白くもなく黒くもない色・・それが灰色である。ほどよい、いい色合いであるにもかかわらず、困ったことに悪い場合で使われる場合がある。灰色高官・・とか、かつて世間を騒がせた政界のスキャンダラスな事件でマスコミを賑(にぎ)わせたのが、その具体例だ。別に灰色を弁護する訳ではないが、色合いの薄い濃いの差はあっても、人の世は黒くても白くても生きられない灰色の世界なのだから必要不可欠の色合いなのである。さらに加えるなら、━ すべからく中庸(ちゅうよう)をもって、よしとす ━ とした中国の故事からすれば、白黒ではない中庸の灰色は理想なのである。ただ、囲碁の世界で持たれる白石と黒石は、白がいい黒が悪い・・という意味合いで打たれる石でないことは明白だ。
プロ棋士の二人が和室で碁を打っている。中央手前には記録係と時計係の二人がいて、盤面に目を凝らしている。
「ありません!」
後手番で白石を打つ黒崎九段は先番で黒石を打つ白橋七段に静かに頭を下げ、ポツリとそう呟(つぶや)いた。黒崎九段の顔は苦渋に満ちた顔の表情に変化し、額(ひたい)にはあぶら汗すら滲(にじ)んでいるではないか。瞬間、白橋七段は『おやっ? 』と思った。局面はこれから中盤へと大きく盛り上がろうとするところで、とても苦しくて投了するような局面ではなかったからだ。記録、時計係の二人も同様で、三人は、もののけにでも化かされたような顔つきで黒崎九段を窺(うかが)い見た。黒崎九段は困っていたのである。何に? それは、生理的な現象だ。腹が急に痛み出し、便意を覚えた黒崎九段は、ほぼ限界に達していた。漏らす訳にはいかないのは当然で、そうとも言えない。早碁の対局で、余りに長考したせいか残り時間がなくなっていたのも大誤算だった。
「ぅぅぅ…」
がまんしきれなくなった黒崎九段は、スッ! と座布団から立つと、和室から走り去った。三人は何ごとが起きたのかと唖然(あぜん)とした。
「ありません!」と呟き、トイレへ駆け込んだ黒崎九段の便座の横に、白いトイレット・ぺーパーがあった。黒崎九段は、用を足し終えたいい気分で、灰色だな…と何げなく思った。
完