55歳にして果敢にも採用試験に挑んでいるんだなあ~。 この不況の真っ只中、若い世代の人でさえ超就職難の現状なのに、高齢者が就業を果たすのは“神がかり的”なのだろうなあ、と同情する私である。

 かく言う私も、当ブログのバックナンバー記事「就職活動悪戦記」において既述済なのだが、今から3年程前に就職活動に邁進した時期がある。 その時既に50の大台に乗った年齢である私が、子どもの中学受験のフォローを経て子どもを無事中学進学させたことをきっかけに、熟年にして再々々…就職目指して我が各種専門分野の採用試験を受け倒したものである。

 その3年程前まで医学関係の最先端の専門分野で(単にアルバイトの身分ではあったが)就業していた私は、まだまだ自分の専門力が社会に通用するはずだと信じて、あくまでも自分の専門を活かせる業務への就業に狙いを定め就職試験にチャレンジしたのである。 私の専門職種分野を大きく分類すると医学関係、教育関係の二つなのだが、それらの職種の経歴・資格等の応募条件を満たす求人に的を絞って応募したため、事前に履歴書を郵送した場合には、ほぼ100%の試験面接通知が届いたものである。
 当時は今ほどには経済不況が激しい時代ではなかった。とは言え、採用側は労働基準法をはじめとする雇用における法的規制の動きが厳しくなりつつある時代背景の下で、求人に際して決してそれに違反してまでも身勝手な雇用条件を前面には出さないものの、水面下では、特に“年齢制限”に関しては各事業所が確固とした基準を定めていることをこの私も実感させられたものである。 採用側が呈示した表向きの応募条件を応募者が満たしている以上とりあえずは来社させざるを得ないけれど、高齢者など最初から“お呼びでない”ため、何とか理由を付けて不採用に持ち込みはじき出そうとする言動が採用側に見え見えなのだ。(詳細はバックナンバー「就職活動悪戦記」を参照下さい。)
 それでも私は、今時の採用側の採用担当者の力量の程やその事業所のレベルをとくと拝見するのも一つの楽しみで、不採用となることを承知の上でいそいそと採用試験に出かけたものである。

 そんな中、雇用業界の観点から判断すると“高齢者”である私にも、採用通知を届けてくれる希少な事業所が当時複数存在したのだ。
 その一つが当ブログバックナンバーで紹介している「某学習教室フランチャイズ」大手業者であり、これに関しては結局自ら早期撤退を選択するに至った話も本ブログで既に公開済である。
 もう一つは某医学関係の事業所からいただいた採用通知であるのだが、実はこれに関しては面接時から採用されるであろうとの予感は私の方にもあった。 採用担当者が私の経歴や人となりを気に入ってくれた(??!)ことを“年の功”故に直感したのである。  面接後に実際の職場まで案内いただき、その場で私が担当するべく仕事の詳細に渡る説明まで伝授いただいたものだ。  ところが、そんな職場長の配慮は心よりうれしかったものの、実際の職場まで披露されたことが私にとって大きなプレッシャーとなってしまった。 医学方面におけるブランクを余儀なくされている私が、今となって人命を預かる専門性の高い仕事を真っ当にこなせるのであろうか?、との大いなる不安感が私の脳裏に過ぎってしまったのだ。 自己弁護以外の何ものでもないが、責任感が強靭な私はその旨正直に事業所に伝えて採用を辞退させていただく結論を導いたものである…。 (その失敗以降、もう二度と医学専門職の門戸をくぐることはない私である。)

 そんなこんなで、やはり“高齢者”とは様々な意味合いで職場にとって厄介で扱いにくい人材である事に“高齢者”の立場で同感している私である。


 私のような年寄りの話は二の次でいいとして、若い世代の皆さんにとっての職員採用試験の場においての“不採用”とは、今後の自らのキャリアを磨くまたとないチャンスであるのかもしれない。
 何度も“不採用”の経験を積み重ねる中で、採用側が何を欲しているのか、あるいは採用担当者やその主体である事業体の社会的ポジションや力量や職員採用の真意の程を見抜いていく場とすればいい。 そうすることにより自己が育んできているキャリアがさらに磨き抜かれて、たとえ歴史的不況の厳しい就職状況の下でも、今後自分自身から主体的に就業先や将来像を決定できる洞察力や決断力を磨けるかもしれない。


 “不採用”と“採用”の間には何の距離もないどころか、“不採用”経験こそが今後の長い人生における自らのキャリアを育てる試金石と成り得るであろう。
            
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