東京駅丸の内口駅前のビジネス街のビル群の中で最も駅近なのは丸ビルである。この丸ビル、2002年に建て替えられた後はビジネスビルとしてのみではなく、昨年建て替えられた隣の新丸ビルと共に、今や東京駅前最大の観光スポットとしてその名を轟かせている。
建て替えられて新しくなった丸ビルではなく、建替えのために壊されてしまった歴史的建造物時代の旧丸ビルに私は4年間勤めたことがある。普通、丸の内に勤務と言うとOLをイメージするが、私の場合丸ビルでOLをしていた訳ではない。(私の職歴は多岐に渡るが、OL経験は一切ない。) 旧丸ビルの存在は有名であるが、その丸ビルの最上階にレストランラウンジがあったことは一般に知られていないであろう。私は、このラウンジで夜ラウンジコンパニオンのアルバイトを4年間続けたのである。
私は30歳を過ぎて再び学生になり、修士取得までの6年間学業に励んだことについては、当ブログのバックナンバー「パーコン」で既に述べている。 繰り返すが、私は30歳を過ぎた頃、自らの意思でそれまで勤務した医学関係の民間企業を退職し学生になった。大学院修了までの6年間独り身で学業に励んだ訳であるが、自力で生計を立てつつ学業に没頭するためには、手っ取り早く稼げる仕事を選択するのが一番の方策であった。民間企業勤務中に単独で購入した分譲マンションの住宅ローンもまだほとんど未返済であった。 大学の長期休暇中にはそれまでの自分の専門の医学分野の人材派遣で集中的に稼ぎ、普段の土日祝日にはパーティコンパニオンやワープロのデモンストレーター等単発の仕事で収入を得、土日夜には家庭教師をし、そして平日夜には旧丸ビルのラウンジでラウンジコンパニオンをしていたという訳である。
パーコン(パーティコンパニオン)同様、当時は既にラウンジコンパニオンのアルバイトは私立女子大生の間ではそう珍しいことでもなかった。しかし、国公立の女子学生のアルバイトコンパニオンはやはりまだ希少な存在であった。したたかな私はそこを狙ったのも事実である。
そして、この丸ビルの最上階のラウンジは客層が丸ビル及び周辺ビルに勤務する会社帰りのサラリーマンの常連固定客ばかりである。(三菱ブループ企業のエリートサラリーマンがほとんどであった。) 当時はまだ個人情報をオープンにすることにより自己アピールをすることが一般的な時代で、客からのよくある質問が「アルバイトでしょ、どこの大学?」である。 国公立の学生であることを告げると一目置いてくれるというのか、とにかく客の受けがすこぶるいいのである。 断っておくが、ラウンジコンパニオンは着席はしない。あくまで立って歩きながら水割りを作ったり等のサービスなのであるが、客と二言三言程度の会話はする。「もし良かったら連絡して。」などと言って、名刺を手渡される事は日常茶飯事である。また、閉店時間が早く仕事の終了時間も20時30分(わずか2時間の仕事)と早い時間帯なのであるが、「下で待ってるから。」といって私の仕事終了を待っていてくれて飲みに連れて行ってくれる客もいたりする。(常連客ばかりだから安心。もちろん相手は選ぶよ。) とにかく時給はいいし3倍美味しい仕事であった。 人脈作りにはもってこいの仕事で、この仕事のお陰でよき相談相手や飲み友達に恵まれたものだ。この仕事を辞めた後も長年お世話になった方々も何人かいる。
ときどき、チップをいただけることもある。お断りするのであるが、まさかそれで引っ込める客はいない。そこで、そっと受け取る。大抵は千円札1枚なのであるがときどき五千円札の時もある。ロングドレスを着ているためポケットがない。このチップをどこに収めるかと言うと、先輩コンパニオンに教わったのだが、胸とブラジャーの隙間にすばやく挟み込むのである。
などと書くと不謹慎極まりない!とお怒りの方もいらっしゃるであろうが、その仕事内容は至って厳しい。とにかく客商売は忍耐力が勝負だ。当ブログのバックナンバーの記事「パーコン」でも既述しているが、コンパニオンの仕事には、“華”“気品”そして“おもてなしの心”が要求される。どんなに疲れていようが顔を塗りたくり、颯爽と姿勢を正し笑顔でいなくてはいけない。 片や客はお酒も入っているし、対応に苦慮した経験も数多い。それでも、お客様は神様である。失礼は許されない。
私にとってこの客商売経験(パーコン、その他も含めて)は自己の人格形成に大いに役立ち、人間の幅がさらに広がったと自負している。故に、こうやってあえてブログで公開しているのだ。
私は、このラウンジコンパニオンを3月まで経験した直後の4月から、高校教員として某公立高校へ赴任した。生徒指導上、この客商売経験がプラスに作用したことはいうまでもない。
今後の教員研修の中に客商売を盛り込み、教員を鍛えなおした方が良いのではないかと私は真剣に考えているほどである。
様々な職業経験をすることにより、人間は自分の幅を広げていくことができる。
