原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

中高一貫校急増の社会的背景とその是非

2008年01月16日 | 教育・学校
 ここ数年、公立私立を問わず中高一貫校が急増している。
 昨日(1月15日)の朝日新聞夕刊一面記事に、特に大都市圏において高校からの生徒募集をやめて中高一貫校化する私学が急増している現象が取り上げられている。

 この記事には、少子化により学校間の競争が激しくなる中、早い段階で生徒を囲い込み、6年一貫教育で進学実績を伸ばしたいという私学の思惑や、中高一貫組と高校からの入学組とで授業の進度を変える「二度手間」を学校が嫌う風潮があることが記載されている。 一方、公立中学からは「優秀な子が私立に流れてしまう」との嘆きが聞こえるとも記載している。

 特に数が多く学校の「生き残り」がより激しい女子校でこの一貫校化が目立つ。08年2月の入試から高校募集を停止する東京の某女子校の校長は「公立にも一貫校が生まれ、一貫教育のよさが広く認められてきている。首都圏での中学受験ブームも追い風になった。」と話しているらしい。
 事実、首都圏での小学6年生の今春の私立・国立受験率は過去最高だった今年度を若干上回り、17、7%に上昇すると推計されている。すなわち、今春、首都圏では6人に1人が中学受験に臨むことになる。
 
 この中高一貫校急増のマイナス面としてこの記事では、似たような境遇の生徒ばかりがずっといっしょにいることで、社会性が欠如することを心配する声もあがっていること、また、公立中学側からは、「クラスを引っ張る優秀な生徒が私立に行ってしまうと、公立中はリーダーを育てることから始めなくてはいけない」こと、及び、高校受験の選択肢が狭まること、につき記載している。


 さて今回の朝日新聞の記事は、上記のごとく、中高一貫校の急増に対する学校側の言い分につき報道したものであるが、こういう問題は本来子ども及び保護者の立場から議論されるべきである。

 私見を先に述べると、生徒、保護者の多様性を考慮した場合、学校選択における選択肢が多いに越した事はない。子どもの能力、個性、適性及び家庭の経済事情等に見合う学校を自由に選択できる社会であるべきである。 そのような意味では、極端に中高一貫校が急増してしまうとアンバランスが生じ、一部の生徒の選択の幅が狭まるという弊害が出現する危険性がある。
 上記の記事の中に「公立にも一貫校が生まれ、一貫教育のよさが広く認められてきている。」とあるが、この記述に関しては信憑性が低いと私は考察する。公立の一貫校誕生後まだ2,3年しか経過しておらず、その真価の程については実証されているとは言い難い。
 結局、中高一貫校化は学校側の早期生徒囲い込み、及び教育の効率化、すなわち、学校側の経営事情改善に重点があると見るのが妥当であろう。

 一貫校化に対するマイナス要因としてあげられている“似たような境遇の生徒ばかりがずっと一緒にいることで社会性が欠如する”という考え方であるが、これは以前より私立学校全般に関してよく言われている言葉である。私見であるが、この記述も信憑性が低い。確かに私学は公立とは異なり各校の教育理念や校風に特徴があるのは事実だが、集まってくる生徒の個性は様々であり、家庭環境も様々である。ましてや、子どもは学校のみが生活の場ではない。子どもの価値観形成は様々な環境から影響を受ける。私立に進学したからと言って社会性が欠如するなどあり得ず、取り越し苦労、あるいはあくまで仮説の域を超えていないとしか言えないのではなかろうか。これは一貫校化のマイナス要因とは成り得ない。
 一方、公立側からの“クラスを引っ張る優秀な子が私立に行ってしまう”という記述も短絡的な発想としか言いようがない。国立私立受験の現状は、偏差値のみにより支配されていると言っても過言ではない。偏差値の高さイコール“優秀”では決してないことを教育者であるならば心得ているべきだ。 このブログのバックナンバー「組織論におけるパワー概念」でも既述しているが、人間の持つ“パワー”は多様である。クラスをひっぱる“優秀”な子どもは公立私立いずれにも偏差値にはかかわりなく必ず存在するものである。これも取り越し苦労、いや、偏見としか言いようがない。公立学校現場の教育者は、自校の生徒の能力をもっと信じて、3・3制に自信を持って常々子どもの教育に臨むべきである。

 という訳で最後に私論の結論を導くが、中高一貫化は学校側の経営の効率化が主たる目的であり、一時の流行現象と結論付けたい。
 教育の場はあくまで多様で選択の幅があるべきである。中高一貫校が存在してもよいのだが、それがアプリオリの善であるとは考えにくい。人間は環境が変わることにより成長できることも多い。6年一貫を選択するか、3、3制を選択するか、それは個人の自由である。このまま、中高一貫化が進み続けるとは考えにくい。いずれ自然淘汰されていき、両者が切磋琢磨しつつ存在し続けることであろう。
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