原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

偶然の再会

2008年01月14日 | 恋愛・男女関係
 大都会東京で暮らしていると、近所のスーパー等普段行き慣れた場所以外で偶然知人に出くわすということはまずない。この人口の多さから勘案して、知人に偶然出くわす可能性は確率的にもゼロに近いのではなかろうか。

 ところが、たまにこの偶然は起こるのである。

 個人的な話で恐縮だが、このブログの常連としてコメントを下さっている美術家のはるこ先生に池袋駅前の某資格取得学校の玄関前で偶然お会いしたことがある。税理士試験勉強のため私は週に何回かこの資格取得学校へ通っていたのであるが、私が学校の中に入ろうとしたところ、たまたま通りかかった女性がお声をかけて下さるのだ。池袋駅というと東京でも有数の大ターミナル駅である。はるこ先生は池袋駅近くにお住まいのため確率的には少し数値は上がるであろうが、それにしてもその偶然に私は驚いたものである。

 私は若かりし頃、“神がかり”としか表現できないようなこの偶然の再会を経験している。ある人物にこの大都会東京で何度も何度も偶然出くわすのだ。
 その人物とは私が20歳代後半にお付き合いをしていた男性なのであるが、決してどちらかがストーカーをしているという訳でもないのにあちこちで偶然会うのだ。冗談抜きで、デートの約束をする手間が省けるほど偶然会うのである。
 その理由は考えられる。駅はいくつも離れているのだが同じ沿線に住んでおり、勤務先も駅は異なるが同じ沿線、あちらの実家が私の住んでいる駅と偶然いっしょという風に、地理的な共通項がいくつもあったことが偶然会える確率を高めていたことは事実だ。必然的にその沿線で偶然会うことが多発する。
 例えば、私の自宅の最寄駅で偶然会う。あちらは実家に行こうとして下車したらしい。「じゃあ、お茶飲もうよ。」と言うことになる。 あるいは、電車に乗っているとあちらが同じドアから乗り込んでくる。これに関しては偶然性は高い。お互いの勤務時間帯がずれていたため、普段会うことはないからだ。たまたまどちらかが早かったり遅かったりするとこういうことも起こり得るのであろうが、10両以上ある電車の同じドアから乗り込んでくるというのも奇遇である。「じゃあ、いっしょに食事しようか。」という話になる。
 同じ沿線内ではともかく、大ターミナル駅新宿でもこの彼と偶然会ったことがある。新宿の高野ビル(今、まだあるのであろうか。)前は以前待ち合わせスポットとして有名だったのだが、ここで別の人物と待ち合わせをしていると、あちらも別の人物との待ち合わせで偶然会った。この時はお互いに別件の用で時間がなくデートはしなかったが。
 ふたりでこの偶然をよく驚き合ったものだ。「きっと、赤い糸で結ばれてるね。」なんて言いながら…。残念ながらそうではなかったようで、別れの日はいずれやってくるのであるが…。
 そしてこの彼と別れた後、別の男性とレストランで食事をしようとして入ったら、またそこでその彼に偶然出くわした。
 この話にはまだ続きがある。結局この偶然会う彼とは別れた後も友達としてたまに会ったりもしていた。
 30歳を過ぎて転居もし、お互いの生活環境も大きく変わり、この彼とは疎遠になっていた。そんな折、また偶然の再会が待ち受けていたのである。この偶然にはお互いに一番驚いたのであるが、今度は地下鉄丸の内線でのことである。前回の記事に書いたが私は丸ビルでの仕事帰り、東京駅から丸の内線を利用していた。乗り換えの都合上、いつも乗る車両のドアは決めドア付近で立つことにしていたのであるが、電車が次の銀座駅に着いたとき、な、なんとその彼が同じドアから乗り込んで来たのである。もう何年かぶりでの再会であった。あちらは、その日仕事の都合でたまたま丸の内線を利用したらしい。驚き合って、飲んで帰ろうということになり電車を降りた。
 それ以来何度か連絡があってお会いしたことがあるが、もう現在では連絡先も不明であり、偶然お会いすることもない。 もしかしたら、お互いに加齢のため風貌が変わってしまっていて偶然お会いしていても気付かないのかもしれないが。

 その後、どうなさっていますか?  
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