それを短期間であるとはいえ自分自身の人生で実証してきた私が訴えるのであるが、どうか世間の皆さん、少なくともご自身の狭い見識で職業差別をすることはもう終わりにしませんか。
建て替えられて新しくなった丸ビルではなく、建替えのために壊されてしまった歴史的建造物時代の旧丸ビルに私は4年間勤めたことがある。普通、丸の内に勤務と言うとOLをイメージするが、私の場合丸ビルでOLをしていた訳ではない。(私の職歴は多岐に渡るが、OL経験は一切ない。) 旧丸ビルの存在は有名であるが、その丸ビルの最上階にレストランラウンジがあったことは一般に知られていないであろう。私は、このラウンジで夜ラウンジコンパニオンのアルバイトを4年間続けたのである。
私は30歳を過ぎて再び学生になり、修士取得までの6年間学業に励んだことについては、当ブログのバックナンバー「パーコン」で既に述べている。 繰り返すが、私は30歳を過ぎた頃、自らの意思でそれまで勤務した医学関係の民間企業を退職し学生になった。大学院修了までの6年間独り身で学業に励んだ訳であるが、自力で生計を立てつつ学業に没頭するためには、手っ取り早く稼げる仕事を選択するのが一番の方策であった。民間企業勤務中に単独で購入した分譲マンションの住宅ローンもまだほとんど未返済であった。 大学の長期休暇中にはそれまでの自分の専門の医学分野の人材派遣で集中的に稼ぎ、普段の土日祝日にはパーティコンパニオンやワープロのデモンストレーター等単発の仕事で収入を得、土日夜には家庭教師をし、そして平日夜には旧丸ビルのラウンジでラウンジコンパニオンをしていたという訳である。
パーコン(パーティコンパニオン)同様、当時は既にラウンジコンパニオンのアルバイトは私立女子大生の間ではそう珍しいことでもなかった。しかし、国公立の女子学生のアルバイトコンパニオンはやはりまだ希少な存在であった。したたかな私はそこを狙ったのも事実である。
そして、この丸ビルの最上階のラウンジは客層が丸ビル及び周辺ビルに勤務する会社帰りのサラリーマンの常連固定客ばかりである。(三菱ブループ企業のエリートサラリーマンがほとんどであった。) 当時はまだ個人情報をオープンにすることにより自己アピールをすることが一般的な時代で、客からのよくある質問が「アルバイトでしょ、どこの大学?」である。 国公立の学生であることを告げると一目置いてくれるというのか、とにかく客の受けがすこぶるいいのである。 断っておくが、ラウンジコンパニオンは着席はしない。あくまで立って歩きながら水割りを作ったり等のサービスなのであるが、客と二言三言程度の会話はする。「もし良かったら連絡して。」などと言って、名刺を手渡される事は日常茶飯事である。また、閉店時間が早く仕事の終了時間も20時30分(わずか2時間の仕事)と早い時間帯なのであるが、「下で待ってるから。」といって私の仕事終了を待っていてくれて飲みに連れて行ってくれる客もいたりする。(常連客ばかりだから安心。もちろん相手は選ぶよ。) とにかく時給はいいし3倍美味しい仕事であった。 人脈作りにはもってこいの仕事で、この仕事のお陰でよき相談相手や飲み友達に恵まれたものだ。この仕事を辞めた後も長年お世話になった方々も何人かいる。
ときどき、チップをいただけることもある。お断りするのであるが、まさかそれで引っ込める客はいない。そこで、そっと受け取る。大抵は千円札1枚なのであるがときどき五千円札の時もある。ロングドレスを着ているためポケットがない。このチップをどこに収めるかと言うと、先輩コンパニオンに教わったのだが、胸とブラジャーの隙間にすばやく挟み込むのである。
などと書くと不謹慎極まりない!とお怒りの方もいらっしゃるであろうが、その仕事内容は至って厳しい。とにかく客商売は忍耐力が勝負だ。当ブログのバックナンバーの記事「パーコン」でも既述しているが、コンパニオンの仕事には、“華”“気品”そして“おもてなしの心”が要求される。どんなに疲れていようが顔を塗りたくり、颯爽と姿勢を正し笑顔でいなくてはいけない。 片や客はお酒も入っているし、対応に苦慮した経験も数多い。それでも、お客様は神様である。失礼は許されない。
私にとってこの客商売経験(パーコン、その他も含めて)は自己の人格形成に大いに役立ち、人間の幅がさらに広がったと自負している。故に、こうやってあえてブログで公開しているのだ。
私は、このラウンジコンパニオンを3月まで経験した直後の4月から、高校教員として某公立高校へ赴任した。生徒指導上、この客商売経験がプラスに作用したことはいうまでもない。
今後の教員研修の中に客商売を盛り込み、教員を鍛えなおした方が良いのではないかと私は真剣に考えているほどである。
様々な職業経験をすることにより、人間は自分の幅を広げていくことができる。
それを短期間であるとはいえ自分自身の人生で実証してきた私が訴えるのであるが、どうか世間の皆さん、少なくともご自身の狭い見識で職業差別をすることはもう終わりにしませんか。