水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

困ったユーモア短編集-59- 表面化

2017年06月08日 00時00分00秒 | #小説

 忘れていたことが、思わぬところから表面化することがある。困ったことに、表面化するのは慌(あわて)ているときが多い。思わず、その人となりが表面化する訳だ。
 夕方、小忙(こぜわ)しそうに袋崎(ふくろざき)は探しものをしていた。明日は久々の出張である。天気予報は明朝から雨寄(あまよ)ると告げていた。傘がいるな…と、袋崎は折り畳み傘を鞄(かばん)へ入れておくことにした。ところが、いつも入れてあるはずの戸棚(とだな)に、傘がないのである。毎度、同じところへ収納しているのだからあるはずなのだが、見つからない。気づいたときは夕方で、まだ辺(あた)りは明るかったが、いつの間にかすっかり薄暗くなっていた。仕方なく、袋崎は部屋の灯(あか)りを点(つ)けた。そして動きを止めると、ひとまず落ち着いて考えることにした。この段階で、袋崎の潜在意識はまだ表面化していなかった。袋崎が、まず考えたことは、いつも収納する戸棚から最近、動かしたことがあるか…ということだった。だが、どうもそんな記憶がない。とりあえず夕飯にするか…と、袋崎はキッチンの冷蔵庫を開けた。中には昨日(きのう)調理した炒(いた)めものの残り皿が入っていた。袋崎は考えることなくその皿を電子レンジでチン! してテーブルへ置くと、数個のロールパンとともに食べ始めた。まだ、この段階でも袋崎の隠された潜在意識は表面化していなかった。
 食べ終えた袋崎は、いつものように洗い場で食器類を洗い始めた。このとき、袋崎自身が気づいていないある変化が脳内で起きていた。折り畳み傘を探している・・という記憶が飛んで、消えたのである。ド忘れしたという状況だ。さあ、大変なことになった・・というほどのことではないのだが、ともかく、飛んだ記憶は袋崎の発想から除外された。
 飛んだ記憶が表面化したのは、次の日の朝である。袋崎は出張の日・・ということもあり、早めに目覚め、床(とこ)を離れた。やはり天気予報どおり、空は雨寄っていた。困ったことに、このとき袋崎の飛んだ記憶が、『ただいま…』『お帰り…』とでもいうように復活した。気づいた袋崎は、ハッ! と慌てた。そしてついに袋崎の隠された潜在意識が、湧き出るように表面化したのである。袋崎はまるで無邪気な子供のようにソソクサと乱雑に辺りを探し始めた。よ~~く考えれば、折り畳み傘が見つからないからといって出張に支障(ししょう)がある訳ではないのだ。降れば、使い捨ての安いビニール傘を買えばいいだけの話なのである。だが袋崎の表面化した隠された潜在意識は、そんな発想を忘れさせていた。しばらく時が流れたが、折り畳み傘はとうとう見つからないまま、袋崎が家を出る限界の時間がやってきた。傘を持って出る・・という表面化した袋崎の頑(かたく)なな想いは、普通の傘を持って家を出させることになった。その日、雨寄ってはいたが、ついに雨は降らず、普通の傘はお荷物になっただけだった。
 袋崎が出張から帰ったとき、折り畳み傘は、ポツン! と靴箱の上に置き忘れられていた。袋崎は、アアッ! と、思わず叫んでいた。コトの経緯(けいい)を詳しく述べれば、天気予報を聞いた袋崎は無意識で戸棚から折り畳み傘を出したのだが、その記憶も忘れていたのである。ダブル忘れが表面化した瞬間だった。

                             完


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